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5月29日(日)S「ひやりん児」(作・演出:唐十郎)唐組

雑司が谷・鬼子母神。
 大雨がテントの上をたたく音が凄くて役者の台詞をききとるのが大変な晩だった・・・。稲荷卓央扮する青年尾加良は豆腐屋豆月庵に勤めている。絹ごし豆腐が一丁だけが浮いている水槽をのせたリヤカーを引いて、この路地にやってきた。行方がしれない兄貴分の水島を捜しにだ・・・。茅ヶ崎の海底で、ルビーを丸飲みにしようとしている一匹のタコにかかわる人々が尾加良の周りに集まってきた・・・。唐が演じる風来坊の水島も路地の奥から現れた・・。上演時間1時間10分、この短い時間の裡に水槽の中の孤独な一丁の豆腐と、因縁のルビーの係わりのハナシが舞台を煮詰めてゆく・・。ハナシの切れ目、切れ目で歌われる歌が事態の雰囲気を盛り上げて、これはもう純然たる音楽劇・・。唐芝居のエッセンスを凝縮した舞台で面白かった。なかんずく、やはり中心は唐の芝居。やつがれた風来坊の唐・水島が白いスーツ姿のまま、水槽の底に沈んだ多分そうだろう、糸こんにゃくを捕獲せんと水中に潜るシーンが圧巻だった。

▼メモ。鬼子母神の開場まえに横浜国大の室井先生にタバコを1本無心する。タバコをやめているのにねだればいただけそうな人がいればねだるというさもしさ・・。それで嫌われるのが禁煙をさらに確固にするというのも・・・なんだかねえ・・。さらに吸殻を雨の地面に捨てたら、先生が、ここは神社だから捨ててはいけないといって拾って携帯の灰皿に入れて・・無知蒙昧を恥じた。
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by engekibukuro | 2011-05-30 10:30 | Comments(0)  

5月28日(土)M「イエルマ」tpt BankART StudioNYK

作:フェデリコ・ガルシーア・ロルカ、訳/台本/詞:広田敦郎、演出:門井均、美術:朝倉摂、振付/ステージング:グスタボ・ザジャック、作曲/音楽監督/25弦箏/パーカッション/歌:かりん。
 この元日本郵船の倉庫跡の会場の太い柱が並ぶ会場を使って、tptは2009年にマイエンブルクの「醜い男」を上演してこの会場の独特の使用法を開発し、以来かっての本拠地ベニサン・ピットに替わるTo T h e Other P lace として活用している。2009年の同じ門井演出のロルカの「血の婚礼」がもっとも成功した例で、素晴らしい舞台だった。ロルカの芝居は、日本ではあまり良く出来た舞台はあまりない。スペイン独特の風土に根ざした芝居を日本で上演するのは、なかなか難しいのだと思う。しかし、この「血の婚礼」はその難点をクリアした、スペイン人の血のたぎった熱い情念がみなぎった舞台だった。こんかいの「イエルマ」はイエルマを演じた、井料留美が奮戦してロルカの世界に肉薄していた。かりんの劇中での25弦箏とパーカッションンの演奏、グスタボ・ザキャックの会場をうまく使ったステージングが朝倉の六角形の舞台美術を中心に門井が劇世界を構築して、ロルカのテクストを浮き彫りにできていた。ウマズメのイエルマの子をなせない苦悩が、夫との愛の不毛を照らし出して、大勢の女たちとの交流を背景に、不毛の悲劇性を突出させた・・・。tptは昨年の東京芸術劇場での「恐るべき親たち」も高い評価を得たし、ベニサン・ピットを離れての困難をのりきれて軌道にのってきたようで、嬉しいことだ・・。
▼メモ。ア・リーグ西地区のマリナーズはヤンキースに勝って勝率が5割になった。この地区はゲーム差がほとんどないから、マリナーズの地区優勝、ワールドシリーズ進出も夢ではなくなった。今日はイチローも打った。・おもろは、今晩は中川君だけ、この店の肉じゃがは厚揚げが入っていて、沖縄風のとても美味、あらためてこの店のたべもののよさを噛みしめた。今晩はマリナーズの5割達成を祝って泡盛を一杯増やした・・。
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by engekibukuro | 2011-05-29 08:31 | Comments(0)  

