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10月30日M★「生きてるものか」S★★「甘い丘」

★作・演出:前田司郎、五反田団、東京藝術劇場小ホール。「生きているものはいないのか」の形式の完成度を楷書とすると、この芝居は超草書で、判読が難行だ。死体とおぼしき寝転がった人間が痙攣しながら起き上がって、いろいろするのだが・・。フォルムとアンフォルメルの間の芝居の実質の隘路はむつかしいものだという感想をもった。今回の芝居のラストが新生児の誕生を描いていて、これは前田の生の肯定のメッセージだと素直にとり、次の芝居が楽しみだ。
★★作・演出:桑原裕子、KAKUTA、シアタートラム。なかなか良く出来た群像劇だ。山のなかの前科モノや最底辺が集まってきた零細サンダル工場へ、行き所がなくなったセレブの女性が働きに来ての物語だが、芝居の中核はこの工場の様々な個性豊かな群像の生き様。それぞれ見事に描かれていて、会話も生動感に溢れて、役者たちも活気に満ちていてダイナミックな舞台だ。舞台上方にメルヘンチックな丘を配した美術も視覚を楽しませる。なによりもこの芝居の要所が、いろいろあっても人間関係が豊かな零細工場のワーキングプアたちを描いて、今の派遣切りなどのワーキングプアの現実への対抗的なメッセージになっていて、実にアクチュアルな舞台になっていることだ。
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by engekibukuro | 2009-10-31 11:11 | Comments(0)  

10月27日SMANSAI解体新書 その拾伍「ことば」

-生命体としての存在論(オントロジー)-企画・出演:野村萬斎 出演:穂村弘 春日武彦。世田谷パブリックシアター。今回は気鋭の歌人・穂村弘と精神科医・作家の春日武彦がゲスト。 この解体新書のステージは1日しか開催しないのせいもあるが、大人気で毎回立ち見が出る盛況。現代演劇に係わる外の分野の文化・学問を取り上げ、斯界の権威・新鋭のスピーチと萬歳とのデイスカッション、時には萬斎の狂言・謡の実技も入り、演劇の外延を広げてくれる。今回の「ことば」は穂村が新聞で選者をしている投稿短歌の傑作をピックアップして穂村の解釈が語られるのがメインになった。穂村の解釈の面白さ、それと彼のパーソナリテイと話の面白さで笑いが立ち昇って盛り上がった。が、「ことば」という主題は大きくしても、小さくしても眼目がはっきりせず、さすがの萬歳も話を煮詰めるのに難渋している感もあった。しかし、こういう主題を果敢に取り上げて、現代短歌の現在を紹介、短歌・詩のことばと精神病の患者の狂った言葉の差異についての春日の話(両者の言葉は似ているようで病者の言葉は”形骸化”しているという)など興味深い話題を引き出し、所期の目的は果たせていると思った。いい勉強になった。
・穂村の取り上げた短歌の例三つ。
 (1)「あっ今日は老人ホームに行く日なり支度して待つ迎えの車」(相澤キヨ)
 (2)「最期には納得できず死んで行く和牛たちよ今年は干支だ」(二宮正博)
 (3)「蓋とらば鰻あるらむ鰻重の蓋とるまでのこの不安感」(村田一広)
歌の面白さのポイント:(1)あっ(2)干支(3)鰻重、天丼では成立しない。
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by engekibukuro | 2009-10-28 16:21 | Comments(0)  

