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5月30日(水)M★「キツネの嫁入り」S★★「女人渇仰」

★作・演出:吉田小夏、青☆組、こまばアゴラ劇場。
 今の時代の新作民話劇・・。女の子が生まれない小さな島でのお話・・。お嫁のきてがいないので、キツネにたよらざるをえない・・・。島の住人のひとり真島一雄のもとに、やっとキツネのお嫁さんがきてくれた・・。真島一家は大喜び・・、このお嫁さん椿さんは、人間の男の子は、お母さんに似た女性が好きになるというのをきいて、亡くなった似せて化けたが、あまりに似過ぎていて、体にさわれない・・、すると椿さんは、直ぐに違ったスキナな顔の女性に替えてくれて・・、椿さんは人間以上にお嫁さんの仕事、家事万端に励んでくれて・・・、いろいろエピソードがあって、やっと念願の子供を授かって、一家も村中も村h大喜び・・。だが、鶴の民話とおなじ、ホンモノの姿をみたいという禁忌を破る誘惑に一雄が負けて、、。民話の定法の結末へ・・、キツネは消耗仕切った姿になって昇天した・・スミレよいう女の子は残したが・・。吉田の劇の基本トーンである、人間、ここでは生き物も、生きているものへの慈しみ、愛おしさが純粋に感じられる芝居だった・・。
★★「にょにんかつぎょうー女人渇仰」(作:岸田國士、構成・演出:井上弘久)、南青山マンダラ。このレストラン兼ライブハウス・マンダラの企画「岸田國士を読む」というリーデイングリのシリーズの一晩、昨年解散したUフィールド主宰の井上と森屋由紀夫婦が読んだ。岸田は昭和24年に雑誌社にホテルに缶詰にあれた岸田はどうにも書く感興が湧かず、裏町へ散歩に出た。その夜の道で夜の女、二人連れの当時のパンパンガールの一人に「あそんでいかない」と声をかけられた・・。が片方の女が「おじいちゃんよ」といって注意し二人とも去っていった、この出来事でひらめいて、一晩でこの戯曲を書き上げた・・。主人公は一人娘と暮らす老人で、或る晩、夜の街で19歳の夜の女に誘われてホテルへ・・。もう体が効かないから、お喋りだけで、娘にはカネをやって先に寝かすが、老人はその娘の優しさに感動する・・、劇はこの老人の生涯の女たち、母、死んだ妻、娘との関係を思い出しつつ、回顧し、ぶつぶつ呟き続ける・・。みな、老人には付き合いずらい女たちだった、悪母、悪妻、悪娘ではないが、なんともソリが合わない女たちではあった・・。その思い出と、
翌朝ホテルから帰ってからの娘との会話で、この老人の女人体験が如実にわかるのだが、どうも19歳の夜の女との一晩の会話で女人に対する見方が刷新されたというのも一寸大げさで、老人にも問題があるし、この老人の述懐がはなはだアイロニカルなのが面白いので、そのへんの機微を井上・森屋はちゃんと読み込んで表現しきっているので、一昔まえの日本人の暮らしっぷりをも髣髴され、なかなかよくできたリーデイングだった・。一晩かわりのこのリーデイング、明日は松山政路が出る「チロルの秋」だ・・。
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by engekibukuro | 2012-05-31 10:07 | Comments(0)  

5月29日(火)


▼いとうせいこう・佐々木中著「Back2Back」(河出書房新社)読了。「2011年三月ニ十七日、東日本大震災の余震がつづき、福島における原発事故が刻々とその余波をひろげる最中に、いとうせいこうと佐々木中はこの企てを開始した。それぞれ一章ずつ、打ち合わせなしの即興でひとつの小説を書き上げ、佐々木中の公式サイトにおいてリアルタイムで募金を求めるというものである。両者の印税および装丁者の報酬、および河出書房新社の利益の一部は被災者へ寄付される」「タイトルの『Back2Back』とは、複数のDJが一曲ごとに、相手の出方を見ながら交亙に曲をかけて行くことで、『フリースタイル』と同じく、ヒップホップの即興技法の一つである」
 以上のような本だが、小説の内容は、かなりペダンチックな高踏的な小説で、内容を要約しずらい。
・図書館で「文藝春秋」「中央公論」「新潮45」「小説新潮」「群像」の主に、福田和也、佐
藤優、片山杜秀、大江健三郎、蓮實重彦の連載を読む・・。
・堀切克洋「演劇嫌いのための縁議論ーアルトーからイヨネスコへー」を読んだ、アルトー研究者としての堀切君の専門論文を初めて読んだ・・。アルトーとイヨネスコの結びつきをはじめて知った。
アルトーという巨峰についての論文だから、本文論文の長さに比して、仏語、邦語の参照文献の多さに驚く・・・。
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by engekibukuro | 2012-05-30 07:49 | Comments(0)  

