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8月28日(土)S「モーリタニアの月はふざける」

構成・演出:扇田拓也、ヒンドウー五千回、シアターイワト。舞台は砂が敷き詰められているコンクリートの部屋。下手に音楽を流す壊れているらしい機械。奥に出入り口。この部屋の背後には住居があるらしい。男が一人砂の上に寝ていて、もう一人の男は壁の小さな穴に棒を突っ込んでいる。もともとこの部屋は出入り禁止だったらしいのだが、誰かが鍵をあけて入ってきた・・・・。この部屋に男が8人出たり、入ったり寝そべったりする。それぞれ棒とか空き瓶とか、いろんなモノを部屋に持ち込み、触ったり、試したりしている。壊れていた機械から突音楽が流れ出す。ここがどういう住居の一部なのか、男たちが何者なのか一切説明がないし、それぞれの関係もわからない。ただ、皆一緒に住んで生活していることは確かだ。ただ、住居にいる、舞台にはでてこないタケバヤシという人物が、集団を統率している責任者?あrしいことが、男たちの切れ切れの会話で知るのだが・・。出来事はこちらにはわからない彼らの日常で出来することらいい。壁の穴に指を突っ込んで抜き出せなくなったりする”事件”や、音楽が出来事の妙に重し間のいいアクセントになったりするが、この芝居の芯は、8人の男たちのそれぞれ個性的なトーンでの会話の面白さだ。なにか不条理劇のような趣があるが、そういう観念が背後にあるというより、全然みしらぬ集団の日常をそのまま、その断面をリアルに見せるという仕組みだろう。演劇的な感性が、演劇を成立させるかどうかのぎりぎりの試み。なにがなんだかわからない世界を、身近に感じさせ、1時間40分もあつぇてしまうセンスは扇田独特のもので、役者が皆、そのセンスに歩調を合わせて芝居をしているのが水際立っていた。千田は演劇の時代風潮におもねらない魅力的な特異な演劇人であることを証明した舞台だった。
▼メモ。芝居が終わって堀切克洋君とお茶をのむ。彼の「シアターアーツ」42号に書いた、コンテンポラリーダンスの川口隆夫「Tri-X]評を川口氏が、ヨーロッパのダンス専門誌に英訳して掲載されたそうだ。この評は石井達朗さんも褒めていた。フットサルの練習に行く彼と別れて、おもろへ。今日はカップルお休み、中川君はビル1本飲んで新宿へ。彼女と映画を見るそうだ。k先生とおしゃべり。K先生は法大の心理学の教授。おれも法大卒法大もおれたちの頃よりランクがあがったようだ。今日はゴーヤちゃんぷるを食べた。
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by engekibukuro | 2010-08-29 13:17 | Comments(0)  

8月27日(金)S「フツーの生活 長崎編」

作・演出:中島淳彦、44Produce Unit,紀伊国屋サザンシアター。8月9日の原爆投下数日前。舞台は長崎の病院。戦地に行く前に病気になった男たち、、戦争反対の言動で捕まったが、逃亡して入院した男、あと病院関係者などのフツーの日常が描かれる。戦地に行けない負い目に苛まれた男や、生き延びたと喜んでいる男、ただじわじわと厭戦気分が漂ってきている。とうとう舞台奥の柱の日めくりの数字がが”9”になった。反戦の男を特高が捕まえにきた、しかし、この特高刑事は数日前までこの病院に入院していた。院長の懇請で刑事は見逃す・・・。病院での様々な出来事や些事が実に中島らしく巧く描かれ、役者もそれぞれの人物をきちんと演じているが、なにか既視感が拭えない。戦争や原爆を描く芝居が、積み重なってきたことによるのか。

