<   2012年 06月 ( 26 )   > この月の画像一覧

 

6月29日(金)











▲光文社古典文庫 マシャード・ジ・アシス「ブラス・クーバスの死後の回想」を読んだ。坪内祐三の文庫本紹介で手に取ったが、19世紀のポルトオガル語で書かれたブラジル文学は、20世紀のボルヘスやマルケスのスペイン語のラテンアメリカ文学とはまったく違うものだな・・、なんだかピンとこない・・・。
・マリナーズのヘルナンデスが9回までゼロ封の完封して、やっと9回裏に1点とって勝った・・、相手のレッドソックスのモラエスも快投して、いきずまる投手戦で、まれにみる好試合だった。
[PR]

by engekibukuro | 2012-06-30 08:06 | Comments(0)  

6月28日(木)M「温室」新国立劇場

作:ハロルド・ピンター、翻訳:喜志哲雄、演出:深津篤史。
 ピンターの芝居は、難解といえばいえるかも知れないが、一風かわった芝居で面白いという風に観れば観られて、日本では口当たりのいい演出で上演されてきたようだ・・。しかし、この芝居は難解だというこわばりでなく・・よく、というよりさっぱり解からなかった。赤で統一された椅子、机などの家具、天井には赤いラウドスピーカー、舞台は客席に挟まれたオープン舞台で、終始、舞台はゆっくり回っている・・。段田安則が演じる上司(ルート)と高橋一生の部下(ギブス)が、”6457号の患者”の話を始める・・・どうやらここは国立の病院らしい・・、とにかくいろいろあって、最後にギブスが本省の役人に、患者たちにルートも専門職全員も全部殺されたと報告して終るのだが・・。帰って喜志哲雄さんの名著「劇作家ハロルド・ピンター」の「温室」の解説を読み返す。するとこの作品はピンターが1958年に書いて、1980年に上演された戯曲だそうだ。20年以上も自分で自分の作品に態度を決めかねていたと・・。精緻な戯曲分析の結論は、”悪の根源としての国家権力の存在を明示するかどうかという問題なのだと、私は思う”と、それは不条理劇作家などといわれているが、”20年という時間は、自分が政治的な劇作家として出発したという事実を彼があらためて確認し、今後の活動の方向を見定めるために、必要なものだったのである”と・・。
 そういう作品が、現在の日本でどう上演されるのか、深津は作品の面白さが分かりぬくさを凌駕すると信じて演出したのだろう・・。ただ、パンフでは喜志さんんはピンターのイギリス本国での評価につてのエッセイ(それはそれで実にためになるし面白い)で、「お温室」についての作品解説ではないし、深津と演出助手の川畑秀樹の対談は、内輪の話だ・・。こういう作品こそ、新国立劇場は、丁寧なピンターとこの作品についての解説が必要なのではなかろうか・・。なんだかフシギなよく輪kラない芝居だったという記憶しか残らないとしたら残念だ・・。喜志さんの本を読み返してから舞台を思い返したら、段田も高橋も、よくピンターのこの芝居の面白さを感じさせていたんだと思えるのだ・・、ピンターの芝居の別種の有意義な観劇だったとおもおう・・・。
▲週刊文春のグラビアで、立ち食いソバの域を超えた立ち食い蕎麦屋の紹介で、渋谷の”嵯峨谷”が紹介されていた。ドンキホーテの隣で、立ち食いでなくスタンドだが、10割蕎麦のもり蕎麦が280円・・うまい、シアターコクーンへの道順で、店はしっていいたが、笑うべき権威主義者のワタシは、週刊文春の権威の紹介がなければ入らなかった・・。しかし、芝居の前には丁度手ごろの店だね・・。
[PR]

by engekibukuro | 2012-06-29 10:31 | Comments(0)  

