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10月30日(土)M「家族の写真」俳優座劇場プロヂュース

作:ナジェーダ・プトウープシキナ、演出:鵜山仁。現代ロシアの芝居だ。体が不自由な老母(仲村たつ)と45歳のオールドミスの娘(日下由実)が暮らしている。老母は毎日、”死ぬのはこわくないが、娘が夫も子供なく、一人でこの先生きてゆくことを考えると、死んでも死に切れない”と嘆いている。ある日、家を間違って訪ねてきた男(石田圭祐)と、娘が階段で倒れたことが切っ掛けで、男が娘に一目ぼれする。娘はそれを利用して、老母に”実は隠していたが、この男がは恋人だと、偽りの告白をする。瓢箪からこまで、それから事態がどんどん進展して、偽の孫娘(桂ゆめ)まででっちあげてしまう。老母の願いは一挙にかなえられたのだ。幸せな新年のお祝いで幕が閉じる。いい人ばかりでハッピーエンド。仲村と石田が芝居をしっかり支えいて感銘はあるのだが、多少の虚しさも感じるのも事実で、これはしょうがない。

▼メモ。今日は台風のせいか、おもろには仲間がだれもこない。淋しく帰る。
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by engekibukuro | 2010-10-31 10:15 | Comments(0)  

10月(金)M★「長屋紳士録」S★★「ゴルトベルク変奏曲」

★原作:小津安二郎、池田忠雄、演出:柄本明、東京乾電池、座・高円寺
 小津の名作映画の舞台化。長屋の後家さんが、迷子の男の子を押し付けられて、大迷惑をこうむるが、2.3日置いてやるうちに、可愛いくなってきて、自分の家の子にしようと決めたところに、行方知らずの息子を探していた父親が現れる。後家さんはそれを喜ばざるをえないほろ苦い話だ。その後家さんを角替和枝が演じる。この角替の様子も芝居も、往年の松竹映画の名脇役・飯田蝶子にそっくりの面白さ。他の役者も、そのころの松竹の脇役陣の坂本武、川村黎吉、日守新一、殿山泰司、吉川満子、桜むつ子などを思い出させる芝居をしていたな・・・。東京の下町に暮らす人々の冷たいような、あったかいような人情の機微は銀座生まれの柄本が熟知している世界で、独特の雰囲気を醸しだした芝居だった。

★★作:ジョージ・タボーリ、翻訳:新野守宏、演出:仲村崇、劇団俳優座文藝演出部 演出発表会、俳優座稽古場。キリストの受難劇を上演する劇団のステージドアもの。作者は父親がナチスの強制収容所に入れられた入れれユダヤ人の息子で戦後もドイツに居住した。この芝居は聖書の知識がないと享受できにくいし、ユダヤ人がキリストを描く複雑さも潜在しているようだ。しかし、3時間の手ごわい芝居を、ちゃんと上演を成し遂げて、ドイツの問題作を紹介したのは意義のあることだ。それにこれを1000円の料金で観せたのも良心的だ。
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by engekibukuro | 2010-10-30 10:53 | Comments(0)  

10月27日(水)S「かもめ」MODE あうるすぽっと

原作:A・チェーホフ、構成・演出:松本修。
 開幕、音楽、舞台奥から難民の群れのような登場人物が、コート、帽子の姿でゆっくりとと現れる。このシーンは、松本の基本イメージの一つ。舞台中央に四角のプレート。その左右に椅子が並ぶ。俳優はそのプレート上で演じる。演じ終わると左右の椅子にもどり、次のシーンをみつめている。前幕は人物たちを戯画化する。トレープレフは極端なかんしゃくもち、ニーナの台詞は切り口上。みな、愛すべきろくでなしだ。それぞれがそれぞれの桎梏から少しでものがれようとして、勝手に振舞う。後幕は前幕との人物たちが過ごした時間の経過の刻印を帯びて、雰囲気は暗く沈んでいる。中央の壇上の舞台をみつめる俳優たちを客席から壇上の芝居と同時にの観ているると、独特の距離感が生じてイメージがくっきり残る。松本は、召使や女中ら下働きたちを芝居のアクセントにして深みを増す。背後に湖を描いた簡素な絵がかかっている。その絵が嵐の音響とゆれううごく照明で変化し終幕に向って不穏な気配をましてくる。トレープレフの自殺、かもめの剥製が舞台中央にくっきり浮かぶ。チェーホフをほぼ知り尽くしている松本の新しい試みは、またチェーホフの魅力を引きだした。音楽の使い方の素晴らしさはここでもで、松本は舞台音楽の選択、使い方では劇界随一の演出家だ。