5月27日(金)MEMO











▼「現代詩手帖」5月号の和合亮一「詩の礫」を読む。福島県南相馬市で罹災した詩人の長編詩。もともとツイッターでのツブヤク形の詩だったのを再構成して誌面に載せた。呟きの連鎖は罹災の苦難を伝えて余すところは無いが、本来の多数のフォロワーとの交感がこの詩の本来の効用ではないのか、活字にすると二次使用のようで、ツイッターでの現場性を想像してしまう・・・。
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by engekibukuro | 2011-05-28 08:23 | Comments(0)  

5月26日(木)S「黒い10人の女」ナイロン100℃

 オリジナル脚本:和田夏十+(映画「黒い10人の女」市川昆監督)、上演台本・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ、振付:小野寺修二、青山円形劇場。
 いま実力、魅力とも兼ね備えた女優陣を擁している劇団は、ナイロン100℃だろう。この舞台に出演している峯村リエ、松永玲子、村岡希美は劇団以外でも、活躍して評価されていて売れっ子だ。それに独特の個性で舞台のアクセントになる新谷真弓、それに客演の中越典子、緒川たまき・・。さらに元ナイロンでいまはペンギンプルペイルパイルズでメインの役者になっている小林高鹿が客演している。
 芝居は和田夏十+市川昆夫婦の映画の舞台化で、半世紀前のテレビ業界が舞台。みのすけ演じる辣腕テレビプロヂューサーが、次々になんとなく女をこしらえて、それが新劇の女優から、テレビ局の食堂のウエイトレスからエレベーターガールまでにわたり、遂に9人に・・、さすがに10人目としてカウントされた、夫の乱行にも平然としていた本妻も、この男をなんとかしなければと・・、9人の女と謀議を重ねて・・。これからミステリーのスリリングな展開に・・。半世紀前のテレビ局の風俗の面白さや、ケラらしいフェリーニタッチの映像、小野寺修二の振付のダンシングパフォーマンスの鮮やかとか付加チャームは多彩だが、本線は峯村、松永、村岡が中心をなす女優陣の個性あふれる魅力と演技。峰村の貫禄、松永の怜悧、村岡の奇矯・・それに小林と組む新谷の破壊力・・・、昔タイトルは忘れたが、小林と新谷のナイロンでの二人芝居があって、その面白さはいまでも記憶に強く残っているが、その再現のようで楽しかった。いまは小林はPPPPの看板俳優だが、なにかPPPPの芝居ではおさまりかえっているようで、この芝居での片手が完治不能の皮膚病に冒されて半狂いのもてないニュース読みのアナウンンサーみたいなオカシイ役のほうがずっと面白い・・。ただ、芝居はケラには珍しく、この多彩な役者を物語りが支えきれていない印象をもった。仕掛けは豊富だが、だんだん失速してゆく感じで・・・。高打率のケラの芝居でもタマには、こういうときもある・・・・・・。
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by engekibukuro | 2011-05-27 09:14 | Comments(0)  

5月26日(水)S「どん底」演劇企画集団THE・ガジラ

 原作:M・ゴーリキー、上演台本・演出:鐘下辰男。
 「どん底」は新劇の代名詞、なんかい観たことか・・・。しかし、この鐘下版「どん底」は本邦「どん底」上演史で、こんなに既成のイメージというか、役柄や出来事の決まりを変えたのは初めてだろう・・。最近では、ケラの「どん底」があったが、ここまで改変しなかった・・。おおむね上演史に沿っていた・・。はたして「どん底」は生まれ変わったか・・。わたしは、土方与志、村山知義の演出した「どん底」も、明るい「どん底」として演出された公演中に亡くなった岸田国生の演出も(この公演でのサーチンを演じた芥川比呂志は今でも目に焼きついている)観た。映画では中学のときに観たジュリアン・デヴィヴィエ監督のフランス映画。今は丸井のビルになっている新宿の日活名画座でたしかルイ・ジュウベ特集のときで、ルイ・ジュウベが男爵、ジャン・ギャバンがペペル、フランソワーズ・ロゼーがヴァシリーサだった。この「どん底」のラストシーンは男爵とペペルが木賃宿から抜け出して明るい道を歩いている不思議後な光景だった。翻案の黒沢明の「どですかでん」で役者をやった藤原鎌足とヴァシリーサの山田五十鈴・・!
 さてこの舞台、なにより驚いたのは従来怪しげだが巡礼姿を装おった老人として演じられるルカー(この役は滝沢修のものが有名)が、若くて殴り合いまでする精悍な役になっていて、親切ごかしの偽善者という位地ずけは消し飛んでいる。錠前屋の女房は死ぬと、とたんに亡霊になって歩き回る・・。そのほかほとんど従来のそれとしていた役柄は変調していてとまどうこと、とまどうこと・・。それに鐘下定番の大音響は随所に鳴り響くし、荘重な教会音楽のもとでの霊的、宗教的なシーンもある・・。役者も生硬さが目立つ・・。しかし、だからといって、つまらないのではない。なにか、このヴァイオレンスと刹那性とが合成したガサガサした舞台は、従来の新劇の演出の基調だった「人間賛歌」ではない、現在的な「どん底」に向き合っているとも思えるのだ・・。いまの日本の表面をつくろっているタガがはずれたらたちまち現出する風景かもしれないとう予兆をはらんでいる舞台だとはいえる。
・▼メモ。「小説新潮」に連載していた佐藤優「落日の帝国ー私のイギリス物語」が終わった。佐藤が外務省のロシア語の研修生としてイギリスの軍隊所属のの語学校で学んでいたとき、ホームステイしていた家の男の子グレンとの交流記と、ロンドンに亡命していたチェコの東欧関係の書籍を扱う店で、チェコの神学書を買い、その店の店主との交流などを描いた作品だが、文章が素晴らしい・・。まさに佐藤は有識者・評論家よりも正真正銘の作家だと確信させる物語だった。グレンとの会話、つれっ立ったゆく食事のときのハナシなど忘れがたい印象をのこしたのだ・・・。
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by engekibukuro | 2011-05-26 12:32 | Comments(0)  