▼メモ。若松孝二監督の「キャタピラー」をテアトル新宿で見た。客席ほぼ満員。評判どうり寺島しのぶが素晴らしい。特に顔を接写すると、育ちのよさによるのだろう、私が戦前の幼少期に接した、日本婦人の風格、立派さ、やさしさを思い出させるのだ。それと手足をもがれてダルマ状になってしまった”軍神”を演じた大西信満が、この難役を立派に演じて感動的だった。この男をちゃんと演じられなかったら、この映画は成立しないのだから・・。戦争や原爆を芝居や映画にする方法が、ステロタイプに陥っている今、このダルマ状の男の異様な姿と、この軍神が戦場での強姦体験が伏在している性欲にしか生きるよすががない情動を描いて、戦争の本質に迫り、忘れがたい映画に仕上げている。低予算のリファーサルなしの一発テイクのこの映画は、全体に緊張感がみなぎり、赤松は正攻法で真の意味での反戦、反天皇制映画をつくったのだ。
・デーア・ローアーの「最後の炎」(新野守宏訳)を読む。この高度の文学性をもつ戯曲は、上演は大変だろうが、面白く刺激的だった。戦争も原爆も、人間の生死の多様性も、リアリズムでは演劇的強度をもって描けないことが判明している現在、この戯曲の射程は広くて深い。
・日刊ゲンダイは小沢一郎支持を鮮明に打ち出して、大新聞に喧嘩を売っている。これも一見識だね・・。
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by engekibukuro | 2010-08-28 11:40 | Comments(0)  

8月26日(木)メモ









▼新野守宏さんからいただいたドイツの劇作家デーア・ローアーの「無実/最後の炎」(論創社)のうち「無実」(三輪玲子訳)をCTで読む。なんだかよくわからない戯曲だが、勢いで読めてしまう。
・晩は朝日新聞掲載のコウケンテツのレシピでソーキそば風うどんを作る。スペアリブを使い、ゴーヤを入れる。カツオ出汁で、なるほど沖縄そば風になる。これでウイスキーを飲む。
・テレビで正義論ノサンデル教授が東大で、ハーバード大学で人気の聴衆との討論会の実況を見る。”原爆投下の是非””祖父の世代の責任を孫の世代が受け継ぐべきか””個人の責任と共同体の責任”など討論は活発で、教授が危惧していた日本人はシャイで意見を言わないのではないかという心配はふっとんでいて、教授も感心していた。
・その後でNHのアナウンサーからの教授へのインタビューが興味深かった。質問は”原爆投下の責任をとり
謝罪をしないのか”という質問に”今年の廣島の平和祈念日にルース大使が参列した、オバマ大統領も近い将来廣島を訪れる可能性もある”と答えていたが、自身の謝罪についての意見は表明しなかった。論点も明示しなかった。機能の畑澤聖悟の芝居「イノセント・ピープル」の主題と重なって、改めて芝居のアクチュアリテイを感じなおした。
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by engekibukuro | 2010-08-27 10:05 | Comments(0)  

8月25日(水)S「イノセント・ピープル」(作:畑澤聖悟)

