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4月29日(金)M「出発の詩集ーモスクワからの退却」

作:ウイリアム・ニコルソン、訳:小田島恒志、演出:鵜山仁、加藤健一事務所、本多劇場。2007年に「モシクワからの退却」というタイトルで初演され評価が高かった作品の再演だ。舞台はイギリスの田舎町。教師のエドワード(加藤健一)、妻はアリス(久野綾希子)、一人息子ジェイミー(山本芳樹)はロンドンで働いている。
 たいがいの恋愛結婚は誤解の情熱から出発する。結婚してその誤解があらわになってくるのだが、おおむねなんとか双方、がまんして折り合いをつけて暮らしてゆく・・。しかし、アリスは自分で好きな詩の自家版のアンソロジーを作っているほどの女性で、結婚生活の理想を追い続けていて、穏やかに好きなクロスワードパズルを唯一の楽しみにしているエドワードの暮らしっぷりが気に入らない。夫婦の会話も一言々つっかかって、エドワードの気が休まるいとまもない。ロンドンから定期的に訪ねてくる息子も二人の合間に挟まってどうしようもない。とうとうエドワードは生徒の母親と知りあって、逃げるようにあっさり結ばれて、勇気をふるってアリスに離婚を宣言する。晴天の霹靂のアリスは狂奔するが夫の決意はゆるがない・・。息子は両者の言伝係りになってしまう。ニコルソンが書く三人の会話は緻密で含蓄に富む。エドワードの愛読する、ナポレオンのモスクワ遠征からの酸鼻きわまる退却を書いた本になぞらえる、結婚からの退却が新しい出発になる・・。追い詰められたアリスが完成した自家版のアンソロジーの間にナイフを挟んで、エドワードの新居を訪ね、そこで自殺すると心に決めていたが、エドワードとの会話で、彼が新婚当時おしえた詩を暗誦し、そして自分の人生の大事な部分はアリスとの結婚生活だという話を聞き、そこに自分の思い込んでいたエドワードではなく、そこにちゃんといる真正な他者としてのエドワードを発見して、自分が生きてゆけると自覚する。この認識のクライマックスは感動的だ。なにより加藤、山本の演技も良いが、久野のアリスが余人をもって変えがたい素晴らしい演技だ。自分のエキセンントリシーをもてあまして生きざるをえない女性を細部にわたるまで演じきった。珠玉の舞台だ。カトケン事務所の財産になる演目だ。
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by engekibukuro | 2011-04-30 09:44 | Comments(0)  

4月28日(木)S「国民の映画」(作・演出:三谷幸喜)

 東京で見損なったので、神奈川芸術劇場でみせてもらった。ナチス時代のドイツが舞台で、宣伝大臣ゲッペルスが自分の広大な屋敷に映画関係者を集めてパーテイを開く・・。この芝居、たしかにサンシャインボーイズ時代からの盟友である、この芝居ではゲッペルスの執事を演じた小林隆がパンフで語っているように、とにかく劇場で大笑いをしてもらうのを第一義にしてきた三谷の、なにか大きく変わろうとしている非情に挑戦的な芝居であることを強く感じた。三谷自身も、自分のコメデイ作家だという枠を超えようと思って書いたと語っている。ユダヤ人を絶滅することを目指すような人間が、映画や芸術が好きで係わろうとすることの有様や意味を問うことがこの芝居の基調だ。ただ観ていて、ゲッペルスやヒムラーやゲーリング、あるいはレニ・リーフェンシュタールなどの人物像が、今まで書物や映画である既成のイメージを持っているから、ゲッペルスの小日向文世やヒムラーの段田安則やあるいはヤニングスの風間杜夫の一種喜劇的な演技に最初は戸惑う。また、三谷自身も語っているように珍しく確然としたストーリーが前半は乏しく、三谷はチェーホフを勉強したそうだが、パーテイの雑然とした描写にこのパーテイの芯がみえてこない気もして・・。しかし、後半、小林の演じた執事フリッツが映画についての大権威で、ゲッペルスにとってかけがいのない人物だが、実はユダヤ人でそれも公然の秘密だったことが暴露され、ヒムラーが処理するあたりから舞台は驚くほどの緊迫感が溢れてきて、それまでゲッペルスにへつらっていた映画監督や俳優がゲッペルスの意にそむき人間としての最後の良心を辛うじて守る結末は感動的だ。今までの三谷の芝居に無い異色の感触だった。
 いま朝日新聞夕刊に連載のニッポン人・脈・記<生きること>で、ナチスの絶滅収容所から生き残った「夜とn霧」の作者・ビクトール・フランクルを取り上げているが、そこでフランクルは、ナチスドイツの人間はみな悪魔だという見方を否定して「すべては、その人がどういう人間であるかにかかっていることを、私たちは学んだのです。最後の最後まで大切だったのは、その人がどんな人間であるか『だけ』だったたのです。(『それでも人生にイエスと言』)。この芝居での小日向や段田のナチのとその他日の人物達の形象が、そいうどんな人間であることかが、明確に描かれ、演じられた舞台だったのだ。
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by engekibukuro | 2011-04-29 11:20 | Comments(0)  

