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11月28日S「シャケと軍手ー秋田児童連続殺害事件ー」

作・演出:山崎哲、新転位21、中野光座。主役スズカは石川真希、男友達トンボは佐野史郎、父親は十貫寺梅軒、弟ユウが飴屋法水。この4人は状況劇場出身。新転位21のメンバーにこの4人が加わって、サスペンスフルな厚みのある舞台が出現した。石川のスズカは彼女の不幸が客に感染するようなリアルな演技。彼女が幼少時から父親の暴力にさらされ、生きる意欲を奪われ、人生を投げてしまい、薬にたよる生活を送り、娘のアヤカを川に落としたのも心神喪失状態だった。そのことの真偽を裁判の場で検事が執拗に追求する。事件での近所の騒動、マスコミの来襲、トンボとの交流、父親との確執、それらのシーンが連鎖して彼女の不幸と不運が深まってゆく。救いはトンボの愛情と弟の援護だけ。この姉思いの弟を演じる飴屋は、金髪に染めた異様な風体だが、姪のアヤカをかわいがり太宰治の「魚服記」を読んでやったりする。この弟が姉の告白を聞いて、アヤカが川に消えたのは、自分が読んでやった本の影響でサヤカが魚になって水の中で暮らしたいと思ったからだ、責任は自分にあると叫び、姉を免罪をも願うラストシーンは、この世間にしれた事件を別の位相で浮かび上がらせた。また、日本で一番自殺が多い、特産の天然杉を乱伐でなくし経済が疲弊した秋田の風土が事件の背景にあることも重なる。山崎の事件に対する心情の痛切と視点の深さが生々しく伝わる舞台だった。それと飴屋の異様な存在感と演技の上手さが印象的だった。
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by engekibukuro | 2008-11-29 12:27 | Comments(0)  

11月26日S「戦争と市民」27日S「部屋」

★「戦争と市民」(作・演出:坂手洋二)燐光群、ザ・スズナリ。主演ー渡辺美佐子。捕鯨を生業にいている土地の話。この市の戦時下の市民の暮らしと現在の捕鯨の問題をリンクさせた坂手の意欲作だ。戦時のB29の爆撃下での銃後の市民の暮らしの有様を列挙するシーン、防空壕、防火演習、隣組、灯火管制などなどを続けて演じ、提示するシーンの迫力と、現在の世界での捕鯨問題、くじら食と鯨の聖性の問題についての情報と考察の包含性の豊かさは坂手にしか出来ない仕事だ。特に各人が「捕鯨問題」に直面して考えなければならぬ時には、この芝居は一級資料になるだろう。
★「部屋」(作:別役実、演出:木島恭)Pカンパニー、Pスタジオ。まるで精密機械のような二人芝居。別役作品のテイストのエッセンスだ。結末は残酷だが、メタフイジカルに昇華して、情動を通過してしまう。水野ゆうと林次樹の気合のこもった演技が最高の出来だ。
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by engekibukuro | 2008-11-28 15:25 | Comments(0)  

11月25日M・「狂言劇場」・・S「冒険王」

・「狂言劇場ー★苞山伏★能楽囃子★彦市ばなし」世田谷PT。「苞山伏」は野村万作。昼飯盗難事件の冤罪を山伏が呪文で晴らす話。「彦市ばなし」は木下順二作、大昔、ぶどうの会の公演で久米明・桑山正一、牛込安子のキャストで観てとんでもなく面白かったのを思い出す。木下民話劇では「夕鶴」より好きだ。今回は野村萬斎の彦市。狂言仕立ての「彦市」はおおらかで楽しいね。パンフの小田幸子(シアターアーツ編集委員)の活躍が凄い。万作、萬斎の別々のオンタビュー、連載「狂言の多面的世界」は5回目だ。この論考で「世田谷能舞台の闇が中世の闇に重なることを期待する」と書く。私も期待する。明るさの底に闇がうごめく狂言を・・。
・・「冒険王」(作・演出:平田オリザ)青年団、こまばアゴラ劇場。初演は96年。イスタンブールの安宿に日本の若者のバックパッカーたちが泊まって一時を一緒にすごす話だ。平田の世界一周の旅の17歳の体験からの芝居。今回みると昔話のようで、時代の変わり方の激しさに驚いた。貴重な記録をなす芝居だ。現在の世界の厳しさ、ひどさを改めて気づかされる。のんきにインドへゆく時代ではなくなったのだ。 
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by engekibukuro | 2008-11-28 08:42 | Comments(0)  

