<   2010年 11月 ( 25 )   > この月の画像一覧

 

11月29日(月)S「トナカイkを数えたら眠れない」

作・演出:土田英生、MONO、座・高円寺。
 MONOの水沼健、奥村泰彦、尾方宜久、金替康博、土田英生jの意気のあった芝居は、演劇界での有数の見もので、実に楽しい舞台だ。今回も、大学でボート部の部員だった3人の男が、年に一回クリスマスに小さなホテルに集まり、一泊する。世間のクリスマスの賑わいを、日本人にはクリスマスは意味のお祝いだとクリスマスを拒否するのが、この3人のポリシー。ホテルの女性オーナー(亀井妙子)も3人に同調している。そこへ、オーナーの妹(山本麻貴)がやってくる。土田のオーナーの旦那もちょこまか働いていて、3人とオーナーはトランプ遊びに興じている。このトランプをしながらの、奥村、尾方、金替の会話がMONO調のサンプル、土田の台詞も冴えに冴える。
 そこに妹の知り合いだという奥村泰彦のケーキ職人が、豪華なクリスマスケーキをもってやってきた。それからは、このケーキを食べるかどうか、クリスマス反対の強硬派と軟弱派の抗争になって・・・。ここまでは実に面白い。土田がパンフで今回は、台本を書くのに難渋して、スタッフ・キャストに迷惑をかけたと書いている。
芝居の後半は、オーナーの妹と旦那が付き合っていると、妹自身が断言、それは”おネイちゃんへの仕返し”だと・・・。この姉妹の小さなころからのネタミ、ソネミの話しになり、芝居が土田らしくない、芝居に昇華できないベタっぽい感じになってしまった。土田が難渋したのが汲み取れるようで、いつものMONOの芝居らしくない後味があまりよくない芝居だと感じざるを得なかった。
[PR]

by engekibukuro | 2010-11-30 10:44 | Comments(0)  

11月28日(日)M「演劇「津軽」主催:青森県立美術館

原作:太宰治、潤色・脚本・演出:長谷川孝治(青森県立美術館舞台芸術部門・藝術総監督&弘前劇場主宰)
全労災ホール/スペース・ゼロ。太宰を村田雄浩、紀行作家Kを川上麻衣子が演じるほかは、弘前劇場や地元の俳優が出演した。太宰が故郷・津軽の旧友を訪ね、自分のしらない津軽の土地を知る旅を書いた小説の舞台化。旅する太宰の後ろには、16歳の津島修治(太宰の本名)がマントを羽織り、学帽をかぶった姿で付いて回る。太宰修治と自問自答を重ねながらの旅だ。そして、この修治の姿と同じ服装をした10数人の若者の一群が、一輪車を舞台を所狭しと自由自在に乗り回わす。これは、修治の心象風景でもあり、パンフでは「太宰の作品たち」と書かれている、それらの象徴化だ。実際、この一輪車のパフォーマンスは素晴らしい疾走感で舞台を席捲、客の目を奪い、大きな見ものになった(豊田児童センター一輪車クラブ)。このパフォーマンスの舞台での比重がおおきすぎて、肝腎の太宰の旧友との再会や、現在の時間の太宰の読者の紀行などの話があまりうまくまとまらない形になってしまったが、長谷川はラストの太宰が、自分を幼少時から育ててくれた小泊に住む乳母のたけに会うシーンで挽回する。たけと太宰の問答は、太宰の本性、裸の姿をさらけだす。このたけを演じた対馬てみの演技は、長谷川の持論”東京の俳優は技術で演技するが、地方の俳優は魂で演じる”という言明の具現化で、太宰を読み返す切っ掛けにもなりうるシーンだった。カーテンコールで対馬が感極まって涙を浮かべると、隣の村田が肩を支えている情景は心に沁みるものだった。
▼メモ。今日の客は、弘前劇場の客とは違う、美術館の集客のようだ。休憩に青森の地元の食材での弁当が、全員に配られた。蟹の身がはいっている、かにおにぎりとか、美味いお弁当だった。このお弁当の魅力があってか、客は開場時から満員、2日間の公演だが成功したようだ。
・孫がきた。歩行ができるようになった。
[PR]

by engekibukuro | 2010-11-29 11:31 | Comments(0)  

