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3月30日(水)S「材料アリストパネース」カンバス

ラドママプロヂュース、テクスト・演出:杉浦千鶴子。アリストパネースの作品「アカルナイの人々」、「リューシストラテー(女の平和)」、「雲」から材料を抜粋した。芝居のほかに、神奈川県厚木基地の映像を背景に杉浦千鶴子が日米安保の話をしたり、同じく渋谷宮下公園からのホームレス排除の映像取材したり、最後には沖縄の基地の映像も写る。それらの現下日本の諸問題と、BC500年のアテナイにおいてアクチュアルな風刺劇作家として活躍したアリストパネースの作品を関連づけるという野心作。杉浦さん大活躍で、開幕冒頭での当時のギリシャ・アテナイの地理、歴史、政治情勢の解説をし、芝居では役者として舞台を先導する。ただ、3作品の抜粋の関連がわかりにくく、役者陣がちょっと力不足なので、残念ながらしかとした成果は生じなかったと感じた。ただ、杉浦さんに先導されて意気盛んな舞台だったとはいえて、こんな時期にそれだけでも貴重だ。
・チェルフィッチュの山縣太一の名がチラシにあったが、舞台に見当たらない。場内案内に山縣は事情により降板したと書いてあった。合わなかったのかな・・・。
・この会場は靴を脱がせる。が、舞台は客席と同じ平面で役者は靴を履いている。非常口の説明はあったが、非常の場合靴をはく混乱は免れまい。役者と同じでいいはずだ・・。
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by engekibukuro | 2011-03-31 11:07 | Comments(0)  

3月29日(火)S「近代能楽集<邯鄲><葵上>」

原作:三島由紀夫、演出:松本修、人形美術:林静一、音楽:斎藤ネコ、結城座、アサヒ・アートスクエア。
 いつも結城座の糸あやつり人形劇には、古典をのぞいて、だれか一人生身の役者が出演する。今回はそれが人形だけで、役者はでない。これは、なんだかいつもと様子が違ってとても戸惑った・・。生身の役者の演技に絡んで、人形が生気を帯びるという感じだったのだ・・・。しかし、この戯曲は生身の人間より、亡霊とか怨霊が出てくるのだからかえって人形芝居のほうがあっているのじゃないかと松本も言っていて、なれてくれば、面白く観られるようになった。特に、<邯鄲>は能楽集でもあまり上演しない演目で、邯鄲の枕で寝ると、目が覚めたときなにもかもいやになってどこかに消えてしまうという曰くつきの枕で寝た主人公の次郎は、目が覚めたときかえってさっぱりして、生き続ける気持ちがさだまった。次郎はもう最初から、いつ死んでいいいと思い、人生に毛ほどの希望をもっていなかったのだから、という三島独特のアイロニカルな逆説がぴたりと松本の演出で決まっていた。林静一の妖しくも美しい人形は、出番の無いときも両袖の空間に吊られていて、芝居の雰囲気を醸成していた。
▼ブログに今年諸所で上演された「わが町」のことを書いたとき、MODEの松本演出の「わたしが子どもだったころ」に言及したら、柾木博行さんから”「わが町」では「わたしが・・」が最高でしたね”というコメントを貰った。その話を松本さんとして、あの芝居を懐かしんだ・・。お互い切ないほどトシをとった、思い出だけが通り過ぎてゆくのか・・・。
・佐々木中「切り取れ、あの祈る手を <本>と<革命>をめぐる五つの夜話」を読んだ。博学無比の論客だね。独特のレトリックと確固とした文体がある、自分のスタイルをもっている人だ。デビューした頃の蓮実重彦を思わせる。マルテイン・ルターを論じて宗教改革tぽいう革命は、聖書を読み潰すところから出発した。なにより革命の出発は「テクスト・文学」であり、暴力は付随物でしかないと・・。またわたしが全然しらなかった「中世解釈者革命」というものの意義を教えられた。まあ、ついてゆくのがわたしには大変な本だった。まあ、バクーニンが、一昨年上演されて評判になった「ユートピアの岸へ」で活躍したバクーニンが、年老いて同郷のオガリョフに手紙を出し”君はいま何を読んでいる・・、僕はJ・S・ミルの「自伝」を読んだ、老いたら若い人の本を読むに限る”と書いていた(E・H・カー「浪漫的亡命者」)ことを思い出した・・・。
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by engekibukuro | 2011-03-30 11:22 | Comments(0)  

