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6月29日(水)M★「おどくみ」S★★「クラウド」

★作:青木豪、演出:宮田慶子、新国立劇場。
 横須賀の惣菜屋の息子が学習院大学に通っている。その息子は仲間と映画研究会をつくり、いま制作しているのは「天皇暗殺」とかいう危なそうな映画・・。この一家は祖父母、終日テレビばかり見ている父、店を仕切っている母、皇室マニアの女性店員、それと生活不能者に近い、ダメ男の叔父がいて、医者志望の妹がいる。時代は昭和天皇の死の前後から平成にかけての時期だ。青木はこの時代の空気、天皇に対する日本人の気持ち、崇敬から愛着、蔑視、無関心までのありよう、また長男が一家の絶対的権威だという昔の決まりの残存とか、あの時代の気分をこの一家をとおして確度たかく描いている。芝居の山場は、葉山の御用邸の職員用の弁当の注文を受けて、届けた日に、その日の前の日にインド旅行から帰ってきた叔父が、猛烈な下痢に襲われる。叔父は御用邸の弁当つくりを手伝っていたのだ、インドから大変な病気に感染してきたか・・。この叔父を演じた谷川昭一朗が周囲をまったく気のかけられない男を演じて抜群に巧い。谷川ならではだ。一家を仕切る母役の高橋恵子、育ちがいいだけの父を演じる小野武彦、祖母の樋田慶子、店員の根岸季衣、皆役をそれらしくきちんと演じて、宮田が青木の台本の良さを十二分に展開させた舞台だった。
★★構成・演出:鈴木勝秀、青山円形劇場。円形の舞台の使い方の名手スズカツが、フィリップ・K・デイックの作品をアイデイアにして作った芝居らしい。役者の中心は田口トモロオで、ほかに鈴木浩介、粟根まこと、山岸門人、伊藤ヨタロウ。トモロオはスラム化した団地で、コンピューターに自分のあらゆる生活を入力するというクラウド、アリヒロガーだ・・・。そのへんの知識があやふやなのと、スズカツの芝居がどうも苦手とうか、享受力がないというかなので、久しぶりのトモロオの芝居を観るのが中心・・。この人の独特の声がとてもイイのだ・・。トモロオが大昔の今でも健在だがアングラ劇団発見の会でハムレットを演じたのを観ている。それと村松利史が作・演出・主演した、ハチャメチャな顰蹙ものの「人生の意味」という芝居にトモロオが参加していて、その芝居を「噂の真相」誌で劇評をしていたとき、評価して褒めたので、居酒屋でトモロオさんに「分かってくれる人がいるんだ」と感謝されて嬉しかった記憶が残っている・・。そんなワケで・・・。それとこの芝居で新感線の粟根まことが三つ揃いのフォーマルなスーツ姿で、刑事を演じているのが面白かった。最初だれだかわからなかった・・。
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by engekibukuro | 2011-06-30 08:53 | Comments(0)  

6月28日(火)M「さすらいアジアー人類の創生ー」壱組印

作:大谷亮介、演出:大谷亮介・松村武。舞台はモンキー・パーク、そこで猿達はダーウインの進化論にならっていつか”人間”に進化せんとして頑張っている。大谷と土居裕子のメオト猿と重定礼子(南河内万歳一座)の娘猿、草野とおるのシングル猿・・・、が、パークの規定でオス猿は10歳、メス猿は6歳で子供をもたねばパークを追い出される・・。10歳のシングル猿は6歳の娘猿に必死に迫るのだが・・。そこに外部で人間と修業してきた昔の仲間の清八と呼ばれる松村武の猿が戻ってきて・・・この猿は母猿に昔から気があって・・。
 とにかく猿たちのテンヤワンヤが広がって、大谷はもともと生物学者になりたかったそうで(そういえば大谷は水産大学出身だ)、その大谷の生物趣味が昂じた芝居で、猿達は総員役者の出身を思わせる関西弁でアジアの音楽が流れて、随分と他愛がない芝居だが、役者たちは一生懸命猿を演じて、”人間なんかになりたがる、なにが進化か”と思わせる振る舞いとダンスで、大谷が狙った”暑気払い、浮き世の憂さ晴らしには最適な芝居になっていて、まあこういう舞台もこの時期にアリなんだとは思わせた次第・・。