4月27日(水)メモ











▲「文学界」5月号、津村節子「紅梅」(250枚)を読む。夫吉村昭の癌への闘病の日々を描く。まるで吉村のような感情を抑えた筆致で、どんどん転位する癌との戦いの日常、非日常の交錯、重なりの日々を描く。最後に吉村は、”もういい”と叫び、自分で延命装置を外してしまう。津村の夫に対する最後の呼びかけは”あなたは世界最高の作家よ”・・・。凄い記録文学だ・・・。
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by engekibukuro | 2011-04-28 06:47 | Comments(0)  

4月26日(水)MEMO




▼昨年9月に80歳で亡くなったフランスの映画監督クロード・シャブロルの最晩年の映画「引き裂かれた女」をイメージフォーラムで見た。シャブロルの映画の日本初公開はゴダールの「勝手にしやがれ」、トリフォーの「大人は判ってくれない」と同時期の「いとこ同士」だった。3本ともフランス・ヌーベルヴァーグのお披露目だたた。花田清輝の名著「映画的思考」の中に「ラスト・シーンのさまざま」という素晴らしい論考があって、ラスト・シーンのテクニックがテーマを鮮やかに浮き彫りにすると、この3本をとりあげている。「勝手にしやがれ」では主役のジャン・ポール・ベルモントのちんぴらが路上で”さいこうに汚ねえ”とつぶやきながら死んでゆく。それを相手役のジーン・セバーグが、死体を見下ろし、直ぐに背を向けて去ってゆく。「大人は判ってくれない」では両親に取り残された男の子のストップモーション、「いとこ同士」は、パリの金森の息子が、訪ねてきていた田舎のいとこを弾が入っていないと思っていたピストルをふざけて撃ったら、弾がはいっていて殺してしまう。ゴダールやトリフォーのラスト・トシーンは鮮烈だったが、シャブロルはなんともいえないばかばかしい味が濃厚で大好きだった。この映画もなんだかかったるいが、そのかったるさが魅惑になっていた。一人の若い美女を老年の小説家と金持ちのどら息子が奪い合う映画・・。この男二人に美女が引き裂かれるというわけで、最後にはどら息子が作家を作家の講演会の壇上でピストルで射殺する。このシーンの構図が「いとこ同士」にそっくりなので思わず笑い声をあげてしまった。結末はなにもかもなくした美女が、魔術師の伯父の助手になって高速回転の大のこぎりの下の台に横たわって終わる・・・。
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by engekibukuro | 2011-04-27 10:51 | Comments(0)  