3月28日(月)S「MANSAI●解体新書」世田谷PT

   その拾八 「大地」-恩寵と重力の知覚(パーセプション)-野村萬斎芸術監督企画 第拾八弾
今回のゲストはバレーの首藤康之。
この解体新書は、萬斎の司会で、「舞台芸術」に少しでもかかわる他分野の芸術家、学者をゲストに呼び、毎回とても刺激的で有益で、しかも楽しい学習の機会を与えてくれる催しだ。知性と悦楽が融合した世田谷PTの目玉というもいうべき企画だ。この催しの司会で萬斎という人が知的でユーモラスで上品な傑出したキャラクターだということを確認させた。そして折に触れ、自分の出身母体の能狂言の世界と接触させて、自分も演じてみせるというアクセントも効果的だった。
 今回はバレーと狂言の身体表現とが重力にたいしてどう対応しているかということを、「三番叟」と「ボレロ」をモデルにして話し合い、動きあった。バレーは足をふみこんで、上へ上へと飛翔する運動、狂言はあくまで大地を踏み固めるがごとき所作だ・・。舞台に人体模型をおいて、首藤がベレーの体の使い方を解説する。バレーは筋肉ではなく、肉と皮の下の骨で踊るそうだ。最後に首藤は狂言の装束を着せてもらい(たいへん複雑な着衣だ)萬斎から「三番叟」を教わる。さすが名バレーダンサー、教わることは直ぐに形になる。ついで装束をぬいで、自分流に「三番叟」を踊ってみせる。萬斎も扇をもって「ボレロ」をおどる(なんだか出陣の舞いのようでおかしかったが)、そして扇なしで自分流に「ボレロ」を舞ってみせた。
 バレーと狂言の身体表現の明白な相違がはっきり解ったが、大地に根ざした人間の身体・芸術の多様性、豊かさを感じさせてくれた一晩だった。また、萬斎さんが冒頭の挨拶で言ったが、こういう状況下で劇場は、生きていることを確かめ合う場所だということも実感できた。
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by engekibukuro | 2011-03-29 10:17 | Comments(0)  

3月27日(日)メモ



▼「島森路子インタtビュー集(2)、ことばを尋ねて」読了。「広告批評」の名編集者で天才的インタビューアーといわれる島森の「広告批評」に載ったインタビュー集。相手は、村上春樹、鶴見俊輔、池澤夏樹、是枝裕和、深澤直人、佐藤雅彦、浦澤直樹、とんねるず、爆笑問題、ラーメンズ、横尾忠則。やはり鶴見俊輔、この人の最初の本「アメリカ哲学」を10代の終わりに読んで以来、ずううと読んでいる。この人のいわばオハコのような、日本の一高、東大、高級官僚の秀才が日本をダメにしたという論、幼児のときからの母親憎悪など、いままで何回読んだかわからない。しかし、名人の落語を聞くように、何回読んでも面白い。80台の高齢で、あれほど憎んだ母親が自分を生かしている、良心だと語るのが感動的。それと、自分を支えているのは、テレビの低俗殺人ドラマだという話、幼いときに読んだ講談本、親の目を盗んでみた映画が自分の元になっていて、「もっともくだらないものが、自分をしっかり支える」と、共感するなあ・・・。それと「爆笑問題」の太田は10代で亀井勝一郎の本の紹介で島崎藤村を知り、藤村の本を全部読んだというのも驚きだった。
・「銀漢」4月号が届く。谷岡健彦さんが大活躍だ。新連載の「せりふの詩学」でデイヴィッド・ハロワー「雌鶏の中のナイフ」をとりあげ、「わたし、畑じゃない」というせりふについての論考、面白い。銀漢主宰者伊藤伊那男を中心に開いた座談会「いのちのうた」に出席、主催者選尾の今月の秀句は奈良への吟行の際つくった「寒灯南都の闇を深うせり」、古代からの奈良の都が浮かび上がる。
・毎朝10頁ずつ読んだ佐藤優解説の文春新書の「新約聖書」が終わった。なにも訪れなかったが、キリスト教への興味とうより、佐藤への関心が尽きない・・。
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by engekibukuro | 2011-03-28 09:04 | Comments(0)  