▼メモ。リビンにまえださんが戻ってきた。カウンターでの仕事ぶりが以前と同じく水際立っていた・・。楽しみが復活した・・・。
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by engekibukuro | 2011-06-29 10:11 | Comments(0)  

6月27日(月)MEMO











▼湯島句会、神保町銀漢亭。総数480句。規定投句数5句のうちの一句を選んでくださった方がいた。
5句作るのが大変で、むりやり作った一句、兼題は”さくらんぼ”と"蛇”。”さくらんぼ十四五粒もありぬべし”という句だが、これは子規の”鶏頭の十四五本もありぬべし”の露骨な置き換えで、皆出席した俳人はそれを知ってらしたのに笑って容認して下さった。ビギナーだからだろう・・・。ビギナーズラック!谷岡健彦さんは”立志伝あたまに敷いて昼ねかな!ほか2句、堀切克洋さんは”ぼーふら(難字。○子)といふを立てて泳ぎけり”他一句が選ばれた。さすが!
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by engekibukuro | 2011-06-28 11:25 | Comments(0)  

6月26日(日)S「太平洋序曲」KAAT神奈川芸術劇場

作詞/作曲:ステイーブン・ソンドハイム、台本:ジョン・ワイドマン、演出・振付:宮本亜門。
 この作品は、2000年に宮本の演出で新国立劇場で初演された後、東洋人演出家としては初めてNYブロードウエイでロングラン上演され、トニー賞の4部門でノミネートされた宮本亜門の代表作だ。その作品が自らが芸術監督である神奈川芸術劇場で、しかもこのミュージカルで描かれた土地である神奈川・横浜で上演されるという記念碑的公演だ。4隻の軍艦・黒船を率いたペリーが日本に開国を迫り、それに幕府からむりやり対応させられた浦賀奉行・香山弥左衛門とジョン万次郎、その悲喜劇が描かれ、アメリカと日本の現在にもせまるミュージカルだ。客席中央に設えたブリッジからアメリカ軍人と東インド艦隊司令官ペリーが威圧的に現れるとき、劇場の天井一杯に星条旗がするすると張り渡される。これほど日本とアメリカの関係を如実に悟らされる瞬間はなかった・・・。弥左衛門は八嶋智人、万次郎は山本太郎。舞台を進行させ仕切るのはナレーターの桂米團治。様々な分野の舞台人を集めた一座だ。宮本はこの舞台を、3・11を踏まえた、これからの日本を考える切実な契機として捕らえ、このミュージカルのメインテーマ「NEXT」に重ねている。その切迫感が迫る舞台だが、ただ、おおきな重いシーンと楽しい軽いチープなシーンとのバランスがぎくしゃくしているように見えたのがちょっと残念だった。
▼メモ。前回の「12人」の劇評に対し、山田勝仁さんが、アメリカの陪審員制度と日本の裁判員制度は異なるのに、それが混同されかねない、制作者側はそれについてチラシやパンフに言及するべきだったというコメンントがあった。たしかにそうなんだろう。気がつかなかったのは裁判員制度にわたしはもう年だから、当事者感覚がないせいかもしれない。日本では多数決、アメリカは全員一致、日本の制度では個人の個人の緊迫したドラマは生まれないという指摘は当たっているのだろう。「12人」は人が人を裁くというドラマの一般的段階に留まるにしても、いい舞台だったことはいえると思う。
・春の総決算「宝塚記念」はやっと極少的中・・・。
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by engekibukuro | 2011-06-27 09:15 | Comments(0)  

