<   2009年 11月 ( 22 )   > この月の画像一覧

 

11月28日(土)M「フォト・ロマンス」F/T参加作品 

構成・作・演出:ラビア・ムルエ、リナ・サーネー。東京藝術劇場小ホール。
昨年もユニークな作品で参加したレバノンの作家の作品だ。舞台中央にスクリーン、その前で男と女がいる。奥にギター奏者。女は映画製作者らしい。男はその映画を検閲する立場の人間らしい。
女は自分の作品のフィルムをスクリーンに映して説明する。
この作品はイタリアの名画「特別な一日」をレバノンに置き換えるつもりの作品だという。あのソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが共演した映画だ。大きなアパートに住んでいる一家。イタリアはムッソリーニ治下のファッシズムの時代だ。家族はムッソリーニを讃えるデモに参加して、女が一人家に残った。そこへ見知らぬ男が訪ねてくる。その男は弾圧されて逃げまっわっているコミュニストらしい。
 大規模なデモの光景の映像が、レバノンの反シリア派と親シリア派の二つの大規模なデモの映像と重なる。有名な洗濯選干し場での二人の交情の場を真似るが、どうもその二つのデモの性質が違うので、うまく置き換えることが出来ない。いろいろやってみるが、最後にはわけのわからない映画になってしまう。その置き換えの失敗を描いた作品だが、こちらもレバノンの政治事情に疎いのでよくわからない。しかし、この置き換え作業そのものからみえてくるものがあるのだろう。
それはうすうす感じられたし、非常にユニークな舞台作品であることは確かだ。
[PR]

by engekibukuro | 2009-11-30 13:34 | Comments(0)  

11月27日M★ザ・ポケットS★★俳優座劇場

★「わが名はレギオン」(作・演出:野中友博)演劇実験室:紅王国 第拾弐召還式、。女性の死体を切り刻む連続殺人事件。その現場には「神は汝を許したもうた/使徒」と記された署名が添えられていた。その「使徒」を追う、浪川警視率いる捜査本部特命第四班。その捜査体制の緊迫感が劇のペース。平行して浪川の家庭が描かれる。妻と子供が3人。長男はマトモだが、次男の受験生とタレント志向の長女の日々は不安定極まりない。この家は母親の早苗を子供たちがサッチャンと呼ぶような変った家庭だ。事件の背景の援助交際の女たちの話から、旧約聖書の言葉が頻発する使徒の疑似宗教的背景、精神病理的背景がおどろおどろしく荘厳化されて舞台化される。浪川はノンキャリアからのたたき上げの軽視だが、キャリアとノンキャリアの複雑な相克とか、聖書の話とか、よく調べられていて、浪川の家庭の話が一寸信じがたいが、2年間かけて書かれ戯曲は独特の充実を示し、なにより使徒が浪川の次男だったという衝撃、「死刑はかまわない、僕死にたい」という次男、そういう内容を持つユニークな2時間半飽きさせないミステリーとして成功している。野中の力量を十分に開示した舞台だった。
★★「ヨーン・ガブリエル・ボルクマン」(作:イプセン、台本・演出:毛利三弥)名取事務所、俳優座劇場。イプセン現代劇連続上演第10作。この名作を1時間半の詩的要約として提示した舞台。ボルクマンを池田勝、ボルクマンの妻グンヒルを井口恭子、グンヒルの双子の妹エルラを新井純が、それぞれが格調高く演じ、現代的な音楽や美術も無理なく添えて、イプセンの詩魂が直に感じられた舞台だった。
[PR]

by engekibukuro | 2009-11-28 08:47 | Comments(0)  

11月26日M「高き彼物」(作:マキノノゾミ演出:高瀬久男)