11月21日S★「黄金の猿」22日M★★「百歩蛇と馬頭琴」

★作:サジキドウジ、演出:東憲司、美術:塵芥、劇団桟敷童子、ベニサンピット。劇場に入った途端、壮大な装置に目を奪われる。天井まで届く丸太の無数の柱が舞台を覆っていて、舞台には本水の沼が漂っている。この装置を駆使して、古代中国から九州に渡ってきたという伝説の民、漂流の民「九千坊一族」をめぐる一大ロマンが2時間40分にわたって繰り広げられる。都のミカドの命令で執拗に九千坊一族の破滅を目論む部族と決死の戦い。舞台は戦闘場面が主だが、毒をはらんだ風が吹きまくり、水が吹き上げ、丸太の柱を縦横無尽によじ登り、この劇団ならではのダイナミックなシーンの連続だ。また、敵対する部族間の男女の悲恋の物語も添えてあり、少々大味かもしれないが十分堪能させてくれる。凄いのはラストシーン。、舞台が跳ね上げられ、一面が池になりずぶぬれの水中合戦が展開され、さらに舞台奥が切って開かれ、無数の風車がまわる蜃気楼が現れる。この壮観は劇場を超えた異空間の創造で、これは来年取り壊される、この劇団も世話になったベニサンピットへの最大の餞であり、また単なるスペクタクルではない、サジキドウジの虐げられた民衆への共感の表明の証しであり、愛の伝達なのだ。
★★作;竹本穣、演出:小笠原響、Pカンパニー、Pスタジオ。盗賊二人が荒れ寺に隠れている話だが、よく書かれているとは思うし、内田龍磨と磯貝誠のコンビも面白く演じてはいるのだが、どうも話しに乗れない、波長が合わない感じが最後まで残ってしまった。
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by engekibukuro | 2008-11-23 12:46 | Comments(0)  

「すてるたび」11月20日M五反田団アトリエヘリコプター

作・演出・出演:前田司郎。舞台には椅子が4脚あるのみ。これが変幻自在に機能する。登場人物は黒田大輔の弟、後藤飛鳥の妻、実の姉の安藤聖、実の兄の前田の4人。それと影の主役の巨細不明のサイズの「太郎」というペット。さらにこの家族の父親は瀕死の状態らしい。一応はこの一家溺愛のペットの死と父親の死をめぐる話だ。わけのわからない導入部から、この一家がペットだか父親だか不明の亡き骸を海に流すため列車で旅にでる。道中の風景に子づくり神社だとかマリア様像とか観音様とか見えたり、突然前田扮する観音様が現れたり、神社の長いトンネルの先が温泉だったり・・・要するに夢の惑乱のリアルなトレース。他人の夢の話を聞いてもあまり面白くないのが普通だが、この芝居がすれすれOKなのは、夢の基底である細部のリアリテイの均一性が見事だから。黒田の身体表現が弾けていて、前田、後藤、安藤のどっちらけ演技とのコントラストが前田テイストの雰囲気をかもし出す。まさに五反田風味のシュルレアリスム、一幅のナンンセンス漫画、間違っても高揚しない温度の低い芝居の魅力、フランク永井は低音の魅力だが、前田は低温の魅力か。前田のスキルの熟成を感じる。セカンド繁華街である五反田(キャバレイ・カサブランカはまだあるのかな)とその近辺のローカリテイの魅力は前田の傑作小説「夏の水の半魚人」(en-TAXI VOL22)に見事に描かれている。前田ファンだったら必読の小説だ。
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by engekibukuro | 2008-11-21 11:20 | Comments(0)  