11月27日(土)M「野がも」ベルリン・ドイツ座

国際イプセン演劇祭・作:H・イプセン、演出:ミヒャエル・タールハイマー、あうるすぽっと。
 ポスト・ドラマ演劇という概念が、なかなかつかみきれなかったが、タールハイマーの、この舞台を観て解ったような気が十分した。新鮮で素晴らしいぶたいだった。舞台全面を斜面の回り舞台が占める。俳優達はその斜面を上り下りする。その不安定な行動が、この戯曲の核心を感受させる。また、舞台前面にとってあるスペースで、俳優がほとんど直立して台詞を語る。俳優は現代服。イプセンの時代の装飾は一切ない。まさに現代人のイプセン。戯曲から、人物たちの生の強度のみ抽出して、俳優は演じるというより自らの役を個々に造形する。それによってそれぞれの役の深度が深まり、感情が制御の限界まで高まる。物語そのものは、エキセントリックな正義漢が、人間誰でもの嘘もあるフツウの人生をなんとか送っている人間を破滅させるというもの。そのふつうの、どこにでもいる人々の悲劇が、人間存在の普遍的な悲劇性として、スリリングに舞台に屹立した。特に最後に自殺する少女ヘドヴィクを演じたヘンリッケ・ヨリッセンの演技は忘れられない。ポストドラナ演劇という演劇の革新をはっきり感じさせた舞台だった。

▼メモ。おもろで谷岡健彦さんに会う。重に俳句の話。谷岡さんの近作。
  ・靴音のくっきり尖る世寒かな   ・竜の吐く此岸の水の澄みにけり

・息子一家をよんで、誕生祝を強行するため、すね肉でビーフシチューをつくる。ワインを1本(もちろん安ワインだが)、どぶどぶ鍋にいれるのは気分がいい・・・。
[PR]

by engekibukuro | 2010-11-28 08:13 | Comments(0)  

11月26日(金)S「くにこ」(作:中島淳彦、演出:鵜山仁)

文学座、紀伊国屋サザンシアター。
 向田邦子の少女時代から、放送作家デビューまでの半生を描いた芝居。父、母、祖母、妹二人、弟一人の家族。父の転勤で転校を重ねるくにこ。亭主関白の父、それに従順にしたがって一家を切り盛りする母。そういう家庭で育ち、妹、弟だけでなく、友人にも親切で、転校先でも友人に慕われ、先生にも認められたくにこ。それでいて、突拍子もないユーモア感覚の持ち主で、人を唖然とさせるくにこ。背景には戦争をはさみ、青春時代を戦争にとられる、昭和の歴史が流れる。芝居のハイライトは、戦後、就職した教育映画の会社で妻子もちのカメラマンと不倫の関係になり、それと重なって父が女を囲いだし、母が激怒、一家が崩壊する事件が出来する。くにこは母のつぎだらけの足袋をもって父の女の家に乗り込み、父と別れてくれと強談判して、結局事態を収拾する。しかし、自分のしていることとのあきらかな矛盾に悩む・・・。その後、雑誌社に転職、文才を認められて、作家としてのデビューがみえてきたところで終わる。劇のトーンとして、シューベルトの「野ばら」が歌われる。この歌の詩を書いたゲーテがある少女に恋をして棄ててしまう。野ばらを摘んで棄てて、少女がばらのトゲをゲーテに刺す。少女も一生独身ですごし、ゲーテもそのトゲを抜けなかった。これがこの芝居の男と女の関係の主調低音として伏在させた。くにこの栗田桃子がくにこの人間像をきちんと示す重責を果たし、父の角野卓造、母が山本郁子、祖母が塩田朋子、ほかに関輝雄らのベテランが舞台を支えた。中島の苦心の台本が効を奏し、鵜山が緩急自在に演出し、見応えがある向田邦子の半生だった。ただ、文学座の俳優が昔と比べて生活感を流露する技がとぼしくなったという感じも否めなかった。
▼メモ。F/Tの飴屋法水の「わたしのすがた」の受付開始の12半ににしすがも創造舎に行ったら、もう長蛇の列で結局締め切られてしまった。飴屋の作品は殆ど観ているので残念至極。飴屋は演出、アート作品も面白いが、俳優としてもとてもユニークで、最近では新転位21の秋田の子供殺しの芝居など忘れられない。
・内田樹×石川康宏「若者よマルクスを読もうー20歳代の模索と情熱」を読んだ。読者対象が高校生だという。近頃の高校生は、この本を理解できるくらい程度が高いのかと驚く。まあ、主として、20歳代で「共産党宣言」や「ドイツ・イデオロギー」を書いた、その情熱や生活や、文章の熱気を紹介するのが主だから読めるのだろう。難解な内容の話は、続刊かららしい。マルクスの著書は、親が左翼だから家にあったが、全然読む気がしなかった。まともに読んだのは「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」だけだ。これは面白かった。この本も石川と内田が良く噛み合っていてジジイでも読みがいがあった。これからマルクスを読むのは、このトシではなあ・・・・。
[PR]

