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1月29日S「MANSAI●解体新書 その拾六「依代」

ー宿りというポイエーシス(創造)-野村萬斎芸術監督 第十六弾。今回のテーマは「依代(よりしろ)」。神の御霊を降臨させる媒体としての「依代」。神が依り憑く「もの」「時」「空間」「人」を例に、そこから<藝術の起源>について考える試みだ。ゲストは写真家・美術家の杉本博司、藝術人類学者の中沢新一。まず、萬歳が翁・三番叟を舞う。能については中沢が専門であることは周知のことだが、杉本がこんなに能に詳しいとは知らなかった。NYで古美術商をやっていた杉本は、鎌倉時代の面を持参して萬歳につけてもらう。二人の話は弾んで、能という日本の藝術の素晴らしさをしらずしらず体得させてくれる話だった。中沢が語るのは”「翁」と「三番叟」は数ある日本芸能の中で、ももっとも古い来歴をもち、もっとも深い思想と意味を内包した、おそるべき芸能の表現なのである”に要約される。また、別の話で、杉本が映像を担当したというU2の9万人の客を集めたバルセロナでのコンサートの熱狂する会場を映した映像を見せ、ロッカーも異教の神の依代だという話も面白かった。「解体新書」は演劇にかかわるとみなす、あらゆる分野の芸術家、学者、芸能者を呼んで話を聞き、演じる試みだが、大変貴重な機会を与えてくれている。今回も1日だけということもあるが、立ち見がでる大盛況だった。昨年の「国盗人」の演出・主演、「能の現在形」の企画・演出、この「解体新書」と野村萬斎の伝統演劇を現在の演劇に繋げる作業は着実に成功してきている。
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by engekibukuro | 2010-01-30 07:34 | Comments(0)  

1月28日M・邦楽コンサート「獅子虎傳阿吽堂」世田谷PT

世田谷PT芸術監督の野村萬斎の肝いりで企画されたコンサートで今回で5回目。父ー能楽師葛野流太鼓方人間国宝、亀井忠雄、母ー歌舞伎囃子方田中流、田中佐太郎のもとに生まれ育った、亀井広忠(能楽師葛野流太鼓方)、田中傳左衛門伝(歌舞伎囃子方、田中流十三世家元)、田中傳次郎(歌舞伎囃子方)の三人兄弟が1997年に結成した三響会が主催するコンサート。囃子を通じて能と歌舞伎それぞれの伝統を踏まえた、新しい可能性を追求している。
 まず三人が今回の番組に出演する能の観世喜正、大太鼓の林英哲、歌舞伎の片岡愛之助を紹介し、色々話を聞くレクチャーがある。それに加えて観世喜正の指導で今回の演目「高砂」の謡の一節”高砂や、このうら舟に帆をあげて・・・”を会場にいる全員が謡う。
 ・林英哲の迫力満点の大太鼓ソロ「宴」、観世喜正が舞う能「高砂」、片岡愛之助歌舞伎立方で踊る「老松」、この三つの出し物で、それぞれの囃子を三人兄弟が勤め、今回の総イトル「松」にふさわしい正月らしいコンサートだった。
 
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by engekibukuro | 2010-01-29 08:43 | Comments(0)  

