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2月27日(月)俳句を作る演劇人の会

於・神保町・銀漢亭

 今回の兼題は、「春一番」と「目刺し」
 今回は”春一番今ひとびの春よ来い”を谷岡健彦さんに、”目刺し喰い別れ話にとどめ刺す”・”目目刺し焼き泡盛愛でる一夜かな”を大西酔馬さんに採っていただいた。終わって、酒席になって、伊藤真紀さんと昨日取り上げた「革命伝説・宮本研の劇世界」の話し、いまや左翼も左翼インテリもいなくなったという話をしたら、その話の自分の口調が、左翼インテリ風であることに気づき、いやはや・・。田岡美也子さんとは昔の早稲田小劇場と、劇団の演出家鈴木忠士と自殺した俳優・小野碩のはなしをする。

 医科歯科大渡辺先生の外来へ。胃カメラ検査の結果も悪性リンパ腫はなくなっていて、再発も快癒したと・・。先生の治療のおかげだ!

 ・村上春樹「騎士団長殺し」を読み始める。
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# by engekibukuro | 2017-02-28 10:08 | Comments(0)  

2月26日(日)「革命伝説・宮本研の劇世界」

 日本近代演劇史研究会編(社会評論社)
 この本は、初期作品「僕らが歌をうたう時」・「人を食った話」・「反応工程」/「明治の柩」/ザ・パイロット」/「美しきものの伝説」/「聖グレゴリーの殉教」/「夢・桃中軒牛右衛門の」/「からゆきさん」/「新釈・金色夜叉」/「冒険ダン吉の冒険」/「新編・吾輩は猫である」/「高崎山殺人事件」/「花いちもんめ」が取り上げられ、論及されている。
 この中で私の観た芝居は、「明治の柩」、「ザ・パイロット」、「美しきものの伝説」、「夢・桃中軒牛右衛門」の4本だけだ。この本を読むまで、知らなかった作品もある。このまえ伊藤真紀さんが書いた「夢・桃天軒牛右衛門」のことを書いたときも書いたが、ちょうど新劇が凋落しつつあり、アングラ演劇が勃興してきた時期で、そのとき新劇の最後のといってもいい力のある劇作家は福田善之と宮本研であり、宮本は、新劇の最後の光芒を放っていたことが、この本を読むとよく解る。そして、現在宮本のように時代や歴史を骨っぽく批判し劇化した作家はいなくなっとことの確認ができた本だった。つまり新劇を支えていた左翼インテリゲンチャとい種族が絶滅したことであり、左翼そのものが存在しなくなったことでもある。社会批判を中心にしている中津留章仁のような作家は現在もいるが、いわゆる左翼ではないし、時代そのものが変わってしまったことを強烈に知らされた本だった。この本から新しい再評価がはじまり新しい上演がみられること、それはもう文化座の「反応工程」や流山児★事務所の「メカニズム作戦」などではじまっているが、それを期待したい。
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# by engekibukuro | 2017-02-27 10:05 | Comments(0)  

2月25日(土)M「原理日本」青年劇場

作:久板栄二郎、演出:大谷賢次郎、青年劇場スタジオ結(YUI)

 この芝居は1970年に劇団俳優座に久板が書き下ろしたもので、それ以来47年ぶりの上演だそうだ。久板という劇作家は、戦前のプロレタリア演劇の書き手であることと、黒沢明の映画の共同シナリオライターとしてしか知らなかった。が、この芝居、とても面白かったし、今日的でもある芝居だった。主人公は右翼の論客、蓑田胸喜をモデルにしたもので、この蓑田が、戦前の京都大学の滝川教授弾劾事件や美濃部達吉の天皇機関説排除の動きのもっとも急進的な役割を演じたことが、この芝居でよくわかった。その蓑田の家族関係や、そのころのジャーナリズムの様子などもヴィヴィッドに描かれていて、周囲からその言動が浮いていて、その浮いているところをもっと上の権力から利用されている様子もきちんと押さえられている作品だった。これも青年劇場の演技陣の成果で、とくに蓑田(劇では猿田彦市)を演じた島本真治がこの人物を活写していた。興奮するとすぐ卒倒してしまう、いささか滑稽な人物で、戦前の右翼の人物像をありありと舞台に乗せたのだ。そして、この芝居は、この前読んだ、片山杜秀と島薗進の共著「近代天皇制」にも呼応していて、民主主義と天皇制の問題で、いまでも蓑田ほど極端ではないにしろ、蓑田的なものの残響がいまの日本にも伏在していることを感じさせた舞台だった。青年劇場が、この劇作品を掘り起こしたことはおおいに評価されるべきことだ。
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# by engekibukuro | 2017-02-26 09:38 | Comments(0)  

2月24日(金)M★「PARADE」

STORE HOUSE Collection No9
アジア週間ー「私」なるものをめぐってー 上野ストアハウス
 今回は、タイ、台湾、日本の3公演
★日本 ストアハウスカンパニー:「作・演出:木村真悟、作曲・ピアノ演奏:伊藤知恵
”かって、人々は、上を向いて歩いていた。/そして、今、人々は丘に向かって立っている。/しかし、とかく記憶は曖昧だ。/その曖昧さは、/例えば、森の中で木の葉を踏む音を聞きながら、波打ちぎわで絶えず消される自分の足音を抱きしめるような行為のようなものだ。/今となっては、人々の姿も、丘の形状も思い出すことはできない。/それはそれでいいのだ。/現実はいつだって曖昧もままでそこにある・/どこからか声が聞こえてくる。/歩こうか。/さあ、パレードの始まりだ。”
 ストアハウスカンパニーは、演劇やダンスといった枠組みを超えた表現の在り方を模索し、活動を続けている集団だ。
 今回は、これまでの木のプレイトや色彩豊かな襤褸切れなどの媒体を使わず、10人の男女の純粋なパフォーマンスだ。原初の人間の行為の源泉を追い求め、それをかすかではあるが真実の祝祭感まで上昇させ観客に伝える、ピアノ曲が効果的にサポートしたパレードの試みだった。 
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# by engekibukuro | 2017-02-25 09:50 | Comments(0)  

2月23日(木)映画「息の跡」ポレポレ東中野


 東日本大震災の大津波で見る影もなくなってしまった陸前高田市の一郭に、一人の男がプレハブでこざっぱりとした一軒家を建て、種と苗の商いを再開する。(中略)佐藤さんというその初老の男は、母国語では悲しみが募るばかりだからと、習い覚えた外国語で津波の記憶を綴って自費出版し、届いたばかりの英語版を声に出して読み上げたりしながら、時おり訪れる客たちに種や苗を売っている。
 以上は朝日新聞に書いた蓮實重彦の冒頭の紹介文だが、このドキュメンタリー映画を監督したのは、23歳の女性の小森はるかである。この映画は、主人公の佐藤さんと、画面に映らない小森との問答の形で撮影されている。とてつもない大津波の被害で、跡形もないこの地で、その永続的な後の時代にきちんと残る記録を、英語だけでなく、中国語でも刊行し、16世に日本にきて、その時遭遇した大津波の記録を書いて残したスペイン人のことも紹介する。津波のことなら何でも知っている佐藤さんは、気負ったおしつけがましさなど一切ない。こういう人物が存在する、その人の息吹を直に感じることのできる素晴らしいドキュメンタリー映画だった。
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# by engekibukuro | 2017-02-24 07:48 | Comments(0)