「表裏源内蛙合戦」11月12日Sシアターコクーン

作:井上ひさし、演出:蜷川幸雄。4時間になんなんとする大作ミュージカル。多数のキャスト・スタッフが井上、蜷川を総力で支えて4時間を持たせた熱気が凄い。源内の表を上川隆也、裏を勝村政信が演じた。卑猥すれすれの民衆の猥雑なエネルギーを背景に、江戸のダヴィンチ級の天才源内の学習と発明の日々を描き、権力へのすりよりと民衆への愛、啓蒙と断念、権力と民衆へのアンビバレンツに引き裂かれた源内の建前と本音、裏表の相克が主題。その一代記を朝比奈尚之の作曲でミュージカル仕立てにしたのだが、忘れがたいナンバーが数々あり、特に「腑分け」(本邦初の杉田玄白、前野良沢による解剖「解体新書」を源内がサポートした)ナンバーが異様で迫真的だった。源内の生涯を作者の自画像として重ねるのは曲解か・・・。
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by engekibukuro | 2008-11-13 12:29 | Comments(0)  

「友達」11月11日Sシアタートラム

作:安部公房、演出:岡田利規。岡田ハパンフでこの芝居で描かれている「暴力」について、その描かれていること、つまりはテーマを追うことと、目の前でパフォームされる上演じたいを区別して、目前で推移するパフォーマンスはテーマの展開に従属するものではないと書く。それ自体の価値が優先すると。主人公が最初から着ぐるみを着てでてくることからも岡田のコンセプトは予感できて、闖入者の登場でのプレゼンテーションが若松武や麿赤児の一種のダンシングパフォーマンスで盛り上げていtるのでもわかり、こちらの思いもかけない岡田のタクラミが展開されるのかと期待させた。しかし、後半失速してしまう感じが否めない結果になってしまった。主人公の存在が希薄になり、闖入者たちの暴力があいまいになってしまった。テクストがもつ今日でもアクチュアルな暴力のテーマが浮上しなかった。有名な最後のセリフ「逆らいさえしなければ私たちはただの世間でしかかったのに」が生きなかった。岡田のコンセプトでテクスト本来の力を包摂できていたら、まったく新しいフォームの「友達」が観られたのにと残念だった。しかし、海千山千の役者たちを相手に、既成の他者の名作といわれるテクストに果敢に挑戦して面白いシーンを作り上げたことは十分に評価できるし、新鮮でもあった。こういう試みの緒戦でもあるのだから次の機会をおおいに期待したい。
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by engekibukuro | 2008-11-12 11:28 | Comments(0)  

「いつか見る青い空」11月8日シアターグリーン

作・演出:長谷川孝治、弘前劇場。弘前劇場から畑澤聖悟が出て「渡辺善四郎商店」を立ち上げたが、両劇団ともきちんと活動していることを示していると思った舞台だった。舞台は地方の寺。この寺の住職は寺を放棄して行方のしれない放浪の旅にでている。寺は妻がなんとかしのいできたが、その妻も死に残されたの三人姉妹。この寺にいろいtろな人たちが出入りして、それぞれが各種各様の記憶や思いを抱えている。そんな人たちのある日が重層的に描かれる。長谷川独特のウンチクや賑やかな食膳など楽しめる事柄を背景に、この人たちのかなりのっぴきならない人生や生活が伝わってくる。そこから醸成されるローカルな生活感の密度が長谷川の芝居の魅力だ。それはアメリカのウイリアム・インジの芝居を思わせるものだ。今回も密度の濃い、余韻の残る舞台だったが、人物の履歴などがもう一つ明確に伝わってこないのがもどかしかった。ラストのデカルトのモノローグは唐突すぎた。
・長谷川がパンフで書いている地域の俳優について論述は重要だ。首都圏の職業俳優と違って地域の俳優は生業をもって演劇活動をしている。彼ら地域俳優の演技は従来の上手いとされる演技は必要ではない。地域俳優の演技の必須は「魂の世話」だという。それはこの劇団の福士賢治、永井浩仁、長谷川等、あるいは「畑澤の「ワタゼン」に出演している宮越昭治などの演技を観ていて大いに感じられるのだ。長谷川は「リージョナルシアターはそろそろ自前の演技論を持つべき時である」と結語している。
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by engekibukuro | 2008-11-09 08:18 | Comments(0)  

