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1月30日(水)

▲龍應台著「台湾海峡一九四九ー大江大海1949」(白水社)。1949年、台湾海峡を挟んでの中国大陸と台湾をめぐる激動の歴史を台湾有数の女流作家であり、文化省初代大臣も務める著者が、興味深々の読み物として書いた400ページ近い大著だ。著者も国民党軍と解放軍との内戦で、父親が国民党軍の憲兵だったので台湾に逃れて、台湾で育った。抗日戦争を経て、日本の敗戦後の蒋介石の国民党軍と毛澤東の解放軍(共産軍)との内戦によるおびただしい戦死者、難民の強行逃亡の果ての凄惨な死者、日本統治下の台湾人兵士のボルネオの捕虜収容所の管理を務めて、戦犯にされ長い刑期をつとめた人々、ほかに著者は、スターリン治下のドイツ人捕虜の虐殺まで視野に入れ、1949年に集中した中国と台湾の生存するのが不思議なくらいの凄惨な時代を、あらん限りの文書を博捜し、生き残った兵士を探がし、インタビューして1949年を今の時代に浮上させた。この本を読んで、中国革命の神話にいかにわたしが盲目にされてきたかに愕然とする。この本は中国では発刊禁止で、海賊版が多数出回って、中国国内でも沢山の人に読まれているそうだ。共産軍もただの弾除けに膨大な数の農民を徴集したのだ。著者は最後に”どの戦場にいようが、どの国家に属そうが誰に尽くそうが誰を裏切ろうが、まして勝者だろうが敗者だろうが、正義と不正義をどう線引しようが、どれもこれも私には関係ない。すべての、時代に踏みにじられ、汚され、傷つけられた人たちを、私の兄弟、姉妹と呼ぶことは、何一つ間違ってないんじゃないかしら?”と書く・・。今の日本がどんなに閉塞してひどいといっても、無残に理不尽に殺された時代より、生きているだけでもイインダ!と思わせる本だった。また、ボルネオで戦犯で処刑された日本の馬場中将が台湾人の兵士に与えた額の文字、「日々是好日」、年取った現在のその兵士は、”毎日がいい日であるように、それだけです”という。
・「すばる」2月号の辺見庸「蒼い花」は50ページにわたる独白が、改行なしで蜿蜒と続く。”精神を病んでいるのかもしれないこの「わたし」は、わけのわからぬ憤怒と焦燥に駆られ、世界への呪詛を吐き散らしながら、「夜の窪み」を、「『非場』の昏がり」を漂いつづける」”(松浦輝壽・朝日新聞・文芸時評)、読むのは難儀だったが、これはイエリネクの「光のない。」をおもわせ、芝居の話も出てくるから、ポストドラマ演劇として三浦基なら舞台化できると思った。
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by engekibukuro | 2013-01-31 09:05 | Comments(0)  

1月29日(火)M「熱風」(作・演出:桑原裕子)

赤坂レッドシアター、トム・プロジェクト。

 作者が、従姉妹の結婚式で南の島へいったとき、猛烈な台風に見舞われ、ホテルに閉じこめられた体験をもとに書かれた芝居だそうだ。
 ガアム島とおぼしき南の島の日本人が経営するホテルの3人の掃除婦に元掃除婦に、別のホテルの掃除婦、計5人の年齢まばらの女たちが猛烈な台風で、客室に閉じ込められる話だ。それぞれの女は不幸な、ややこしい男関係で、日本から離れてこの島のホテルで働いている。なかなかの力作で、大西多磨恵以下、5人の女優ががんばってそれこそ猛烈にも演じているが、どうもハシャギ過ぎで、芝居がよくみえてこない・・。どうもわたしの観劇能力ではついていけないのが正直な感想だ。
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by engekibukuro | 2013-01-30 07:43 | Comments(0)  

1月28日(月)