5月28日(月)







▼谷岡健彦さんに勧められたケン・ローチの息子ジム・ローチの映画「太陽とオレンジ」を岩波ホールで見た・。昨晩につづいて岩波ホール。英国の親が捨てたり、親からひきはなされた子供を里子にだすといってひきとり、国と教会がそういう子供たちを集めて船でオーストラリアに運び、孤児院にいれる。そこで強制労働にかりだされ、性的虐待とかひどい待遇をうける・・。その事実を知った夫と二人の子度をもつ福祉の仕事をしている女性が、調査し、その孤児院を出た男女の親をみつける行動をおこす、その孤児院の実体があきらかになると、様々な妨害がはじまって・・。社会派監督ケン・ローチの映画は一寸苦手だが、息子の作風も親に似ているところもあるが、地味だが久しぶりに純粋な良いイギリス映画をみたという満足感があった・・。
・湯島句会、堀切克洋君が絶好調・・。兼題・母のお日では、”母の日の永遠といふパーマかな”。兼題・若葉では”若葉風二股くらゐなら赦す”いじれも選句多数・・。わたしは一句だけ”母の日やフロイトを読むバカ息子”が・・。一句だけでも天にも昇る嬉しさよ・・。あとの酒がうまい・・。アベレージヒッターの谷岡さんは今回も複数句選ばれていた・・。”目の慣れてなほ下闇の深きかな”・・。ここでの楽しみは谷岡さん、堀切君と芝居の話・・サラ・ケインの翻訳をやった谷岡さんが、昨日の鴎座の「洗い清められ」がユーゴスラビアの民族浄化の話だとしっておどろく・・。わたしが見損なったのだろうが、全然そうとは思えなかったから・・。堀切くんから早稲田の演劇博物館紀要に載った論文「演劇嫌いのための演技論ーアルトーからイヨネスコへー」を貰った・・。
・医科歯科大の外来へ・・。帰りに久しぶりに神保町の芋屋のトンカツを食べる気になった、ゆく。おいしく食べられた、元気になったのかな・・。
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by engekibukuro | 2012-05-29 10:20 | Comments(0)  

5月27日(日)★M「洗い清められ」★★S「毒猿」

 ★作:サラ・ケイン、訳:近藤弘幸、演出:川口智子、振付:辻田暁、鴎座、space EDGE。佐藤信の個人劇団「鴎座」のフリンジ企画クレンズプロジェクト03.サラ・ケインの「クレンズド」のリーデイングを2回重ねて、今回がフリンジ企画の本公演。コンクリートの上に長方形の土を敷いて独自のマチエールを創る・・。ダンスと音楽をミックスした演出で、28歳で鬱病で自殺したサラ・ケインの劇世界に迫った・・。独自のイメージを重ねてサラ・ケインの鬱の世界観のトーンを感じさせた・・・。が真面目に精進を重ねているのは重々承知しているのだが、、この周囲の識者に恵まれた「鴎座」の若手たちが、サラ・ケインの世界を自分たち独自の表現としてのビジョンを創りだし、そのための表現技術を探求する思い込み以上の舞台を期待したい・・。
★★作:大沢在昌、構成・演出:鴨下信一、白石加代子「百物語」第三十夜、岩波ホール。とうとう95話に達した・・。今回は大沢のハ-ドボイルド一気読みの試み・・。いままで殆どがステキな着物姿だったのが、今回は頭はオールバックで、制服のような黒ずくめの上着、ズボン姿、バックは「新宿鮫」の世界、ヘオン輝く歌舞伎町・・・、日本に逃げた獲物を追う台湾の殺し屋、それを追う台湾の辣腕刑事、その殺し屋と残留孤児だった風俗嬢との悲恋、その一切を引き受けた新宿署の鮫島刑事・・・。追いつ追われつの殺しの場面が続出するハードボイルドをニコリともしないで、休憩を挟んで2時間で一気に読み終わる・・。いつもはカーテンコールで笑顔で挨拶するのだが、今回は無言で苦い表情をのこして一寸頭を下げるだけの徹底したハードボイルドで終始した・・。文学的香気がどうのとか思ったが、95話も続けたのだから、こういう異色の試みも貴重だなと思い改めたのだった・・。
▼日本ダ-ビー、2着にきた蛯名騎手のフェノーメノを頭にしたのだが、皐月賞馬内田騎手のゴールドシップとの3連複にしたのでダメだった・・、競馬はやはりワイド馬券にかぎるようだ・・。
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by engekibukuro | 2012-05-28 08:46 | Comments(0)  