▼メモ。図書館で今月の雑誌を読む。文藝春秋、中央公論、新潮45、文学界、小説新潮の佐藤優の連載を読む。群像の柄谷行人「世界史の構造ー世界同革命」をめぐって、柄谷、奥泉光 、島田雅彦の鼎談。世界同時革命とは柄谷によれば、憲法9条の完全実施、武装放棄を実現すること。この世界に対する贈与が強力な力になり、世界同時革命を誘発するというもの。実現?だが、イメージとしては魅力がある。
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by engekibukuro | 2010-10-28 10:56 | Comments(0)  

10月26日(火)・本の紹介

・KKポスターハリス・カンパニーの代表取締役の笹目君から新著が贈られてきた。
 笹目浩之「ポスターを貼って生きてきた。-就職もせず何も考えない作戦で人に馬鹿にされても平気で生きて生きてきいく論ー」(PARCO出版)
 著者は茨城から上京してきた19歳の浪人時代に、寺山修司の最後の演出だった<演劇実験室◎天井桟敷>の「レミング 壁抜け男」を観ていっぺんに演劇の虜になった。著者は”10歳の時に寺山さんのy演劇に出会い人生を貼り替えられた”という。そのあとたまたま元寺山夫人の九條今日子さんに西武劇場で上演された「青森県のせむし男」のポスターを貼ってきてくれないかと頼まれたのが、その後の人生を決定付けたのだ。この本の構成は・はじめに 考えはじめたら起業なんてできない・第1章 「ポスター貼り」誕生・第2章 ポスターハリス・カンパニーを作る・第3章 ポスターハリス騒動記・第4章 ポスターのある街・第5章 ポスターの意味・第6章 ぼくが好きなポスターたち・あとがき ぼくはポスターを貼り続ける。そして当初に心に決めた「三か条」は一、酒の席では絶対に仕事の話をしない。ニ、ポスターの制作までは引き受けない三、小劇場の人とは知り合いにならない。むろん中心は演劇のポスター貼りだが、演劇界とのつかず離れづの絶妙な関係を維持しながら今日の大成を築いたのだ。会社を設立したのが23歳。この本にはポスターを貼らせて貰う様々な飲食店とのつきあいのノウハウや、エピソードが多彩に綴られている。演劇界のその時々の消長にあわせて仕事を広げ、時には演劇の制作にも手を染め、飲み屋のオーナーになったりもする。10周年記念には「ウルトラ・ポスターハリスター・コレクション展」を開き、ポスターの蒐集・保存の事業も始めた。外国でも日本の「ポスター展」を開催した。この本で紹介したい記述は沢山あるが、重要だと思われるのは、状況劇場のポスターを描いた横尾忠則や、黒テントでの平野甲賀、天井桟敷での宇野亜喜良などのデザイナーの出発点がアングラ演劇のポスター製作だったこと。彼等のその当時のポスターは一目見るだけで、その舞台が髣髴と浮かび上がってくる。一枚のポスターの裡に芝居が全部含まれているのだ。今は宣伝物としてはチラシやネットが中心になってきたが、あまりに多量のチラシや便利すぎるネットなどは、相対的に効果が薄くなってくる。笹目は”大きいから目立つ、動かないから目立つーデジタル全盛の時代に、このアナログの「動かないから目立つ」という、原始的であるが、だからこそ強いポスターの特性は、チラシとはまったく違うものとして再認識されていいのではないか”と書く。笹目は2009年に、青森県三沢市にある寺山修司記念館の副館長に就任し、指定管理者として館の運営を任されるかことになった。19歳で寺山に人生を張り替えられた男の到達点だ。先日紹介した「寺山修司に愛された女優」を書いた山田勝仁もそうだが、寺山には若ものの人生を貼り替える思想の力と魅力があるのだ。演劇は素晴らしいが、同じアングラでも唐十郎や佐藤信とは異なる特性だ。
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by engekibukuro | 2010-10-27 11:19 | Comments(0)  