6月25日(土)M「12人ー奇跡の物語ー」オフイスコットーネ

作:Rejinald Rose,脚色・翻訳・演出:小川絵梨子、プロヂューサー:綿貫凛、Space早稲田。
 この舞台の小川・綿貫による新味と成功は狭いスペースを逆用して、客席を対面式にして舞台を挟んで観るの構図にしたこと。これによって臨場感が迫り、この陪審協議が身近な自分の問題としてより切実に感じられたのだ。
 ヘンリー・フォンダが主演した白黒映画を封切りで見て以来、様々な座組で、昨今の蜷川幸雄演出まで何回観たことか・・。三谷幸喜の潤色もあった・・。何回も観て、劇の主要なプロセスも結果も分かったていても、つねにスリリングな体験がもてるのは、原作の力だろう。今回は主役は寺十(ツジナシ)吾だったが、他の俳優は初めて見る人も多かったが、稽古を重ねたことがわかる、立派なアンサンブルを創り上げていた。翻訳劇の匂いを極力消して、日本人の話、出来事としての舞台にする工夫が細かくなされている。だから今の日本の裁判員制度に直結する極めてアクチュアルな舞台になったのだ。この舞台で、この劇のキーワードの”合理的疑問”という言葉が、切実に理解できkたことがなによりの収穫だった。それと11対1でも1人で疑問を守り続け、ほとんど徒労だと思われてしまう話し合いを続行させてゆく辛抱とエネルギー、その結果として全員無罪の評決が出るまでに至った経過をよく記憶しておくべきだろう。この舞台のサブタイトルのー奇跡の物語ーにしないために・・・・・。
▼メモ。谷岡健彦さんと一緒に観た。終わって池袋へ。フラミンゴで黒ビールを飲んでから、おもろへ。芝居と俳句の話、このごろじゃ俳句のほうが主で、27日の湯島句会の話。480句集まったそうで、谷岡さんがいうのは選句で選ばれるのは宝くじにあたるようなものだそうで、ましてオレのような初めての投句が・・、夢見ることさえおこがましい・・・・。が、ワクワクするのは仕方がない・・・。
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by engekibukuro | 2011-06-26 11:29 | Comments(1)  

6月24日(金)M★PカンパニーS★★劇団桟敷童子

★「夢、ハムレットー陽炎篇ー」(作・演出:福田善之)、吉祥寺シアター。身元不明の老人が病院に担ぎ込まれてきた。彼はうわごとのように呟いているのが、どうやら「ハムレット」の台詞らしいと、精神科の医師はつきとめた。そうなのだ、この老人は、敗戦直後、大衆演劇の一座の「若」と呼ばれた役者で、占領軍の意向で忠臣蔵などが禁止され、「ハムレット」を上演させられたときのハムレット役者だった・・。時代は敗戦直後にもどる・・。座主の父は死に、叔父が引き継ぎ母がこの叔父と結婚してしまう。ハムレットとそっくりの話なのだ。芝居は一座のハムレットの上演と、戦後の混乱、民主化の嵐の中の一座の役者の暮らしっぷりが重ねられ、福田芝居特有の音楽劇仕立てで進行する。劇の基本ムードは敗戦後の日本へのノスタルジアだ。舞台背面には戦後の様々な出来事の映像が流れ、混乱し貧しいが、なにか今より人間が素のまま懸命に生きていた時代・・それはそのまま20世紀への福田の熱い思いに重ねられ、ハムレットの登場人物と演じる役者の交錯が筋を追うのでなく山場、山場の音楽劇シーンで深まってゆく。福田の芝居の隠し味である、愛と禁忌、母への近親愛のエロチシズムも色濃いシーンもあり、そういう複雑な交錯が実に巧く音楽劇として処理されている。特にオフイリーアの狂乱のシーンなど秀逸だ。木山事務所から引き継いだPカンパニーの役者たちはハムレットの林次樹、オフイーリアの福島梓以下、客演の平田広明らを含めて見事なアンサンブルで、Pカンパニー初の中劇場公演は客も一杯で成功させていた。
★★「オバケの太陽」(作・サジキドウジ、演出:東憲司、美術:塵芥)、すみだパークスタジオ。舞台は例によって向日葵で一杯。この芝居は桟敷童子・東の到達点を示す傑作だ。舞台はかって炭鉱で栄えた九州の土地での元の炭住。炭鉱の事故で両親を亡くして、今は工務店の職人をしている松尾元と、この炭住に住む老婆に引き取られた、これも事故で両親を亡くし、親戚にたらいまわしに育ってきた少年、梁瀬範一、この二人が中心の芝居だ。この少年は東が前に書いた「泥花」に出てくる同じく事故で孤児になった浮浪児を思い出させる。「泥花」の少年は地の底から湧き出てきたような不気味な存在だったが、この少年も「オバケの太陽」々と呟いて向日葵にツバをひっかけ、人のいうことをきかない気味が悪い子なのだ。みな周りの大人たいは「オバケの太陽」とはなんなのかわからない。芝居は孤児だった元だけには匂いで同類だと感じたらしくなつく範一が周囲に段々とけこみ、「アバケの太陽」が炭鉱事故の兆しを示す発光体だとしれて・・・。ほかに工務店の女社長と跡取り息子の嫁との嫁・姑の激しい諍い、その嫁と元の不倫とかきわどい話も絡んでくる。このかっての炭鉱があった土地の人々のそれぞれは桟敷童子では皆おなじみの人物たちだが、役者たちはここに生まれついたように自然で生々しく、役柄も話の経緯も芝居の緩急jの具合、破綻寸前の気配とかも、サジキ・東は完璧に描いている。東は9月に日比谷のシアタークリエで「ゲゲゲの女房」の脚本・演出・美術を担当するが、商業演劇の書き手として大きく認められたのだろう。この芝居はそのことを十分感じさせた上手さなのだ。しかし、それだけではない。範一は最後には施設で暮らすことを承諾すのだが、ラストシーンで昔向日葵畑の中を石炭を運ぶ機関車が走る、その風景が「泥花」のラストと同じく舞台に突出し、「オバケの太陽」という言葉が、禍々しいだけではなく、もっとその先を示す言葉で、それは範一だけに分かる言葉とイメージで、この先たった1人で生きてゆくのは、その言葉とイメージだけを支えにするという静かな決意が伝ってくる、それは実に感動的なことだった。範一を演じた大手忍は忘れがたいイメージを残した。「オバケの太陽」ということばと謎をを作り出したサジキ・東は凄い。役者は元の池下重大ほか、これぞ劇団演技の魅力とうもののよさをそれぞれ発揮していた。
▼メモ。医科歯科大に内視鏡検査とCT検査の結果を聞きにゆく。内視鏡検査はまだ結論が出ず、CT検査はまったく問題がなかったと・・。あやしいのは癌のことかときくと、癌ではなくリンパ腺のナニカだと、そうか癌でないなら時間がかかっても検査につきあおう・・、この年で病気のひつももたないのは不自然だと・・思ったのだ。
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by engekibukuro | 2011-06-25 12:41 | Comments(0)  