5月26日(土)M「やってきたゴドー」名取事務所

作:別役実、演出:K.KIYAMA、俳優座劇場。
 20世紀演劇の象徴的存在ゴドー、そのゴドーが生身の日本語をしゃべる存在としてやってきた・・。2007年の末木利文演出では、なにかピンと来なくて、別役というベケット研究の著書もある日本での不条理劇の大家が書いた劇で大方の評判もいいので、自分の鑑賞能力を疑ったりしたので、K.KIYAMA演出で、その曇りが晴れると期待したが・・。なにか”やってきちゃいけないソンザイが暗黙の禁忌をやぶってやってきたら誰も待っていず、そのためか世界は収拾がつかない喜劇的な様相を示して・・、どうもいつもの別役劇の色々なピ-スの舞台での育成感がなくて、なにかとってつけたようで・・。どうもフイジカルな存在とメタフイジカルな存在が、舞台で人間として混在させるのは存外難しいようだ・・。別役劇もどんどん別役劇演出で腕をあげてきたK.KIYAMA演出も大好きだが、この芝居に限ってダメだなあ・・・。
▼杉山茂丸「百魔」(書肆水心)読了。”思い返せば旧往(ふりゆく)月日、北の野末の寒風に、世に捨てられて行吟(さまよ)いし、私母子が身の果ても、良人と天野のお師匠に、拾い上げられ現し世に、、思い絶えたる仇を討ち、此にて人の一生は、枯れも果つべき物なるに・・”というような文章の860ページ、少々難義だったが、非常に面白かった。福田和也がいううとおり天下の奇書だ。さすがこれも夢魔的な奇書「ドグラ・マグラ」を書いた夢野久作の父だ。明治の伊藤博文はじめ殆どの明治の貴顕・権力者とち知己であり、アドヴァイサーで、また海外をまたにかけた大実業家だった。号を其日庵と称し、その庵主が幕末から、明治、大正にかけて遭遇した男女の数奇な運命をたどった男女の魔人を書き上げた・・。日本人の強さ、面白さ、日本語の面白さを満喫できた・。七十ニ才で死去。右翼の巨頭、盟友頭山満の弔文「杉山茂丸其日庵ト称ス 余ト同郷ノ盟友ニシテ国士也 
縦横ノ機略ヲ以テ朝野ノ諸勢力ト相結ビ新興日本の諸政ニ参画シ普遍不党国運ノ進展ヲ扶翼シ隠忠ノノ誠志ヲ一貫ス 又平生死体国有論ヲ唱エヘ遺言シテ自己ノ遺骸ヲ東京帝国大学ニ寄付セシム 元治元年生レ、昭和十年死ス 享年七十ニ」。・鶏(にわとり)の声を合図に旅たてば冥土につくは暮鐘(いりあい)のころ。
・おもろ。冷凍庫で冷やした泡盛がうまい季節になった。カップルと中川君・・。カップルは猿之助の襲名興行をみにゆくそうだ・・。
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by engekibukuro | 2012-05-27 10:02 | Comments(0)  

5月25日(金)







▼神奈川県立美術館葉山に湘南新宿ラインで行き「須田国太郎展」を見た。欧州留学のときの模写が1部屋あって、ゴレコやテイツアーノの名画の模写が”ホンモノ”のように鑑賞できる。ほとんどの画業が集められていた充実した展示だった。須田展ンのキャッツフレーズ”光と影の生命(いのち)”にふさわしい、素晴らしい絵画群だ・・。自画像はじめ各種のジャンルがあるが、とくに山岳風景と動物の絵が、全体の暗鬱な色調に覆われていて、その色調のなかでのフォルムがなんともいえず絵の前を立ち去らせない魅力がある。最大の目玉は、それこそ代表作の「犬」で、これも有名な名画「鶴」と二つ並んで、特別席・・。青い目が光る黒犬の背後が、町の民家の緑の屋根で、そと中間に白い淡い陽の光、、その犬の黒が冴え渡る、神々しいほど美しい絵だ。この絵は前になにかの絵画展で偶然目に飛び込んできて、釘ずけになったのだった・・。知らなかったのだ・・。おもえば中学生のとき見たルオー展で「ヴェロニカ」をみたときから、府中の美術館で見た青木繁の「早春」、河村美術館で見た光琳の「紅白梅図」、これもどこかの絵画展で見た岸田劉生の「切通之写生」も、偶然目に飛び込んできて釘ずけになったのだった、倉敷の大原美術館で見たピエール・スーラージュの絵は終生の友になった・・。
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by engekibukuro | 2012-05-26 06:34 | Comments(0)  

