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9月28日(火)S「砂と兵隊」(作・演出:平田オリザ)青年団

こまばアゴラ劇場。
 5年前の初演では、自衛隊のイラク派遣と重なり、小泉の「自衛隊が活動している地域が非戦闘地域」というとんでも発言があり、そういう背景と重なって、戦争の徒労感が浮かび出たアクチュアリテイがあった。
今回の再演は、そういう背景がなくなって、砂漠を匍匐行進する軍隊も、非現実的な砂漠で母親探しをする一家も、桃の缶詰を一杯鞄につめて新婚旅行に砂漠を選んだ夫婦も、パラソルをさしただけで砂漠を横断し、存在しない夫を探していると虚言を言い募る女など民間人も、目的を喪失した一種の自動運動で砂漠をウロウロしているに過ぎない。なんだかつかみどころがない芝居で、無力感だけがのこる。これは今の日本の閉塞感、衰退国家への道を転がり続ける現在のメタファーだと考えたほうがよさそうだ。平田独特のシニシズムのリアリテイだ。随所に平田のセンスが光るシーンが印象的。あっとえばひらたよーこが一人でタバコを吸いながら歌う日本の暗いしめったに軍歌。乾いた砂と湿った歌のコントラスト・・・。まあ、個人的には大ファンの渡辺香奈が出ていたのでそれだけで満足、彼女も歌うが、なかなかうまいしいい声だ。
▼メモ。こまば東大前の駅でSPACの宮城聡さんと一緒になる。重政さんの後任の藝術局長になった成島さんを紹介してくださる。渋谷までの車中で今観てきた芝居の話し。初演と違ってつかみどろがないという点では同じか。
・「シアターアーツ」の投稿原稿でこの「砂と兵隊」をとりあげた山崎剛久さんの劇評を読んだ。舞台の紹介も正確で、評価もこの芝居の一面性をつきながら見所もきちんと押さえた劇評だった。参考になった。
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by engekibukuro | 2010-09-29 10:57 | Comments(0)  

9月27日(月)S「ガラスの葉」世田谷パブリックシアター

作:フィリップ・リドリー、演出:白井晃。
 白井のリドリーの作品の演出は3回目だ。前2作、「ピッチフォーク・デイズニー」「宇宙でいりばん速い時計」のようなエキゼントリックな世界と違って、静かな日常の情景を描いた作品ではある。少年時代に父親に謎の自殺をされた兄弟(萩原聖人、田中圭)の話しを軸に、母親(銀粉蝶)と妊娠中の妻(平岩紙)がからむ。弟は画家志望で、兄は建物の清掃業を営む。弟は父に溺愛され、兄は母親に愛されて育ったが、父親の死にまつわる隠された秘密をそれぞれが抱えているらしい。それが今でも尾を引いていて、家族の関係をギクシャクさせる起爆剤のような作用をしている。兄弟のそれが病的にたかまると幽霊を幻視するような状態になり、発作を起こす。小さなガラス細工の木の葉が密かに鳴るような繊細で傷つきやすい世界。松井るみの美術が、家具がフツウに並んだ居間を舞台に分散させて少しずつまわしてゆく。過去と現在の微妙な差を装置を動かすことで感じさせ、斉藤茂男の照明がそれに確かな陰影を与える。非常に優れたセノグラフィーで、この芝居を包括している。それが示唆している世界を俳優が表現しえているか。兄弟の会話はともすれば、熱くなりすぎたりして不安定、萩原、田中はこの難しい劇世界に十分立ち向かっていることを感じさせるが、もう一歩踏み込んで欲しいという気持ちも拭えなかった。初日のせいもあるだろうが。
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by engekibukuro | 2010-09-28 13:23 | Comments(0)  