6月23日(木)M「帰還」(作:坂手洋二、演出:山下悟)

劇団民藝、紀伊国屋サザンシアター。一昔まえなら、小劇場の典型的な担い手であった坂手が、新劇の老舗である民藝に新作を書き下ろすなど想像も出来なかったが・・。時代は変わったのだ!パンフレットの河野孝との対談で、坂手が演劇はメデイアとしての役割がある、ほかのメデイアとは異なる役割がるとあると語っている。これは有益な発言で、坂手が社会派とか情報提供者などというより、メデイアとしての演劇の第一級の提供者とすれば、すんなり納得がゆく。この芝居の主人公、大滝秀治が演じる横田正は高校の美術教師で絵かきだった男だ。老人施設のテレビで熊本のダム建設で、ひとりだけ水没地でがんばって居残っている女性の姿をみて、忘れ果てていた約束と、その地の樹齢を重ねてあたりを圧している銀杏の木を思い出した。横田は熊本に画家志望の姪を連れて熊本に行く。五木の子守唄の五木、川辺川ダムの建設予定地だ。横田は1955年代に日本共産党の山村工作隊としてこの地に2年間いついた。ダム対策や国の国土行政、少数の山林地主との闘争をしどうしたらしい。また、その地の銀杏の美樹が見える家に住まわせてもらい、その家のあるじの女性と親しくなって・・。”かならず帰ってくる”といってその地を離れた・・。だからとてつもなく年を経た”帰還なのだ。かって住んでいた家には、あの女性の娘が住んでいた。芝居は老人のかっての活動、言動の思い出と、代替わりした土地の人々との関係が混じり合うが、会話の大部分は日本の敗戦後からの国土政策、水力行政、農地改革、ダム建設をめぐる現地の状況についてだ。坂手特有の過去の人物が突如現れる夢幻能仕立てのシーンもあるが、中心は終戦後から菅内閣までのに日本のダム行政とそれにまつわる話で芝居らしい人間関係は淡く、メデイアとしての機能が強い。それは演劇ならあではのメデイアの役割を十分果たしていたし、俳優たちもメデイアとしての機能をおおらかに引き受けていた。ただ大滝だけは、この謎の多い老人をメデイア機能を凌駕する孤高の人間として独特の存在感を、そのオーラを舞台に放ち、戦後を生き抜いた人間の証しとしての大いなる痕跡を示した。大滝はやはり名優だ。
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by engekibukuro | 2011-06-24 08:11 | Comments(0)  

6月22日(水)S「標本 奇譚集2011」(作・演出:下西啓正)

