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9月29日(土)M「満月の人よ」(作・演出:東憲司)

トム・プロジェクト、紀伊国屋ホール。
 東の故郷、九州の山間の天狗伝説がある村・・。亭主と子供をすてて男と出奔した女の事件を、天狗の神隠しだと信じる向きさえあった、伝説による風習の濃い村での出来事。27年ぶりに男運が悪く、”神隠し”から戻って昔の亭主と復縁し、息子と再会する女・・・、その家族再会の日に、深い傷心から天狗の神隠しされて消えてしまいたいとこの村にやってきた若い女が紛れ込んできた・・。
東がこの題材で書くのは3本目だという・・。この芝居の目玉は、ベテラン3人の異色キャスト、トリモチ職人の亭主が村井国夫、女房が岡本麗、息子が池田成志、3人とも九州出身だ。それにトラッシュマスターズの舞台にでている川崎初夏が加わった・・。だが、風習がいまだに力をもっている村の出来事と、現実の生活の苦難のマッチングがどうもうまくいっていない・・。東のこの題材のモチベーションが下がって、ステロタイプ化してきたのか・・。だが、九州ネテイブのベテラン俳優の九州コトバで芝居を盛り上げてゆく舞台は、見応えはあって、俳優が目一杯演じつくすと、テキストの弱いところがはっきりしてくるというケースの一つだった・・。
▲週刊金曜日の俳句欄で、谷岡健彦さんの句が2句、しかも一つは特選で選ばれ、さらに月光ほろり(堀切克洋)さんの句も2句選句された!兼題は・秋扇と・八月。
谷岡句:・道行の段にて止まる秋扇(特選)、・八月の真昼に音のなかりけり。
月光句:・相槌の多き人なり秋扇、・熱戦を見下ろしている秋扇。
友達二人の句が句欄に並ぶというのはなんともいえない嬉しい気分だ・・・。
・おもろ、中川君、カップル、岸本さん、今日は2階の宴会が3組だそうで賑やか・・。
2週間ぶりの泡盛がぐんぐん効いてきた・・・。
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by engekibukuro | 2012-09-30 08:44 | Comments(0)  

9月28日(金)





玄大松「領土ナショナリズムの誕生 『独島/竹島』の政治学」はミネルヴァ書房の<国際政治・日本外交叢書>の一冊で、第三回井植記念「アジア太平洋研究賞」受賞論文。日本・韓国交渉史の綿密な論考でアカデミックな書物。理解がおぼつかない乱暴読みだが、有益だった。

・「日韓基本条約」は成立までに14年かかったが、結局、独島/竹島問題は双方語彙合意ができず棚上げになった。交渉に双方うんざりして要人同士が”あの島に行ったことがあるんですか、石ころしかない島ですよ”、”いっそ爆破してしまったほうが・・・”など自嘲まじりの放言がでたが、さいごまで双方譲らず、今日に至った厄介な課題だ・・。

終章「領土ナショナリズムを超えて」で、著者は”本書が目指したのは、日韓関係を呪縛している「過去の問題」、「感情の問題」を、「未来志向的」、「理性的」に考え直そうとすることであった。いわゆる「認識論的切断」を通じて、イデオロギー的障害物と手を切って普遍的かつ科学的概念で捉えることを試みたのである”と書いた。そしてヴァイツゼッカー元ドイツ大統領のドイツ敗戦四十周年記念の演説を引用する。”・・・しかし過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです”
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by engekibukuro | 2012-09-29 09:40 | Comments(0)  

9月28日(木)











▲佐藤優が竹島・尖閣諸島などの領土問題についての最良の書だと薦める玄大松著「領土ナショナリズムの誕生ー・独島/竹島問題・の政治学」(ミネルヴァ書房)を読み出す、ちょっとタイヘン・・・。
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by engekibukuro | 2012-09-28 07:51 | Comments(0)  

