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6月29日M★「ジャズ・レッスン」S★★「イヌ物語」

★作:斉藤憐、演出:渡辺えり・大谷亮介、座・高円寺。出演者には明星真由美が加わる。ピアノは佐山こうた。ジャズの歴史をリーデイングしながら主に渡辺がジャズの名曲を歌う。大谷も「枯葉」を歌った。渡辺の訳詞で歌う「サマータイム」は、あのけだるいガーシュインの「サマー」の感じがやや欠けていて物足りなかった。
★★脚本:清末浩平、演出:川口典成劇団サーカス劇場×劇団地上3mm、シアター771。下北沢の本多チェーンの七つ目の劇場。771は本多社長の誕生日7月11日からの命名だそうだ。ザ・スズナリの前の元映画館だったこの劇場の椅子はチェーンの中では上等の材質で一番ゆったりしてすわり心地がいい。しかし芝居は(サーカス劇場はこの合同公演で解散するらしいが)主演の女優、黒色綺譚カナリア派の赤沢ムックは異彩を放つが、どうもついてゆきにくい。現在の日本の芝居の世界は広くて、わたしの観ている芝居などほんの一部でしかないという気もする。
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by engekibukuro | 2009-06-30 11:21 | Comments(0)  

6月28日M「寛容のオルギア」彩の国さいたま藝術劇場

★ヤン・ファーブル&パフォーマーズ。兵士に銃をつきつけられた男(女も混じる)たちが、何かにせきたてられたように悲鳴をあげつつ、激しくマスターベイション。この衝撃的なシーンではじまるこの作品は、ヤン・ファーブルの傑作だ。絶対に絶頂に至らないマスターベイションと買っても買っても満足しない消費社会が対置される。フェイクのオーガニズムへの強迫観念、何回イクか、際限なきイクことへの妄執。それらをはじめ現実社会の核心にふれる多彩なシーンを変幻自在なパフォーマンスによって繰り広げられる。それも基本的にモンテイ・パイソンのビデオを参照したユーモアに溢れるもので、この世界を笑いのめすエネルギーが客を圧倒する。パフォーマーたちの身体能力の強靭さ、歌、ダンス、演技を包含した技能のレベルの高さ、主題を肉化する知性、それら全ての舞台表現の質の高さは驚くべきものだった。
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by engekibukuro | 2009-06-30 10:06 | Comments(0)  

6月27日M日韓演劇フェステイバル「狂ったキッス」

作:チョ・ガンファ、演出:鐘下辰男、あうるすぽっと。美術は島次郎、照明は中川隆一と鐘下組。島は大小の空洞の箱を並べて、俳優の演技の活殺の困難な現場にした。箱の中の狭いスペースでのセックスシーン、飛び上がるのも大変な箱の上でのセックスシーン、そう、この芝居は苦悩する若い男女の青春を真正面から描く。男女の俳優が下着姿で狂おしいむさぼりあいを堂々と演じる。中川の大掛かりで変化に富む照明、鐘下らしい限度一杯の音響でこの狂おしい青春を舞台に押し出し、無名に近い若い俳優たちも、セノグラフィーに負けじと熱演するが、残念ながら表面の刺激量に比して、青春の実質がストレートに迫ってはこなかった。しかし、若々しい舞台で鐘下の視線も真摯であり好舞台だったことは確かである。カーテンンコールで来日した作者が挨拶した。この作品への愛着が素直に伝わってくる気持ちの良い挨拶だった。
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by engekibukuro | 2009-06-28 10:19 | Comments(0)  