1月26日★Mー劇団民芸★★Sー阿佐ヶ谷スパイダース

★「巨匠」(作:木下順二、演出:内山鶉)、俳優座劇場。冒頭はポーランドの劇場の楽屋の場。「マクベス」の初日が迫っているが、マクベスを演じる俳優のある特定の台詞の言い方が、演出家の気に入らなかったが、最後の最後の稽古でちゃんとした出来になった。これにはこの俳優の忘れられない曰くがあった。場がポーランドがナチスドイツに占領された頃に変る。小学校の教室に窮乏生活を強いられている何人かの人々が住んでいる。その教室にこの俳優が若いころ紛れ込んだ。そこに力はあるが売れない俳優と自称している巨匠と呼ばれている老人がいた。若い俳優はその老人からマクベスについての薀蓄を聞かされる。その前夜、パルチザンが鉄道を爆破した。教室にゲシュタポが乗り込んできて、爆破の報復に知識人を4人銃殺すると宣言する。巨匠は身分証明書を調べられるが、それは簿記係の証明書だった。老人は知識人とはみなされない(俳優は知識人なのだ)。今までの触れ込みの手前、ゲシュタポの前でマクベスの台詞を朗唱する。結果、俳優だとは認められたが銃殺されてしまう。簿記係りなのか売れない旅役者だったかは判然としないが、とにかく俳優であることが夢だったのだろう、そのおかげでちょっとした弾みで殺されてしまった。冒頭の俳優には若い頃のこの出来事での老人のマクベスの朗唱に思い入れがあったのだ。老人を演じるのは84歳の大滝秀治。何回かの上演で名演技と博された持ち役。連行されるとき、ちらっと若い俳優に微笑む演技がなんとも複雑微妙で忘れがたい。一寸事々しい面はあるが名作だ。パンフで、その大滝へのインタビューを劇評家の木村隆が行っている。これが面白い。木村は聞きにくいことをバンバン尋ねる。民芸のパンフのインタビュー記事は木村の担当だが、これは毎回面白い。一種の芸だ。新劇の盛んな頃は民芸のパンフは役に立った。その頃は芝居はテーマを把握するのが基本で、幕間にパンフを読むとそれがきちんと解説してある。アングラ芝居にはパンフがなくて途方にくれた。それがよかった、自分で考えるしかないからだ。
★★「アンチクロックワイズ・ワンダーランド」(作・演出:長塚圭史)本多劇場。長塚がいちゃたんじゃないかとおもうほど、ワケがわからない芝居だった。だが、人間の生存の表面的な事象をすべて捨象してしまい、生存感覚だけに絞って物語をつくれば、こういう芝居になるんだとは思う。客の負担感が重過ぎる難はあるが、こういう芝居で2時間もたせる力量はさすがだと思う。新しい局面を拓く、すがすがしい第一歩だ。
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by engekibukuro | 2010-01-27 11:32 | Comments(0)  

1月25日S「私が踊るとき」珍しいキノコ舞踊団世田谷PT

振付・構成・演出:伊藤千枝。いつもは女の子たちの日常のスケッチをダンスに昇華するキノコだが、今回はダンスのあらゆるジャンルを踊りまくる、伊藤自身も踊る、伊藤振付のオンパレード。ジャズダンス、コミックダンス、ヴァレンタイデイや結婚を話題にしてのちょっとしたお芝居風のコメデイリリーフあり、伊藤が都都逸を洋舞で踊るものすごくおかしいシーンも挟まれ、アルプスと羊などの背景のドロップがめまぐるしく変化し、大音響から物静かまで音楽も千変万化、とにかく踊ることの楽しさが最大限に横溢していた。ラストは観客を踊らせての総踊りで賑やかに終わった。
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by engekibukuro | 2010-01-26 12:02 | Comments(0)  

1月24日M「別役実3本立公演」Pカンパニー西池袋スタジオP

三作ともバス停とベンチのある舞台。
「バス停のある風景」(演出:木島恭)子はバスを待つ二人の男女がベンチに座っての会話劇。一寸した挨拶代わりの会話が妙にこじれてきて、尾をひいてしまい、バスが遅れてこないので、ますます深みにはまってしまう。強迫神経の進行(男)と軽い嘘が重大になっていまった(女)の会話が、人間というものの得たいの知れなさを感じさせた。
「或る昼下がり」(演出:小笠原響)は自分の赤ん坊を圧死させた女に罪をきせられそうのなる保険の外交員の話で別役の不条理ブラックコメデイのサンプルといっていい。
「湯たんぽを持った脱獄囚」(演出:小笠原響)は興信所の調査員が調査対象の男の妻の手の込んだ策略に陥り、殺されてしまう話だ。これは話を作り過ぎていて、観ていて、別役文体が肌にまとわりつくようで一寸疲れるが・・。いずれにしても3作とも別役劇のエッセンスともいうべき芝居で、演出も俳優たちも別役劇の勘所を手の内に入れていて、別役芝居のテイストを満喫させてくれた。
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by engekibukuro | 2010-01-25 12:00 | Comments(0)  