9月26日(水)S「アンダスタンダブル?」五反田団

作:前田司郎、演出:ジャン・ドウ・パンジュ、アトリエヘリコプター
 日仏合作作品。演出のジャンが3年前、ベルギーで前田の「すてるたび」を観て感動して前田と一緒に作品を創ろうと、前田に働きかけた・・。もっともこの「すてるたび」を観たとき、この芝居は途方もない傑作か、まったく無意味なシロモノかと一瞬思ったそうだが、この芝居は、なんともバカバカしい芝居だと思わせるのは、これは前田の芝居の従来からの仕掛けで、それがどんどんどん舞台にひきこまれてゆき、ウームと唸る、そういう前田メソッドの大傑作が「すてるたび」だったから、ジャンが感動したのは当然だろう・・・。前田とジャンのアフタートークでの話だが、日本に来た前田とジャンが話し合ったコトバは、両者中学生レベルの英語だったそうだ・・。その経験から、前田は日本語でさえ夫婦や親子のコミュニケーションもうまくいかないのだから、違った言語をもった人種のコミニケーションでの場合はと、この芝居を書いた発想の源を語った・・。ジャンはそれに応じて、今日の東京での上演までの苦労、フランス人俳優3人(男2、女1)、日本人俳優3人(女2、男1)と演出家ら相互の稽古場での意思伝達の困難、それらの困難を乗り越え上演までたどりついたヨロコビを語った・・・。さて肝腎の芝居だが、開幕、ベンチの右端にフランス人3人、左端に日本人3人、両者チラチラ見合ってから、趙ブロークンなカタコト英語で、話しだす、とうぜん誤解の連続で、ギクシャクギクシャクして、それでもムービーは通じて、みんなで戦争映画のマネをしたり、アートが通じて、絵画の人物に扮したりと、なんとか親しくなってゆく、見当違いのカタコト英語で客席は笑いが絶えない・・。が、彼らがなにものなのか、会った場所がどこなのか、それらの最低限の説明なり、ヒントがほしかった。従来からの説明過少の前田の芝居でも、シチエーションの提示はあった・・、もっとも、前田のテキストを前田以外の演出家がてがけるのは初めてだからということがあるのかな。どうも日仏の当事者同士が盛り上がったいるほどには舞台は、いまひとつ満足できなかったのは、長年の前田ファンとしては一寸残念だった・・・。
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by engekibukuro | 2012-09-27 09:47 | Comments(0)  

9月25日(月)









▲第58回江戸川乱歩賞受作:高野史緒「カラマーゾフの妹」(講談社)、あの名作のドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の一種の書き換え推理小説。イワン・カラマーゾフもアリョーシャもでてくるが、新たな殺人事件の犯人は?ルール違反だから書かないが、巻末掲載の選者の選考理由に犯人の名が出てくるのはどうかと思う。選考系経過・理由から読む読者もいるだろうに・・。この名作は大昔に読んだだけだが、この小説、小器用にアレンジしてあるが、ただただ名作の大きさと深さを思い出すばかり・・・。

・山田洋次百選、山本晋也監督解説のテレビ番組で美空ひばりの「東京キッド」(監督:斉藤寅二郎)を見る・・。ひばりの子役時代の芝居のうまさに驚く、それに子役のイヤ味がまったくない・・。いままでとんでもない偏見をもっていたんだ・・。
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by engekibukuro | 2012-09-26 09:59 | Comments(0)  

9月24日(月)M「鉄の纏足」(作・演出:高井浩子)