6月26日M★PカンパニーS★★城山羊の会

★「トイレはこちら」1(作:別役実、演出:木島恭)2「天才バカボンのパパなのだ」(作:別役実、演出:小笠原響)、西池袋・Pスタジオ。木山事務所の俳優たちがつくったカンパニーのPART2公演。1は水野ゆうと林次樹の二人芝居。このコンビはPART1公演の別役作品「部屋」でもこのコンビだった。息が合ったチャーミングなコンビでこのカンパニーの売りものになるだろう。2は本田次布中心に、この久しぶりの名作の上演を成功させた。このカンパニーは別役作品を中心に上演しているが、1のようなあまり知られていない作品を上演する貴重な存在だ。木山事務所を離れて一寸淋しげな集団だが、頑張って活躍して欲しい。
★★「新しい男」(作・演出:山内ケンジ)三鷹市芸術文化センター星のホール。今年は太宰治生誕100年でセンターでは、三鷹が太宰の没した場所のためもあって、さまざまな催しがあり、この芝居も「太宰治をモチーフにした演劇」として上演された。この芝居あは、登場人物が太宰に心酔して心中を繰り返す男や、自分の妻の妹に家の中で手を出す大学教授だとか、それを無神経にふれまわる妻だとか、登場人物の男女はろくでもないまさに「人間資格」の人間ばかり。そういう人物たちの起こす騒動を描いて、嫌悪感をもようすほど、独特のリアリテイがある。芝居づくりも達者だ。故深浦加奈子が最後まで山内を信頼して、カンパニーの中心だったこともうなづける作者だ。贋造リアルな気味もあるが、なにか客のリアリテイへの飢渇を癒してくれるものがあるようだ。真のリアリテイへの足がかりなのだろう。それと大学教授を演じた古館寛治は、こういうろくでもないが、存在感がみなぎる役を演じると絶品だ。彼が芝居のペースメーカーだった。
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by engekibukuro | 2009-06-27 11:35 | Comments(1)  

6月25日S舞台藝術としての「狂言劇場その六」世田谷PT

野村万作、野村萬斎、石田幸雄。世田谷PTの藝術監督の萬斎は、7月3日からPTで上演するミラノ・ピッコロ座の来日公演「アルレッキーノ」のコンメデイア・デッラルテと見比べてもらうように、狂言のプログラムを組んだと語っている。Aプロの「二人大名」「縄綯」「雷」を観た。「二人大名」が万作、「縄綯」「雷」が萬斎。「雷」では萬歳が楽しく跳ね回り、石田幸雄が舞台を落ち着かせていた。、
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by engekibukuro | 2009-06-26 10:23 | Comments(0)  

6月23日S「飛ぶ鳥の高さ」青年団国際交流プロジェクト09

日仏交流企画。原作:ミシェル・ヴィナヴェール、演出:アルノー・ムニエ、翻案・演出協力:平田オリザ、シアタートラム。長大な戯曲を平田が短縮して、フランスの企業社会を、現代日本に置き換えて、原作ではトイレットペーパーの会社を、日本のハイテク便器会社に置き換えた。業績不振の便器会社をフランスの資本が買収しようと仕掛けてくる。そのために起こる会社の内紛を描く。それと関連させるのか、日本の神話の物語が添えられ、会社の社員の娘の関係からルアンダ虐殺の話がルアンダ人の口から語られる。舞台は木製の大きなプレイトがすえられ、その寸法で縮小された大小二つのプレイトが重なる。演出は様式的な斬新なスタイリッシュなもので、それに応えた青年団の俳優たちの演技の躍進がみられた。フランス人の俳優が3人、黒人俳優が一人出た。
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by engekibukuro | 2009-06-24 10:23 | Comments(0)  