5月24日(火)M 椿組プロヂュース「ひとり芝居」連続公演

★外波山文明ひとり芝居「四畳半襖の下張り」(作:金阜山人、脚色:原田勤)
★★坂本長利独演会「土佐源氏」(宮本常一「忘れられた日本人」より)
       ・新宿・SPACE雑遊・
★は2回目だ。外波山さん、ますます円熟して余裕たっぷり・・、猥褻裁判で負けたくらいだから、きわどいモノで下手するととんでもなく卑猥になるのを、大笑いの艶笑譚にしているのはエライ・・、だが、客の大部分がしかめっ面で観ていて、笑うのが気がひけるような雰囲気なのはいかがなものか・・・。
★★の坂本さんは2月に胃がんがみつかり、摘出手術をしたそうだが、そんなことを全く感じさせないで元気に演じていた。坂本さんは山本安、木下順二の「ぶどうの会あ」出身、そのご劇団「変身」を結成する。その「変身」に入団したのが外波山文明だ。その「ぶどうの会」の頃、この会に近しい出版社「未来社」で高校、大学時代わたしはバイトしていた。未来社の創業時は、本郷のYMCAの部屋が事務所だった。別の部屋の返品の本が詰まれた部屋で(この部屋は木下順二が住んでいたそうだ)編集者の松本俊次さんの高校の教え子だった伝説の大工・庄幸司四郎さんと返品の再生作業をしていた。本の汚れを紙ヤスリでこすりとり、カバーをかけ替える・・。そのときの未来社の営業担当の小汀良久さん(のちの新泉社社長)の同郷(島根県出雲市)の友達が坂本さんで、本郷で一緒に暮らしていた。だからしょっちゅう未来社に顔にきていて、顔見知りだった。(ちなみに未来者社の創業者・西谷能雄さんの次男が、シアターアーツ編集代表の西堂行人さん)。
 さて、「土佐源氏」も前に一回だけ観ていたが、この女と牛だけには慕われた博労の今は老妻とくらす乞食のきき語りの今回の舞台は、この宮本常一がでだった時が80歳のこの盲目の乞食と、同年齢になった坂本さんが、芸が枯れてきて・・などと違う、円熟を通り越したなにか突き抜けた天地を感じさせる演技で、妙に伝統芸などに接近させない、これぞ坂本さんが育った新劇の演技の高度の達成の金字塔だと思った。すごい!
 二つの芝居の男は、二人とも世間的にはダメ男だが、女には思われ、慕われた。二人とも、女は大勢かまったがウソはいわなく、真心から接したと・・・だから「四畳半・・・」のハナシの女、新橋の芸者で「ねずみ千匹」の名器の持ち主は、いま一緒に暮らしているババアだし、博労の女房は、置いてきっぱなしにしていたところにメクラになって戻ってきたのに、戻ってきたのが嬉しくて親身に世話をして今は橋の下で共にくらすバアサンだ。
それに牛の売り買いが正業だった博労は牛にも慕われて、10年たって売った牛に会っても、モウッと泣くそうだ・・・。そのモウッという牛の鳴き声でこの芝居は閉じるが、その坂本さんの哀切きわまる牛の声が耳から離れない!・・・
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by engekibukuro | 2011-05-25 08:43 | Comments(0)  