6月27日(水)S「夕陽ケ丘まぼろし営業所」南河内万歳一座

作・演出:内藤裕敬、ザ・スズナリバ。
 創立30周年記念作品だ・・。もう30年、感慨深いね・・、南河内はこの劇団はタイニイ・アリスの西村・丹羽夫婦が東京で、はじめて紹介した・・。伊勢丹前の元のビルの上の階のタイニイ・アリスで・・・。狭い舞台にほとんどひしめくように役者がでて、しかも道具もきちんといろいろ使って・・、この狭い舞台、あるいは設定された四畳半とか、内藤は狭い場所でその狭さを逆手にとって、かえって活き活きと人物を息ずかせる名人だ・・その集団の中でのヒロインやヒーローの孤独と悲喜劇を沢山みせてくれたのだ・・。80年代若手小劇団のなかでも、きわだった魅力は、内藤独自の存在論と清冽なリリシズム、主人公らが何処に行き、何故ここにいるのかが、小難しい理屈ではなく、芝居の中にしっかり溶け込んだ問いとして芝居の要になり、その逡巡の果てのリリシズムが内藤の世界で・・。今回の芝居も、大勢の客がひしめく旅行代理店の店先でのツアーの行く先のトラブルが、高校演劇の現状批判の演劇論的展開になり、せまりくる夕陽ケ丘への日没はやがて夜をよび、ツアーの行く先は、そして我々はいったいどこにゆくのかという不安が、形而上学的気配を帯びて今の時代に接触させる・・。
 内藤が30年周年の挨拶にきちんと正装して出てきたが、はじめて東京の舞台に彼現れたときは、それこそ水もしたたるような瑞々しい美青年で、思わず感嘆したものだが、いまや少し太り気味の、ステキなオジサンになって・・。今回でていた古参メンバーは、荒谷清水、河野洋一郎、鴨鈴女、それぞれの重いでの舞台は荒谷の鉄壁にも頭から突っ込んでゆくような突貫演技、河野の日活の小林旭の渡り鳥シリーズを模した舞台でのなんとも味のある演技、いまでもそうだが、一時はもっと夢中になったファンである、唐組にも客演した荒谷夫人の鴨鈴女・・・。懐かしい初日の一晩だった。それかあらぬか、客には大谷亮介、木野花、伊東由美子、唐雲の久保井妍、稲荷卓央、唐ゼミの中野敦之ら芝居関係のひとたちが大勢きていて賑やかだった・・。、
[PR]

by engekibukuro | 2012-06-28 10:59 | Comments(0)  

6月25日(月)






▲第五十四回湯島句会。兼題は・短夜・さくらんぼ・白夜・あめんぼ、当季雑詠。わたしは一句なんとか選んでもらったが、谷岡健彦さんの”父の日の父のひとりの留守居かな!、堀切克洋君の”ニョロニョロや白夜の森に集まりぬ”・・二人とも相変わらず好調だが、特に堀切君の季題を批評的に、脱構築して捕らえるセンスが抜群だ・・。とうていかなわない・・。当然か・・。

・ロッキング・オンの渋谷陽一の対談集「私たちは、原発を止めるには日本を変えなければならないと思っています」を読んだ。飯田哲也、上杉隆、内田樹、江田憲司、開沼博、小出裕章、古賀茂明、坂本龍一、高橋源一郎、田中三彦、藤原帰一、保坂展人、丸山重威、和田光弘の諸氏が相手。趣旨がもっともな意見をこう沢山読んでゆくと、なんだかもやに包まれたような気分になるが、毎日出版文化賞を受賞した『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』を書いた、現在27歳の福島県いわき市生まれの東大大学院の社会学の開沼博との対談が、原発問題のペシミックなくらい難しさがわかって憂鬱になるが、彼の本をちゃんと読もう・・。この本の柱というべきは、渋谷と内田、高橋の2階の鼎談で、内田、高橋が、こんどの震災での皇室、天皇家の活動を評価、日本の国土と日本人の健康を第一番に考えているのは天皇だけで、総理大臣は経済を一番にしているとして、天皇親政の復活を唱える・・、無論稔りある議論のたたき台としてだが・・・。
[PR]

by engekibukuro | 2012-06-26 11:22 | Comments(0)  

6月24日(日)S「木馬の鼻」(作:唐十郎、演出:中野敦之)