by engekibukuro | 2010-11-27 09:51 | Comments(0)  

11月25日M★ザ・スズナリS★★西池袋・スタジオP

★「アジアンスイーツ」(作・演出:鄭義信)。この芝居は2004に癌により逝去した女優・金久美子のために、余命いくばくもないことを知った、黒テント、新宿梁山泊以来の盟友ウイシンが急遽書いて上演したものの再演だ。今年七回忌、その供養公演である。初演のときは、彼女のことをしっていたから舞台では彼女しか目に入らなかったが、今回観ると、ウイシンがたいへん気を使って、病気のことを忘れさせるような一種の喜劇仕立てにしたのがよくわかる。久美子のことを知らない人が大勢いるだろうに劇場は満員。いい供養になったようだ。登場人物は4人、びっこの姉(鶴田真由)、弟(新納慎也)、母(根岸季衣)、姉の男(清水宏)の4人。姉は子供のころの事故でびっこだ。この芝居は同じびっこの姉がでるT・ウイリアムスの「ガラスの動物園」を踏まえている。それと金久美子も実の弟と仲がよかったのもウイシンは踏まえているのだろう。話は、兄弟の父と離婚し、さらに2回結婚して失敗してしまった母、派遣をリストラされた弟、細々と婦人服の仕立てをして実家を守っている独身の姉のところに正月を迎え暮れに来ている。そには倒産して妻と不仲になったかっての姉の恋人が姉を手伝いながら住みついていた。母はこの男を嫌っていて、会うたびに喧嘩する。この母を演じる根岸と男を演じる清水が、一発芸すれすれのところの快演で客席を沸かせていた。芝居もじつに良く出来ていて、独身だった久美子のためにウイシンがラストにウイニングドレスを着せた場面も、今回は鶴田が着ていい場面になった。カーテンコール3回の大盛況だったが、わたしはちょっぴり引いた。どうも頻発したハチャメチャシーンもラストの予定調和を想定したものじゃないかとも思い・・・・。ウイシンの作劇術のうまさを認め、彼の芝居は大好きなのだが(黒テントでの処女作から観ている)、引いた原因が不確かなのが悩みのタネだった。
★★「帽子屋さんのお茶の会」(不思議の国のアリスの)(作:別役実、演出:小笠原響)Pカンパニー。木山事務所から独立したメンバーが設立したPカンパニーは林次樹を中心にして活動している。このカンパニーを林君を初舞台から観ているファンだし、個人的に林君のお父さんが高校のときの先生(国文学者の林巨樹先生)だったりして、応援している。別役作品を主に上演していて、なかなか面白い舞台を創ってきた。だが、今回はにれなかった。どうもこういう別次元の世界をつくりあげないと成立しない芝居は、俳優がもっとキャラクター作りを工夫しないと索然とする。今回はそれがうまくいっていなかった。
▼メモ。昨24日、とうとう74歳になっていまった。
[PR]