11月7日「邪沈ヨコチン」M「エヴァリスト・ガロワ」S・

「邪沈ヨコチン」(作・演出:下西啓正)乞局、笹塚ファクトリー。こlれほどネガテイブな人間しか出てこない芝居は不思議だ。こういうマイナスオーラに惑溺しているのか、日本社会の衰微と滅滅亡のカナリヤとしてのミッションなのか、アフタートークの下西の屈託のないトークからはうかがい知れない。演劇が時代の鏡だという定式からいえば、我々の水面下の実相が写されているのか。芝居のストーリーとか構えがよくわからないから、局所的な刺激的シーンに客は反応せざるを得ない。しかし、芝居のマチエールだけは強烈だ。この触感だけはオリジナルだ。それと土下座に近い板に平伏するカーテンコールに感銘を受けた。芝居は自分たちが客を楽しませ、同時に自分たちの世界(あるいは妄想)をうまくいかないと強要したかもしれないのだから、謙虚に平伏して感謝するのは肯えることだ。次回の公演が楽しみだ。
「エヴァリスト・ガロワ」(作:ブリュノ・アルベロ、演出:横田桂子)東京日仏学園エスペス・イマージュ。天才数学者ガロワの20才で決闘で散った無残で豊穣な人生をオリヴィエ・アルベロが演じきった。昔のよきフランス映画を観た想い出が蘇った。
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by engekibukuro | 2008-11-08 23:05 | Comments(0)  

「ザブザブ波止場」11月6日S道学先生シアタートップス

作:中島淳彦、演出:青山勝。いまや超売れっ子の中島の出始めの傑作。今回は再々演。どんな構えの芝居でも、この役者がでているなら観に行きたくなるオレの好きな井之上隆志、朝倉伸二が出ているのでワクワクする。それに今回加わった文学座の斉藤志郎がさらに盛り上げた。ここトップスは井之上の「カクスコ」時代の本拠地だし、この芝居が彼の故郷の宮崎の話で言葉も生まれ言葉だし、得意のギターの弾き語りの大盤振る舞い。この芝居は中島の故郷の日向のキラキラ光る海しかない小さな漁村の話。漁師は遠洋にでると何ヶ月も帰れない。心配は家に残した女房の浮気だ。残された女房がちょっといい女だと港に残った男どもが付けねらう。この芝居も船長の女房で小料理屋をやっている女が、なんとんなしに大勢の男と浮気をかさねてしまい、ソレを知った船長が半狂乱になって海上で浮気相手の船に衝突する話が軸。ほかに女がいない長期航海で起こってしまうホモ関係の話とか、港でのろくでもない面々の人物や暮らっしぷりが活写されていて、最後には男にとっては女は永遠のナゾであり、女にとっては男は全くろくでもない生き物でしかないという、まあ反論できない結末を両者納得のかたちで、変わらないのはきらきら輝く太平洋の海だけだ。ただ難点はこの芝居の勘所、うけどころを再々演と重ねて熟知しているから、それをたっぷり重ねると芝居が満腹感でもたれてしまうこと。しかし、この劇団のドル箱レパートリーであることは十分に確かめられたのだった。
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by engekibukuro | 2008-11-07 11:55 | Comments(0)