1月23日M「岸田国士小品選」(演出:西川信廣)

プロヂューサー:衛紀生(可児市文化藝術振興財団)。「紙風船」「葉桜」「留守」の3作品。「紙風船」は結婚1年目の夫婦が日曜日をどう過ごすかの話。「葉桜」は母が娘の見合いの相手の男が、どう娘とつきあっているのかを娘に根掘り葉掘り聞きただして、嫁入りを受けるかかどうか思い悩む話。「留守」は主人夫婦が外出中の女中が、隣の同じ状態のj女中を呼んでいろいろ噂話をして、それに八百屋の若主人が加わる。三作とも岸田が、小市民、庶民の暮らしの中での喜怒哀楽をいかに愛しんでいるかが如実に感じられる芝居だ。「紙風船」は村井麻友美と若松康宏、「葉桜」は音無美紀子と村井の実母と子が演じる。「留守」は音無、若松に浅丘めぐみが加わる。「留守」は浅丘の隣の女中が、寿司桶をおごって、それが海苔巻きだけだといううのが可笑しい。「葉桜」は新派めくが、「紙風船」は古典的傑作だ。テレビのない時代に、若夫婦が日曜日をどう過ごすか、夫婦の会話が人間の実存の深みにおちそうになると、あわてて回避する様子がみていてどきどきする。テレビのある今でも若夫婦の日曜の過ごし方は決着のつかない課題だろう。三作ともそこはとないエロスが漂うのが肝た。
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by engekibukuro | 2010-01-24 10:56 | Comments(0)  

1月22日S「TVロード」(作・演出:加藤一浩)東京乾電池

ザ・スズナリ。夜中の街を右往左往する総勢31人の男女の、その今現在の姿を捉えた芝居。清掃のボランテイアの仲間とか、便利屋だとか、様々な目的や用事をかかえてはいるが、それらの人々の言動の常識にかからない言動のフシギさが活写される。ショートピースの錯綜したつらなりだが、芝居の舞台でどれだけ人間の言動を自由に描けるかの、それを極限まで試した芝居ともいえる。ただ、こういう芝居特有の一種の弾みのようなものがあれば、もっとのっていけるのにとは思う。いずれにせよ加藤独特のテイストで、後をひく芝居ではある。
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by engekibukuro | 2010-01-23 10:02 | Comments(0)  