by engekibukuro | 2010-11-26 11:14 | Comments(0)  

11月AICT/IACT国際シンポジウム・オン・アジア

  最終日

 講演「同時代演劇における多文化的シェイクスピア」 Andrzej Zurowski(ポーランド)

 講演「西洋からの視線ーヨーロッパの演劇評論家の認識」 Ian Herbert(イギリス)

 両者とも日本からのヨーロッパ公演では、<りゅうとぴあ>の栗田演出の「ハムレット」の評価が高かった。
能仕立ての「ハムレット」だ。

 総括討議では、野田学さんが、英語でしゃべって、それをすぐ日本語に直す、一人同時通訳で、
たいした語学力で感服した。かくして準備が大変だったそうだが、シンポジウムは成功裡に終了した。
  
・にしすがも創造舎へ飴屋法水「わたしのすがた」を見に行ったが、もう締め切り満杯で見られなかった。
[PR]

by engekibukuro | 2010-11-25 07:04 | Comments(0)  

11月22日(月)M「3分間の女の一生」(作・演出:坂手洋二

燐光群、座・高円寺k。
 竹下景子が演じる”女”は、高度成長期に3分間でなにができるか、3分間での各種要件、運動の習得法を書いた”3分間シリーズ”の著者で、「3分簡」についての絶対感覚と称すべき能力の持ち主で、3分ぴったり息を止めていられる。舞台はカップヌードルは初めて発売され、3分間で出来上がり、爆発的に売れた時代の躍動感を冒頭に置く。竹下、円城寺あや、さとうこうじ、小山萌子、さとうこうじ、笹野鈴々音ら客演陣が全体に舞台を弾ませる。できるだけ短時間で習得し、結果を出せば収入が増大する時代、ポジテイブな”時は金なり”の時代が会ったのだ。その3分間シリーズを検証するような形で、エピソードが重ねられてゆく。しかし、わたしは毎朝ポーチドエッグを3分間砂時計で計って作る以外、3分間は全く自分の単位になったことはないから、3分間、3分間と累乗されてくると、なんだか索然としてくる。ただ、ラストの猪熊恒和扮する沖縄の漁師が、3分間のすもぐりの方法を”女”に習いに来て、それを使って、普天間県内移転のため防衛庁の違法の水中調査を阻止しするため、水中で座り込み、機動隊と戦うシーンは坂手以外書けない、アクチュアルで今の演劇でしなければならにことの貴重な実践だった。

▼メモ。川名大著「挑発する俳句、癒す俳句」(筑摩書房)を読んだ。俳句には全く門外漢だが、現代俳句の多様な面白さの匂いをかぐことができた。俳句はすぐ近ずくことが出来るようでいて、大変難しいものだということが難得できた。それにしても、中村草田男、西東三鬼、富澤赤黄男、飯田龍太、すごい句だ。
 ”蝶墜ちて大音響の結氷期”  赤黄男、”水枕ガバリと寒い海がある” 三鬼
[PR]

by engekibukuro | 2010-11-23 11:34 | Comments(0)  