劇団唐ゼミ、浅草花やしき裏 特設テント劇場。
 唐十郎が横浜国大の教え子の劇団、唐ゼミへ書き下ろした新作だ・・。書き下ろしてもらった中野・劇団の欣喜雀躍した喜びに満ちた舞台で、若い世代が唐の劇の魂を自分のものにしていると如実に感じられる舞台だった・・。遊園地の清掃係をしている青年・谷也は、ある日メリーゴーランドの木馬の鼻先を汚した鳩の糞を拭き忘れて家に帰ってしまう、それを上司が咎めてわざわざ家までやってくる・・家は箪笥屋で姉の竹子が仕切ってい、谷也のベッドはギンギンにいろんなモノで飾った箪笥の中だ・・・。芝居は運びこまれた木馬の彷徨に人物たちが揺れて出没し、箪笥屋の土地を強引に区画整理せんとするフラメンコが売りの喫茶店<ピサロ>のマスター、木馬の名はマチュピチュといつのまにか名づけられ、インカ帝国の王を少人数で初めてみる鉄砲に驚いた王を捕まえて帝国を滅ぼしたスペイン人ピサロへの恨みがこもって漂っている公峡谷マチュピチュ、はるかラテンアメリカの歴史をいろどるネーミングが、日本の小さな町のエピソードを世界規模にして・・。まあ、おおまかな劇の本線をこうとして、箪笥屋、遊園地、<ピサロ>の軋轢の中心は、箪笥屋の竹子、<ピサロ>のフラメンコダンサー群馬のガチンコ勝負、妍を競う派手なつばぜりあいに絞られてゆく・・。この竹子の椎野裕美子、群馬の禿恵の二人、唐があて書きしたのに応えて、椎野も禿も自分の個性を出しきって見応えがあり、特に禿の捨て身のパフォーマンスはテントを圧した迫力で、唐芝居の女優として有数の舞台で、唐ゼミはこの二人の女優を擁した劇団として喧伝されてよく、これは唐からの贈り物だろう・・。ストーリーは例によって錯綜をきわめ、追ったつもりの線は見失いそうだになるが、それが唐の劇世界の純粋な演劇性だけが純化されて客に届く・・。これは中野のテキストを知的に解析し、それを劇世界の混沌にもどす作業、音楽、美術、小道具などの隅々まで明晰に構成されているからこそ、この劇世界の混沌が最大限に生きる、一皮むけた唐ゼミの舞台だった。
[PR]

by engekibukuro | 2012-06-25 12:52 | Comments(0)  

6月23日(土)M「水無月の云々」(作・演出:中津留章仁)

中津留章仁Lovers,タイニイ・アリス。主人公愛甲雫の家は父が健康食品の店を開いていたが、兄が叔父を殺し今は刑務所に服役している殺人者・犯罪者の家としてなにかというととやかく言われて、世間を狭くして暮らしている・・。一家は父、兄の妻、姉、叔父の娘、雫の従姉妹、家に出入りしているのは近所の商店街の姉の許婚の酒屋、電気屋など、雫の別れてしまう恋人・・。姉のストーカー
の男・・。中津留は昨年大評判の劇作家・演出かで数々の演劇賞を受賞した。私はこのひとの力は求めるが、どうもわたしが評価する点とことなるところで高評価されているようで、違和感があった。とにかくこの人の芝居は長大で、観るのはかなりしんどい、が、大概我慢したら、しただけのことはあった・・。中津留は芝居のウソというものを、最大限ぎりぎりえげつないくらいに堂々と使うから、まさかこんな場面がこんな風にあからさまになるなんてみたいな場面が頻出して、あまりにご都合主義みたいで、失笑してしまう箇所もあって、どんどん暴かれてゆく人間の愚かしさや、度し難さは、そんなのわかってるよ、とか、頭をかしげる妙な科学的根拠とか、いちいち挙げていったら、だらけだが、また刺激的なシーンの続出でもあって、結局もういいいやみたいな気分になって・・。が、だがというのがでてくる・・一つには直接関係はないが、中津留本人が非常に感じがいい人だということもあって、この人のスケールでは色々いわれても歯牙にもかけないだろうし、今日の芝居は全然いただけなかったが、いつかほんとにスケールの大きい途方もないお芝居が観られるような気がしてくるくるから、しょうがないが・・・。
▲おもろ・。中川君はデートで早仕舞い、カップルは欠席で・・。そしたら有田芳生さんがききた・・。民主党では小沢派にはつかないどうだが、小沢そのものは評価する。菅元首相はいまや大悪評だが、有田さんが、口をきわめて災害時のリーダーシップの悪口をいう民主党の議員に、あまりにもなので、”あなたがやったらうまくできたと思っているんですか”ときいたら”仮定の問題にはおお答えできません”と・・。そりゃ、批判するところは多々あるだろうが、あんな災害に突然遭遇したときに完璧な処置などできるだろうか、そいうところへの多少でものおもんばかりがないと、批判が人間的な生きたものにならない・・、空念仏にしかならない・・と思うのだが・・。
[PR]