10月24日(日)「おそるべき親たち」tpti

作:ジャン・コクトー、台本:木内宏昌、演出:熊林弘高、東京藝術劇場小ホール。
 まことに見事な舞台だ。中嶋しゅう、佐藤オリエ、麻実れい、中嶋朋子という現在の日本の俳優の最上位の実力俳優がその実力を存分に発揮し、新人の満島真之介も要の息子の役をベテランのおじけずにアンサンブルにきちんと参加している。とくに久しぶりの佐藤オリエが舞台を圧する存在感をしめし、劇の中核を担ってあますところがない。これだけの俳優を揃えられるtptは根拠地ベニサンピットを失っても、底力の持続があきらかになってほんとうに嬉しい。
 上流階級の崩壊する家族を、ビター風味の喜劇性をおびさせながら、コクトーはゲームのように冷酷に追い詰めてゆく。次の展開が読めない、シチエーションの意外性が外の世界から切り離された室内劇ながら、ドキドキさせるようなミステリアスで精巧な機械を組み立てるような作劇術。これをほぼ完璧に舞台化できているのは演技陣をうまく統括できた演出の力だ。上流階級の家庭の腐敗から脱出するため、下層の健気に生きている女性を崩壊劇の巻き添えにしてしまう悲劇。前世紀のブルジョア演劇の最後の光芒を感じさせる舞台だった。ただ、舞台の出来が完璧だからこそだからと思うが、観終わって原因不明の一種の嫌悪感が残る。これは多分、あからさまなラストの母子相姦のシーンからくるのだろう。近親愛が人間社会を崩壊させる人類普遍のタブーであることが如実に感じられたからだろう。
▼メモ。シアターアーツ劇評講座「ポストドラマ演劇」が東京藝術劇場の会議室で開かれた。新野守宏さんの司会でゲストは錬肉工房の岡本章さん、慶応大学準教授のドイツ演劇専攻の平田栄一朗さん。レーマンの名著「ポストドラマ演劇」を中心にした講座だが、3人の話で理解があいまいだった「ポストドラマ演劇」がすこしづつほぐれてわかってきた。
・ナ・リーグのリーグ優勝はサンフランシスコ・ジャイアンツ。強豪フィリーズにを競り勝った。ア・リーグはレインジャーズ、両リーグとも新興勢力の台頭でワールド・シリーズが楽しみだ。
・「菊花賞」ずううと追いかけてきたヒルノダムールがこここそと思って勝負したが、こなかった。
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by engekibukuro | 2010-10-25 12:49 | Comments(0)  

10月23日(土)M★弘前劇場★★唐組

★「地域演劇の人々」(作・演出:長谷川孝治)アサヒ・アートスクエア。
 地域演劇の人々の活動を全面的に描いてゆく芝居だと思って期待していったが、一寸趣が違って、長谷川の「プラタナスの夜」という芝居の稽古風景を中心にして、劇団員の生活、劇団の有力者の死、中国から客演に来た女優の話などを点描してゆく芝居で、少し拍子抜けした。だが、長谷川の特有のリリシズム、独特のテイストはきちんと確保されていた。まずは満足だ。
★★唐組は珍しく2本立て。雑司が谷・鬼子母神境内。
・「ふたりの女」(作・演出:唐十郎)。紫式部が描いた葵上と六条御息所の物語の唐十郎版だ。光源氏の精神科医光一は稲荷卓央、精神病患者を装う六条と光一の身重の妻アオイを藤井由紀が二役演じる。この芝居は唐が第七病棟に書き下ろした作品で、石橋蓮司と緑魔子が演じた。この舞台は二役を演じ別けた藤井が素晴らしい出来だった。稲荷は二人の女に翻弄される光一の情けないようで、健気な男の色気を放散させていた。気がたち、気が鎮まる唐独特の鎮魂劇だ。
・「姉とおとうと」(作・演出:唐十郎)。クラブ<ダリヤ>につとめる姉・沙万砂(サマンサ)とおとうと一馬な絆が強すぎる強すぎる。ほうとに血をわけた姉・おとうとか・・。<ダリヤ>のボーイ主任が沙万砂のために運んできた盥は、鹿児島のおばあちゃんが貸してくれたものだった。その盥で鹿児島の天草を洗う。天草はカンテン、話はカンテン・みつ豆屋の押入れへ・・・。沙万砂を赤松由実が演じて、あとは若手と唐。若手を唐の芝居になじませる育成舞台のようだ。若手が夢中で頑張っていた。
・テントに老若男女の客が一杯。唐の芝居は、今の悪い時代に生きている人々の心を底の底で癒すおおきな作用があるようだ。やはり凄い演劇者だと改めて感じる思いだった。
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by engekibukuro | 2010-10-24 10:57 | Comments(0)  

