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12月30日メモ












▼大掃除、いただいた上演台本がどんどんでてくる。この台本の裏はプリント用紙に最適なので、何を残すか慎重に検討して・・・、なんとか格好をつけて終わる。夕方、CT(コーヒータイム)へ。プルースト続行。夜、たけしと鶴瓶、当代随一の人気者の言いたい放題の対談をみる。ガス抜きにはなった・・。
   ・皆さん、良いお年を!
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by engekibukuro | 2010-12-31 07:48 | Comments(0)  

12月29日(水)メモ




▼午前中は雑事とブログ。午後から掃除にかかる。芝居のパンフ、たまった雑誌など狭い部屋には1年たつと置けなくなってしまう。どんどん棄てる。
 夕方、中断してCTへ。岩波文庫で12月から一月1冊刊行され、1年間で完結する吉川一義の新訳でのマルセル・プルースト「失われた時を求めて」を読む。井上究一郎訳で昔読み始めたが、源氏物語と同じで中途で挫折した。今回は文庫本で読みやすく、1月一回だから大丈夫だろう。昔挫折したページを過ぎた、マドレーヌ菓子の部分も読んだ。
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by engekibukuro | 2010-12-30 10:23 | Comments(0)  

12月28日(火)メモ



▼暮れのおしつまった日に、今年最後の映画をみる習慣があって、今年はシネ・シャンテのゴダールの「ゴダール・ソシアリスム」にする。その前に銀座にでて、新聞で紹介されていた、勘三郎も楽屋で出前をとるという評判の旧歌舞伎座横の喫茶店「YOU]のオムライスを食べに行った。このオムライスはチキンライスをオムレツで巻くのではなく、ライスの上にふわりとのっている。そのふわりさ加減が絶妙でおいしいが、チキンライスがチキンもマッシュルームも入っていないただのケチャップライスなのが残念・・。おすぎが、こんなおいしいものが900円でと感心したそうだが、微妙だが、まああそうだろう・・。
・シネ・シャンテのロビーで大声で電話している白髪の迫力満点の老人がいた、だれかと思ったら元呼び屋の康さんだった。宮沢章夫さんも着ていた。
・80歳のゴダールのこの映画。蓮実重彦、四方田犬彦、佐々木敦が絶賛していたが、それらを読まずに、まっさらの状態でみればよったと後悔した。波頭渦巻く海を航海する巨船の旅、船はパレスチナ、オデッサ、ギリシャ、バルセロナ、ナポリと巡航してゆく。その地は20世紀の過酷な歴史、戦渦を刻印されている。スペイン内戦のとき、共和派の財金がスターリン治下のロシヤへ運ばれるが、オデッサで大半消えた。「こんなことども」というタイトルがつく断章的なエピソードが無関連に続く・・。オデッサでは、あのエイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキンツ」のオデッサの、乳母車が転げ落ちる虐殺の坂の階段が映される。なによりゴダールのいままでの映画ではみたこともない、怒り狂ったかのような巨大な波頭の映像が、ゴダールの今の世界へのメッセージをつたえているようだ。引用の連鎖、抽象的名なことばと、トリビアルなくらい具体的な映像とのコラボレーション。ゴダールは老いてなおますます健在だ。クリント・イーストウッドのように。
・神保町の駅で萩尾瞳さんに会う。ゴダールの帰りだというと「面白かったでしょう」と、岩波映画のパーテイの帰りだそうだ。この前の白石加代子の「百物語」の帰りには神保町のホームで唐ゼミの禿(とく)さんに声をかけられて永田町までお喋りした。年末に素敵な女性と神保町であうとは・・。
・今年最後の萱へ。大盛況。平凡社の三ア沢さん、トシ子ちゃん、サカエちゃんとガンガン呑んで終電車で帰宅・・。
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by engekibukuro | 2010-12-29 13:53 | Comments(0)  

12月27日(月)メモ

 

▼「シアターアーツ」45号の発送を晩成書房で。今号には前川知大「図書館的人生VOL・3食べもの連鎖」と長田育恵「乱歩の恋文」と戯曲が2本掲載されました。2本とも舞台も面白かったし、戯曲も面白いですよ。観ていない方は是非お読みください。
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by engekibukuro | 2010-12-28 07:24 | Comments(0)  