9月25日(土)M「女中たち」錬肉工房アトリエ

作:ジャン・ジュネ、演出:岡本章、訳:渡邊守章。
 奥様が留守の間に二人の女中、姉のクレールと妹のソランジュが「奥様と女中ごっこ」を演じる周知の名作を、岡本が05年に男優四人の「コロス劇」として変貌させる実験的な試みに挑んだ。今回は横田桂子以下五人の女優で演じる。役を分散させ、台詞を様々な形に割って朗唱する。これは文節言語を解体し、声、そして息にまで還元させ、能の地謡に通底させるという岡本の年来の基本的なモチーフを果敢に適用させる試みだ。衣服は喪服を思わせる黒ぢくめ。簡素な素舞台で、重要な小道具である電話機も目覚まし時計も台詞で語られる。冒頭のクレールトソランジュだけのシーンの女性五人の入れ替わる朗唱は気迫に満ちて、そうとうな迫力ですぐさまこの異様な世界に導く力に充ちていた。それが奥様が登場するとそのトーンが乱れてくる。そのトーンはすぐさまもちなおすが、2時間このトーンを持続させると言葉が狭い世界に煮詰まってしまい、この芝居の重要な俗っぽい物語の構造が見えなくなってしまう。しかし、新しい果敢な試みであることは確かで、それがジュネのテクストの核心に到達していることは感じさせた。次の試みへの土台を十分に創りあげたことを感じさせた舞台だった。

▼メモ。おもろ、今晩はカップル、N君とフィリッピン人の美女、選挙いらいの有田さん。民主党の代表選で有田さんが自分のこれからのテーマである拉致問題について小沢一郎と菅直人への質問に二人が答えた携帯の声を聴かせて貰ったが、これは有田さんが小沢を選んだのがうなずけた。小沢のほうが確信に満ちて明解だ。菅はなんだかありきたりでつまらない。、
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by engekibukuro | 2010-09-26 13:28 | Comments(0)  

9月24日(金)S「ヘッダ・ガーブレル」新国立劇場

作:H・イプセン、翻訳:アンネ・アrンデ・ペータス・長島確、演出:宮田慶子。宮田慶子の新国立劇場の藝術監督就任第一回公演。ヘッダはミュージカルの大スター大地真央の初の近代古典のストレートプレイ出演だ。彼女のヘッダは実に美しい。こんな美貌のヘッダは初めて観た。演技も細かい部分もきちんと演じて、彼女のヘッダ像を見事につくりあげたといえる。宮田の演出も緊密で、はりつめた雰囲気が舞台を終始覆っていた。ただ、彼女のオーラが際立ちすぎて、他の人物とのバランスを欠いている印象を拭えなかった。これはわたしが10代のころ観て感激した田村秋子がヘッダ・ガブラーを演じた舞台の記憶が強く残っていることがあるかもしれない。ヘッダの昔の恋人レールヴボルグが千田是也(今回は山口馬木也)で、ヘッダと再会したとき感極まって思わず口にする”ヘッダ・ガブラー”という声が忘れられない。やはり千田是也はドイツ語がペラペラだからこんな発音ができだなと、見当違いみたいな感想をもったことも・・・。

▼メモ。イチローがとうとう10年連続200本安打を達成した。ナインがベンチで総立ちし拍手。イチローはこれが一番嬉しかったと語ったが、頷ける素晴らしい場面だった。最下位のチームでの孤独な戦い、古武士のようにたんたんと達成したのだ。カナダのトロントのブルージェイズとの試合で、客席もまばらで、これが地元のシアトルのセーコフィールド球場での達成だったら大変な盛り上がりだったろうに・・。
・銀座のギャラリー58で前衛★R70展を見た。平均年齢70歳以上の画家、池田龍雄、中村宏、秋山祐徳太子、赤瀬川源平、吉野辰海、田中信太郎の会。わたしの同世代の折に触れて見てきた画家たちだ。祐徳太子は今回はブリキではない白い金属での彫像のかわいらしい小品、中村は終生のモチーフである「機械」の絵、池田は彼独特の油彩、赤瀬川は”日々是現実”というタイトルの無数の敬帯電話の墓場の絵と写真。懐かしかった。銀座ではイチローの号外が配られていた。
・晩成書房でシアターアーツ4号の発送。西堂さんが白内障の手術に成功した。が、予後が大変らしい。ほこりよけのゴーグルをかけていた。
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by engekibukuro | 2010-09-25 11:36 | Comments(0)  