4月25日(月)MEMO


▼谷岡健彦さんに誘われて、神保町の銀漢亭で行われる「湯島句会」に見学者として参加した。店主であり、結社銀漢の主宰者である伊藤伊那男さんに勧められて、選句にもよく解りもしないのに加わった。堀切克洋くんもきた。彼はもう俳句を本格的にはじめたようだ。無論今日の投句者だ・・。店は投句・選句者で立錐の余地が無いほど満員になった。450句の中からそれぞれ5句選ぶ。選ばれた句の作者が次々と名乗りを挙げる。店内はムンムンとした活気に充ちてなかなか迫力がある。選者全員の選句を終わると、大仕事が終わったような満足感が店内にみなぎる・・・。初体験、凄いものだね・・。堀切君が虜になるのもわかった気がした。その堀切君の句のうち2句が高得点だったのに驚いた。谷岡さんの評価が高いのは伊藤さんからも伺っているが、堀切君も大変なセンスだ。もう二人とも演劇よりも・・みたいかな・・。以下に二人の今日の句を写す。堀切君のは一句しるしがないので4句。
△谷岡健彦:・花嫁の花嫁のまま花人に・この目つき鳩に化したる鷹ならむ・見上ぐれば奥千本の残花かな・滔々と坂東太郎ゆく春野・朝寝して夢の結末変はりけり。
△堀切克洋:シュルレアリスム展に惚けし朝寝かな・黒揚羽頼もしき盲人のやう・囀や純白のブリーフもよし○・しゃぼん玉地球の色の定まらず◎                                             堀切君の句 ◎と○が高得点だった。終わって酒宴、堀切君はこの終わった後の酒宴がたまらないといったが、酒も料理も絶品・・。句会とはi 老若男女、様々な職業の人が一時集まる熱い共同体で、日本人が俳句が好きなことの理由が分かり、それが体感できた夜だった。       
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by engekibukuro | 2011-04-26 11:59 | Comments(0)  

4月24日(日)M「光の駅ー宇宙の中でー」U・フィールド

テキスト:太田省吾、構成・演出:井上弘久、氷川台スタジオP・A・C。
 U・フィールドは主宰の井上はじめ、主力メンバーは大田省吾が主宰した転形劇場出身者だ。この氷川台スタジオA・P・Cは転形劇場の根拠地だったもとT2スタジオだった。つまりは古巣での公演だ。さらに昨年からはじめた「シリーズ大田省吾の世界」VOL・2の上演である
 舞台には柩が3個置いてある。その柩のひとつから手がでて、人間がでてきた。それから場面は太田のテキスト「裸足のフーガ」からの少年少女の世界が展開される。それから太田の様々なテキストから、少年・少女時代から青春時代の恋愛体験、つまりは人生のピリオド、ピリオドごとの生の有様が演じられる。最後には二組の老夫婦の物語・・。妻に先立たれて取り残された夫の底知れぬ寂寥感が舞台に漂い、ついには冒頭の柩にもどってゆく・・。舞台の中心は井上だが、井上のパーソナリテイが全体のトーンが醸成された世界だ。その特徴は真摯で生真面目な人生に対する応対だ。この生真面目さは自分達の演劇に対する応対にも通じていて、それがとても新鮮で、普通の人間の平凡な一生が人事ではない感銘をもたらすのだ。

▼メモ。石牟礼道子「苦海浄土」読了。池澤夏樹・個人編集の「世界文学全集」(河出書房新社)で、日本を代表する文学として、この作品を選んだ池澤の見識が見事としかいいようがない。2段組771ページ。しかし、いまさらの初読で、水俣病に、またその抗議運動にほとんど、その時期に関心をもたなかった人間であったことが、とても恥ずかしい気持ちになった。素晴らしい文学だと心底から感動したとしてもだ・・・。
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by engekibukuro | 2011-04-25 11:13 | Comments(0)  

4月23日(土)M「病気」(作:別役実、演出:K・KIYAMA)