▲今年初の新年会を兼ねた湯島句会が神保町銀漢亭で・・。今回も一句も選ばれずまったくダメ。俳句結社銀漢主宰の伊藤伊那男先生の仰るように、俳句を始めて3年間は”雑巾がけ”の時期であり、まだ1年半のわたし、ちゃんと雑巾がけに精をださねば・・・。それに反して「銀漢」の新年会の俳句大会で、金、銀、銅のランクで、銅が谷岡健彦さん、銀が谷口いずみさん、金がなんと堀切克洋君だったそうで、谷口さんは句会でいつも選ばれるベテランだが、谷岡さん、堀切君は友達でなんとも嬉しいはなしだ・・。それにアルトー研究者の堀切君は念願のパリに留学する試験にうかったそうで、まさに俳句も研究も前途洋洋、まだ20代のこういう青年が身近にいるとうのも嬉しい・・。
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by engekibukuro | 2013-01-29 09:32 | Comments(0)  

1月27日(日)M「コリオレイナス」地点

作:W・シェイクスピア、翻訳:福田恒存、演出:三浦基、音楽:桜井圭介、舞台美術:杉山至+鴉屋、京都府立府民ホ-ル”アルテイ”。
この芝居は、2012年5月にロンドンのグローブ座で上演された。グローブ座の依頼で、各国の国立劇場に伍して、ワールド・シェイクスピア・フェステイバルに京都から招聘されたのだ。二日公演だったが、大喝采を浴び、劇評も絶賛した。その凱旋公演だ。昨年の暮れのF/Tでの三浦演出の地点のイエルネクの「光のない。」に感動したし、この「コリオレイナス」の評判を聞いて京都まで出向いた。京都は寒い東京よりさらに寒い・・。御所の前のこのホールの空間の半分以上の場所を舞台・壇にして、グローブ座に模して、この舞台を三方から立ち見客が囲んで観る・・。客の半分以上が立ち見客だ。原義侠では、多数の人物が登場するが、この舞台は5人の俳優で演じる。コりオレイナスの石田大以外の、安部聡子、窪田史恵、河野早紀、小林洋平はコロスとして、時に面をかぶり何役も演じて、石田は虚無僧のような深編笠をかぶる。この舞台は5人の役者をフル活用すべくテキストを三浦版に組み替えた。まず石田のコリオレイナスが素晴らしい。通常の物語を伝達する科白・言語でなく、三浦が創始した「地点語」という語調の千変万化で、意味より音の変化で人物を異化してゆき、コロスはそのような言語の失調、強調の変化、微細な振る舞いの枚挙にいとまのない工夫のさまざまでコリオレイナスに絡む・・。物語の全貌が見えなくとも、コリオレイナスの存在のリアリテイは全幅的にたち現われる・・。この平民・民衆を徹底的に蔑視し、平民におもねる政治家を憎悪する傲岸不遜で勇猛果敢な命知らずの常にノーブルを旨にしているローマの無精の唯一の弱みは母親に弱いこと、この劇作をマザコン芝居という位の弱みを乗り越えてゆくのが難題だった男は、今のポピュリズムの横行などを含め、エリートと民衆の関りの難題をも浮き出すアクチュアリテイがあるし、三浦演劇の手法の成熟の深化で、なんら奇のない面白い舞台が出来上がったのだ。三浦がパンフで心配した逆輸入の”こんなものが評価されたのか”とかジャポネスクだとかは、全くの杞憂だった。三浦が”こんなに苦労した芝居はない”というが、充分に報われている。日本でも蜷川幸雄だけでなく、シェイクスピアのユニークな演出家がいるということが立証された舞台だった。
▲終わって、今日は客とのワインがでる交流会だった、久しぶりに三浦さんとも、安部聡子さんとも話しが出来た。京都に来たかいがあった・・。
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by engekibukuro | 2013-01-28 14:10 | Comments(0)  