5月24日(木)S 文学座アトリエの会

「NASZA KLASA (ナシャ・クラサ)・私たちは学んだー歴史の授業・全14課ー」
(作:タデウシュ・スウオボジャネク、訳:久山宏一、中山夏織、演出:高瀬久男)
 ナシャ・クラサー意味は「同級生」または「共に学んだ仲間たち」。舞台はポーランド北東部の小さな町、1920年代から2003年にいたる長い年月・・。この町で起こった、ポーランド人のユダヤ人虐殺事件を取り上げた芝居で、元々ポーランド人とユダヤ人はそれなりに共生して暮らしていて、この同級生たちも仲良よしの仲間だった・・・、それがポーランドがスターリンのソ連とナチス・ドイツに占領され分断されて、その圧制のはけ口としてポーランド人がユダヤ人を憎悪し、遂には町のほとんどのユダヤ人を狭い納屋に閉じ込めて焼き殺す・・。それも仲良しだった同級生を・・だ。その事件の発生から、2003年の事件糾弾の裁判までの長い年月の、男7人、女3人のそれぞれの運命を追って、歴史に蹂躙され翻弄された人間の姿は過酷で激動の20世紀の歴史を体感させた。劇はそれぞれの運命を小さなピースで積み重ね、人物は劇の当事者であり、その人物についての語り手であって、その両者が重なった人物像が、過激な情動を抑制し、恐ろしい人間性の暗闇を潜めながらでも、ポーランドの、20世紀の歴史の授業、認識の劇として成立させた。
 これは高瀬の素晴らしい演出と中村影男、清水明彦、山本郁子のヴェテラン俳優以下の俳優陣のここ一番の力のこもった演技と、それを統べる高瀬の緩急自在の統率が、力強いアンンサンブルを創出して、瞠目すべき舞台を創りあげた。久しぶりといっていいて文学座の底力をまざまざと感じさせた快打だ。同じようでもある人種差別を扱った南アフリカの芝居「シズヴェは死んだ?!」の演出は同じ文学座の鵜山仁で、美術は両方とも島次郎、「シズヴェエ・・」の背景の沢山の写真、この舞台の学校の教室の机と椅子だけの簡素な舞台、島の貢献も大きい・・。高瀬がテキストから舞台化への独特の抽出力、造形力は定評があるが、おの芝居でもユダヤ人のトラウマ、凄まじいアンビバレンツの喜怒哀楽の細部・機微を掬い上げ、要所に同級生であることのつながりを認め合う歌・合唱を効果的に挿入して舞台を多彩化した・・。それでも日本人は東欧のユダヤ人と暮らして当事者ではなくて、”知的”には理解できても、皮膚感覚では体感できないところがある・・、それは作者が語ること「『ナシャ・クラサ』は、自由と運命についての問いを投げかけます。私たちは、各登場人物と己を同一化しながら、答えを出し、感じとらあんくてはなりませんー自分がその人間の立場に置かれたら、どうするだろう?私は、回答を手助けするつもりはありません。むしろ、逆です。回答が困難で
複雑なものになるように、できる限りのことをするのです」、だからこの芝居を理解することの不備感そのものが貴重なのだろう・・。
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by engekibukuro | 2012-05-25 10:01 | Comments(0)  

5月23日(水)M「燕のいる駅」(作・演出:土田英生)

三鷹市星のホール。
 なんとも不思議なとらえどころがない芝居だった・・。舞台は表にホームがある駅の構内、列車はもうこない・・・、連絡も途絶えた・・、この構内に駅員二人(久ケ沢徹・内田滋)、売店の女(酒井美紀)、偶然この村にやってきた葬儀屋の女性上司と部下(千葉雅子・土屋裕一)、この村の住人(中島ひろ子・尾方宣久)が出入りする。この村は”日本村”というらしい・・。これは世界の終末の風景らしい・・、土田テイストのSFドラマ・・、これは初演は震災前だったが、土田は今回は震災を意識して書き直したそうだ・・。この全く外部との連絡が途絶え、なにやら皆それぞれ体調が悪化してゆく状況は、原発事故・放射能被害、それらで見捨てられた地域の状況を思わせて、絵空事ではないという皮膚感覚を刺激する・・。だが、土田はこの状況の原因とか現在の状況とかの説明は一切ない・・。ただこの村はほとんど無人で、店にも誰もいないらしい・・、でも登場人物は自分の普段の卑近なことへの関心しかがなくて、自分で状況をどうにかしたいような気持ちも気配もなくて、絶望してわめきちらすようなこともなく、静かに状況を受け入れて消滅しゆく・・。だから見所は土田テイストの人物造形、人間関係、会話の妙、心のそこではこの絶望的な終末を承知しているが、だからこそますます普段どうりの振る舞いにこだわるありさまが、絶妙に描かれていること・・。俳優たちもよく土田の世界を咀嚼して、なんとも不思議な舞台を醸成させていた・・。
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by engekibukuro | 2012-05-24 07:20 | Comments(0)  