加藤健一事務所、本多劇場。”彼物”とは、吉野秀雄の歌「屑たばこ集め喫へれど志す高き彼物忘らふべしや」からとられた。舞台は茶所、静岡の川根町。そこの茶作りと雑貨屋をかねた家の居間。主人は元高校の教師で、生徒との同性愛事件で退職した男。このじ事件は事実と異なる噂によって起こされた。芝居はSLの大井川鉄道を東京から二人乗りのバイクで見学に来た少年が事故を起こして、一人が死亡した。生き残った高校生を、この男が助けた。その縁でこの家で少年は夏休みを過ごすことになった。この家は娘一人と男の父親が住み、時々男を慕う女性教師が訪ねてくる。芝居は男と女性教師との結婚話、少年に受験勉強を強いる父親がからみ、昔の事件の真相が明るみに出る。この男を加藤健一か統計演じる。女性教師は小泉今日子。初演は鈴木裕美の演出で男は高橋長英が演じた。初演もよかったが、加藤が川根の近傍の出身なのでまた一段と自然なよい舞台になった。同性愛を疑われた相手の高校生が、娘の結婚相手になるというハッピーな結末で終わるが、田舎町の小さな事件をめぐる人々の暮らしを丁寧に愛情をこめて描いたマキノの代表作の一つだ。楽しくて明日への力になる芝居がモットーのカトケン事務所にまたとなくふさわしい舞台だった。今の不景気で暗い世の中で、本当に慰めになる必需品ともいえる芝居だった。
[PR]

by engekibukuro | 2009-11-27 10:45 | Comments(0)  

11月25日S「大人の時間」(作・演出:鐘下辰男)

THE・ガジラ、吉祥寺シアター。
 舞台は山村の廃屋を改造した家の居間。元教師と妻が住んでいる。教師は自分が担任した生徒がいじめのもつれから、級友を5人ナイフで殺した事件の責任を取らされて失職した。その生徒が刑期をおえて出所した。その生徒を迎えてクラス会を計画したが、きたのは二人だけだった。教師はその生徒に、殺された生徒の墓参りを促すが、生徒は”なぜ謝るのか、自分は先生に励まされて、いじめたヤツを殺しただけだ、先生はおれを裏切るのかと逆に開き直る。ここから、その場にいた級友や教師の妻、生徒が連れてきた、その生徒を尊敬しているというエキセントリックな職場の友達を巻き込んだ、騒ぎが始まってしまう。しまいにはチェーンソウまで持ち出す、緊迫した大騒ぎになってしまう。元生徒はと元教師の欺瞞を暴き、教師は生徒の傲慢をきゅうだんする。お互い本音を叫びあい、その応酬が、問題は別だが、客が抱えているナヤミの爆発を舞台が代行してくれているような、それ自体ドラマチックな舞台に呑み込まれるような迫力だ。そして、本音の応酬が収まっても事態の新しい地平が見えてこないこない現実も示めされる。鐘下の年来の正常と異常の境界を思考するモチーフが昇華された舞台だった。、これまでの芝居にはあった晦渋さや過剰さが払拭された明確な芝居だった。これは教師の風間杜夫、生徒の有薗芳記の演技の力、また彼らをとりまく梅沢昌代、高田恵篤、酒向芳、内野智の個性的な演技がもたらしたものだ。この芝居が現在の学校、教育の荒廃を問題にしていることも明確だが、テーマの追求より演劇そのものが上位だと思わせる鐘下の芝居の特性が、これほど感じられた舞台はなかった。
[PR]

by engekibukuro | 2009-11-27 08:28 | Comments(0)  

11月24日S「ハシムラ東郷」(作・演出:坂手洋二)

燐光群、座・高円寺。百年前アメリカで一番有名な日本人はハシムラ東郷だそうだ。日本人学僕(苦学生兼家内使用人)でありながら、アメリカの新聞・雑誌に辛口のアメリカ批評を書いて大好評で、マーク・トウエインにも激賞されたそうだ。そのハシムラのことを取り上げて芝居にしたてたのは、いかにも坂手らしい着眼点で感心するが、どうもこの芝居の原典になった宇沢美子著「ハシムラ東郷」の宇沢が芝居にでてきたりするのが、どうも狭い範囲で面白がっているようで、なかなかついてゆきにくい芝居だった。
[PR]

by engekibukuro | 2009-11-25 13:28 | Comments(0)  