東京タンバリン、こまばアゴラ劇場。
 開幕、舞台はバスケットボールのコート、音楽が鳴り響き、男女入れ乱れてボールを投げ合って、・・、その場が急変、レンアタルビデオ屋の店先とバイトの男女の控え室になり、またまたそれに加えて別の職場が出現、この職場は、全員、名前でなく番号で呼ばれる。ここは図書館のようだが、職員は全員本を静かに呼んでいるだけ、仕事は読書するだけ・・、この二つの職場の男女のバイト生の生態が活写される・・。纏足とは古代中国での性の男の快楽のため女子を4,5歳のころから、足指を縛って大きくさせないという風習・・。この芝居では、ビデオ屋の女性バイト生が、とっても可愛いと、足に合わないとサンダルを履くという話が出てくるが、それが纏足に類するんだろうか・・・。非正規雇用の職場のいろんなトラブル、いじめ、男女の、男同士の恋模様など、そういう今風の職場の、観ていても神経に障る緊張過剰のマチエールが感じられる・・、全員が今の社会のシステムから全身が纏足ならぬ、纏身されているんだろうか・・。才気が走りすぎたような感じがあるが、現代風の風俗劇としての位置を占めているのだろう。

▲神保町銀漢亭で第五十七回湯島句会。今日は雨でいつもより出席者が少ない・・。今日は一句も選ばれなかったが、終わって酒を呑み、谷岡さん、堀切君らとのおしゃべりが無上に楽しい。
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by engekibukuro | 2012-09-25 11:20 | Comments(0)  

9月23日(日)


▲昨日の「浮標」の補遺。

・久我五郎(田中哲司)には重病の妻美緒(松雪泰子)をこの療養先の房総まできて診てくれる東京の医師の比企(長塚圭史)がいる。この夏も妹の京子(高部あい)を連れて、避暑かたがたやってきた。海岸での久我と比企の会話がこの芝居の一つの焦点だったと思う。妻の病状になかば絶望している久我が、比企に妻の病気の本当の状態を執拗に問い詰めて、入院とかサナトリウムに入れたほうがいいのではなかと訊く・、比企はそれに反対して入院やサナトリウムもそれほど効果はない、金がかかるばかりだ、それに久我が、医学の本もよく読み、献身的に看病している状態を評価する。それでも久我が漢方がどうかとか、アンタは本気で診ているのかとか、興奮して死と生との問題をどう考えているのかとか、見当違いの方向にゆく。比企はソレに対し、”医者が診るのはカラダだけだ、死の哲学のようなものは医学の範囲ではない”と応える。久我がさらに逆上して個人攻撃まで始めると、比企は”奥さんの病状は、ほんとうは悪化していてもう真近だ・・”と・・。ここの場の、医学と生死の問題との対話は、ワタシの最近の病気体験もあるが、こういう対話が、そのまま、演劇的な対話にした田中と長塚の演技と 三好の台詞の深刻な話題を演劇的に流通させる絶妙さに感銘を受けた。
久我は比企に詫び状を送り、比企はそれを了とした。
・久我は療養中の妻美緒に万葉集を読んでやり、その一首、一首に自分の独断の解釈を加える、それが二人のせめてもの楽しみになっている・・、命の火が消える寸前まで妻は読んでくれるようせがむ、忘れがたい感動的な場だ。その万葉集について長塚とパンフで対談した坪内祐三が、”岩波書店から出ていた万葉集を軍が何十万部も買い上げ、出征する兵士に持たせていました”と語った。それで思い出すのが岩波の雑誌「図書」での岩波文庫特集で、宇野重吉が寄稿して、自分は岩波文庫のゴーゴリーを持っていったそうで、ニューギニアの戦地で、「死せる魂」とかのゴーゴリーを読んで気持ちを鎮めていたそうで、いかにも新劇の俳優らしくて、その話に感銘を受けたのだった・・。万葉集だけでは無かったのだ・・。
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by engekibukuro | 2012-09-24 08:09 | Comments(0)  

9月22日(土)M「浮標」(作:三好十郎、演出:長塚圭史)

