人気ブログランキング | 話題のタグを見る

9月6日(土)M「親の顔が見たい」新国立鵜劇場

作:畑澤聖悟、演出:西川信廣、新国立劇場演劇研修所公第8期生試演会
 ほんとうに良くできた舞台だった。客演として文学座のヴェテラン、関輝雄、南一恵か出ているが、研修生たちの演技は、まったく遜色なく、見事なアンサンブルを創生していた。この作品は初演は2008年劇団昴で、衝撃的な舞台だった。その後確たる評価をえて、たびたび各所で上演されている。ものがたりは”都内カトリック系私立女子中学校、夜の会議室、いじめを苦に自殺した生徒の遺書に書かれていた、加害者の親たちが集められた。年齢や生活環境、職業が異なる親たちは、ひたすら自分の子どもを擁護する。親同士の怒鳴り声が高まるなか、それぞれの家庭の事情や親娘関係が浮き彫りになってゆく・・”。畑澤は現在も教員で、その教員としての経験が多く引用されていて、”フイクションとして構成したが、二十数年の教員生活が積み重なって戯曲になったよである”と書いている。それだから、その会議室での光景はドキュメンタリーの様相を帯びて、臨場感が際立っていて会議の推移にハラハラして、舞台に呑みこまれてゆく・・。それは、各人物の個性がきちんと描かれていて、その自己主張のありようの色合いが直に感じられるのと、たとえば自殺した生徒の遺書を一人の女性親が火をゆけて燃やしてしまったり、別のがでてくると、ひったくって呑みこんしまったりして、それで全員で加害者の名前が書いてある遺書を無かったことにする、というような、いかにもあかにも芝居じみたシーンもんなら現実感を損なわないリアリテイが付与されているのだ。畑澤は実際に福岡県で起きた事件で、”衝撃だったのは報道された加害生徒の無反省ぶりである。ある者は教室で、「あーあ、死んじゃったのか。いじるヤツがいねーとつまんねー^の」といったそうで、・・・「親の顔を見たいというセリフはそんなときにでてくるのだ”と・・ここに集まった親たちは、子供たちの生活を全く知らず、自分の思い込みだけを死守する。いじめの増大も、こんな親たちの存在も、それらを責めてもそうないような世の中でできあがっているのか、この優れた再現ドラマ風の感触をもつ劇は、演劇的感銘を突き抜けてしまう、そのリアリテイの強度が、演劇を亡失させてしまうような極めて稀な例で、そのこと自体をさらに考えたい・・。
▲おもろ。片割れ欠席のカップルと中川君・・。

by engekibukuro | 2014-09-07 09:31 | Comments(0)  

<< 9月7日(日)M「鼠たちの伝説... 9月5日(金)M「瀕死の王さま... >>