11月23日M「4.48サイコシス F/T参加作品   

作:サラ・ケイン、演出:飴屋法水、あうるすぽっと。通常の客席を演技空間にして、客は舞台側でパイプ椅子で観る。客席はビニールのシートで覆われている。この空間にサンドバックやバスケットやの体操器具がおいてあり、パフォーマーはボクシングをしたり、さまざまなスポーツをする。ホーメイ歌手山川冬樹が天井からさかさまにぶら下がり、歌声と鼓動音で会場の空気を震わせ、最後には客席最前面の赤い血の池に沈んでゆく。上方からドラムの大音響が会場全体を威喝し、ピンポン玉の弾む軽い音も静かな効果音だ。役者はプロの役者ではなく外国人も混じる。その外国人の一人がリストカットした血だらけの腕をみせて、長々とモノローグが続く。全体の中心が定まらない強度の散乱で、しかし散乱そのものを照明や音楽が丁寧にフォローする。飴屋は六本木のギャラリーで25日間栄養剤だけで密封された箱に閉じこもったパフォーマンを行ったが、その極限志向が自殺したサラ・ケインと共鳴したのか。演劇というより、サラ・ケインのテキストから喚起されたインスタレーション、飴屋の独創性が一際輝いた一点一画もゆるがせにしないアート作品だ。t
[PR]

by engekibukuro | 2009-11-25 13:09 | Comments(1)  

11月23日M4.48サイコシス/F/


[PR]

by engekibukuro | 2009-11-25 12:16 | Comments(0)  

11月23日M「4.48サイコシス

・・
[PR]

by engekibukuro | 2009-11-25 12:14 | Comments(0)  

11月22日S「森モリ」ハイリンド、赤坂レッドシアター

「華々しき一族」(作:森本薫)、「お嬢さんの学校」(作:モリエール)、演出:中野成樹。中野の演出作品を初めて観たが、なかなかの人だ。古典を熟知していて、それを今の客に面白く観せる腕前は大したものだ。「華々しき一族」は、この名作のエッセンスを抜き出し、ハイブロウな言葉のゲームを繰りひろげ、近代古典の面白さを満喫させた。この芝居は奇抜な暗転で有名だが、この舞台ではその暗転を小刻みにうまく使って、興趣を深めた。「華々しき一族」は文学座の専売特許から解放されたようだ。「お嬢さんの学校」も面白かった。いまどきモリエールかよなどという懸念を吹っ飛ばした。純正なばかばかしいが、人ごとじゃないようなファルスとしてきちんと成立させた。モリエールも新劇の専売特許から解放されたね・・。役者たちも中野の演出に十分応えて、中野のセンスを体現できていた。ないよりレゴを拡大して使った美術が効果的だった。組み合わせが無限なレゴのイメージと芝居がぴったり重なった。勉強臭くない楽しい古典の一夜だった。小劇場のそれなりの一種の成熟を思わせた舞台だった。
[PR]

by engekibukuro | 2009-11-23 10:37 | Comments(0)  

11月21日M「農業少女」東京藝術劇場小ホール

原作:野田秀樹、翻案・演出:ニコン・セダン、バンコク・シアター・ネットワーク(BTN)。野田の元戯曲とはかけ離れた芝居だが、タイの現実を描くために野田のテキストをテコにした芝居だ。ここでは「農業少女」は米の種類のネームだ。タイの田舎の農家の娘が農業を嫌って、バンコクに出奔してAV映画に出たり、大学教授fと同棲したり、様々体験をして、さいごには田舎に戻って「農業少女」を作る決意をする。タイの現代劇はまだ若い。稚拙でもある。しかし、若いからこその勢いがある。タイの現実にあてはめた翻案の話が、駆け足で物語が定まらず分かりにくいが、主演の少女マリを演じたオーンアノーン・ダイスリウオンの目の輝きと、一途に自分の欲望、願望を困難に負けずに貫いてゆく姿がまぶしい。

[PR]

by engekibukuro | 2009-11-22 08:03 | Comments(0)