10月25日M★「ソビエト」S★★「盲導犬」

★ーマヤコフスキー生誕116年ー。作・演出:小池竹見、双数姉妹、座・高円寺。初演は16年前、たしか大隈講堂脇のテントで観た記憶がある。ソビエトの夭折した詩人マヤコフスキーが主人公。装置はロシヤ・アヴァンギャルドの構成派風。芝居はある劇団の話。ツアーの時代には官憲の検閲で初日前に台本がズタズタにされ舞台はめちゃめちゃになってしまう。革命後は革命権力の検閲が厳しい。芝居は、そういう権力の検閲で右往左往する俳優たちの生活と、劇中劇がパラレルに進行してゆく。マヤコフスキーとおぼしき人物は劇団の中心になっている。ソビエトが壊滅した現在、この芝居を再演するのは、なかなか斬新で野心的な試みだったが、、話が冗長ぎみで成功したといえないのが残念だ。
★★作・演出:唐十郎、唐組、雑司が谷・鬼子母神境内テント。「何故、そんなに飢えるのか 俺のファイキル 何故 そんなに影をにくむのか 俺の犬」・・盲導犬ファイキルに逃げられた男とフーテン少年、そしてバンコックで夫を亡くした未亡人らが、新宿のコインロッカーの前で繰り広げるドラマ。初演は新宿アートシアターでの蜷川幸雄演出。主人公は蟹江啓三だった。たしか初舞台だった桃井かおりが扮した婦人警官のミニスカートがまぶしかった。今回初めて唐が演出した。盲人と少年の心が溶けあってゆく交流、未亡人の絶望、ときおり聞こえる幻の犬ファイキルの咆哮、コインロッカー前の彼らを囲む種々の人物たちをまじえた騒擾は豊穣だ。今回は盲人の稲荷卓央、未亡人の藤井由紀らのベテランに向かう、高木宏、岡田悟一、気田睦らの若手の活躍が目覚しい。唐は「五人の愛犬教師」の一人として出演。コーラスのあとに一人でソロを歌うと、鳥山昌克に「この芝居に無関係の芝居の主題歌を歌うな」と制止される場面が大爆笑。たしかその歌は「ジョン・シルバー」の主題歌だ。唐世界に共振する客が一杯のテントの千秋楽だった。
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by engekibukuro | 2009-10-27 07:55 | Comments(0)  

10月22日S竹田恵子オペラひとりっきり「白墨の輪」

・中国・元代の歌舞劇=元曲「灰欄記」+ベルトルト・ブレヒト「コーカサスの白墨の輪」にもとずく二幕のオペラ(作曲:林光、台本:広渡常敏、ピアノ:大坪夕美、演出:恵川智美)古賀政男音楽博物館けやきホール。こんにゃく座の転機になったという林光の名曲・名作だ。こんにゃく座の重鎮だった竹田が退座して単独で活動しているが、今回一人で何役も演じるオペラに挑戦した。もともと歌も芝居もうまい「歌役者」という名称がぴったりの人だったが、この公演は彼女の美質があますところなく出揃った見事な舞台だった。作曲そのものも素晴らしいが、シンプルでドラマテイック。都で反乱が起こり領主が首を切られた夜、女中のグルシェは、奥方が置き去りにした赤ん坊のミヘルを連れて逃げる。世継ぎの命を狙って追っては迫り、グルシェは知恵と力の限りを尽くして幼子を守り育て、愛情が深まり、自分の子として育てる決意をする。そのとき、反乱が平定され、奥方は亡父の領地と財産を手に入れるために、見捨てた子供が必要となる。ミヘルは発見され、二人の女、グルシェも奥方も自分こそ母親であると主張する。判事は殺されていて、飲んだくれの書紀アツダクが臨時判事になった。アツダクは、地面に描いた白墨の輪のまんなかに子供を立たせ、二人の女に両方から引っ張れと命じる。グルシェはそんなことは出来ない・・・、名高い白墨の輪の裁判の名判決はご存知のとおり。むろんグルシェが中心だが、出てくる人物を明確に歌い分け、演じ分ける竹田の技量に感服する。特に、各人物の表情がその人間になりきらなければ絶対できない真実感が感じられる。今まで観た「白墨の輪」で彼女が演じた飲んだくれの判事アツダクが一番だ。この男の魅力をあますことなく惹き出した。珠玉の舞台だった。
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by engekibukuro | 2009-10-23 14:37 | Comments(0)  

10月20日M「沼袋14人斬り」(作・演出:赤堀雅秋)