11月21日S★東京藝術劇場小ホール2、★★同ホール1

★「この雨ふりやむとき」(作:アンドリュー・ボヴェル、演出:鈴木裕美)tpt
ボヴェルはオーストラリアの劇作家。オーストラリアとロンドンが舞台。ある家族の三代にわたる歴史を描いた芝居だが、時系列を追わず、出来事の場所も関連しない。現在、過去の中心的な出来事を謎のように提示して、つずりあわせてゆく。すべての場面、外は雨だ。シーンの切れ目は、雷鳴の轟き、豪雨の雨音で区切られる。そのため、最初は、誰が誰の子供でとかが解らないまま進んでゆくので、ジグソーパズルのピースのような感じで、それを解くのが芝居の見所の要素になっている。鈴木は、とくに説明的な演出をしない。出来事の強度そのものを強調する。観てゆくうちにパズルを解く楽しみと、家族の歴史が、人間というもの、家族のつながりというものの底なしの哀切感が並立して、味わい深い舞台が出来上がった。鈴木のテキストの読みの深さが如実に感じられた舞台だった。峯村リエ以下の俳優陣もよく鈴木の意を呈していた。tpthは前作「恐るべき親たち」に続き、芸劇小ホールでの公演、池袋への進出は大成功だ。
★★「-ところでアルトーさん、」(演出:三浦基、原作:アントナン・アルトー、翻訳・構成:宇野邦一)地点、F/T参加作品。舞台空間の中央に大きな台が設えられ、台の後部にアルトーの肖像がおかれている。周知の三浦・地点特有のセノグラフイーの元で、アルトーへの言及の言葉が、句読点変異の朗唱、擬音的音声などが屈曲変異する身体によって演じられる。三浦ワールドのスペクタクルが、俳優個々の一種の前衛芸で展開されるてゆく。今回面白いのは、三浦ワールドがアルトーを使って三浦・地点優位に完結せず、アルトーのテキストの朗唱自体からテキストの深度の力が三浦ワールドを食い破って、アルトーの言葉、思想が現前したことだ。三浦はアルトーとの交流を見事に果たした。それは、アルトーを知らない、なにか高踏的な演劇論だと思っていた客にアルトーの魅力を伝えていた。「残酷演劇」とは身体的な危害のようなものではなく、明晰な強度そのものの謂いであることを、この舞台そのものが示したのだ。
▼メモ。9時半からあうるすぽっとの会議室で、AICT/IACT国際シンポジウム・オン・アジア「国際共同制作と批評の役割」の「日本・韓国国際共同制作」のシンポジウム。司会:西堂行人、パネリスト:鄭義信、金潤哲、金享起。金潤哲の講演「韓国の現代演劇」と鄭義信の「焼肉ドラゴン」をめぐっての討論が行われた。なかなか刺激的な面白いシンポジウムだった。韓国で上演されいる日本の劇作家の筆頭は平田オリザで、次が坂手洋二、鄭義信だそうだ。この順位は日本からみるとちょっと不思議だ。
[PR]

by engekibukuro | 2010-11-22 11:24 | Comments(0)  

