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6月28日(金)S「ドレッサー」シス・カンパニー

作:ロナルド・ハーウッド、翻訳:徐賀世子、演出:三谷幸喜。
 今回の「ドレッサー」は座長が橋爪功、ドレッサー(付き人)ノーマンが大泉洋、二人が並んでいるチラシを見て、現在、これ以上の組み合わせはないだろうと直感した・・。子の芝居は88年に座長三国錬太郎、ノーマンが加藤健一、89年に座長は三国だがノーマンが柄本明で観た。両方とも素晴らしい舞台で、独特の存在感がみなぎる三国の舞台はこれっきりだったし、加藤、柄本が三国と対峙する演技が緊張感に充ちていて、忘れがたい舞台だった・・。
 芝居は英国の旅回りのシェイクスピア専門劇団の老座長が、もうすっかり困憊してしまい、病院に担ぎこまれるてしまい、一座の舞台監督(銀粉蝶)を中心に今日の芝居を中止するかどうか紛糾している場面から始まる。中止を決める直前に、座長がフラフラ戻ってきて、なんとか「リア王」の舞台を開けることができた・・、それまでの準備のいきさつのごちゃごちゃしたデテイールの座長とノーマンの細かい芝居が、この芝居の骨頂で、さすが長年の蓄積で、いったん舞台に出て最初の台詞がでてくれば、あとはまったく大丈夫で、なんとかその日の舞台は終わった・・。ときは第二次大戦の最中で、英国はドイツからの空襲にさらされている毎日での旅回りの興行だ。シェイクスピアのレパートリー劇団だから、毎日日替わりで「リア王」、「オセロ」と演じ分け、「リア王」ではラストにコーデリアを抱き上げるのだから、もう老体には堪える限度がきた・・、その晩、座長は楽屋で息をひきとる・・。ノーマンは楽屋にあった座長の書きかけの自叙伝の巻頭の謝辞を読んで愕然とする。一座の照明係り、小道具まで謝辞に書かれているのに、座長の奥さんより前から、16年間、それこそパンツまで洗い、女のことや、いろいろ座長のわがままや汚いこともガマンして堪えて世話をしてきて、また一回も食事に誘われず、ビール一杯も飲ませてもらわず・・だから座長には激しい愛憎が渦巻いていたのだが、一番毎日身近にいた人間を完全に無視しているのだ・・。最下済みの悲哀がきわまった瞬間だ・・。座長の橋爪は期待したとおりの最適役だった・・。大泉も、いま流行りっこだから、ささいな芝居にも客が過剰反応して役よりも大泉自身へだったが、大泉はそれを跳ね返して、ノーマンそのものに客を引き入れてゆき、座長が死んで行きどころがないしがない付き人の絶望を体感させた、芝居の世界というものの魔力、その恍惚の悦楽と反比例する人生の破滅の悲哀、それをしっかり感じさせたのだ・・。いたずらに足を踏み入れるな・・。
▲副都心線要町の熊谷守一美術館へいってきた。コンクリート打ちっぱなしのこじんまりした3階建ての美術館、油絵、水墨画、書、彫刻すべで小ぶりのものだが、省略の美だ。気が鎮まる。守一や家族の写真も展示されいて、安井仲治の撮った守一のポートレートが素晴らしい、さすが安井だと感服した、階はカフェになっていて館長の守一の次女で画家の熊谷かや(木へんの漢字)さんとおぼしき女性がいらした、素敵な人だ・・。今日はカフェに寄れなかったが、近所だからまたこよう・・。

by engekibukuro | 2013-06-29 10:02 | Comments(0)  

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