THE SHAMPOO HAT、ザ・スズナリ。パチンコが唯一の生きがいの3人組。いがみあいながら、それでも離れられない仲間だ。その一人が10年間貯めた500円玉貯金を一寸仲間に顔を出した男に盗まれた。実はこの男が、沼袋で頻発している通り魔殺人の犯人だった。芝居は、500円貯金をこの男から取り戻す3人組と逃げる通り魔の追っかけこ。意表をついた展開の連続で、刺激的な舞台だ。赤堀のエキセントリックな芝居作りの才腕は個性的でなかなかなもの。それに社会の底辺でうごめくように生きている人間の、下らなさや面白さ、ぎりぎりの仲間意識が良く描かれている。ただ、面白がらせすぎる気配も濃くて、ちょっと疲れる。役者では最近、ケラの芝居でも好演しているほぼ主役の赤堀自身が舞台の中心で存在感を感じさせ、シャンプーの体調不安で休演した役者の急遽代役を勤めた「はえぎわ」のノゾエ征爾が面白かった。 
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by engekibukuro | 2009-10-21 08:14 | Comments(0)  

10月19日S「生きているものはいないのか」

作・演出:前田司郎、五反田団、東京藝術劇場小ホール。07年に初演され、岸田戯曲賞を獲った作品だ。役者ががらりと変った。初演は京都の役者だったが、今回は東京の役者。原因不明の病因で人間がバタバタ死んでゆく、登場する18人の人間は一人だけ生き残り、17人は死んでしまう。その死に方も様々で、初演より17とうりの死なせ方がより独特で、端的にいって面白い。笑うきゃないような悶絶ぶり。前田の演出も冴えているし、役者も様々な工夫をして自分の死に方を考えているようだ。この大量死の芝居を、岩松了がニヒリズムだといって否定したと、アフタートークで前田が語った。前田は人間の生死を、産まれたときから死が始まっている人間の生死の価値をそれほど認めていないと言い、しかし、それにもかかわらず人間が価値をつくりだそうとすることは凄いことだ思い、この戯曲もそのことをポテンシャルに書いた、決してニヒリズムではないと。たしかに前田の作品は、おおげさな価値感とは無縁で、価値の希薄を埋めるなにかを懸命に探して試行錯誤している芝居だ。ニヒルにみえるのは、彼のシニカルな感性、それが独特なのは前田が生まれ育った五反田、品川界隈、銀座や新宿とちがったセカンド繁華街の感性によって生きているからだと思う。そのローカリテイの体現者で、それはなかなか魅力的で、彼の戯曲や小説の魅力の源泉だ。前田の小説を高く評価する福田和也もそのローカリテイの文学化を賞賛している。三島賞をとった小説も、「新潮」10月号に載った「逆に14歳」という小説も、品川、五反田の土地柄の空気が濃厚に感じられるのだ。ただ、この芝居は17人が死んで、一人が生き残るという形式が完璧で破綻がない。死なせ方も面白い死に方が重なると、かえって妙に平均化してしまう。驚くべき話を自然に見せてしまう技術は大変な力だが、その形式の完璧さが、内容を薄めてしまう感じが否めない。前田の芝居は形式が破綻含みでどこへ連れて行かれるのか分からない途方のなさが真骨頂だと思う。同時上演の「生きているのか」をまだ観ていないから、そういう意味で楽しみだ。別の話で、アフタートークの構え方、客の質問に応える態度が、きちんとして誠実で正直だ。これは同じ青年団系の松井周や岩井秀人にも感じられることで、これは平田オリザがもたらしたものか・・。
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by engekibukuro | 2009-10-20 20:54 | Comments(0)  

10月17日M「真田風雲録」(作:福田善之演出:蜷川幸雄)

彩の国さいたま藝術劇場インサイド・シアター、さいたまネクスト・シアター。若い無名の俳優たちのカンパニーの第一回公演だ。それに真田幸村に横田栄司、淀君に山本道子、大野道犬に沢竜二とベテンランが要所を固めた。この芝居の初演時の60年安保とか、ソレにまつわる思想の葛藤、議論はその時代の特性に限定されてしまい、現在には不幸にして繋がらないが、ポップな時代劇として、今の若いエネルギーの発露の機会として蜷川は面白く再生させた。若い無名の俳優たちも懸命に蜷川の要請に応えたと思う。舞台は1・7トンのどろんこの土を敷き詰めた。俳優たちはそのドロンコの上で合戦を繰り広げる。舞台奥の扉が開くと、そこは生バンドの演奏が沸き起こる場所がある。大阪城の大名たちの評定の場ば、ドロンコの上を茶坊主たちが、それぞれの人物たちを乗せた台を動かして場をつくる。この芝居で真にリアルなのは、このドロンコの土だ。今はほとんどの土は舗装されて隠されてしまったが、60年の安保の時代から日本の現代史のドロンコは変わりなく存続しているというリアルな感触が圧倒的だ。ここに蜷川演出の眼目があると思いたい。芝居ではラストの立ち回りで大衆演劇の雄・沢竜二が華麗な殺陣をみせてしめくくり、見事なものlだった。それと山本道子の淀君が面白かった。
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by engekibukuro | 2009-10-18 08:57 | Comments(0)  

