9月3日(日)

ブルー・スミス「テネシー・ウイリアムズ 最後のドラマ」(白水社)を読む。読みそびれていていた本だ。晩年のウイリアムズを描いた本だ。本の帯の惹句”再起を賭け、「ガラスの動物園」の初演地シカゴで新作発表に取り組むウイリアムズ。だがここで待っていたものは・・・。新作は発表の裏話や酒やドラッグに溺れるテネシー・ウイリアムズの最晩年を、シカゴに住むジャーナリストが克明に記録した回想風ドキュメント。”この本を読むと、いったん落ち目になると、アメリカの演劇界の有象無象がとりまき、とくに新聞の劇評家のとてつもない権威だ。劇評家の劇評の成否が公演の命で、続行か中止かが決まるぐらいの権威があるのだ。最後のシカゴ公演は失敗して、テネシーは薬瓶のふたを喉に詰まらせて窒息して死ぬ。マーロン・ブランドはウイリアムズの死にさいして「死が訪れたとき、彼はそれまでに心理的、感情的に肉体的に何回ともなく死に近づいていたので、それはたぶん彼にとってはひげをそったり、散髪するようなものだったろう。彼の死によって、われわれはみんな小さくなった。かれがいなくなってわれわれはみんな貧しくなった。彼のような繊細な人間に支持と助力を与える文化をわれわれがもっていたら、たぶん彼はもと長生きしただろう。きびしく、せっかちで、金もうけ主義の文化に根を下ろすことが難しい芸術家には真の慰めも文化的支持もない」、ブランドは「テネシーは傷つけられた一生を送った」と言って弔辞を結んだ。

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by engekibukuro | 2017-09-04 09:57 | Comments(0)  

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