演出:黒岩亮、劇団昴、シアターグリーン。原爆実験発祥の地ロスアラモス。原爆の開発研究所の一員の家の居間が舞台。原爆を開発した若い技術者たちの廣島、長崎の原爆投下を経て、2010年のオバマ大統領のプラハでの核軍縮の演説まで、時制を錯綜させながら、それぞれの家族を伴った運命を描いた芝居だ。登場人物の殆どがアメリカ人。主役のオブライエン・ウッドの娘は日本人の被爆二世と結婚したが・・。眼目はアメリカ人の原爆に対する見方、態度をシビアに描き、日本の凄惨な被爆体験と対比させることだ。アメリカ人の大半は、原爆投下がなかったら、戦争が長引き、膨大な戦死者がでただろうし、戦争を仕掛けたのは日本で”リメンバー・パールハーバー”だと言い張る。畑澤は露骨な人種差別を内包するアメリカ人の生活や心情のデテイールをリアルに描き、ヴェトナム戦争、イラク進攻まで視野に入れて、アメリカの実体に迫り、アメリカおよびアメリカ人に原爆投下に対する謝罪を要求する。畑澤のこの要求は日本人総員院のキッパリした代弁を担っている。アメリカ人に扮することや、齢のそれぞれの人物の取りかたの演技的な不備があっても、メッセージは確かに届いた。畑澤の真摯な取り組は敬服に値する。・・だからこそなのだが、日本とアメリカのかさぶたのようなワダカマリを演劇的に突破するには、演劇を畑澤の思考のリアルなツールにするだけでは果たせないのではないか、無謀な要望だが、演劇の固有性に基づいた強烈な表象がなければ(畑沢の作品としては珍しくこの芝居は人物がアメリカ人ではあっても、フツウのリアリズムで書かれている。畑澤の芝居特有の意表外のとっぴなイメージが支えている芝居を想起してもいる)、廣島の原爆記念日に初めてアメリカの駐日大使が参列したリアリテイを超えられないと思ったことも書き添えざるを得ない。
▼メモ。「F/T」(09DOCUMENTOS 春・秋)読了。09春・秋のフェスチバル・トーキョーのそれぞれの演目の紹介・批評・座談会が載った総括本。まあ、執筆者の多くが打大学教授でで、そのトンガッタ文章を読み続けると疲れるね。だから中の演劇ライター伊達なつめのリミニ・プロトコル「CARGO TOKYOーYOKOHAMA」評や、作家・翻訳家の目黒条の「山海塾「卵を立てることー卵熟」評の自分の感性に即した柔らかい文章を読むと、ほんとうにホットした。後、座談会「パブリックをめぐって」の平田オリザの発言”僕や岡田利規則さんがヨーロッパのマーケットに乗るようになったのは、ヨーロッパと同じように、日本が衰退国家・爛熟国家になったから・・岡田さんの作品はネットカフェ住人の話しだけでなく、「わたしたちは無傷な別人であるのか?」で高層マンションを買う人が出てくる。貧乏人と金持ちの共存、富裕階級の頽廃がみたいなものが出てきた社会になった。中産階級のアイデイテイテインテイの時代は終わった(大意)”。たしかにF/Tはトーキョーの演劇の局面を変えた。これからもトンガッテこそだろう・・。これに関連して次の「シアターアーツ」(44号)に載る堀切克洋「地理的な外部/歴史的な外部ーフェステイバルの功罪を中心に」という論考がt面白い。
・昼にたいめいけんでレバーフライを食べた。こういう古い洋食屋はでてくるまでわくわくわくするね。レバーフライもうまかったが、つきああせのマッシュポテトや温野菜、ドミグラスソースがいいね。それにボルシチがここの名物で50円だ。2階は高級でメニュウーは7500円と14000円、一回のここは1000-2000円台、格差レストランで、平田がいう爛熟社会の兆し?こういう社会を楽しむか?長くはないんだから・・・。
・シアターグリーン「イノセント・ピープル」で批評家のE・Sが殆ど寝ていた。こんな真面目な芝居にと、義憤を感じた。大新聞の演劇賞の審査委員になるそうだが、この芝居がノミネートされたらどうするんだろう。
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by engekibukuro | 2010-08-26 16:03 | Comments(0)  

8月23日(月)S「今は亡きヘンリー・モス」

作:サム・シェパード、演出:小川絵梨子、赤坂レッドシアター。シェパードの作品は自伝的な極私的なものが多い。その極私性になじめない感じがあった。今回も自分の父親のことを書いた芝居だ。この父親は第二次大戦に従軍し、やがて酷いアル中になり、転落の果てにニューメキシコの僻地で一人で移り住み、他界した。この父親をモデルにした芝居は、書き上げるまでに10年かかったそうだ。芝居は父が死に、二人の兄弟が、父の死体が横たわっているベッドのある部屋で話している情景からh始まる。兄弟が会うのも7年ぶりだ。父の異変を兄にしらせたのは隣人のメキシコ人で、兄は弟に死因を話したがらない。弟は執拗に糾すが話しがもつれるばかりだ。弟は父を最後に乗せたタクシーの運転手を探し出す。隣のメキシコ人、父が最後に付き合っていた謎の女など、事実が浮上しかかり、兄弟の会話も過去の事実の検証へと向かい、父の母への虐待、挙句の果ての家族の離散などの、この一家の真実が顕かになってくる。シェパードはあくまで極私的なトーンを残しながら、10年かかって書き、昇華させた父親像は特異な普遍性を獲得している。アル中で、妻を虐待し、家族を離散させた父親が、その行為の根幹にいかにもアメリカ的な、現世を無視した原初的な精神性を保持した、倒錯した非書物的な存在探求者の明示したのだ。それを明示できたのは、父親を演じた中嶋しゅうの演技力の賜物だ。息子たちは反抗できず、畏怖して逃亡したのだ。芝居は田中壮太郎のユーモラスナメキシコ人、とぼけた福士恵二のタクシー運転手とか、周囲の人物も面白く描かれ、谷田歩と伊礼彼方の兄弟の演技もゆるみがなく、父親だけが突出しないバランスがとれた戯曲で、それを緊密な舞台に仕立て上げた小川の演出は賞賛に値する。人間存在の不審性、家族の無根拠性を荒廃した父親の言動で体感させて、兄弟が酒の栓を閉じ、共に新しい局面に立ち向かう姿をみせて芝居は終わる。
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by engekibukuro | 2010-08-24 15:27 | Comments(0)  