10月15日M★ル テアトル★★theatre iwato

★「ベッドルーム・ファンタジー」(作:ジョン・トビアス、訳:丹野郁弓、演出:高橋昌也。黒柳徹子主演海外コメデイ・シリーズ20周年記念公演。老年期にさしかかかった金持ち夫婦が、性機能の衰えを回復するための苦心惨澹を描いた芝居。夫婦(黒柳、団時朗)はマンションの管理人(石田太郎)やクローゼットに隠れていた空き巣狙いのこそ泥(田山涼成)を脅して妻を襲わせ、ソレを見た女装した夫が興奮して回復するという筋書きを実行しようととするが、なかなかうまくいかない。黒柳が黒い豪華下着であられもなく大奮闘。歳を感じさせない豊満な体が眩い。あれやこれやの果てに結局、精神的な再一致で光明を見出すというよく出来た艶笑コメデイ。元気な黒柳が見もので、黒柳の姉に扮した円の立石涼子が面白い。
★★「ショパロヴィッチ巡業劇団」(作:リュボミル・シモヴィッチ、演出:プロスペール・デイス)黒テント。第二次大戦下でのドイツ占領下のセルビアの小さな町での出来事。この町にたった4人、男優二人、女優二人の巡業劇団がやってきた。彼らはシラーの「群盗」を4人で上演すという。こんな戦争の真っ最中に芝居なんてと排斥する町の人々、こんな時だからこそ芝居が必要と力説する劇団団長を支持するの人たちはごくわずかだ。そういう民衆・町の権力者・ドイツ軍との軋轢をいろいろな町でのエピソードをまじえて物語る芝居だ。過酷な現実から浮いてしまう芝居モノの特性がよく描かれている戯曲だ。結局上演は不可能のなるが、劇団員はそういう現実に民衆のために演劇的に貢献する。芝居と現実の区別がつかない男優、銃声が頻繁にこだまする状況なのにのんきに川で泳ぎを楽しむ女優だが、男優はドイツ軍に捕まっている青年の身代わりになり、女優は拷問者を改心させる。いかにも黒テントの伝統にふさわしい歌も楽器演奏もある出しもので、演劇の民衆の中での役割と価値を極限状況で問いかける芝居として成功している。役者も横田桂子以下頑張って戯曲の核心を伝えたが、まだまだ面白くなる可能性を感じた。
★11日づけ円「コネマラの骸骨」で誤記がありました。お詫びして訂正いたします。
コマネラの骸骨→コネマラの骸骨、ビューテイ・オブ・クイーン→ビューテイ・クイーン・オブ・リナーン、ニック・ダウト→ミック・ダウト、山岡廣美→山乃廣美。
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by engekibukuro | 2009-10-16 15:30 | Comments(0)  

10月11日M「コネマラの骸骨」(作:マーテイン・マクドナー)