乞局、リトルモア地下。本公演とは別路線の奇譚集の第一回目だ。この回の「標本」は、<「蜂>、<「蠅>
<「蜻蛉>、<蝶>と4種の虫をとりあげ、、これらの虫に擬した人間の生態標本だ。下西の芝居はなにかつかみどころがなく、観終わって釈然としないこともあるのだが、強烈にあとをひく・・、何が乞局・下西の蟲惑なのだろうか・・。平田オリザは「下西啓正義率いる乞局の描く世界は、不思議な暗闇に包まれている。その暗闇の細部には鬼が住んでいる。しかしその鬼を見つけるためには、観客は静かに暗闇を凝視しなければならない。何も見えない真空の時間に耐えたものだけが、下西啓正の世界を垣間見ることができる」と書く。垣間見るのもたいへんなようだが、その不思議な暗闇にはまた、いつもネガテイブな所業を繰り返し、こりもしない男女がうごめいている。その果てしの無い日常に埋没し、浮上する哀感をも凌駕する人間の愚かしさと切実さの合体、いわば聖なる下らなさのリアリテイがわれわれを無性に引き付けるのだろう。その特徴、下西の世界のエッセンスがこの4つのオムニバスには詰まっている。改めて下西の世界の魅惑に触れた思いだった。

▼メモ。将棋名人戦第7局の決勝戦をテレビ中継でみた。挑戦者森内九段が先に3勝し、羽生名人が3連勝して決勝に持ち込んだという大熱戦。森内が勝ったのだが、その勝利の決め手になった74手目4四角を目撃できた。良く分からなかったが、この手をみて解説陣が色めきだし、戦局が急迫してきた。凄いね4四角。しかし、ぎりぎりまで防衛した羽生名人も凄い。ひさしぶりにテレビで見たが、一段と風格が上がってきたく。わたしは、この羽生とマリナーズのイチロー、ジョッキーの武豊の3人は戦後が生んだユニークなスターだと思う。痩身でシャープ、シャイで粘り強い強靭さを共有している。年を重ねて壁も出来するだろうが頑張って欲しい。
・俳句雑誌「銀漢」で連載している谷岡健彦「せりふの詩学」の7月号のサイモン・ステイーヴンズの戯曲「ポルノグラフイ」の紹介が面白かった。ロンドンのイスラム原理主義者による自爆攻撃での地下鉄爆破事件を取り上げた芝居だ。
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by engekibukuro | 2011-06-23 11:49 | Comments(0)  

6月21日(火)M★「超訳マクベス」S★★「子供騙し」

★楠美津香(演出:扇田拓也)、下北沢・楽園。10年前に講談風に演じた「マクベス」の好評が、シェイクスピア全作品を演じる「ひとりシェイクスピア」の出発点だったそうだ。今回は、そのときの台本の”完全改訂版”による。坪内逍遥・小田島雄志訳が参照されている台本だ。わたしは「ロミオとジュリエット」「ハムレット」に続く3回目の観劇。楠の流儀が飲み込めてきて、面白くなってきたのだが、今回は少しのりにくかった。彼女はシェイクスピアの作品を”格調”と”下世話”に分けて、わたしは格調をさけて下世話でゆくと・・・、下世話一本でもシェイクスピアの凄さ、面白さは十分伝えられると・・。どうも格調と下世話を「マクベス」で確然と分けてしまうのはどうなのだろう。ようは定番崩しだとすれば、あまり崩すとシェイクスピアではなくなるというか、その定番というのも観ている人間の思い込みを含んでいるので危ういのだが、私は今回がマクベス夫妻を中心に追っているのでちょと下世話ではものたりなかったようだ・・。ただ、シェイクピア体験、「マクベス」をどのくらい観ているかなどのそれぞれの体験でずいぶん見方がいろいろあるだろうとは思う。楠がよく戯曲を精査して、自分流の台本をきちんと作り、魔女関連はじつに面白く、最後の名台詞もきちんと聴かせているし、上出来の舞台あだからこその話なのだが・・。
★★作・演出:水谷龍二、トム・プロジェクト、紀伊国屋ホール。現在は被災地になってしまった三陸の初老の男(高橋長英)が1人であyっている小さな床屋での話。この店を暴力をふるう夫から逃げてきた女(富樫真)が手伝っている。その女を夫から依頼された私立探偵(篠井英介)が捜し出した。東京へ連れ帰るという探偵を二人は必死に子供騙しの嘘を連発して防衛する・・。この探偵、夜の8時になると女・ゲイに変身する。高橋の初老の独身男の寂寥、その男に惹かれて恋情が萌す富樫、そしてこれは万全の篠井のゲイ演技、この三人の丁々発止の芝居を楽しむのがキモの舞台である。
▼メモ。「超訳マクベス」は元「新劇」編集長の梅本さんと観た。下北の駅の下で岩松了さんと出くわした。本多劇場でのクドカンの芝居にでている。週刊文春に書いている岩松さんのコラムが面白いので、それを伝える。・「新潮45」の椹木野衣『岡本太郎「明日の神話」をめぐる「レベル7」』、渋谷駅構内の岡本の壁画への描き足しについて。この絵は岡本が、メキシコのホテルに依頼されて画いたもの。そのヒテルが破綻して、この絵はゆくへ不明に。何年かたって見つかったが、もうボロボ。やっと修復した絵の右下には欠落部分があって、その部分に若手アート集団ポンチムが無断で「福島原発」の絵を画きたした。この「明日の神話」は核戦争が主題だが、この画き足しでこの壁画が補強され、アクチュアルになったと椹木は評価している。岡本が生きていれば、フンといって黙殺するかも知れないが、おおいに認めただろうと椹木は書いている。
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by engekibukuro | 2011-06-22 09:32 | Comments(0)  