8月22日メモ











▼星野智幸「俺俺」読了。俺がどんどん増殖してゆくのは実に怖い光景だが、この小説での俺の増殖はややこしくて、飛躍がおおすぎて面白くなかった。
・イチローが1試合、2ホームラン。もう優勝はムリなので勝ち負けを度外視、イチローの10年200本安打の記録を追うのに専心しよう。
・札幌記念、アーネストリーの単複をやっととれた。
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by engekibukuro | 2010-08-23 11:22 | Comments(0)  

8月21日(土)M「ひとりの群像」劇団1980

作:藤田傳、演出:山本隆世、紀伊国屋ほーる。
2008年6月に秋田県の小さな集落dで、一家4人の無理心中事件があった。93歳の要介護の乳、癌を患っている65歳の妻、妻に逃げられたパチンコ狂いの長男をハンマーで撲殺した男は、手首を切るが、死ぬまでに至らなかった。65歳の男は、50年間の出稼ぎ生活で、帰って来るのは盆、暮れの6日間だけだった。50年間仕送りを続けた男は、裁判でも極刑をのぞむとボソボソ言ったが、殆ど口をきかず、やるべきことをやり遂げたような安心感が漂っていた。
 舞台は検事の取調室。検事と地元の刑事が話している。刑事はあきらかに無理心中だといい、検事は、手首を切ったことに疑念をもち、本気で死ぬつもりなら、首吊りとか飛び込みとかするはずだと反論する。そこへ女性の臨床心理士に伴われて、車椅子で上体が縛られている男が入ってくる。男は検事の質問にはかばかしく反応しない。芝居はこの検事、刑事、心理士の3人が、わずかな手掛かりで、この事件を解明すべく熱い議論を繰り返す。そして、それが、50年間の男の出稼ぎの土工生活が、日本の戦後の歴史と重なってくる様を浮上させてくる。そのうえ、検事にも刑事、心理士にも程度の差こそあれ、男と同じような家族に問題を抱えていることも明らかになってくる。
 藤田のこの新作は、日本の闇を検証する舞台に成りえている。特に、男が撲殺するのに使ったハンマーが、男が巣鴨プリンスのBC級戦犯を処刑した建物を壊すときに使ったハンマーで、その跡地にサンシャインビルが建ったというイメージは鮮烈だ。柴田善之が演じる、殆ど黙したままの存在感も舞台のかあんめになっていた。藤田の作風の、よきサンプルだが、あくまで認識の劇であり、知ることの意義は大きいが、劇的盛り上がりをきたいする心性を凌駕できているのかというもどかしさは残る。

▼メモ。お盆も終わって、2週間ぶりのおもろ。中川君と、カップル。2週間ぶりの冷凍庫で冷やした泡盛が極上にうまく、新さんまの塩焼きが絶佳。カップルは演舞場で観た海老蔵と七之助に大感動したそうだ。
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by engekibukuro | 2010-08-22 12:39 | Comments(0)  

8月20日(金)S「叔母との旅」シス・カンパニー

原作:グレアム・グリーン、劇化:ジャイルズ・ハヴアガル、演出:松村武、青山円形劇場。一人の役者が複数の役を演じ、そのうえ一人の役を複数の役者が入れ代わり、立ち代りで演じるというめまぐるしい舞台。これを段田安則、浅野和之、高橋克実、鈴木浩介の4人が務める。銀行の支店長を勤め上げ、50代半ばにして引退生活を送るヘンリーネは、庭でダリアを育てるのを趣味にしている独身男だ。母親が死に、その葬儀で50年数年ぶりに叔母のオーガスタと対面を果たす。この自由奔放で怪しげな過去をもつ叔母が、ヘンリーを強引に旅の道連れにする。パリ、ヴェニス、イスタンブール・・・。叔母には傍若無人の特殊なサービスも叔母にしている黒人の召使いワーズワースがいる。叔母の旅の目的は終生の恋人らしいある男を捜すことらしい。旅の最終地点はパラグアイのアスンシオン。ここで、75歳の叔母は追い続けてきた男、ヴィスコンテイを捕まえた。怪しげなゲシュタポとも商売したこともある老人だ。
 叔母役は段田一人が演じるが、ヘンリーは全員が演じる。衣裳も終始変えない。役者はこの芝居では純粋のに客の想像力の媒体に徹する。そのものではない。松村の演出は、短い場面をテンポよく繋げて、役者も巧く入れ替わって、全員意気があって、実に面白い舞台を創りあげた。グリーンの原作は、こういう形式でしか劇化できないだろうと思わせる舞台だ。凡庸な善人ヘンリーは、叔母(実は実母らしい)によって、人生は悪の薬味がなければ、生きてゆきかいがないないことを叔母から学んだのだ。ラスとはヘンリーがロバート・ブラウニングの詩をつぶやくところで終わる。”神空にしろしめる、すべて世に事もない”。私はG・グリーンの愛読者だった。この芝居で読み返す楽しみができた・・・。
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by engekibukuro | 2010-08-21 11:40 | Comments(0)  