訳:芦沢みどり、演出:森新太郎、演劇集団円、ステージ円。マクドナーのデビュー作「リーナン三部作」は円で一部「ビューテイ・クイーン・オブ・リナーン」と三部「ロンサムウエスト」は円ですでに上演されていて、その二部がこの「コネマラの骸骨」で、これで三部作は全て円で上演されたことになる。コネマラはアイルランドの景勝地でリーナンはその片隅にある町。この作品もマクドナーの強烈な個性、その個性に対する悪口ベストスリーは”・暴力過剰・アイルランドを馬鹿にしている・ホラー映画の焼き直し、まあ魅力の裏返しだが、この芝居もそういう面はすべてそろっている。ただ、この芝居、表面は静かというか、闇が黒々と潜んでいるような不気味さ、不可解さが漂っている。人物は4人、中心になるのはミック・ダウト。この男は7年前に妻を自動車事故で亡くしたが、町の噂ではニックが妻を殺したのではないかと密かにささやかれている。そのニックは教会に頼まれている墓掘りのプロだ。この土地では7年たつと死骸を整理する。妻の死後7年たっていて、掘ってみると死骸が盗まれていた。芝居の中心はニックの妻殺しの真偽。ほかの人物はニックの家に毎晩ニックの酒を呑みにくるインチキ商売をやっている老婆、その孫のみんなからクズだといわれている言行無茶苦茶な少年、その兄の無能警官。常識にかからないそんな人間たちの係わりや言動は、ブラックユーモアが充満しているマクドナーの世界だ。テーブルの上に骸骨を並べて木槌で叩き壊し散乱させるシーンが全体のトーンの要だ。結局、真偽は闇の裡に終わって幕。とにかく人間はここまで煮詰まっても平気で生きてゆけるだという、究極の人間賛歌を感じてなにが悪いのか・・・という気持ちになる芝居だ。これも舞台が良く出来ているからだ。森の演出が強弱のアクセントが的確だし、役者がみないい。ミックの石住昭彦を筆頭に、老婆の山乃廣美、警官の吉見一豊、少年の戎哲史、皆マクドナーの世界の感触をたっぷり感じさせた。出色は若手の円研究所の戎、ろくでもないが根は素直な、芝居の要にもなる少年を破天荒な演技で納得させた。円の役者は本当に力がある。芝居を十二分に観たという充実を感じさせるのだ。21日まで。TEL 03-5828-0654i
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by engekibukuro | 2009-10-13 10:32 | Comments(3)  

10月9日M「組曲虐殺」(作:井上ひさし演出:栗山民也)

こまつ座&ホリプロ公演、銀河劇場。この劇は小林多喜二の青春と非業の死を描いた井上の傑作だと思う。これは台本が遅延するという悪条件を抱えながらこれだけ完成度の高い舞台を創った栗山のプロフェッショナリズムへの賞賛と重なる。さらに栗山に応えた演技陣の充実、小曾根真の作曲・演奏にも重なる。演技陣はテレビなどで大ブレイクしている高畑淳子が久しぶりの舞台が、ブレイクが加勢して多喜二の姉を演じて貫禄と華を感じさせた素晴らしい演技だった。また特高刑事の山本龍二が持ち味全開で、刑事の酷薄と裏腹の拍子抜けの弱さの両面を演じて面白く、神野三鈴の多喜二の妻の誠実な演技、山本の相棒を演じた山崎一のとぼけたユーモラスな演技、これらベテランの勢いにのり、多喜二の井上芳雄、多喜二が苦界から救ってまともな仕事に就いた多喜二の妻とは複雑な関係ではある恋人を演じた石原さとみもしっかりした6人の役者のアンサンブルの等分の力になった。栗山の一場、一場の見せ場をきっちり見せて重ねてゆくバランスの精緻さがこの芝居の真髄を出し切った。29歳で虐殺された多喜二の生い立ちからの短い生涯が描かれ、無産階級への共感からプロレタリア作家になり、国際的にも認められたが、権力の文化無知、弾圧を受けアジトからアジトへとの地下生活が活写される。それは現在の格差社会への作者の言及を含んでいて、また井上の非暴力の思想も含み無論アクチュアルでもある。それが特高と多喜二の追いつ追われつのスリル、3人の女性の結束の豊かさが芝居のベースになって、井上の芝居作りの巧さで一瞬も飽きない。ピストルが発射されて造花の花がでてくるシーンなど抱腹絶倒だ。多喜二と女性3人のホームドラマの面もあり、多喜二と女性たちの感化で刑事二人が多喜二ファミリーになっていまうようなことも起きてしまたったのだ。虐殺シーンはない。後に姉が語るだけだ。それが現実と演劇の微妙なギャップを思わせ、かえって多喜二の生涯を際立たせていると考えたい。
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by engekibukuro | 2009-10-10 13:59 | Comments(0)