3月26日(土)M「冬の旅」川崎アルテリオ小劇場

作:松田正隆、演出:高瀬久男、アル・カンパニー。平田満と井上加奈子後夫婦の二人芝居。松田の作風は最近、先鋭的、前衛的になっているが、高瀬と組むもうひとつの面があって、なんというかフツーの芝居だ。平田夫婦は松田の芝居に何回か出演している。その縁で依頼したようだ。劇中の二人も俳優夫婦、妻の女優が「マクベス」に出演し、マクベス夫人を演じるが、舞台で台詞を全く忘れるというコトが起こった。そういう落ち込みを癒すためもあって、夫婦は久しぶりに旅行する。行き先は明示されないが、死海の話がでてくるからイスラエル・ヨルダンか・・・。旅行中なにか特別のことが起こるわけでもなく、重大な体験をするのでもない。多少の行き違いはあるが、日本にいたいままでと同じようなフツーの夫婦の会話が交わされるだけだ。しいて言えば磐石の夫婦のアリキタリさ、フツーさが強く印象にのこる芝居だ。平田が主催するアル・カンパニーは今まで青木豪、蓬莱竜太、前田司郎、松田正隆と今が旬の気鋭の劇作家に新作を依頼して面白い舞台を創ってきた。平田・井上夫婦の芝居は、なにより演じることへの誠実さを感じさせる。舞台をほんとうに大事にしていることが感じられるカンパニーだ。この舞台もその例に漏れない舞台だった。

▼メモ。おもろに震災後、ひさしぶりに常連が揃った。カップル、中川君、K先生、それに岸本さん。K先生は地震のとき沖縄の与論島にいたそうで、みんなに共通体験がないいんだとワーワー言われて・・。客も旧
に復して人心が戻っててきたようだ・・。土曜日に常連に必ず会えて、バカ話に興じられるのはホントに嬉しいイコトだとつくずく思うわけで・・・。
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by engekibukuro | 2011-03-27 10:27 | Comments(0)  

3月25日(金)S「久保田万太郎の世界」

☆「暮れがた」(演出:鵜澤秀行)☆☆「一周忌」(演出:黒木仁)+☆☆☆坂部文昭一人芝居「草鞋をはいた」(作:福田善之、演出:鵜澤秀行)、文学座有志による自主企画。文学座アトリエ。
 ☆は明治末、浅草の三社祭りの夕方に三味線や琴などを商っている店に出入りする近所の人たちの様子や、立派なお店がイケナクなって貧乏している若旦那の愚痴をこの店のおかみが酒を飲ませ聞いたやり、若旦那は田舎にン逃げるのを思いとどまり、浅草を離れないときめる、外では三社祭の神輿の賑わいのざわめきが・・・。☆☆は昭和初期の浅草、関東大震災で零落した男が、保険屋になって昔の知り合いを訪ね勧誘にくる。知り合いは死に、美人の未亡人が残された・・。一周忌のお寺さんに行く日で・・・、近所の姉にせかされて保険屋は帰らざるをえない・・・。故龍岡晋の万太郎の芝居の演出で薫陶を受けた鵜澤演出、思いはわかるが万太郎の独特の世界がわざとらしくなりかねないすれすれの舞台。今の状況では、浮世離れした世界だが、渡辺京二「逝きし世の面影」に描かれた、よき日本人の原形がこの芝居にも描かれていると思う。それが大災害での日本人の対処が海外で評価されている日本人の素地なのだ。そう思うと見方が変わるね・・。坂部の芝居は、江戸の名人肌の鉄砲鍛冶が女のことで刃傷沙汰をおこし、函館に逃げ、折からの榎本武揚の函館戦争に巻き込まれて・・・、とにかく坂部の舌を巻くほどの芝居の巧さを堪能した。
▼シアターアーツ46号の発送を晩成書房で。終わって野田学さんの明大の研究室で西堂編集長、新野副編集長、嶋田、藤原編集部員の編集会議。野田さんがコーヒーを淹れてくれて・・。多くの演劇人が被災した神戸とちがって東北と演劇とはかかわりにくい。いま、東京で上演を決めた、あるいは中止した様々な集団の決意を聞くこと、災害を正面からとりあげた野田秀樹の「南へ」を取り上るなど・・
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by engekibukuro | 2011-03-26 11:02 | Comments(0)  