6月19日(日)M「桃色遊戯」(作・演出:工藤千夏)

渡辺源四郎商店工藤支店、アトリエ春風舎。
 人気アイドルグループ「クッキーズ」が解散して10年たった。グループの中心だった工藤サユリの訃報が流れた。残されたメンバーのミツルとレイはグループの復活を図るが・・。それと重ねて津軽十三湊(とさもなと)高校のヒロシ、タケシ、コースケの唄と踊りのグループの活動が描かれる。ミツルとヒロシは「虚構の劇団」からの客演で三上陽永、、レイとタケシは工藤良平が演じた。なにごとも積極的なミツル・ヒロシ、野心がとぼしいレイ・タケシ・・。この二組の友情の物語だが、三上と工藤の個性がイキイキと現れていて、多感な青春のヨロコビとツラサがひしひしと伝わってくる舞台だった。高校のグループの一人コースケは性同一性障害に悩み自殺する・・、ヒロシはあとにタレントにはなったが、なぜか自殺する・・。良く書けていて見応えがあった・・。これもわたしが一番惹かれるのは舞台をとおして伝わってくる津軽の風土と津軽で暮らす人々だ。そして演じる地元の俳優達の魅力だ。だから、わたげん商店・畑澤聖悟が前にそこで活動していた弘前劇場の芝居もわたげん商店の芝居も大好きで東京公演はほんとうに楽しみなのだ。
▼この芝居を色々な役でサポートして客演の花組の各務立基が観られたのが嬉しかった。この人は花組に入るか前にタイトルも作者も思い出せないが、たしかシアタートップスで西山水木がでていた3人芝居に出ていて、まったく無名だった各務の演技にびっくりした記憶がある。先輩二人の俳優を食いまくった強烈な個性だった。それからル テアトルで上演された江守徹の演出の秋元松代作「山ほととぎすほしいいまま」、これは俳句の才女杉田久女と師匠の高浜虚子の交情と軋轢を描いた芝居で、久女に係わる九州の激しい性格の男を演じて、虚子に扮した江守に一歩も引かない堂々たる演技だったのを覚えている。花組に入ってから、なにか生彩を欠いているような気がしていたが、今日の舞台はラストにステキな英語の歌を歌って、本来の魅力に接した思いがしたのだ。
▼メモ。日曜日に店を開けている千駄木の五十蔵(イスクラ)にゆく。店のママのシーちゃんから、高平忍さんが昨年11月に亡くなっていたことを知らされた。長いこと一緒に芝居を観たり、この五十蔵が池袋にあったころから一緒に飲んだ大先輩だった。合掌!ここでも泡盛、ここでは3杯呑む・・・。日本橋劇場で講談中心のバレテイを見てきたという女性の常連客が来て、すぐになんで菅をヤメサセルノヨといいだし、店のユー子ちゃんんもその話に応じて政治の話に・・。この店でこんな風景ははじめて、あらためて今の事態を思わせたことだった。
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by engekibukuro | 2011-06-20 11:31 | Comments(0)