5月23日(月)メモ

 神保町銀漢停での湯島句会。今晩も大盛会・・。老若男女、様々な人々が俳句という十七文字のポエジーを競うという日本独特のセレモニーにはのめりこみそうだ・・もうすっかりのめりこんでいる堀切克洋君、谷岡健彦君・・彼らに強制(すすめ)られて、来月は出句せざるをえまい・・。なにより終わった後の日本酒の美味さがこたえられない・・。選句でえらばれた谷岡、堀切君の句を下記に・・。
 谷岡健彦 ・卯波割き練習船の出港す・小さめの夫婦茶碗へ新茶かな・大波の砕くる上を夏の蝶
 堀切克洋 ・柏餅愛され上手は恩知らず・松島の穴子するする揺られゐて

・近所のスーパーで。静岡産の丸々太ったカツオが一匹600円で売っていた。狂喜して買い、三枚におろしてもらって、中落ちは酒・みりん・醤油で煮て酒のつまみにする。身は冷凍に・・、当分旬のカツオを楽しめる・・。

・このところ朝、モンテーニュのエセーを一章読む。一章が文庫版3-6ページで済み、大昔の大人の文章は、一滴のウイスキーを含んで読むと気が鎮まる・・。

5月21日ずけのパゾリーニの「豚小屋」の新聞紙の美術は宇野亜喜良ではなくて、<舞台工房 双真>でした。お詫びして訂正します。
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by engekibukuro | 2011-05-24 12:17 | Comments(0)  

5月22日(日)メモ







▼「シアターアーツ」の編集会議。新宿ルノアールで。次号の特集は「3・11に遭遇した日本演劇」

・久しぶりのオークスの馬券を買いに後楽園にゆく・・。昼前まで、真夏を思わせる暑さだったのに、午後からにわかに雨、レースが始まった時点では、大雨。マルセリーナとホエールチャンプという2頭が断然の人気でタンショウ単勝が2倍ちょっとだったのに、ホエールが3着、マルセリーナが4着、1着は後藤騎手が乗ったエリンコート。2着も人気薄の馬で大穴になってしまった。突然の大雨のせいとしか思えない・・。そういえば昔からオークスの当日はy雨の日が多かったな・・。それで大穴をゲットしたことが何回もあった。かたい本命を買っていたからパア・・。昔をおもいだせばよっかったたんだ・・。29日のダービーはなんとかしよう・・。
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by engekibukuro | 2011-05-23 08:00 | Comments(0)  

5月21日(土)M「豚小屋」(作:ピエル・パオロ・パゾリーニ)

構成・演出:川村毅、衣裳・美粧:宇野亜喜良、TFactory、座・高円寺。川村が大きな影響を受け、中学生のときパゾリーニが殺されたニュースが衝撃的だったパゾリーニの戯曲を上演すという念願が果たされたのだ。パゾリーニの戯曲の上演は本邦初だ。たしかに上演が難しいのが判る芝居。難解というよりパゾリーニの話法が通常の理解をこばんでいるから・・。だが、映画でも「テオレマ」でも「王女メデイア」でも、理解よりその独特の美学と力学で、圧倒された経験を思い出すと、この舞台も、背面全面を覆う新聞紙などの美術(劇工房 双真) などが醸成する気配の裡に、手塚とおる、河合杏南、福士恵二、大沼百合子、笠木誠などの、きりっとした格調をみせる演技が、パゾリーニのテイスト、訴求力を感じさせていた。川村のパゾリーニへの愛は実り、コミニュストでありながらカソリックであり、謎に包まれた生活を送っていたパゾリーニの魅惑の一端は開示されていたと言える舞台だった。ただ、特別出演の伊藤キムの役割が不分明だったり、主人公ユーリアンが豚に食い殺される背景の獣姦のイメージが弱いとかの難点は感じたが、第一歩としては成功していて、次のパゾリーニの上演が楽しみだ・・・。
▼メモ。雑誌続行。「群像」の先日なくなった戌井市郎の孫の戌井昭人の小説「ピンゾロ」が面白かった。戌井は「鉄割アルバトロスケット」という劇団の主宰者だが、小説家としても一家を成していて、独特の味がある。売れないもの書きの主人公が浅草の下っ端芸人と付き合って、チンチロリンの賭場で芸人のイカサマがばれて芸人が頓死してしまい、その後始末で山奥の温泉のストリップ興行のばあさんと娘を手伝う破目になって・・。底辺の芸人や、アウトローの生き様が活写されて、やたらに可笑しいし、そのもうもうたる雰囲気が魅惑的だ・・。古井由吉「枯れ木の林」、現在、古井は最高の文章家だ。おもわず声をあdして読みたくなる。「文学界には辺見庸の大震災で消失した故郷を謳った長編詩「眠の海ーわたしの死者たちに」が巻頭に。絶唱だ。一部を写す。
 <死者にことばをあてがえ>
 わたしの死者ひとりびとりの肺に/ことなる それだけの歌をあてがえ/死者の唇ひとつひとつに/他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ/類化しない 統べない かれやかのじょだけのことばを/百年かけて/海とその影から掬え/砂いっぱいの死者にどうかことばをあてがえ/水いっぱいの死者はそれまでどうか眠りにおちるな/石いっぱいの死者はそれまでどうか語れ/夜ふけの浜辺にあおむいて/わたしの死者よ/どうかひとりでうたえ/浜菊はまだ咲くな/畦唐菜(アゼトウナ)はまだ悼むな/わたしの死者ひとりびとりの肺に/ことなる それだけのふさわしいことばが/あてがわれるまで
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by engekibukuro | 2011-05-22 10:35 | Comments(0)  