9月21日(水)M★「ジョルジュ」S★★「窓」

★作:斉藤憐、演出:佐藤信、座・高円寺。上手に竹下景子のジョルジュ・サンド、下手にやり手弁護士ミシェル、真那胡敬二。舞台中央に、ピアノ。ピアノを挟んでジョルジュ・サンドとミシェルの書簡が往復される。ピアノは「第一回ショパン国際ピアノコンクールin ASIA」で第1位だった清塚信也がショパンを弾く。舞台はジョルジュとショパンの多彩、多難の愛の物語をショパンの名曲を挟んで進んでゆく。ジョルジュとショパンの恋愛の曲折の要所々で作曲された名曲、「革命」「別れの曲」「雨だれ」「木枯らし」「葬送行進曲」など15曲。みなどこかで聴いたことがある名曲だ。だから、芝居というより音楽会。しかし、ジョルジュ・サンドの強壮で繊細、文学と民衆への愛に命をかけ、ショパンに曲想を与え続けた無類の女性像は、斉藤・佐藤の手で確かに届けられた。こういう上品でおしゃれな舞台は杉並区のお客の民度というか教養に合っているということを感じさせた会場の雰囲気だった。座・高円寺ならではだ。
★★作・演出:倉持裕、本多劇場。スキャンダルを起こして逼塞している女性有名タレントの別荘での話し。エキセントリックな人間が大勢でてきていろいろ騒ぎがおこり、最後にはドクロがでてきたりするが、どうも最後までのれなかった。主役の高橋一生も悪くないし、好きな小林高鹿、ぼくもとさきこも出てきて、それなりにしっかりした芝居なのだろうが、結局倉持と相性が悪いのかな・・。ただ、PPPPの主力俳優を背負うようになった小林、ぼくもとはどうも構えすぎて、以前のような自由自在な面白さが欠けて来たような気がする。
▼メモ。イチローがブルージェイズ戦で4安打。200本まであと3本!
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by engekibukuro | 2010-09-23 09:45 | Comments(0)  

9月20日(月)M「歌うワーニャおじさん」黒テント

原作:A・チェーホフ、構成・演出:斉藤晴彦、演出助手:坂口瑞穂、作曲・歌唱指導:古賀義弥、ピアノ演奏:吉村安見子、シアターイワト。
 この「ワーニャおじさん」はてっきり、服部吉次がワーニャで斉藤がセレブリャコーフを演じるものと勝手に思い込んでいたが、斉藤は出演せず、服部がセレブリャコーフだった。それと「ミュージカル・チェーホフ」といううたい文句なので、全員歌いまくる芝居だと思っていたし、わたしは昔からの服部ファンなので、歌のうまい(それに楽器がなんでもできるし、口笛もうまい)服部の歌がたっぷり聴けるとたのしみにしていたのだが、どうもこの音楽劇は歌と芝居の按配が中途半端で、服部もあまり思わしいできではなかった。他の役者も意識的な棒読み、切り口上風の台詞で芝居をしていたが、うまくいっていない。ワーニャの拳銃騒ぎのドタバタもさえない。全体に生煮えの印象が拭いきれなかった。

・黒テントの座付作家・演出家の山元清多さんが9月12日に逝去された。黒テントのみならず、こんにゃく座や流山児★事務所にも数々の忘れられない作品を提供していた作家だった。慎んでご冥福を祈ります。

▼メモ。大笹吉雄「新日本現代演劇史(1)ー脱戦後篇1955-1958」を遅まきながら読んだ。版元が白水社から中央公論社に変わった。この巻は演劇史というより、新聞の劇評を集めた資料集だ。それでもリアルタイムで観た芝居がかなりあるので、とても懐かしかった。
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by engekibukuro | 2010-09-21 11:14 | Comments(0)  