12月26日(日)s「白石加代子百物語」第二十八夜

・池波正太郎「剣客商売 天魔」・幸田露伴「幻談」、岩波ホール。
今回で92話だ。ほとんど観ているが、今回の池波作品は、白石さんの物語にはミスマッチだ。池波の小説は私は愛読していて、食べ物の本は全部買い揃えているぐらい大好きだが、白石さんが読むようなものではないと感じた。その証拠に幸田露伴が素晴らしかった。斎藤茂吉が「このくらい洗練された日本語はない」と絶賛した聴いていてほんとに心地よいもので、白石さんも、この江戸の暇人の釣りの話の一寸怖い話を、イメージ豊かに読んで、これは終生わすれないだろうと思うほどの名朗読だった。池波と露伴の作品の質の違いは歴然とすることを、今回初めて体験した。あたりまえといえば当たり前だが、池波作品を楽しむこととは違うことだ・・。

・2010年の観劇はこれで終わった。観劇総数257。このブログにアクセスしてくだっさったかたがたに心から感謝します。来年もよいお芝居にめぐり合いますように、良いお年をお過ごしください。

・今年の競馬はなんとも難しくて、マイナス続きだったが、本年最後の「有馬記念」をほんのわずかだが、的中できた。ヴィクトワールピサと騎手デムーロの中山競馬場適正で買った。単複。”終わりよければ全てよし”と思おう・・。
・例年での新宿で義妹と息子夫婦と孫との会食。
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by engekibukuro | 2010-12-27 12:55 | Comments(0)  

12月25日(土)「間違いの狂言」世田谷PT

 作:高橋康也、演出:野村満斎。シェイクスピア「間違いの喜劇」より。
今回で4回目の公演だそうだが、もう文句なしの名作だ。伝統芸術・狂言の形を借りた現代劇の素晴らしい創造だ。双子の物語で、大混乱を招くやたらにややこしい始末になってしまうことから、自然と人間の自己証明、・アイデンテイテイの問題が浮かび上がってくる。しかし、大団円で狂言らしい大笑いで終わる。あの超辛口の劇評家・佐伯隆幸さえ絶賛している(パンフ)のだから、名作であることは”間違い”ない。来年はフランスの太陽劇団の本拠地、ヴァンセーヌの森の弾薬庫を改造した劇場で上演するそうだ。

▼メモ。今年最後のおもろへ。常連たち年末で忙しいらしく、誰も来ない。年金生活者は一人淋しく飲む。
しかし、ソーメンチャンプルをつまみながらの一人泡盛も、しみじみ年の瀬らしくいいものだ・・・。
帰宅して食べた鰤の刺身もうまかった。

・山田さん、ラッパ屋はもともとボクのとおろにはきません。
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by engekibukuro | 2010-12-26 10:16 | Comments(0)  

12月24日(金)S「ジョンとジョー」ZORA

 作:アゴタ・クリストフ、演出:扇田拓也、ストライプハウスギャラリー。坂本容志枝と吉村恵美子のユニットZORAに好宮温太郎、石井ひとみが参加した。ギャラリーの狭い空間、とガラス越しのヴェランダをつかう。ヴェランダにはクリスマスツリーが点滅している。風来坊のジョン(坂本)とジョーは(吉村)仲がいい友達だが、ビストロでの飲み食い勘定でジョンがジョーからとりあげた宝くじがたまたま当たったことで、友情にひびが入る。その顛末をコント風に描いた芝居で、さいごには友情が復活する。いっとき大金に惑わされたが、いまあるものだけで充分まんぞくしていきてゆけると・・・。ジョーはコーヒーと新聞代の2フランあればOKなのだ。ハンガリーからスイスに移民したアゴタの異国での暮らしの孤独とかけがいがない友情。扇田は狭い空間とヴェランダを工夫して活用し、原作にはないあやしげな女(石井)にボーイ(好宮)のギターでシャンソンを歌わせたりして興趣を添えた。六本木の芋洗い坂の中腹の小さなギャラリーでのクリスマスイブの初日。きちんとサマになったスタートだったが、こういう小品の決め手は感情の深さだろう。自己満足せずラクまでどんどん深めてほしい。

