ANA国内線【PR】

1月26日(木)M「寿歌」(作:北村想、演出:千葉哲也)

シス・カンパニー、新国立小劇場。
つ 大震災・原発事故の前から、この公演は決定していたそうで、演出の千葉も3・11以後の現状に重ねるつもりはないと書いている。しかし、客は重ねざるをえないし、むしろ千葉がこの多義的な芝居を色々稽古を重ね、出演者と話し合いながら紆余曲折しながら創り挙げた舞台というから、客もこの今の現状にドンピシャリの芝居に多義的に、むしろ積極的に係わらざるをえないし、そういう応対をさせるエネルギーがこの舞台から太く流れてきたのだ・・。ゲサクが堤真一、キョウコは戸田恵梨香、ヤスオが橋本じゅん。最初は戸惑う。初演の北村主宰の名古屋の「T・P・O師☆団」の初演、続く同じ北村主宰の「プロジェクト・ナビ」での上演で観たものとはトーンが違うのだ。初演は1979年だ。その時の舞台は、話にも舞台の配置も距離があり、核戦争による人類の絶滅、ヤソ・キリスト教、モヘンジョダロ・死の丘などの神話的な寓話性に作者さえ自分がなにを書いたのかわからない、上演しながら理解してゆくといっているくらいだから、舞台に衝撃をうけながら客もピタッとはわからない、ただ、遠景にミサイルの光芒が見え隠れする距離があったのだ。舞台も「瓦礫の道」とう設定も道らしきパースペクテイブがあった。今度の舞台は、空間が狭くて局所的で、バックの核の内部を思わせるマスクメロンの網の目の装置(松井るみ)が舞台に覆いかぶさるようだし、衣裳もサイケデリック(前田文子)で、演技も今回の俳優陣は名古屋の役者にあった一種の余裕がない。それこそ3人の役者の持ち味全開の、それこそ”ええかげん”なふざけ放題みたいな感じで、それが人類の絶滅がまるっきりありえないわけではない現状を強烈に感じさせるのだ・・。だから絶滅も放射能もヤソも、それらのシンボリックな会話も、たびたびの奇蹟も、下手な旅芸人の芸も全部混濁状態で推移するので、ヤスオがエレサレムへ、ゲサクとキョウコがモヘンダジョロに行くにしても、はたして行けるのか明日にでも死ぬかもしれない気配が充満していて、その絶望の深さの度合いにおうじてどんどん”ええかげん”さが累乗してゆく・・。しかし、千葉はとにかくなんとしても生きてゆかねばならないと決意して演出したのだ。朝日の大笹吉雄の劇評がただしく指摘したとおり、ラストの有名なト書き「この日から氷河期始まる」をカットして明るいタンゴを流したのだ。これでスタテイツクな冷え冷えした結末にならず、これしかないと思わせる方向を示したのだ・・。
これで寿・ソレをコトホグ、キョウコが最後に歌う「寿歌」が完全に意味をもつのだ。

by engekibukuro | 2012-01-27 08:38 | Comments(0) 

名前 :
URL :
削除用パスワード 

<< 1月27日(金)M「太陽は僕の... 1月25日(水)M「ネガヒーロ... >>