9月11日(月)M「「冒した者」文学座アトリエ公演

作:三好十郎、演出:上村聡史、美術:乗峯雅寛
三好のこの作品に対する言葉。「私の作品はたいがいそうであるが、特にこの「冒した者」では「現代」そのものが直接的に主題になり、主人になっている作品である。それはこの中に描かれた事件や人物が実際において私の身近に起きた事件であり、実在の人物であるという意味だけでは無い。もと深い意味で・・・・つまり主題の押し出した方や材料の処理の仕方そのものが「現代」なのである。(中略)次に、私はこの作品の中からこれまでの戯曲のすべてに在った演劇的約束や大前提を投げ捨ててしまった。これまでの戯曲ではその戯曲をよく読みその演劇をよく見ていれば、そのなかに書かれている事が完全に理解できるようになっている。そういう約束や大前提のもとに書かれている。ところがこのの作品ではそれが捨てられているために、唯単にこの作品を読みこの演劇を見ても、必ずしも、普通の意味での「理解」は得られまいと思う。またそのような「理解」を私は望んでいない。問題は、これを読み、この芝を見てくれる人が「現代人」であるかどうかにかかっている。現代人ならばわかってくれるだろう。それも「理解」というより「悟」ってくれるだろうと思う。ちまり作品理解の大前提のカギを作品の外つまり読者と観客のまんなかに投げ込んしまったさくひんである。(後略)私は2013年に葛河思潮社の長塚圭史演出で、中心人物の須永を松田龍平が演じたこの作品を観た。松田がとても良かった舞台だったが、今回の作品と最大な違いは、その作品が原作どうりの3階建ての日本家屋だったのに、今回の舞台は乗峯の美術による舞台の真ん中に穴があり、登場人物の言動はその穴の外部と穴の中で演じられ、芝居全体が抽象化されていることだ。文学座の演技陣はその抽象化にきちんと対応していて、4時間の芝居に緊張感を保たせ、文学座の底力を心底感じさせた舞台だった。内容はこの穴に抽象化されたこの建物の居住者の複雑な絡み合いだが、今回においても”現代”を十分感じさせた。人間が核・原子力を発見して、広島・長崎に原爆を落とした悲惨さを、三好はその発見そのものとその利用を抑制できなかった人類をこの芝居の人物の口を借りて責める。もう当たり前のように世界中に、原子力・核爆弾が拡散していて、北朝鮮が世界への脅威になっている現在、三好の現代性、アクチュアリテイは存分に活きていた。上村と文学座演技陣の渾身の、見事な舞台だった。

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by engekibukuro | 2017-09-12 11:38 | Comments(0)  

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