10月21日(木)S「新宿八犬伝ー犬街の夜ー」新宿FACE

作・演出:川村毅、TFACTORY。
 新宿八犬伝第五巻ー最終巻だ。第一巻「犬の誕生」(岸田国士戯曲賞受賞作品)誕生から25年たった。25年前のあのももうたる熱気を思い出せば、誰しも最終巻は期待しないほうがおかしい。それに初演の舞台にでていた有薗芳記、宮島健が出ている。それに最近まで唐組にい丸山厚人も、いまや川村芝居の常連、小林勝也、手塚とおるも・・。しかし、芝居にはのりきれなかった。だが、これは新宿の街があまりにも変貌して、歌舞伎町も怖くはないが全くつまらない街になってしまったことを思えば、今の新宿が劇作に与える刺激がなにもないのが明白なのだ。作者が悪戦苦闘しても今の新宿は演劇的にも蘇らない。この街のつまらなさは、東京ひいては現在の日本につながるのかもしれない。時代の変貌をまざまざと感じさせた舞台だった。

▼メモ。大リーグ、ナ・リーグ地区決定戦、サンフランシスコ・ジャイアンツとフィラデラフィア・フイリーズの試合は普段あまり見られないナ・リーグの試合だが、ファインプレイの連続、打線の切れ目なさ、観客の熱狂、球場全体の一体感、ジャアイアンツが勝ったが、素晴らしいゲームだった。やはり、ベースボールはアメリカ文化の中心だな・・・。
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by engekibukuro | 2010-10-22 08:56 | Comments(0)  

10月20日(水)M★「じゃじゃ馬ならし」S★★「Diana」

★作:W・シェイクスピア、演出:蜷川幸雄、翻訳:松岡和子、彩の国さいたま藝術劇場。
 1998年にはじまった「さいたまシェイクスピア・シリーズ」の23作目。この舞台は「お気に召すまま」からはじまったオールメール・シリーズの5作目だ。主役ふたり、キャタリーナが市川亀治郎、ペトルーチオが筧利夫。このふたりがは傑出していて、満員の客席をさらう。亀治郎が歌舞伎のテクニックを縦横に駆使し要所をキメる。第三舞台で鴻上尚史に、またつかこうへいに鍛えられた筧が長台詞をものともせず、舞台せましと暴れまわる。このふたりの丁々発止の掛け合いが舞台の大目玉になって、愉快千万な舞台が出来上がった。

★★構成・演出・振付:謝珠栄、脚本:篠原久美子、作曲・音楽監督:林アキラ、TSミュージカル、東京藝術劇場小ホール。
 異父二卵性双生児という珍しいケースで生まれた姉妹の物語。だが、先に生まれた姉は死んでしまい、妹だけが生き残る。この姉がそのときの父母の子で、妹は母が強いられた不義の子だった。複雑な家族関係で妹は父母の死のあとそのことを知り、姉が死に自分が生き残ったことで悩みぬく。あるとき自分がおこした交通事故で留置場にいれられた。そこに死んだ姉が現れ妹の悩みをやわらげ、元気付ける。家族というものの根底を考えさせるミュージカルだった。姉を姿月あさと、妹は湖月わたるが演じ、今拓哉、平澤智、水谷あつしが様々な役を助演する。ラストの姿、湖月の絶唱が、数奇な運命のもとに生まれた姉妹の愛、死んだ父母の叫び潜ませて感動的だった。
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by engekibukuro | 2010-10-21 12:28 | Comments(0)  

10月19日(火)M「グロリア」(作・演出:早船聡)

ハイリンド+サスペンデッズ、劇小劇場。
 第二次世界大戦末期の日本軍が、和紙でつくった直径約10メートルの風船に爆弾を吊るしてジェット気流にのせて飛ばした。これがアメリカ本土爆撃を目的にした風船爆弾だ。約9000個放たれたが、そのうち一個がアメリカ・オレゴン州で不発弾に触れたピクニックにきた女性一人の子供5人が爆死した。
 この芝居の幕開き冒頭の場面は、このアメリカ人の爆死のシーン。次のシーンは現代の日本の病室で、祖母の臨終にたちあう倒産寸前の会社の社長がいる。病院では祖母が書いた自分史が評判で、戦時中風船爆弾に係わったことが書いてあるらしい。ここから一挙に戦時中に戻り、女学生だった祖母一家の生活が描かれる。ただ、爆弾をつくったようなシーンは出てこないので、爆死したアメリカ人と戦時中の女学生の関連が曖昧で、なんだか腑に落ちない芝居だった。

