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4月28日(木)山田風太郎「人間臨終図巻」(上中下)

 この本(下)から読む。七十三歳から百代で死んだ人々までを記述する。
 演劇関係では七十七歳で死んだ河竹黙阿弥
”何事にも容易周到な彼は、毎年元旦ごとに遺言状を書き改めるのを常としていたが、明治二十六年もそれを書き、二日後の三日、朝食後ふと左の手さきが動かなくなった。軽い脳溢血を起こしたのである。
以来彼は床につき、しかし別に苦痛はなく、脚本のアイデイアを話したり、替唄をつくったりしていたが、二十二日午前九時ごろ「きょうはいよいよゆくぜ。午後まではもつめ」といい、念仏を唱えだし、午後四時過ぎ、眠るように息をひきとった。真に珍しい大往生であった。”
 七十八歳で死んだ新劇の名女優田村秋子
”昭和五十八年一月、秋子は肺炎を起こし、君津の病院に入院したが、死ぬ三日前から食事を拒否した。そ弱のせいではなく、もはやみずから生きることを拒否したかのようであった。
 二月二日の夜七時ごろ、彼女を敬愛し、しばしば訪れていた豊田正子(綴方教室」の作者)が、あとを子息司に任せて帰ろうとすると、ふいに秋子は「さよなら!」と声をかけた。「暗い感じのさよならではなくて、軽い、はずんだ調子の、寧ろいたずぽっく云ったという感じ、だったという」と友人の劇作家内村直也は「早すぎた退場」でか書く。
 「最後の瞬間に至極平凡な言葉で、明るく永遠の別れを告げる。深刻なところがみじんもない。これはもしかすると、とっさに出た言葉ではなく、彼女のなかで充分に考えられ、練られた言葉だったのではないか」
 豊田正子はこの言葉で行けなくなってしまった。
 時計が二月三日の午前一時をさしたとき、田村秋子は息をひきとった。”

by engekibukuro | 2016-04-29 09:21 | Comments(0)  

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