葛河思潮社、世田谷パブリックシアター。
 2011年に神奈川芸術劇場で初演された作品の再演だ。主人公久我五郎を演じた田中哲司と老け役の佐藤直子、深貝大輔、それに長塚を除いてキャストは大幅に入れ替わった。上演時間4時間、開幕前キャスト全員が舞台で起立、長塚が挨拶する。”上演時間は4時間です。だからあまりガチガチにならずに観てください、だけど眠ないでくださいね”と・・。舞台は幅のある木製の枠で囲んだ砂場、枠の上にキャスト全員分の椅子があり、俳優の登場待ち、あるいは舞台の見学者として座っている。これによって、1930年代の房総の避暑地の風俗のようなものが捨象されて、戯曲のエッセンスだけが色濃く抽出される・・、これはたいへん効果的で、03年に新国立劇場で栗山民也演出、生瀬勝久主演のこの芝居では具象的な装置だったが、回顧的名作上演の域をでなかったなという記憶がある、時代や風俗に流されてゆく要素が強くなるのだ。この砂だけの舞台だと、椅子に座ったきりの重い結核患者の妻と、天才的な画家として評価されながら、そのケン介な性格からの世間との折り合いが悪い久我五郎との看護の生活の切迫感も、妻の家族や、五郎の友人、家事の面倒を見てくれる小母さんや家主などとの対話の密度も、長塚が意図したように時代を越えて現在の劇としての強度をもたらしたのだ。基本的には重病の妻を前にした夫の生と死の問題の苦悩と追及、長塚は初演時には存在しなかった大震災による大勢の不慮の死の現前によって、この劇の死の見つめ方が深化したと語っているが、その生と死の探求の劇だ。だが、これはそういう愛妻物語の域を越えた戯曲だ。第二次大戦前夜の不安な社会の中での、人間関係、五郎が接触する人物たちが、輪郭鮮やかに描かれていること、エキセントリックな芸術家五郎は、生活の困窮のためスノッブな高利貸から金を借りる、妻の母は娘の財産の名義書き換えを迫る、そういう俗物、普通の人との五郎の対話の徹底性から、五郎は容赦なく相対化される。芸術家の特権性など、時代を生きてゆく、生活の困難と戦ってゆく人々の目からはなにほどのものではない。そういう普通の凡庸な人々の存在感が、きっちり表出されているのが、そういう人々と芸術家あるいは知識人との関係の葛藤と敬意の共存の三好の到達した定着が、この芝居の今でも4時間の舞台を見つめさせる命だと思う。長塚はそれをなしとげた。この成果は、若いキャストたちとデイスカッションしながら舞台を創ってゆく演出sの成果だろう。これはそれぞれの役の役ずくりをパンフで語っている文章を読めばわかる。このパンフは特筆ものだ。水谷八也の長大な「浮標」論、長塚と坪内祐三との対談、三好十郎研究家の西村博子のエッセイ、三好のこの戯曲本のあとがき、長塚と葛河思潮社のこの舞台にかける意気込みが伝わってくるパンフレットだ。おもえば05年に観た、鈴木秀勝演出のおなじ三好の「廃墟」に長塚と奥菜恵と伊達暁の3人が出演した。この新劇とまったく無関係な最新世代がよくここまでできるなと感心した。その長台詞の芝居をを演じぬいた長塚と、この三好に自ら天性の劇作家だと自覚させた「浮標」の舞台は直結したのだ・・。
・この土曜は秋分の日の休日。おもろは休み、泡盛がのめない・。体調が狂う・・。
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by engekibukuro | 2012-09-23 10:54 | Comments(0)  

9月20日(金)