3月24日(木)S「カスケード -やがて時がくればー」   

作・演出:岩松了、岩松了プロヂュース、下北沢駅前劇場。
 地震後の劇場で、満席だった芝居はここがはじめてだ。それも老若男女の客だ。いくら評判がたっても岩松の芝居は決してわかりやくはないのに・・。しかし満席は頷ける傑作だった。岩松の芝居のエッセンスが結晶されているような芝居だった。「アイスクリームマン」の初演をシアタートップスで観たときの驚きを思い出した。あれは山の中の自動車教習所の宿舎での話だった。この芝居はチェーホフの「かもめ」を上演する集団の話、両方とも若者中心の芝居だ。さて、どうして傑作なのか・・、この作家の芝居の劇評を書くのは至難の業なのだ・・。いままで岩松芝居の的確な劇評を読んだためしがない。頭に浮かぶのは唐十郎の岩松は「気が狂った久保田万太郎だ」とか、蜷川幸雄の「岩松さんは半分狂っている」とかいう言葉なのだ。この芝居は舞台は雑然とした稽古場で、チェーホフも「かもめ」もろくにしらない演出家や役者が「かもめ」を上演するゴタゴタを描いただけの芝居だといってもいいが、ここに出てくる若者の半端な劇場関係者のクレージーな言動、振る舞いの輝かしさはどうだろう。殆どが無名の若い男優、女優陣が岩松の世界に憑依して、それぞれが凄まじく個性的なのだ。岩松は役者でもあるので、事務所系の裏事情も熟知しているから、そういう面白い話も続出する。マネージャーつきの結構売れているタレントが、どいうわけか「かもめ」に興味をもって参加したが、役が下男のヤーコフで、このヤーコフは台詞が”へえ、さようで”でそれを2回しゃべるだけ、それでも出るんだからわからない。芝居の中心はトレープレフとニーナのキャステイング争いの話だが、「かもめ」そのものの場面も演じられる。トレープレフを最初にふられた役者の自殺とかの縦糸もあり、時間が遡行したり複雑な構成だが、全体に聖なるバカバカしさのような雰囲気が充満していて、チェーホフが「かもめ」を喜劇だといったことが、岩松の手で実現したと思うくらいの作品だった。この芝居が傑作だからこそ、震災後の厳しい状況で演劇が悲鳴をあげているような実感をもった。当分この悲鳴に同伴せねばなるまい。終演後、岩松さんに「アイスクリームマンに似たいい芝居でした」といったら「そうねアイスクリームマンぽいね」と・・・。
▼メモ。図書館で今月の雑誌を読む。「新潮」の宮沢章夫の230枚の小説「ボブ・デイラン・グレーテスト・ヒット第三集」も岡田利規「ゾウガメのソニックライフ」もそれへの佐々木敦の批評も、「文学界」の柄谷行人vs山口二郎の対談も、3・11以前の言葉は効力を逸している感じが否めない。
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by engekibukuro | 2011-03-25 10:05 | Comments(0)  

3月23日(水)MEMO

▼上演を延期していた結城座が、25日から松本修演出の「三島近代能楽集」を上演するという報せがあった。23日の朝日の歌舞伎評の児玉竜一が書いているとおり、「劇界に過度の自粛の空気があるとしたら、それは誰のためにもならない」・・。この世界最古の生身の芸術である演劇には、生きてちゃんとした日常を送りたいという希求の源泉になる力があると思いたい。