5月22日(火)






▼週刊現代の福田和也の連載コラムで明治以来の日本の代表的な女優を毎週取り上げている。初めての帝劇女優・森律子、姉が女優になったことを知った弟が自殺した。川上貞奴、松井須磨子、水谷八重子に続いて、今週は田村秋子。内村直也や戸板康ニの、田村は日本一の女優だと語った話を紹介し、ある劇作家は田村の舞台を観て、”こんな凄い本を書いたのは誰だろう”と思ったら、それが自分が書いた芝居だったという話とか・・。私は幸い文学座の「龍を撫でた男」とかピカデリー劇場での「ヘッダ・ガブラー」を観ていて、まさしく日本一の女優だと思って現在に至っているので、福田のコラムは嬉しかった・・。田村は「自叙伝」も書き、晩年の田村と親しかった「綴方教室」の豊田正子の聞き書きは未来社から出ている。映画にも何本も出ていて、私のおすすめは当時ベストセラーの心理学者の波多野勤子が書いた、戦時中の疎開地から東京にいる長男との往復書簡を木下恵介が映画化した「少年期」の母親、長男は石浜朗、同じ木下の映画「風前の灯」での田村もいい。DVDで見られるでしょう・・・。
・ア・リーグ、マリナーズ対レンジャーズ戦、レンジャーズはダビリッシュ、イチローの初回の三塁打で試合を決定ずけて、フェルナンデスの好投もあってマリンナーズが5対0で勝った。これで4連勝、対マリナーズ戦以外は、ダルを応援するが、今日は仕方がない・・。
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by engekibukuro | 2012-05-23 07:44 | Comments(0)  

5月21日(月)M「シズヴェは死んだ!?」地人会新社

作:アソル・フガート、訳:木村光一、演出:鵜山仁、赤坂レッドシアター。
 嵐芳三郎と川野太郎の二人芝居。とても面白くて、感心した舞台だった。川野の役は当初渡辺徹が演じることになっていたが、病気で降板した。このことで、川野をよく知らないし、一寸迷ったが、観てほうんとうによかった。特に初見の嵐と川野が素晴らしい演技をしていたので、不明を恥じた。フガートは南アフリカの劇作家で、このアパルトヘイトの人種差別の芝居は、フガートとジョン・カニとウインストン・ヌッショという二人の黒人俳優と協同して書いた作品だという。‘72年書かれたこの作品は、日本でも上演されたそうだし、フガートの名前だけは知っていたが、今回が初体験。フォードの工場で働いていたスタイルズは、念願の写真館を開業するが、ある日、ロバートという労働者の客がくる・・。住所をきいてロバートがスタイルズも知っているブンツウとい男に世話になっていることを知る・・・。アパルトヘイトの当時の南アでは、16歳以上の黒人は、常時身分証明書をもっていないとひどい処罰を受け、就職も居住も煩瑣な手続きをしないとダメなのだ・・。妻と4人の子持ちの貧しい田舎から出てきたロバートは実は本名はシズヴェなのだった。ロバートという名前は、ブンツウとシズヴェがある夜酔っての帰りに見つけた、野垂れ死にした死体の身分証明書をブンツウの智恵で書き換えて、その死体の名のロバーツのものだった。これで無許可のシズヴェは働けて住めるようになった・・。シズヴェという本名を限りなく愛しているのに・・。ブンツウは妻子を食べさせるために諦めろと説得する・・、名前を失う、アイデンテイテイの喪失、現在はアパルトヘイトは撤廃されたが、その当時の差別社会に生きた黒人たちは、白人の迫害に負けず、智恵を絞って仲間を大事にし、悲哀なしの笑って過ごせる生命力を、この芝居は舞台にみなぎらせた。嵐と川野はともすればヘンテコになりかねない黒人役を役の生来のユーモアさえ感じさせて、アパルトヘイトの時代の苦難の黒人の生き様を演じたのだ・・。アパルトヘイトが撤廃された現在ではアクチュアリテイが薄くなって余裕をもって観られるぼだが、現在はすさまじい格差社会になっていて、黒人の苦難は続いているのだ・・。
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by engekibukuro | 2012-05-22 10:53 | Comments(0)