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12月1日(水)S  「演劇入門」こまばアゴラ劇場

原作:平田オリザ、脚本:岩井秀人、演出:本広克行、青年リンク本広企画。講談社現代新書の平田オリザ「演劇入門」は7万部売れている、ロングセラーだという。それが基になっている芝居で、岩井自らの演劇体験の軌跡を追った脚本である。演出は「踊る大捜査線」の監督、ヒットメーカーの本広だ。平田口語演劇に魅入られたという。なかなか面白かったし、発見もあった。岩井はまずカルチャーセンターで演劇に遭遇した。そのカルチャーセンターの芝居を再現するのが発端、それはまるで松井須磨子の時代の芝居のような大時代の洋物芝居である。次に岩井(岩井を多数の役者がリレイして演じる)は桐朋大学に入る。そこで思い込みの激しい独断的な演出家にであう。阿鼻叫喚に近い芝居だ。それらの演劇に不審を抱く岩井は、岩松了の「月光のつつしみ」を観て、そのリアルなたたずまいに感動する。そして平田オリザの「東京ノート」の、ただ美術館のベンチに座って本を読み、足を組み直すしぐさを観ただけで号泣したという。真のリアルな芝居を観たということだろう。そのリアルな演劇というものを、平田オリザ本人が(平田そっくりの人形を黒子が操作する)解説する。昔の恋人に美術館であった女が、”あのあと妊娠した”というと男が狼狽する。と”ウソよウソ、ウソ”というシーンで、平田は彼女が妊娠したかどうかは客が判断することで、私が伝えることではないし、伝えたくもない。と・・。岩井が平田口語演劇に開眼するまでの経緯を追って、「演劇入門」とする芝居だが、その限りで面白い。が、最初の極端なアナクロの芝居から、平田リアルまでの演劇では幅が狭ますぎるよ。オーバーに言えば、ギリシャ悲劇もシェイクスピアもテネシー・ウイリアムズも、岸田国士も、岩松了が登場したとき、唐十郎が”気が狂った久保田万太郎だ”といった久保田の演劇も抜けている。まあ、見当違いの物言いで、「演劇入門」というタイトルにこだわりすぎか・・。役者たちが嬉々として演じている面白い舞台ではあったのだから・・。
それより、平田がパンフに書いていたこと。ロングセラー「演劇入門」は、最初平田は「リアルのメカニズム」というタイトルを考えていたという。それを編集者のたっての求めで「演劇入門」にしたという。これで青年団の役者の演技のことが氷解した。彼等はリアルのメカニズムの習熟者なのだ。フツーの意味での名演技などとは違う世界で、それはそれとして大変面白いし、役者達も個性的だし、皆差がなく習熟している。ただ、女優賞、男優賞などの対象にはならない性質のものなのだ。また、そういう世界からはみだしている人もいて、たとえば渡辺香奈という私の好きな女優などがそうで、そういう意味でバラエテイに富んだ役者陣だ。7万人も読者がいても、7万人は青年団の芝居を観に来ないと、平田はぼやいているが、まあなんだろうとは思うが、この芝居はさすがヒットメーカーが演出したせいか、満員だった。この芝居のラストがよかった。岩井の父は、酒飲みで家に金をいれない、子供達を殴り蹴るする一家の鼻つまみで、その父をリアルに書いた芝居を父がまさか観ないと思っていたのに観に来ていて、岩井に怒るのではなく、「わかんないよ」という。ここで一挙に終わる。なんで一家の恥をわざわざ芝居にするのかという風にとれるし、昔大井広介という文芸批評家が、当時のイタリアンリアリズムの映画を”現実は二ついらない”いったことがあって、リアルということの人間にとっての意味とか、リアルな演劇とはなにかとか、岩井の自己批評のようにもとてれて含蓄の深いラストだった。

by engekibukuro | 2010-12-02 12:09 | Comments(0)  

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