6月22日M★「芍麗鳥(しゃっくり)」S★★「ふうふうの神様」

★作・演出:下西啓正、乞局、駅前劇場。下西の芝居は独特だ。人物も芝居の展開もどんどん意表をついて、ついにはそれが常態と化す。このホームレスとおぼしき群像が創建する偽の王国、偽の神様の話も良く飲み込めないが、アレヨアレヨという間に見てしまう。作為的な狙いは感じないし、あくまでナチュラルだ。この正体不明の独特さはなんだろう。それをムリして捕まえなくてもいいような塩梅になっているのもたしか。それと下西はパンフに自分の子供が生まれたことを報告しているが、そういう幸福感と彼の芝居のネガテイブな暗ささとどう結びついているのか、フシギな感じがして興味深い。役者では背格好が小さな、笹野鈴々音という女優がなにか妖精のようで面白かった。土下座にちかいカーテンコールが、感謝の気持ちがほんとにこもっていてちょっと感動的だ。
★★作・演出:東憲司、劇団桟敷童子、ザ・スズナリ。この劇団ならではの、舞台から客席の壁全面が真っ赤な紅葉で覆われている。まずは開幕とたんは小学校の運動会の紅白の球入れ競争。賑やかな場面がおわると・・・・。話は福岡のサラリーマン夫婦の一人息子が秋の運動会のときに、突然行方不明になる。実は母親の故郷が山奥の隠れ里で、この村には神隠しの風習にさらされていて、母親も子供のころに神隠しにあっている。戻ってきたときには全く記憶が消えている。子供は何年たっても行方がしれず、夫婦は絶望して、あげくは離婚。妻は故郷に戻る。村まで送ってきた夫も村にとどまる。神隠しの神様と、村にもどすふうふうの神様、その二つの神様に支配されている村。ここからは一種の東おなじみの伝奇ロマンがはじまる。東ワー^ルドの老若男女が出没、全体の、音楽、美術、芝居の総合的な舞台技術の一体化は東の演劇美学の完成を思わせるほどだ。また、この舞台はただの伝記的な物語ではなく、神隠しを妄信する村人たちは、現実の生活や戦争体験などの実際の不幸を、神隠し、戻しの神という別の形に転化して、少しでも不安を消す、村人が「神隠しは絶望の中の希望」だといいつのる、そういう村人たちの姿を捉える視点ももつ。よるべない民衆の絶望に寄り添う東の姿勢は貫かれている。ただ東の演劇がパターン化している危惧も感じた。
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by engekibukuro | 2009-06-23 14:04 | Comments(0)  

6月21日M「更地」(作:大田省吾、演出:阿部初美)

美術:小山田徹、川崎市文化センター。大田省吾へのオマージュシリーズ初回公演。舞台には総計81個だという様々な生活用品(ほうきとかジャーとかの)が8列に並び、それが芝居の進行中に徐々に吊り上げられ、終わるころには天井近くまで上がっている。この装置が子供がもう外に出ている一組の夫婦(下総源太郎、佐藤直子)の過去を振り返る芝居の生活史を饒舌にならない程度に物語っている。湘南台文化センターでの大田演出による初演(瀬川哲也、岸田今日子)では、舞台全面を大きな白い布で覆い、メタフィジカルな感触を与えていたが、この舞台はひたすらドメステイックだ。大田の劇は沈黙劇tのような手法の斬新さで注目されてきたが、この芝居のようなごく普通の芝居の中にこそ、ごく普通の生活者への大田本来の優しい視線を感じることが出来る。下総、佐藤の好演もあってそれを十全に感じることが出来た。阿部と7月に、このシリーズの第二弾「あたしちゃん、行く先を言って」を演出する三浦基がゲストで出た。三浦風のわかりにくいこの上演への感想に対し、客の女性が質疑で噛み付いた質問が面白かった。この劇場の周辺の客の水準は高いようだ。アフタートークの質問というのはたいていつまらないものだが、こういう応酬はめったにない。三浦のトンガリ具合もこのごろの劇場風景では異質で貴重だ。7月の公演が楽しみだ。
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by engekibukuro | 2009-06-22 11:51 | Comments(0)  