8月19日(木)S「ガラパゴス」(作・演出:天野天街)

少年王者館、ザ・スズナリ。
 天才・天野のマジックワールドは、ますます円熟、天野チルドレンも男女とも多士済々、間然とするとこがない奇想天外な舞台だが、ラストの天野ダンスのシーンがちと長すぎるかな・・。なにしろ始めも終わりもない世界だから、終わらせようがないのは解るんだが・・・。

▼メモ。今日は部屋の冊子工事のため、一日出っぱなし。午前中は図書館で雑誌閲読。文藝春秋に芥川賞受賞作、赤染晶子「乙女の密告」が掲載されていたので読む。アンネ・フランクの日記の話しだが、どうもアンネの恐怖に充ちた隠れ家暮らしの身体性ぬきに知的に扱い過ぎている感じがする。審査委員の中では石原慎太郎が酷評していた。テアトロ9月号の菅孝行の戦後演劇史で60年安保を取り上げている。彼が俳優座の養成所にはいったときで、安保のデモには「安保反対新劇人会議」で参加した。6月15日の樺美智子さんが亡くなったとき、現場の国会南通用門に「新劇人会議」が行かなかったことに抗議する。私は松田政男率いる「6月行動委員会」で参加、南通用門に入り、多分樺さんの数列後ろにいた。そこには吉本隆明さんもいて、機動隊に蹴散らされながら逃げた。前を走っていた吉本さんは、道路わきの土手を登っ柵を抜けた。こちらも続こうとしたが、機動隊に追い散らされた。吉本さんが逃げた先が警視庁の中庭で、かえってよかったのだが、こちらは靴が脱げ、はだしで現代思潮社の社長の石井恭二さんの実家の日本橋のてんぷら屋にようようたどり着いた・・。
・昼は本郷の鮒兼でうな重。下北沢へゆき、シャノアールで「gui」VOL90を読了。奥成達さんが、食道がんの手術をしたが、元気で書いているので安心した。つづいて星野智幸「俺俺」にかかる。芝居の後は神保町へ。萱へ。おぼん明けで客がこなくて、Sちゃんとコナツとでいつもの楽しいお喋り。メトロの終電が終わってしまって東上線で帰宅・・。
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by engekibukuro | 2010-08-20 13:22 | Comments(0)  

8月18日(水)メモ

▼次号「シアターアーツ」の原稿「演出家としての千葉哲也」を書き終わる。

・CTで岩波書店の雑誌「図書」をパラパラ読む。この雑誌は10台の頃から、家に送られてきていたので読んでいた。この雑誌に連載されていた文章が、のちにまとまって名著になったり、ベストセラーになったものがたくさんある。梅棹忠夫の「知的整理法」とか阿川弘之「志賀直哉」、北杜夫「斉藤茂吉」とか、そういうものを毎月しらずしらずのうちに読んでいることになる。わたしなどの理解が届かない、ハイブローで学術的な文章がおおいので、まあほどほどに読む。「『一年有半』ー私注『病床(×)六尺病症』」榎本一郎は、正岡子規の中江兆民批判。病気が兆民より重い子規が批判する権利がある・・・。など、孫歌という中国の政治学者は、最近の中国の民主化の現われとして、万人規模のデモではなく「散歩」が効果を挙げているという。権力の不当の犠牲になった人への追悼と抗議には、不当現場へ夜、一万人ちかく蝋燭をともして集まったという。それで事態が改善された。・・・ほかに大江健三郎、丸谷才一のコラム、片岡義男のペーパーバック蒐集の連載・・・。

・幻冬舎の雑誌「星星峡」の会田誠の連載エッセーは、高さ4メートルの滝の絵の公開制作の話。
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by engekibukuro | 2010-08-19 07:36 | Comments(0)