1月19日M★東京グローブ座★★シアターコクーン

「冬のライオン」(作:ジェームズ・ゴールドマン、訳:小田島雄志、演出:高瀬久男)幹の会+リリックプロヂュース。西ヨーロッパに強大な国を築いたヘンリー2世と、その妻フランス王妃だったエレノアの物語。舞台は王の後継者問題に決着をつける1183年のクリスマス・イブの出来事。登場するのは王、王妃、三人の息子、フランス王フイリップ、その異母姉でヘンリーの愛人皇女アレー。
 この劇はシェイクスピアの歴史劇との類似をすぐ感じる設えだが、出てくるのは男女7人だけだ。シェイクスピア劇のような配下や兵士は出てこない。広大な城の空虚感だけが漂う。いわば狭まれた家庭劇の様相だ。それぞれの人物たちが言ううことは本音と嘘の繰り返しで、観ていて彼らの真実はまったく闇の中で全然わからない。その心理的駆け引きがこの芝居の、事実も真実も変転極まりなく、ただただ人物たちの孤独感だけが浮上する。だから力のない役者が王と王妃を演じたら、退屈してしまうだろう。しかし、ヘンリーを演じた平幹二朗とエレノア役の麻実れいの驚異的な名演技で退屈どころか圧倒さてしまった。後期高齢者とは思えない力のみなぎった壮年の王を演じる平は、長台詞をよどみなく悲喜劇的に語り、王の複雑な心を白日の下にさらしてゆく。麻実の逆境においても微塵も誇りを失わず、ヘンリーと対等に渡り合い、狡知の限りを尽くし、さらにヘンリーを心から愛する無垢な女心も華麗にちりばめる。その複雑な演じ分けはさながら黄金比のごとくで、まれにみる女性像を演じぬいた。パンフで谷岡健彦氏が、この芝居は王位を狙う息子たちの芝居だが、さらに王と王妃を演じるベテラン俳優を継がんとする次代の俳優たちの戦いの場でもあると書いていたが、平、麻実以外の三浦浩一、廣田高志、小林十市、城全能成、高橋礼恵らはそれぞれの役を的確に演じていたが、平、麻実の域に達するのはまだ大変な距離があるとは思うが、頑張ってほしい。王と王妃という人間の中では最高度の力であらゆる経験をしつくす人物が、最後にたどり着く虚しさが、逆に虚しさの豊かさとしかいうしかないものを観終わって感じる芝居だった。名演技を劇のバランスの中で際立って突出させず、3時間の芝居を落ち着いた流れとして創りあげた高瀬の演出も光っていた。
★★「血はたったまま眠っている」(作:寺山修司、演出:蜷川幸雄)。主演の森田剛、窪塚洋介のファンか、あるいは寺山信奉者か、立ち見が一杯の劇場だった。寺山23歳の処女戯曲。初演は劇団四季だった。寺山独特のコラージュ作品で、この舞台も中越司の美術が素晴らしかった。蜷川が念願していた戯曲のやっとの上演で新宿梁山泊の金守珍などもでていて、猥雑で騒がしい芝居だが、森田ファンも寺山信奉者もさぞ満足できただろう素敵な舞台に仕上がっていた。幕切れに登場人物全員がシャッターをあけて劇場裏の街路にでてゆく。そしてシャッターが閉まる。歴史の1ページが切り取られたような感慨が沸き起こる。
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by engekibukuro | 2010-01-20 12:26 | Comments(0)  

1月18日S「ウーマンズアイ」楽天団、中野スタジオあくとれ

作:ルイス・ナウラ、演出:和田喜夫。

 オーストラリアの芝居だ。結婚40年を祝うため、ハネムーンを過ごしたホテルに夫婦と息子二人が集まる。
だが、妻が夫が勘当したもう一人の息子を密かに連れてきたので夫が激怒する。この男は建設会社の社長で長男は役員。新しいプロジェクトのことで親子は対立している。それらのことが重なって、家族の欺瞞や悪行が浮き上がってきて、ついには修羅場になってしまう。よく書けているテキストだが、こういう西欧風家庭劇は日本の俳優にはあまり向かないテキストなのだろう、俳優たちは熱演だが演劇的に昇華されず、修羅場の怒鳴りあいなど芝居を逸脱して狭い空間では聞き苦しい。ラストの小林千里の見事な長台詞でやっと芝居が納まった。夫・父親は実は病で死期が迫っていたのだ。
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by engekibukuro | 2010-01-19 11:11 | Comments(0)  

1月16日M「シグナルとシグナレス」あざみ野*友達の家

竹田恵子・オペラひとり切り。作:宮沢賢治、作曲:萩京子。もともと竹田が在籍していたこんにゃく座によって上演されたオペラだが、今回はシブナルもシグナレスも竹田が一人で演じたホームコンサート。鉄道本線のシグナルと軽便鉄道のシグナレスの恋物語。その恋を邪魔する電信柱とか応援する倉庫の屋根とか、それらが擬人化された賢治独特のファンタジー。シブナルトシグナレスが立っている場所の天空には、煌く星や、見え隠れする月や、雷、風などが恋の成就にまつわり、それら自然や宇宙の光景が物語の背後に輝いている。それを恋に懊悩する男のシグナルと、可憐に悩む女のシグナレスに扮して、謡い、語り、演じて、天性の歌役者としての本分を前面開花させて演じきった。40人の客ではもったいないような贅沢な時間だった。これは賢治のファンタジーの奇想の面白さ、宇宙的なヴィジョンの凄さを改めて感じさせ、萩京子の音楽(竹田は萩の最良の作品だという)の楽しさ、美しさを心ゆくまで味わった素敵なコンサートだった。
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by engekibukuro | 2010-01-17 10:03 | Comments(0)