6月19日S「路上・3」(作・演出:川村毅)SPACE雑遊

Tファクトリー公演。小林勝也と川村のコンビの「路上」シリーズの三回目。もう失うものが何も無い、余計なものを切り捨てた老人が「路上」で遭遇する様々な人間との交流・交歓を、色んなアングルから描く芝居だ。小林は諦念含みのサバサバした演技で、現今の老人群の中におてみれば、かなり魅力的な老人像をたたきだしている。今回のテーマは「ことばとうた」ということで、開幕とたん役者全員で路上と人生のかかわりを曲にした歌を高らかに合唱した。インチキ医者に「アンタは癌で余命10日余りだ」という診断を真に受けた老人は、過去に犯したつもりの殺人の謝罪のために遺族を訪れる。若い娘から、老婆まで、板前からサラリーマンまで相手はわけのわからない謝罪だとして、みな困惑、迷惑であしらいかねて・・・。この老人と相手とのスラプステイック風の応対が見所だ。場面の出し入れのテンポがよく、話が上滑りしてゆく進行が快調で、得体の知れない笑いをばらまく川村の才気がぴしっと決まって、一晩の楽しみとしては十分の舞台だった。寺山修司の「天井桟敷」の看板女優だった蘭妖子が片目の老婆を演じていて、さすが妖気の漂う面白さで、小林と渡り合っていた。
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by engekibukuro | 2009-06-20 11:40 | Comments(1)  

6月18日M★「壁の中の妖精」S★★「アンドウ家の一夜」

★日韓演劇フェステイバルー原作:福田善之、脚色:ペ・サムシク、演出:ソン・ジンチェク、あうるすぽっと。この芝居は木山事務所での春風ひとみの一人芝居の名舞台でしられているが、今回の韓国版は原作のスペイン内戦の物語を朝鮮戦争のそれに移し変えたもの。演じたのはキム・ソンニョ(金星女)。素晴らしい女優だ。幼女から老婆まで、男役も含めてそれぞれ的確に魅力的に演じ分けて、それに歌が美声でおどろくほど上手い。北朝鮮のスパイだと軍事政権から誤認され、追われていた夫を壁の中に閉じ込め長年月かくまった妻を演じて、日本版の春風と別種の完璧な舞台だった。壁の中からひそかに聞こえる、夫が歌うロシヤ民謡ステンカラージンを娘が妖精の歌だと信じる哀切なトーンが、芝居全体に通底して感動的だ。拍手鳴り止まずカーテンコールが繰り返された。
★★さいたまゴールド・シアター公演。作:ケラ、演出:蜷川幸雄、彩の国さいたま藝術劇場小ホール。すり鉢型の客席から舞台を三方から見下ろす。舞台はポルトガルポに在住する日本の大学教授の豪壮な邸宅の広大な応接間。豪華な応接セットが並び、舞台奥に庭園、豊かな樹木が見える。安藤教授はいまや予断を許さない重篤状態。それを見舞うため日本からかって教授が高校教師で演劇部の指導者だったころの男女の教え子たち、教授の近親者たちがやってくる。その人々が教授をめぐってそれぞれの思いから織り成す情景が、この応接間で繰り広げられてゆく。平均年齢70歳の40人からの俳優が舞台にひしめく。ケラはこの大勢のシニア俳優の個性にあわせて人物をつくり、才気みなぎるケラ風味のセリフを書いて、笑いのさざなみが途切れず、教授の死までの見舞い客を巻き込んだ生涯を物語った。初日のせいもあるが、セリフを忘れて絶句する俳優もいて、その予防のため、プロンプターが舞台の三方につき、蜷川も舞台横にはりつき、台本片手にプロンプする。プロンプターも演出家も客席から丸見えで、彼らも出演者の一人だという按配だ。蜷川は「老いのすべてをさらけだす」と宣言する。無様そのもが表現だという心意気だ。その全体の健気さが、この舞台の真骨頂。老いについてなにかが新しく伝わることでもなく、とくに元気をもらうわけでもなく、ただシニア俳優たちの懸命な振る舞いに共感する。そんな舞台に金を払ってみせるのかという向きもあろうが、この高齢者社会での生き様の奇妙なリアルの表出は対価にあたいすると思う。
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by engekibukuro | 2009-06-19 12:33 | Comments(0)