▼メモ。終わって居酒屋で、谷岡健彦、下総源太朗、堀切克洋、あとから扇田拓也と石村みきご夫婦、この前拓也君が演出した「乱歩の恋文」を書いた長田育恵さんらと飲む。近頃さらにのめりこんでいる谷岡さんの俳句のはなしとかをまじえてわあわあ呑んでいたら12時に近い、あわてて帰るが、有楽町は池袋どまり、やっと東上線の最終に間に合った。かってゴールデン街で毎晩終電だったころの習性が蘇ったらしい・・。
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by engekibukuro | 2010-12-25 11:23 | Comments(0)  

12月23日(木)M「男は男だ」(作:ブレヒ、演出:中野志朗)

恵比寿・エコー劇場。<文化庁芸術家海外研修(新進芸術家研修制度)の成果>公演。
 パンフの岩淵達治氏、新野守宏氏の解説を読めば、晩飯のおかずの魚を買いに出た荷揚げ人夫のガリ・ガイが、途中でインドのイギリス軍の兵隊の員数あわせのための身代わりに、戦争にゆく破目になってしまうという話で、妻が湯を沸かして魚を待っているというのに、むしろ喜び勇んで戦争にゆく、ここに一介の荷揚げ人夫が戦争機械になってしまい、ナチス・ドイツの台頭の捨石になる、という芝居だということが整然と理解できるはずなのだ。が、ブレヒトの若書きで、引用だらけの激しく主観的な芝居で、そのテクストを中野が映像を多用して舞台化するが、全体の推移がなにがなんだか解らない舞台で空転するばかり。副題に「喜劇」とあるそうだが、笑うに笑えない。ただ、この空転が、ひどくつまらないとか不愉快ではなくて、ガリ・ガイを演じる笠木誠などいかにもそういう戦争機械になってゆくプロセスを感じさせはするし、空転のエネルギーも客を引っ張る力にはなっていた。難しい戯曲に挑戦した中野の悪戦の成果とも言えるが・・・。

▼メモ。劇場が恵比寿なので、ガーデンシネマに赴きウッデイ・アレンの「人生万歳」を見た。ひさしぶりのニューヨークが舞台で、だからか水をえた魚のような快作だった。ノーベル賞受賞の一歩手前までいったくらいの物理学者が、妻との不仲で窓から投身自殺をするが、失敗して妻と別れてダウンタウンで暮らしている。人間嫌いで極端な皮肉屋の老人だが、下町暮らしで友達もできた。ある日美しい家出娘をしょうがなくて助けたことから、この若い娘と結婚する。それが発端で、その娘の南部からでてきた母親とか、父親とか、ダウンタウンの人間たちとかのもつれあいが軽妙かつシニカルに描きとばされて、ウッデイ・アレンの真骨頂の映画になった。特に老人たちのエロスの再生、知識の喜びが合体して、人生最末期の豊かさをゲットした顛末は、たしかに万歳と叫びたくなる風になっている。久しぶりに映画館で大笑いできた。アレンの数々の映画をみた、ガーデンシネマがこの映画を最後に閉館する。好きな映画館だっただけにまことに残念だ。クリスマスイブの前夜、ガーデンのイルミネーションが輝やいていた。
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by engekibukuro | 2010-12-24 12:10 | Comments(0)  

