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7月3日(水)★M「象」★★S「風の樹海」

★作:別役実、演出:深津篤史、新国立劇場。
 1962年に初演され、繰り返し上演されてきた別役の代表作の一つを、2010年に深津の新しい演出で新国立劇場で上演されて、注目を浴びた舞台の再演だ。この芝居の主人公は、広島の原爆による被爆者で、街頭で背中のケロイドを見せ喝采を浴びていた・・・、そして病状が悪化してきて入院している・・。この舞台は舞台全面にカラフルなボロ布を大量に敷き詰めて、ボロ布の原野のなかの各所に穴があり、人物はこの穴から出没する。その舞台中央にベッドがあり、男が寝ている。男を演じるのは大杉漣、その妻は神野三鈴、このボロ布の景観が圧倒的に目を引き、従来助演されてきた「象」のイメージが一変したのだ。だが、再演は初演のクオリテイの保持だけでは、初演の鮮度は再現できないのだから、なんらかの付加が必須・・、深津、初演以来の中心の大杉、神野のそれに向っての意欲が、奥菜恵、山西惇、羽場裕一、今回初参加の木村了を巻き込み、”深津さんは忍耐強いし、頑固だし、媚びないし、ゆるがない”と神野がいう深津の演出も勢いを先導して・・、舞台からの熱気はひしひしと感じられた・・、が、熱気に包まれて芝居の内容が見えくくになった感じも否めなくて、基本だとおもう”背中のケロイドを見せる男”のイメージが希薄に感じられた。深津は”ヒロシマの原爆という大きな出来事を内包した作品ですが、根底のところに人間のドラマがある”というが、その辺がよくわからない。深津の主宰する桃園会での芝居も、時として難解で、客に媚びない頑固な芝居に遭遇することがあるが、そして辛抱して観て、とてつもない世界が現出することもあって納得するのだが、今回は私にはそこまで至らなかった。だが、舞台の緊張感ははんぱでなかった。
★★作:長田育恵、演出:藤原新平、プロデューサー:綿貫凛、オフイス・コットーネ、ザ・スズナリ。
 15年ぐらい前に読んだ吉村昭の小説「水の葬列」をモチーフにした舞台を思い描いていた綿貫が、それをやっと新進の長田に劇化を依頼し、超ベテランの藤原が演出し、主役が剣幸という座組みで上演し、これが成功、プロデューサーとしての独特の力を示した舞台だ。「てがみ座」を主宰する長田の劇作の力は、大方の認知を増幅させてきたが、今回は自分の畑の小劇場ではない、プロの大人の俳優たち、剣、そして久保酎吉、宮島健などが演じる役を描くという初めての体験だ。話は、山奥に隠れて暮らす山の民、サンカの話、吉村の原作は黒部ダムのそばの山、富山県だが、長田は九州の宮崎県のサンカの人びとにしたした。サンカは日本の戸籍をもたない、竹細工の箕、籠、魚籠などを作って里に降り買ってもらう、里との交流はそれだけ・・。だが、この芝居は前の戦争の戦中、戦後の激動期のサンカの暮らしの変化を描き、ある殺人事件の発覚からその変化が辿どられる。戦争中、山の中で不時着して迷った兵隊が、サンカの部落に入り込んでしまう。そこから、サンカの掟、習俗などで日本国家に無関係に自立して暮らすサンカの暮らし、若い男女の悲恋とか、剣が演じる遠見の巫女が仕切る世界が現前する。一種の伝奇ロマンでもあり、長田がそれぞれの人物をきっちり描き出し、骨太の人物像を造形して、長田の劇作の力を示したのが彼女を応援していたから、まずは嬉しい。それも藤原の老練な演出があってこその舞台成果・・。サンカは里に下りて、ほとんど絶滅するのだが、日本国家や天皇制とは無縁の自由な人びとだった、殺人事件の被疑者巫女の娘銀子(川面千晶)を調べる刑事(久保)は実は、子供のころ親に山中に捨てられ、神隠しにあい、サンカの人びとに助けられるという密かな体験があった。そのとき、山の上で、サンカの人に竹でブランコを作ってもらい、青い青い空に向って漕ぎあげた、その自由な喜びが今でもカラダに残っているという、日本国家のしがらみから解き放たれた、原初の自然な生き方、そのことがきっちり舞台から伝わってきた、長田の進境を如実に示した舞台だった。

by engekibukuro | 2013-07-04 11:00 | Comments(0)  

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