▼メモ。津野海太郎著「したくないことはしない 植草甚一の青春」を読んだ。植草はわたしの密かな師だ。映画もミステリーもジャズも海外文学も植草から学んだ。殆ど全部読んでいる。感覚とイメージを基礎にした映画や小説への接し方が、当時の左翼教条主義の硬直したつまらなさから救ってくれた。10代で読んだ「映画の友」のたくさんの洋書をヒモで縛って、それをもってタクシーにのりこむ写真と、そこに書かれたモダンジャズについての文章を読んだときの衝撃が忘れられない。そのころはまだマイナーだったが、いつかブレークするのを確信した。案の定、植草は60歳すぎてから大ブレークして、若者の憧れの的になった。この本は、ほとんど知っていることが多いが、わたしの記憶の抜けた箇所や未知の事実や新しい知見で補完してくれた。全巻舌なめずりするようにして読んだ。
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by engekibukuro | 2010-10-20 11:02 | Comments(0)  

10月18日(月)本の紹介

 山田勝仁著「寺山修司に愛された女優ー演劇実験室◎天井桟敷の名華・新高けい子伝」(河出書房新社)。
新高は寺山と同じ青森生まれの女優だ。高校卒業後上京して、美人喫茶、アルサロで働き、文化放送のミスQRに選ばれ、その後キャバレー歌手、CMタレントを経て、ピンク映画の女優になり、それを寺山に見出され天井桟敷の女優になった。天井桟敷では寺山の芝居の主役を寺山が亡くなるまで張り続けた。
 この本は新高の波乱万丈の伝記を山田が新高にインタビューして書き上げた。むろんそれが中心だが、新高をとおして寺山修司と天井桟敷の歴史を描いた本でもある。天井桟敷の国内、海外の公演の軌跡、天井桟敷に参加した俳優、スタッフの人物像を描き、日本の戦後演劇での寺山と天井桟敷の位置、世界での評価を綿密に跡付けた。その叙述を読むと、寺山演劇が、唐十郎の紅テントや佐藤信の黒テントとならぶアングラ演劇だというカテゴリーをはるかに超えた存在だったということを如実に理解させる。寺山の言語や想像力の多彩な広がりや、思想の深さはほかを圧して屹立しているのだ。
 しかし日本では寺山演劇は異物視されて、正当な理解をされず、その真価は海外で評価された。ロンドンの英国王立アカデミー・オブ・ドラマテイック・アートの校長・ニコラス・バーター(演出家)は「ロンドンで真に評価された日本の演劇人はテラヤマのみだ。ニナガワ?ノー」と言ったという。
 寺山が亡くなったとき、新高は「私が寺山さんに出会ってからの十六年間の人生は、すべて寺山さんの藝術に捧げてきました。この先、私はどうすれば・・・」と叫び、天井桟敷が解散した後、ほうぼうから仕事の依頼があったが、「私は寺山さんの作・演出でなければ舞台にたちたくないんです」と断り、女優生活に終止符を打つ。・・この本はさまざまなエピソードがちりばめられた楽しい本でもある。山田は後期の天井桟敷の芝居に通い詰め、”「天井桟敷」を通過した多くの人々がそうであるように、私の人生も寺山修司に統べられたのだった。・・・・・・・寺山修司は私の中で現在進行形で生き続けている”とあとがきに書いている。その現在生きている寺山を書く敬愛と愛着の深さは、類書にない切実感があり、それが現在の日本の演劇の欠損をも示唆している。山田はわたしの年来の友人だが、わたしのような寺山の舞台もあまり観ず、新高についてもピンク映画の女優のほうが印象に強いような人間の蒙を啓いてくれた。唯一の大きな寺山・天井桟敷体験は渋谷公会堂での「邪宗門」凱旋公演の大騒動だが、この公演についての記述も記憶を改めてくれた。
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by engekibukuro | 2010-10-19 11:22 | Comments(1)