11月20日M★東京藝術劇場S★★あうるすぽっと

★「巨大なるブッツバッハ村ーある永遠のコロニーー」(演出:クリストフ・マルターラー)F/T参加作品。
 ポストドラマ演劇の見本のような作品だろう。これがポストドラマ演劇かとなっとくできる。物語りも劇的対話、劇的人物もでてこない。ただリーマンショック以後の金融危機による経済破綻後の世界に生きる人々という枠組みはあるようだ。その人々の生活や振る舞いの断片を、コラージュして、そのコラージュの触媒にバッハからリリ・マルレーンまでの様々な音楽を使い、気休めのような祈りのような合唱、ヘタウマな楽器演奏など、なんとかこの無味な世界を生き延びる、しのぎの数々のシーン・・・。大勢の俳優が一人ずつ舞台の前に出てきて、ちょっろっとした動きというか、ひざをまげたりして、奥に消えるてゆく、この動きを延々と繰り返す。全くのナンセンスで、それぞれの俳優の味があるといえばあって笑えるといっても、薄笑いだ。この薄笑いを持続させるのがマルターラーの腕か。たしかに、いまの世界は意味のあるものは何もない。だからヘンテコな、トリビアルなことに夢中になり、それに音楽があればなんとか過ごせるというのは、ポストドラマ演劇のアクチュアリテイなのだろう。時々得体の知れないなにかが破裂する大音響や凶兆を告げるような野鳥の鋭い鳴き声が聞こえてくるが・・・。
★★国際イプセン演劇祭:ベトナム青年劇場「人形の家」(演出:レ・フン)。この舞台はマルターラーとまったく違う、初々しいドラマだった。舞台がなにかメルヘンチックで、舞台中央の時計におおきなハート型の振り子がつている。少々大時代な、芝居の山場にクラシックの名曲を流すような場面があるが、新解釈々の「人形の家」の続出する中では、素朴でノーラの初々しい姿をきちんとみせるのはかえって新鮮だ。ノーラに扮するチャン・マイ・カンという女優がきれいだし、役にのめりこんで演じている姿がとても素敵だ。ほかの俳優たちも一生懸命演じていて、日本の新劇の初期も、こういう風じゃなかったかと思わせた。ラストのノーラの家出は、ハート型の振り子を鳴らし、客席通路に下りてゆく・・・。客の注目の中に、これはよかった。
▼メモ。おもろ。夜芝居なので、泡盛一杯とソーメンチャンプル。カップルは歌舞伎で、あとの常連もこなかった。さびしくあうるすぽっとへ。
[PR]

by engekibukuro | 2010-11-21 00:49 | Comments(0)  

11月19日(金)M「現代能楽集Ⅴ」世田谷PT

「春独丸」(弱法師)・「俊寛さん」(俊寛)・「愛のl鼓動」(綾の鼓) 作:川村毅、演出:倉持裕。
 「春独丸」と「俊寛さん」は、倉持がいろいろ工夫して演出しているが、どうもピンとこない舞台だったが、「愛の鼓動」は面白かった。ベンガル、岡本健一、小須田康人の3人の刑務官のタイプが描き分けられていて、死刑を執行する役人たちの独特の雰囲気がかもし出されていた。特に、15年も昏睡状態で病院にいる娘をもったベンガルの、実はモネの「睡蓮」を愛する美大出の男であり、その男の鬱屈と孤独がにじみ出るような演技が心に沁みた。

▼メモ。三茶のシャノアールで「寺山修司に愛された女優」を書いた山田勝仁君に偶然会った。そこでその女優の新高けい子さんに紹介された。ブログに書いた書評を喜んでくださった。
・夜は、渋谷道玄坂のポスターハリスギャラリーで、笹目浩之君が書いた「ポスターを貼って生きてきた」出版記念のウルトラポスターハリスターコレクション’50s-'60s展の開催ライブ「あらあらしい時代の空気を吸い込んだポスター」に。笹目君と、ゲストは元「現代詩手帳」の編集長・桑原茂夫さんと、アートデイレクターの東学さん。桑原さんは60年代のアングラ演劇のポスターの書き手、篠原勝之、横尾忠則の話など。横尾さんが書いた状況劇場の「ジョン・シルバー」のポスターは、公演が終わった後出来上がった。ギャラリーに展示されていたが、なんとそのポスターには「唐さん、遅くなったことをお詫びします」という文字が入っていた。あの時代は、演劇のポスターが厳然たる文化だった。いまは演劇のポスターを貼ってある飲み屋など見かけなくなった。それと宝塚の演出家の小池修一郎は慶応の学生時代、大の唐十郎ファンで慶応に紅テントを呼んだそうだ。東さんは、維新派のポスターなどで知られたアートデイレクター。今は小劇場のチラシもつくるが、大劇場のポスター制作で十分喰えるそうだ。来年は宝塚のポスターも手がけると・・・。
[PR]

by engekibukuro | 2010-11-20 11:59 | Comments(0)