名取事務所、シアターχ。

 例によって電信柱、その前に「応急救護所」の看板、デスクには看護婦がタバコをふかしている。通りかかったサアッリーマンが、この看護婦に呼び止められ、むりやり病気にされてしまい、病気マニアの浮浪者に靴も背広も、鞄も傘も盗まれ、それを看護婦も後から来た医者もとりあわず、あげくの果てに妻子まで浮浪者に盗まれ、ほとんど裸で舞台に取り残される。最後に三谷登の神様がでてくるが、この神様は自分の無力をぼやくばかり・・・。弱肉強食の社会の、極端なデフォルメの地獄図・・・、あるいは即物的なナンセンスコメデイ・・・。
この不条理コメデイは、演出の仕方、役者の演じ方で、へたすると失笑ものになる危ない境界線をはらんでいるが、この芝居をもっていったモスクワ公演では爆笑の連続で、最後にはスタンデイングオベーションだったそうだ・・・。それはK・KIYAMAのなめるような丁寧な演出、なにより別役作品へのひとことならぬ愛着・敬意が生み出した成果だ。サラリーマン役の吉野悠我もいいが、看護婦役の森尾舞が断然光る。まったく容赦の無い自分勝手の典型女性で、この極端さはかえって観ていて快感で、ひとつの女性のタイプを創りあげていた。

▼おもろ。カップル、中川。カップルは岡本太郎展を見て来た。岡本太郎の話で盛り上がる。私は絵は初期のパリ時代の「片腕」や、終戦後の「森の掟」「重工業」などは名作だと思うが、あとは同じようなパターンの絵としかおもえないが・・・。なにより「沖縄文化論ー忘れられた日本」と「縄文文化論」の著者としての恩恵だ。
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by engekibukuro | 2011-04-24 07:55 | Comments(0)  

4月22日(木)MEMO




 池袋のフラミンゴという喫茶店で銀粉蝶さんにインタビュー。面白いはましがきけた。このあいだの岸田賞のパーテイで野田秀樹さんに、野田さんの「ザ・キャラクター」、「南へ」にでている銀さんについて、”どんな女優だと思っていらっしゃいます、と聞いた。”彼女は最後のアングラ女優だね、それにポーズがきまる女優だ、と答えてくれた。その「南へ」での震災前後の話をきく・・。さすが最後のアングラ女優の覚悟というものを感じた話だった・・。このインタビューは、6月末に出る「シアターアーツ」47・夏号のわたしの「舞台人クローズアップ」という連載に掲載されます。

 ▼朝日新聞の天声人語に「世界の国からこんにちは」を作詞して、81歳で亡くなった詩人・島田陽子さんの新詩集で次の詩が紹介されていた。
<滝は滝になりたくてなったのではい/落ちなければならないことなど/崖っぷちに来るまで知らなかったのだ>しかし、<まっさかさまに/落ちて落ちて落ちて/たたきつけられた奈落に/思いがけない平安が待っていた/新しい旅も用意されていた/岩を塗って川は再び走り始める>。
 震災後日本への励ましだ。
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by engekibukuro | 2011-04-23 07:13 | Comments(0)  

4月21日(木)MEMO


▼近頃、芝居をしばしばとりあげている福田和也の週刊新潮の連載コラム「世間の値打ち」で、パルコ劇場の松尾スズキ演出「欲望という名の電車」をとりあげている。専門劇評家ではない文化人の批評は新鮮でいいし、狭くて閉じている感じがある演劇の世界へ別種の光があてられていて、とても嬉しい。
 それに福田は昨年、この芝居の舞台であるニューオーリンズへ行った。いまでも街中のバーは最高で、泊まったホテルの近くだけでも、24時間あyっているバーが6軒もあって毎晩のんで回ったそうだ・・。
 ・ブランチを演じた秋山菜津子については「秋山菜津子は素晴らしいの一言。これぞ、ブランチだ、という感じ。歳廻りも丁度いいけど、何といっても役柄の中でのリアリテイとフイクションの混在の捻れ具合が絶妙。今、一番、旬の女優さんだと聞いていたけれど納得しました。新聞の集金人との絡みなんかも素晴らしかった。ドキドキさせられる、怖いくらいいい芝居」
 ・ステラの鈴木砂羽については・・。
「この人、とても頭がいいね。ブランチにたいするポジションのとり方が絶妙。おとなしどそうだけど、芯が強い、現実的な妹を丁寧に演じている。ブランチとステラの姉妹は完璧じゃないでしょうかね」
 池内博之のスタンリーは・・・、これは点が辛くて・・・・。
 いろいろ注文はあるが、大学1年のとき国立劇場で文学座の杉村春子のブランチでこの芝居を観て感激して以来の、この芝居の観劇は満足だったようだ。
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by engekibukuro | 2011-04-22 07:22 | Comments(0)  