by engekibukuro | 2012-06-24 14:25 | Comments(0)  

6月22日(金)









▲医科歯科荒木先生の外来へ。先日の内視鏡検査の結果を伺いに・・。異常個所は消えていたそうでPET検査も異常なしで、これで悪性リンパ腫の治療が、いちおうケリがつきました。ご心配してくださった皆様、ありがとうございました。

・「新潮」7月号、デビュー作650枚、松家仁之「火山のふもとで」を読んでみた。懸賞小説に選ばれたのではなく、「新潮」に突然デビューする小説は、平野啓一郎の例がる。火山とうのは浅間山、ふもとの軽井沢の別荘地の建築事務所の夏季の仕事場でのはなし・・。事務所に入りたての新人の軽井沢体験を描く・・、所長は帝国ホテルを設計したライトの高弟で、独特の住宅設計で評判のクライアントが多い建築家・。一種の軽井沢小説で、堀辰雄や、中村真一郎、加藤周一、福永武彦のマチネポエチックの軽井沢の小説、書き物を思い出した。野上弥生子とおぼしき、老女流小説家もでてくる。戦後の中流が安定した時期の、生活感があふれていて、そういう時期へのノスタルジーが、今の時代とくらべてなんだか切ない・・。地味だがしっかりした小説だ・・。
[PR]

by engekibukuro | 2012-06-23 07:56 | Comments(0)  

6月21日(木)S「リンダリンダ」(作・演出:鴻上尚史)

KOKAMI@network,紀伊国屋サザンシアター。
 8年ぶりの再演だが、新しく原発事故の話を中心に据えて面目新たなアクチュアルな舞台になった。ザ・ブルーハーツの名曲が全編に歌われる音楽劇仕立て、話の発端はクールパルチザンというロックバンドのボーカルが、レコード会社に引き抜かれて、おまけにドラムのゴンパチがバンドを10年続けてもいっこうに売れず、さらに実家が原発の放射線避難地域になってしまったことから、急遽実家帰ってしまった。残ったケンとマサオと女性マネージャーのミキは、毎晩バンド再建のミーテイングだ・・、だがケンはゴンパチから聞いた、避難地域で飼われていた牛が、検査場に繋がれて、餓死するか安楽死するかの状態におかれていりことを聞かされ、この牛たちを開放して自由にしてやることが、ゴンパチの願いだし、ロックの魂を蘇らす行為だと思い込み、牛の拘束を爆破するためのリモコン式の爆弾清造を思い立つ、偶然遭遇した元極左派の活動家にもアドヴァイスされて、それがバンドの決行目標になって・・、いろいろなサブストーリーや、人物が錯綜し、要所々の音楽シーンが鴻上らしい笑いをちりばめて、リズムよく運ぶ舞台に、たとえ牛の開放とはいえ、国家によって規制された避難地域に爆弾をつかうという芝居は、かなり刺激的だし、いまの日本人の内心を掴んだ斬新さが際立った・・、決行当日、避難地域の境にはパレスチナの入植地の壁のような舞台全面をおおう塀が建っていて、その威圧感と別に反原発を主張するためではない、バンドのメンバーのコンストラストが、異化作用をおよぼして、原発問題の演劇での可視化としてかなり衝撃的だ・・。鴻上の思いの濃さだというのは曲解かもしれないが、アクチュアルな新鮮でナイーブなメッセージプレイとして感銘を受けた。松岡充、伊礼彼方らの歌の魅力を備えた役者たち、鹿殺し」の丸尾丸一郎など鴻上の要請を精一杯引き受けていて、第三舞台からの盟友大高洋夫が老いた極左派を演じて舞台を引き締めた・・。ストーリーのからむ男女のねじれた恋愛ドラマどしても見応えがある芝居で、第三舞台の解散公演は入院していて観られなかったが、最近、鴻上の芝居の良い観客ではなかった私は、鴻上しか書けない芝居だと嬉しく思い直した芝居だった・・。おもえば早稲田の大隈講堂横のテントで「デジャビュ」を観て以来鴻上の芝居を観てきたが、どうも文化人としては大成したが、演劇人としてはもうひとつのみ込めなっかという気持ちが払拭えきた舞台だった・・。
[PR]