9月18日(土)S「現代能楽集チェーホフ」

作・演出:坂手洋二、燐光群、あうるすぽっと。
舞台を四角の枠をのせて能舞台にみたてる。剣幸、円城寺あや、小山萌子が客演した。
チェーホフの四大戯曲をサマz間に様々に加工した。「かもめ」は物語を結末から遡行して要約した、ニーナとトレープレフを同じ役者(円城寺あや)が演じた。「ワーニャ叔父さん」は「ワーニャ・アーストロフ記念館」というタイトルで、この記念館は今は亡きワーニャたちの家が森林保護をテーマとした施設として運営されており、その事業の顛末を描く。アーストロフは剣幸。「桜の園」はラストにチェルノブイリの原発爆発が森林を壊滅させる話しが加わる。ラネフスカヤは剣幸。「三人姉妹」は05年に坂手が書いた傑作『上演されなかった「三人姉妹」』に準じた作品で、戦争とかって「三人姉妹」を演じた女優の物語。この「三人姉妹」は中山マリ、剣幸、小山萌子がきちんと演じて見応えがあったが、他の三本は、客演をあまり生かせず、俳優総体が低調だった。2時間半は一寸つらかった。

▼メモ。劇場で日刊ゲンダイの山田君に会った。山田君はこんど寺山修司関係の本を出すそうだ。おもろは中川君とカップル。酷暑のあとは急に涼しくなり、どうもこのごろの日本の気候は変化が急激で、なだらかなうるおいがなくなった、9月になったら蝉の鳴き声がぴたりととまった・・、この夏トンボを一匹もみかけなかった、イチローの10年連続200本安打はあと9本、有田芳生は小沢一郎に投票したそうだ・・とかの話しをワイワイ話して、秋刀魚で泡盛・・。
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by engekibukuro | 2010-09-19 10:51 | Comments(0)  

9月17日(金)S「自慢の息子」(作・演出:松井周)サンプル

アトリエヘリコプター。
毎回作風を更新しつづける松井の芝居だが、今回はまた、予想を上回る不思議であっけにとられるような舞台を創りあげた。息子(古館寛治)が王国を作ったというので、母親(羽場睦子)が息子を訪ねる旅に出る。その噂を聞いた兄(奥田洋平)と妹(野津あおい)が、一緒に連れて行ってもらう。インチキなガイド(古屋隆太)が先導する。この王国というのは舞台に敷かれたシーツで、息子はシーツにくるまって寝ている。まあ、話しの軸はそうだが、展開は前後左右の脈絡がなくて、次のページになにが描かれているか見当がつかない絵本をめくるようで、次々に意表をつく風景が現出する。王国のもの干し場には隣の女(兵頭公美)がどぎつい下着を干している。息子と母、兄と妹は性愛を潜めていて、極度に反発しながら惹かれあっている。意表外のシーンの連続は、彼等の自己発見の旅と見合い、松井はパフォーマンスの生起性そのものに物語を埋め込んでいる。ラジコンのヘリコプターがとび、人形を飾った祭壇があり、関連を度外視した生起性そのものの極限までの実験ともいえる。松井は宝塚で8年バイトをして、宝塚が大好きだそうだからか、そのシーンそのもののスペクタクル性も目だって、スタイリシュな統一感が舞台の命になっている。旅の果てに、息子は妹とつきあいだし、兄は隣の女の養子になる。母と離れた息子も兄と妹も、肉親愛の砦を抜けて、他者・現実に向き合う決意をしたところで終わる。羽場、古館、古屋、野津のサンプルの常連が、松井のテキストを阿吽の呼吸で演じて、心地よいリズムを作り出していた。さいたま藝術劇場では同時に松井作、蜷川演出の「聖地」を上演している。これほど違った芝居を書き、二つとも水準以上の作品で、NYタイムスが現在の日本でのもっとも有望な劇作家に取り上げられたというのも頷ける舞台だった。
▼メモ。舞台美術家3人、土屋茂昭、島次郎、堀尾幸男の「三人展」を紀伊国屋ギャラリーで見た。縮尺された舞台の模型がいろいろ観た芝居を思い出させて楽しいものだった。
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by engekibukuro | 2010-09-18 11:39 | Comments(0)  