4月20日(水)M★「わが星」S★★「黄色い叫び」

★作・演出:柴幸男、ままごと、三鷹市芸術文化センター星のホール。昨年の岸田賞受賞作品の再演。地球と宇宙に流れる時間と、地上の日本の小市民の家族の時間、その一家の女の子の一生を対比させた、ワイルダーの「わが町」に触発された芝居だ。周囲を客席が囲む舞台で、白い円形の敷物の中と外、円形の周りを男4、女4の人物が、せりふをラップ仕立てで語りながら踊るように歩き、円形の中はつましい一家の暮らしが演じられる。壮大な宇宙のヴィジョンとありふれた小さな家族のコントラストが、ラップの韻律で浮き彫りにされて、たとえようの無い胸のそこからの寂しさをわき起こさせる。よく出来たファンタジーだ。しかし、この素敵なファンタジーも、大地震は安心して享受できる心の余裕を奪ってしまった・・。
★★作・演出:中津留章仁、中津留章仁LOVERS、ワーサルシアター。
 これはまことに驚くべき作品だ。この芝居は東日本大地震を正面から扱った芝居だ。震災から上演まで一月もないのに台本を書き上げ、稽古をして舞台にかけた。この中津留と若手俳優のユニットでの上演は、この短い期間で、メッセージの強さと芝居の面白さを両立させて、10人の男女の登場人物も個性豊かに描き別けられていて、とての短期間で仕上げた芝居とは思えない出来だ。中津留の根性と才能を如実に感じさせた舞台だった。被災地が舞台ではない、被災地や東京から離れた土地で、台風の通り道tで、土砂崩れが多発する災害地だ。この土地の青年団のメンバーの話だ。去年の災害で死者が出て、今年の祭りをどうするか、台風で倒れた電柱の補修のはなしなど、青年団の課題を討議する会議が行われている。そこへ東京から震災のときの東京の人間の振る舞いに愛想をつかしたこの土地生まれの青年が帰ってきていて会議に加わる。その青年が、今度の大地震であらわになった東京と地方の防災格差を解明し、それを放置していた現総理大臣を糾弾する。そしてここ過疎遅滞での防災対策を提言するが、あまりに発言がラジカルなのでメンバーに疎まれ相手に去れない。この会議での各々の発言は、今度の震災で日本人が感じ、問題にし、自分を苛んだあらゆる問題が出揃っている。甲論乙駁の渦巻きだが、おのれに身にしみる話ばかりだ。会議は不得要領で終わるが、強烈な台風が襲ってきた。この台風で死者がでて、仲間も大怪我をする。この災害での実地の体験の助け合いからお互いの反目も溶け出し、仲間が一歩そろって紐帯を深めてゆく方向を感じさせて終幕。また、中津留は災害の話ばかりでなく在日の女性との結婚の話とか、自分の娘の性体験に悩む父親の話とかもだす。困難な現実を二重に見せられる重さもあるが、あくまでお芝居の範囲でという配慮もほどこされている。とにかく素晴らしい意欲作だ。若手俳優も頑張った。24日まで、京王線八幡山ワーサルシアター。24日まで。
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by engekibukuro | 2011-04-21 12:13 | Comments(0)