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7月1日(金)S「家には高い木があった」弘前劇場

作・演出:長谷川孝治、ザ・ススナリ。
 舞台は津軽の旧家の離れの座敷。この家の井戸掘り職人だった祖父が98歳で死んで、その葬儀も終わり、孫たちがこの座敷に集まってきた・・。3人の男兄弟は皆教員、長男を除いて次男は秋田、三男は北海道で教師をしている。長女はまた東京に出て私立の教師で、その夫は小説家志望の無職の無色の男だ。祖父はこの土地ではきこえた井戸掘りの名人で、最低限必要な生活用具、衣服、トタンジスターラジオ、数冊の愛読書だけの簡素な1人暮らしをして、酒との蕎麦をこよなく愛し、死ぬときも仕事場から昼にいったん戻り、一本の酒を呑み、一枚のもり蕎麦を食べて、ウトウトしているときに命が途絶えた大往生だった・・。
 孫たちも近所の人々も、昔の祖父のしりあいも口々に祖父の見事な人生に感嘆している・・・。久しぶりにあった兄弟は、それぞれの暮らしが異なってきて、肉親の情のようなものが薄くなってなってきており、それをとりつくろったり、大げさにはしゃいでみたりで、なかなか落ち着かない・・。長女夫婦はなにか鬱屈があるようだし・・。長谷川はそういう情景を軽口や薀蓄や、思い出話や、庭の木に集まる鳥のはなしなど、賑やかで一寸寂しい会話を起伏させてゆく・・、これは長谷川の独擅場だが、今回は場の持たせ方の才気があふれすぎていて、津軽の情景がどうもパターナイズされてきたような気がした。長谷川の芝居は舞台がいくら散乱しても、はしゃいでも最後には一つの、その芝居の世界がきっちり納まって脳裡に残るのだが、今回はどうもそうはならなかった。わたしは長谷川の芝居も、津軽人の暮らしぷりも、地元の俳優たちもこよなく愛するが、今回は残念だった・・。次男を「花組芝居」の木下きよしが客演した。
▼メモ。「湯島句会」誌が送られてきた。この号に私が昔勤めていた山海堂という出版社の上司だった原裕さんおことを書かせてもらった。原さんは名高い俳人原石鼎の養子で結社誌「鹿火屋」の主宰者だった。この雑誌に状況劇場の芝居の劇評などを書かせてもらったことなどを書いた。湯島句会は色々な結社の俳人が超結社的に集まる句会であり、そうとう程度が高い句会のようだ・・。句の講評が勉強になるし、俳句の世界の底知れぬ深さ、惹きつける魔力を感じた・・。
・かえったら地デジのテレビがきていた。狭い部屋にはデカすぎだが・・・。

by engekibukuro | 2011-07-02 12:27 | Comments(0)  

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