9月16日(水)★「文楽九月公演」★★「F.+2」

第一部☆「良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)」☆☆「鰯売恋曳網(いわしうりこいのひきあみ)」
☆は大鷲に子供をさらわれた母が、杉の梢にひっかか救われた子供が大僧正になって、老母と再会するはなしだが、大詰がくどかった。
☆☆は三島由紀夫の歌舞伎台本からの新作。紀州のお姫様が城外の鰯売りの売り声に引かれて、城外にでて悪者にさらわれ、遊女屋に売り飛ばされる。その遊女に鰯うりが一目ぼれして・・。途方もなく他愛ない面白さは天下一品。
☆☆作・演出:長谷川孝治、赤坂レッドシアター。弘前劇場の長谷川の芝居は東京の俳優が演じると、なにか決定的に物足りない。弘前劇場の初演では、真夏の暑さが客席まで届き、二人の若者の鬱屈した会話が重苦しいが、客の胸に届いた。今回の舞台は、真夏の午後のうだるような感じがない。ただ、プロローグとエピローグのモノローグの長谷川独特の詩情は生き残っていたが・・・。

▼メモ。ひょうんなことから文楽のチケットが回ってきた。崎陽軒のしゅうまい弁当を買って、幕間の弁当を楽しみに観たが、やはり文楽は久しぶりだが、面白い。文楽のことなどまるで知らないが、朝日の天野道映さんの文楽評とワタシの感想が、そう違っていないので、恐れ多くも書いてしまった。
・夜の芝居がはねたあと、神保町の萱へ。看板になってからのママのSちゃんと、バイトのこなつとの三人のおしゃべりは、月1回の楽しみだ。終電車ぎりぎりの帰宅。
・福田和也の各誌での小沢一郎への小沢が金の亡者だという酷評は、やはり正しいのか・・。だからといって菅もねえ・・・・・・。
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by engekibukuro | 2010-09-16 13:05 | Comments(0)  

9月14日(火)M★「トロイアの女」S★★「聖地」

★作:エウリピデス、訳:山形治江、演出:松本祐子、文学座アトリエ公演。敗戦によってギリシャ軍の奴隷にされる女たちの悲劇をゆるみなく描き、きちんとした舞台を松本は築き上げた。山形の訳が、現代的で格調たかく、それによってギリシャ悲劇の輪郭が明瞭に感じ取れた。絶世の美女ヘレネの行状によって引き起こされた大戦争によるこの悲劇は、山形が名著「ギリシャ劇」に書いたように、反戦劇としてだけでは捕らえられないし、人間の暗い奥深い性への欲望、ヘレネに対する執着だけにも特化できない。山形が書くように、「ギリシャ悲劇は甘くない」、恣意的な解釈ではびくともしない堅固な世界が厳然とある。松本が、戦争への呪詛を主軸にすえて、山形訳によってすなおに演出したことにより、その堅固な世界をあkんじちらせ、基本的な骨格を示せた。それはなにかしら物足りない気にもさせたが、下手な解釈や造形より確かな結果を産んだ。この成果は、倉野章子のヘカテの確かで格調高い演技に率いられた女優達の演技にもよるものだ。それと、坂口芳貞のタルテユビオスの演技が、全体のトーンを異化する砕けた演技で、これが存外効果的で印象に残った。
★★作:松井周、演出:蜷川幸雄、さいたまゴールドシアター、さいたま彩の国藝術劇場。松井が平均年齢71歳の劇団に、しかも蜷川演出のために臆することなく書きあげた芝居は成功したといってよい。物語としてはゴールドシアターでいままで上演した、岩松了、ケラ、清水邦夫の作品のように一過したストーリーがあるものではないが、高齢者淘汰のための「安楽死法」ができた近未来の老人ホームで生きる老人たちの生き様は、リアルで説得力があった。山の中腹にある老人ホームで、元アイドルが変死し、そのアイドルのファンの老人グループがホームの院長をつるしあげ、ホームをのっとり、そこを老人たちの聖地にしてゆく。さまざまな老人たちを描き別けたこの芝居は、高齢者の生きかたと目前の死を正面から扱った、ゴールドシアターとしては初めての芝居だろう。松井の本来の基線である、ネガテイブなリアリズムによる戯曲、人間観が、ゴールドシアターの俳優たちの心の琴線に触れ、俳優達の演技が、自分のこととして生々しく演じて、見応えがあった。蜷川が松井を助けて、広い舞台を鮮やかに消滅させ、顕現させて、ラストにおもちゃの無人飛行機を舞台上空に旋回させて、劇へみごとな結構をあたえて、老人あちへの祈りのような余韻が残った。
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by engekibukuro | 2010-09-15 08:40 | Comments(0)