▲遅ればせに新潮10月号で野田秀樹「エッグ」を読む。舞台を思い出しながら読まないと、なんだかさっぱり解からない戯曲だが、とにかく一気に読むと、舞台を追体験した気持ちにはなる。この芝居のメッセージの奥底には、日中戦争で日本軍が人体実験した731部隊、その犠牲になったマルタとよんだ、中国人犠牲者が「エッグ」に多義的にからみ、満州国の話がでてくる・・。昨年上演した「南へ」が、地震から発生する話で、上演中に3・11の大地震が起きた。この「エッグ」上演中に、尖閣諸島の国有化での中国の深刻な反日デモが出来した。中国人の日本への憎悪の遠因が、この芝居に描かれているのだ・・。華やかでナンカイな芝居のようでいて、時代の深部を衝いているのだ。
・テアトロ10月号・菅孝行「村山知義の宇宙」で、村山の美術の業績のセクションは充実しているが、演劇のセクションは著しく弱体だという指摘を昭和の演劇史の正確な知識を元に行っている。これは私も見て感じたことなので、勉強になった。現代の美術との関連での演劇について、「演劇にある世界批評の身体造形の新しい様式と方法の発見」をと書く、日常性への還元への注意として・・。
・文学界10月号・柄谷行人「幸徳秋水と秋幸」は「中上健次没後二十年記念」の中上の生地・和歌山の新宮市での講演。いうまでもなく柄谷は中上の盟友だった。この講演は新宮の名家の医師大石鉄之助が大逆事件に連座して死刑になったこととの関連で、主犯と目されて処刑された幸徳秋水と中上との深い関係を論じ、中上の小説の主人公秋幸の名が幸徳秋水からきていることを立証している。が、この講演はそれにとどまらず明治の幸徳から昭和の中上までの日本の近代史、文学史までを論じ、現在の新自由主義の時代、弱肉強食の新帝国主義の世界まで言及した、非常にパーステクテイブの広く、深い画期的な講演記録だった。これは再読、三読に値する・・・。
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by engekibukuro | 2012-09-22 09:11 | Comments(0)  

9月20日(木)M「エゲリア」文学座、吉祥寺シアター

作:瀬戸口郁、演出:西川信廣。
 文学座の俳優でもある瀬戸口の渾身の新作だ。昭和の女流文学者として異彩を放った岡本かの子の一代記・・、夫は戦前漫画界の大家岡本一平、一人息子は岡本太郎だ。多摩川べりの大地主のお嬢さんとして育ったかの子は、育児も家事もできない、ただ歌をつくり、小説を書くことだけを夢見て、心の支えに仏教の勉学にめりこむ・・・、そんなかの子にいやけがさして、一平は毎晩酒と女に溺れて家を空ける・・。かの子はそんな生活に疲れ果て強度の神経衰弱で入院してしまう・・。一平はそれで一転、心ヵら改心して今度はかの子のわがままはなんでもきく、かの子が好きになった青年を家に入れ同居させ、次にはかの子が横恋慕した医者に夫婦一緒に同居を懇請し、実現してしまう。なんとも異様な家族、家庭で、そんな環境で太郎は育った。かの子を演じるのは吉野美紗、この難役を体当たりで演じて、この舞台の流れを確保、無邪気さと我欲が並存したエキセントリックな魔力を放つ女を見事に演じた・・。劇の後半、ごく若いときから同居させ、なんと家事みさせていた男が、やっとかの子ばなれして、結婚する、そのときの結婚相手の女性に対するかの子の冷酷な詰問は、客席を凍らせる迫力だった・・。タイトルの”エゲリア”は、男たちに永遠の力を与えたローマ神話の女性の名、突拍子もないところで無邪気きわまる可愛いらしさを振りまくかの子、切れ切れの知識しかなかったかの子像、岡本一家の全体像が、この芝居でまとまって理解できた。一平を演じた大滝寛が吉野と絶妙なコントラストをつくった洒脱さで、芝居の味を深めた・・。かの子の小説を再読したくなった。
▲大リーグ、ヤンキースのイチローがブルージェイス戦のダブルヘッダーで、第一試合で3安打、第二試合で4打数、4安打、盗塁も2盗、3盗を2回繰り返して4盗塁、スゲエ!としかいいようがない、今(21日朝)の第三戦でも第一打席でなんとホームラン!
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by engekibukuro | 2012-09-21 10:18 | Comments(0)