12月22日(水)Sピアノと物語「アメリカン・ラプソデイ」

ーガーシュイン・オン・ガーシュインー。作:斎藤憐、演出:佐藤信、座・高円寺。
 なにしろ佐藤充彦のピアノでガーシュインを聴ける、これは年末屈指の出来事だ。舞台中央にピアノ、下手にヤッシャ・ハイフエッツ(高橋長英)、上手にゲイ・スウイフト(関谷春子)、この二人の往復書簡の形で、ガーシュインの生涯が語られる。無論、要所要所で佐藤がピアノを弾いてゆく構成だ。斎藤のテクストの特長は、持ち前の教養の豊かさ(特に音楽の)もあるが、豊富な資料の精査に秀でていて、とにかく情報量の豊かさの魅力なのだ。ロシア系ユダヤ人の靴職人だった父親、ろくろく学校にも行っていない赤貧の暮らしから、たまたま手に入れたピアノで音楽家としての才能に目覚め、開花するまでの道程が語られ、実直で優秀な詩人の兄との比較、世に出ると母親に冷たくされた補償なのか、次から次と女を引っ掛ける女たらしに・・。正規の作曲法を学習していないガーシュインの曲は、批評家には毎回酷評されたが、アメリカの民衆には愛され、売れた。ガーシュインが絵も描いたし、ナチス・。ドイツに追われてアメリカに来たシェーンベルグとも親しい友達になったとは・・・。佐藤は「スワニイ」以下、数々の名曲を弾くが、ガーシュインがパリで知り合ったラヴェルのボレロもシェーンンベルグも弾いた。座・高円寺のオープニング公演の「ユーリンタウン」(流山児★事務所)の主役を演じた関谷が、「サマオタイム」を絶唱、ブラボーの声がかかる。ガーシュインといえば、演出の佐藤信が、夫人の竹屋啓子のダンス公演のために書いた、ガーシュインの音楽をふんだんに使った「ハムレットの新聞」という傑作を思い出した。ろくでもない今の日本の歳末での楽しい一晩だった。
▼幕間に佐藤信(信さん大病が癒えたが、タバコをやめた、吸う気が起こらなくなったそうだ、あのパイプ姿が消えたのだ)、島次郎(島さんの美術のTPO「恐るべき親たちが」が文化庁の藝術賞を獲った)、内野儀(岡田利規の話)、流山児(佃正彦の新作の話)、久しぶりの若杉宏ニ(イクメンで舞台は来年だそうだ)さんたちに会った。・今年最後の出版健保へ。風邪薬を生まれて初めてもらう。・北京亭で五目チャーハン、中国人のコックだが、一流の店ならともかくチャーハンなどは日本人のコックのほうが味覚があうようだな・・。・ジャヤレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」(上)読了。名高い名著をやっと読んだ。スペインの征服者ピサロは168人の兵隊で8万の軍をひきいたインカ皇帝アタワルパを捕らえてインカを滅亡させた。銃の威力。旧世界の新世界征服は、銃だけでなく、旧世界の人間が免疫をもつ病原菌を新世界の免疫をもたない人間に感染させて滅ぼした・・。・奥秋君の奥さんが手縫いした限定販売している赤子用のじんべいを、孫の正月祝いにと奥秋君に持ってきてもらった。よく出来ていて、渡すのが楽しみだ・・・。
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by engekibukuro | 2010-12-23 11:04 | Comments(0)  

12月21日(火)M「抜け穴の会議室」(作・演出:前川知大)

Team申、パルコ劇場。
 佐々木蔵之助の演劇ユニット、Team申の第二回公演で佐々木と仲村トオルが上演した二人芝居の再演。今回は大幅に書き直し、相手に大杉漣を呼んだ。沢山の書物が散らばった奇妙な部屋に、二人の男がいる。この二人は死者だ。二人が沢山の彼等の前世、前々世の因縁が記述されている書物を頼りに、前世、前々世の二人の関係を再現してゆく。実は二人は父と子だったり、医師と患者の父だったり、因縁は果てしなく、縁とうものの不思議をあぶりだす。前川の芝居の主流である異世界ものの芝居で、前川と佐々木、大杉が討論しながら創りあげた舞台だ。久しぶりの舞台出演の大杉と佐々木の意気のあった熱気がこもった舞台だった。


▼メモ。新年号の各種雑誌を図書館で閲覧する。文芸雑誌では岡田利規が目立つ。「群像」では戦後文学の若い世代の合評会を連載しているが、今回は大岡昇平。「野火」と「武蔵野夫人」を奥泉光の司会で岡団と青山七恵が討論する。岡田の読み方は新鮮だ。「新潮」では岡田と飴屋法水の往復書簡「無神論者による神さまに向けたパフォーマンス」。お互いの作品を論じ合うのだが、この二人の演劇についての言葉は、現在の劇評の世界での言葉では概念化できない。できるのは佐々木敦だけだろう。その佐々木は新連載「批評時空間ーほとんど無限そのものとしての有限について アラカワ・ゴタール・アメヤ」を書いている。美術・荒川修作が建てた建物。映画・ゴタールの新作、演劇・飴屋法水の「わたしのすがた」を論じている。多角的な視野のうちで演劇を論じる論考で、大いに刺激的だ。「テアトロ」の菅孝行「20世紀演劇の精神史」も演劇を、政治と文化全般のパースペクテイブを通して論じていて、有益だ。
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by engekibukuro | 2010-12-22 08:10 | Comments(0)