▼尾崎俊二著「ワルシャワ蜂起」(東洋書店)
を読了。アルシャワ蜂起というのは、1944年8月1日から、10月2日までのワルシャワを占領していたナチス・ドイツへの軍隊を中心にしたワルシャワ市民全体の抵抗闘争。ワルシャワ蜂起についてはアンジェイ・ワイダ監督の「地下水道」という映画を思い出すくらいで、日本人にはポーランドについてはワイダ監督の数々の映画、この本にも出てくるロマン・ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」などから知るだけであまりなじみがない。著者は2007年に「記憶するワルシャワ」という本を出したが、本著はワルシャワ第2弾。著者はポーランド現代史においてワルシャワ蜂起の歴史的評価は定まっていないとし、ワルシャワ蜂起の細部にわたる記録を書き上げた。ワルシャワの詳細な地図をつくり、何回も同地を訪れ歴史的な場所や記念碑を撮影し、蜂起体験者にインタビューした。結果、ワルシャワの町の隅々まで、市民以上に知悉していると思わせるほどだ。市内にはおびただしい記念碑があり、戦死者の記録のプレートがあり、この蜂起の記憶がポーランド人の魂の礎になっていることが本書を読むとおのずとわかる。建国以来数々の占領された歴史があり、20世紀にはナチス・ドイツ、スターリンのソ連に蹂躙された悲劇の国は、勝算がおぼつかないにしても不利な状況下で立ち上がり、決然と戦い、敗北したワルシャワ蜂起はポーランド人の魂の財産だ。ワルシャワの民家には郵便受けくらいの小さな聖母子像の絵が覗けるチャペルがあるそうだ。どのような運命に見舞われてもゆるがない、深いカソリックの信仰がポーランド人を支えているのだ。著者は専門の歴史学者ではない。高校の英語の教師だった人だ。そういう人が英語、ポーランド語の文献を駆使してこのような充実した大著を書き上げたのは凄いことだと思う。
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by engekibukuro | 2011-03-24 09:20 | Comments(0)  

3月22日(火)S「デンキ島ー白い家篇ー」

作:蓬莱竜太、演出:大谷亮介、劇団道学先生、あうるすぽっと。「デンキ島ー松田リカ篇ー」に続く、蓬莱の「デンキ島」シリーズ。開幕前、出演者全員が舞台に並び、「道学先生」の青山勝が、ほうぼうの劇場が上演を中止しているときに芝居をやることの大変さを訴え、そういうときに観にきて来て下さるお客さんにほんとうに感謝するという痛切な挨拶に、芝居を観るしか日常の術が無い劇評家のはしくれとして打たれた。

 デンキ島で共に育った坂本シンヤ(山本亨)、藤島タクミ(井之上隆志)、レオ(丸山厚人),志麻ミツロウ(青山勝)の友情物語がこの芝居の基本線。シンヤは親の後をついで漁師に、タクミは極道の親をついで本土でヤクザに、レオは東京でタレントとして成功し、ミツロウは島の警官ンになった。この4人に高校時代シンヤに横恋慕して無視され、今はタクミの女になっている由井ナオカ(三嶋絵里子)がからむ。話は本土で落ち目になったタクミが島に息子と子分を連れて戻ってきたときから始まる。そこでシンヤの船が焼かれたり、タクミが追っていた女をシンヤがかくまったりと不穏な出来事が島に起こり、島の様相が一変した。友情、裏切り、嫉妬、暴力が渦巻くサマは、蓬莱ならではの面白い人物像、波乱万丈の筋立てで描かれている台本を、大谷が徹底的に娯楽劇に仕立てあげ、よくできたB級映画のようで、ラストの歌謡曲がガンガン流れる大立ち回りは迫力満点、そしてみなおさまるところにおさまり、友情は保たれたのだ。こんな時期に、客が舞台に夢中になれるような芝居をつくれたのは、山本、井之上、青山、三嶋ら芸達者、丸山の異彩、かんのひとみの不幸な女のアクセント、ほか役者全員の個性を大谷が最大限に生かした成果だ。
▼尾崎俊二「ワルシャワ蜂起」を読み始める。
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by engekibukuro | 2011-03-23 11:17 | Comments(0)  

3月21日(月)MEMO





▼近所のスーパーや、商店街で米の袋がでーんと詰まれ、パン屋で食パンがきちんとあるのを今日は目に出来た。この安心感・・・・。




・息子一家がきて、孫の笑顔で癒されて・・・・。
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by engekibukuro | 2011-03-22 08:11 | Comments(0)