by engekibukuro | 2012-06-22 14:01 | Comments(0)  

6月20日(水)
















▲朝アメリカ産牛タンに塩コ-ジを漬けておいて、夜焼いてみたが、さして顕著な効果なし・・。別に国産牛タンもおなじようにしておいたが、こっちはうまい・・、ただ、これは塩コージの効果がどうか・・・・。
[PR]

by engekibukuro | 2012-06-21 07:36 | Comments(0)  

6月19日(火)S「天日坊」シアタ^コクーン

作:河竹黙阿弥、脚本:宮藤官九郎、演出・美術:串田和美。
 コクーン歌舞伎、平成6年にはじまって今回で第13弾。串田と一緒に始めた盟友中村勘三郎は出演せず(病気も重なった)、勘九郎と七之助が舞台を支える・・。歌舞伎役者のほかに白井晃、旧自由劇場の真那胡敬二、内田紳一郎、大月秀幸、大人計画の近藤公園が出た。
 この作品は慶応3年以来、145年ぶりの上演だそうで、それを串田が宮藤に今に通ずる台本にと依頼して、よくできた脚本になった。数奇な運命に弄ばれた、天日坊の話を、今につうずる”俺は誰だあ!”と叫ぶ、苦難のアイデンテイテイーの物語として提出したのだ。歌舞伎の見せ所や、山場のつくりかたなど、歌舞伎のテイストもたっぷり楽しませ、それお”マジカヨ!”みたいな現代コトバも飛び交って、それが自然に融合するのだから、宮藤の才能に改めて感嘆する・・。この寺で養われた孤児が実は頼朝のご落胤だとか、木曽義仲がどうのとか、歌舞伎の錯綜した迷路のストーリーを、宮藤の脚本を最大限に活かして、苦難に継ぐ苦難、人物の了見をあざ笑うがごとき、意外性の連鎖の物語を、そのひと場(一場)々を小屋がけの見世物に仕立て、本舞台と微妙に交錯させて進める串田の演出も、歌舞伎役者の芝居と白井晃の演技に違和感を感じさせないのや、これが串田のお目当てのひとつだった宮藤の脚本を読んで最初に浮かんだという、トランペットの音とひびきを、「上海バンスキング」からの元自由劇場のメンバーン中心に演奏させ、その演奏がラストに高らかに鳴り響き、舞台はいやが上にも盛り上がったのだ・・。コクーン歌舞伎のひとまずの完成というより、今年70歳になった串田の演劇への自分の夢が叶えられた串田演劇の集大成といえると思う。役者では、女形の盗賊人丸お六の七之助がキレが素晴らしくて、劇場を圧する精彩を放ち、官九郎は複雑きわまる台本の初役で、”俺は誰だあ!”のアイデンテイテイ喪失の悲痛な叫びは聞こえたが、これから上演をかさねて、より自分にフイットさせてゆくだろう・・・。
[PR]

by engekibukuro | 2012-06-20 09:30 | Comments(0)