5月20日(金)MEMO



▼雑誌読み続行。「新潮45」の震災特集、たくさん色々な分野の人の文章を読むと、結局、漠然としてきてしまう・・が、印象に残った文章は、音楽評論家で日本の右翼思想・運動の研究者の片山杜秀のもの(この人の朝日新聞のクラシック音楽の時評のわたしは大ファンだ)だった。片山はいまのNHKの地震警戒速報のテレビのチャイムを作った伊福部達という理科系の学者をとりあげて、その甥の音楽家、伊福部昭に言及する。昭も元々は森林学者で音楽は独学だった。その昭が映画音楽の分野でも活躍、新藤兼人監督の「原爆の子」や関川秀雄監督の「ヒロシマ」の音楽も彼だが、もっとも有名なのが「ゴジラ」の音楽。片山が博覧強記なのは有名だが、これも凄いね・・。地震と原発の今のテーマにかかわる小さな話だが、印象に残った。
・「新潮」の都築響一「夜露死苦現代詩2.0-ラップは光、言葉は影 ヒップホップの詩人たち」今は現代美術も現代詩も地方のアーテイストや詩人がもっとも活力があり優秀で、東京は捨てられていると都築は言う。ラップの詞・詩というものを初めて活字で読んだ。「世界」に書いた湯浅誠は、大震災をj取り上げて、文明論の舞台にする傾向を牽制する。被災者にとっては、復興か復旧かなどの議論より明日の生活が焦眉の急なのだ・・。それを度外視した議論はいかがなものかと・・。「すばる」では中沢新一が日本の文明の転換を、「at」では大沢真幸が大掛かりな原発論を書いている。視点の大小から、適正な視点まで見極めが大事だ。板垣雄三の中東革命の論文で、日本がイスラエルの医療援助団体を受け入れたのが、きわめてアクチュアルな今の中東情勢でのイスラエルへの政治的加担だと・・。そういうものか・・。・「テアトロ」の七字英輔の「秋山菜津子」論、よくもここまで彼女のデビュー当時からの舞台の演技を記憶しているものかと感心した。彼は時々睡眠不足を補っている姿をみるが、肝腎のところはみているのだ。プロだ。ただ、今年の「欲望という名の電車」の評価が、彼は低い。情趣が乏しいと、、これは松尾スズキの演出の問題だがと・・。文学座の杉村春子はブランチ・デユボアはを忘れがたい。北村和夫のスタンリー、松下砂稚子のウテラとの舞台が最高の「欲望・・」だとは思う。ただ、今回の松尾はこの芝居を没落した南部貴族の醸す雰囲気など無視した、即物的なニューオーリンズの下層の人々の話とした演出意図、松尾的世界観への導入なのだから、今回の秋山のブランチは松尾の演出意図を果たした素晴らしいものだと思った。杉村は立派に演じてみせたが、秋山はブランチを舞台で生きたのだ・・。ブアrンチを犯すときスタンリーが最初からこうなることはわかっていたのだ」と叫ぶ台詞のこの芝居の骨董である神話性はこの舞台でも保たれていると思った・・・。
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by engekibukuro | 2011-05-21 09:20 | Comments(0)