1月26日(土)M「飛龍伝」コーチ・ブラザース、本多劇場

作:つかこうへい、演出:中屋敷法仁。
 安保ハンタイ、闘争ショウリ・・。60年安保闘争、殺されたカンバミチコさんと同じ隊列にいて、機動隊に追われて靴が脱げてしまいハダシでお堀端を逃げ回った世代のワタシには、隔世の感がある芝居だった・・。演出の中屋敷やこの芝居に出演した若い役者には、時代劇であろうし、この芝居が一種のマスゲームのような体裁をもった舞台になるのは、当然で、老人の勝手な感慨を外せば、みな懸命に演じていて、同世代の観客によって三回もカーテンコールを行ったんだから、このつかの戯曲は生命をいまでもいききと生命を保っている証拠だろう・・・。オレがこの芝居を最後に観たのは、ずうと前、いまやつか芝居の専門演出家になっている岡村俊一がまだセゾン劇場に務めていたころ、彼に入れてもらった、筧利夫主演の「飛龍伝」だったな・・。

▲おもろ、カップル、中川君、2階の座敷は大宴会で大賑わい、店主の奥さんが手伝いにきていた。泡盛は1年中、冷凍庫で冷やしのを呑んでいたが、この寒さで常温のもにに変えた・・。、、
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by engekibukuro | 2013-01-27 08:01 | Comments(0)  

1月25日(金)★M「Disk」★★S「MANSAI・解体新書」

★シアタートラムネクスト・ジェネレーション。
作・演出:船岩祐太、演劇集団砂地、シアタートラム。
 39歳独身のイラストレーターと歳の離れた妹、イラストレーターの大学生のときの交通事故で死んだ恋人が、終始舞台の中央に立っていて、いまでも彼の心の中では生きていることを、その彼女との幻の会話で明かしている・・。ほかにも男や妹の交友する男女がでてくる・・。皆、それぞれ悩みを抱えて、一生懸命生きているのだが、ナルシステイクな妹がもっている兄への危うい感情のエキセントリックな爆発の声高のトーンが舞台を支配していて、どうもその妹への好悪が観劇を左右するような芝居で、わたしにはどうも向かないようだ・・・。
★★その弐拾壱「喜劇」-笑いのメカニズムー。野村萬斎が詩化する、舞台芸術に係わるあらゆる方面の分野の専門家を呼んで話を聞き、ライブもあるこの試みはとても有益で、大成功で、今夜はゲストに伊東四朗とラサール・石井だからのせいもあるが、三階まで立ち見がでる大盛況・・。こういう場所には出ない伊東がでていること自体が貴重で、いろいろの経験談や、喜劇論、伊東四朗一座の舞台のとか、テレビの映像もあって、とても面白かった。まず喜劇は、台本が第一、その台本を忠実にえんじればいいので、余計なことをすとぶち壊しになると伊東は語る、それをラサールが面白くフォローしてゆく・・・、それと喜劇は、本多劇場での一座の芝居を面白く観て、下北沢の駅にゆくまでに芝居の内容など忘れてもらい、ああ面白かったという気持ちがのこれば、それが一番だと・・。若いときは大の歌舞伎ファンだったが、金がないので黒ずくめの服を着て裏方のフリをして楽屋口から入って只見して、休憩時には”ナントカ産業の家族のみなさん食堂へどうぞ”というアナウンスで、食堂へいって食事にありつく、みな知らない同志だからばれない・・。それと、70過ぎてから、円周率を1000ケタ覚えたという・・。
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by engekibukuro | 2013-01-26 08:18 | Comments(0)  

1月24日(木)S「地下室」(作・演出:松井周)

サンプル、こまばアゴラ劇場。
 松井の秀作の再演だ。独特の自然食品、リサイクル製品を製造している店の地下室が舞台。この店の体力強化に役立つというミネラルウオーターや、ユニークな化粧品はコアな購買者がいるらしい。だが、この店のメンバーの立居振る舞いは不気味なオーラを放つ店長(古館寛治)のもとで、なにか秘密な儀式をおこなうオカルト集団のような気配に満ちている。舞台上手の別室は特別室らしく店長の血のつながらない息子だという男が、この部屋で特別の”仕事”をしている。この地下室の壁にはは何本ものパイプが伝わっていて、それが水槽タンクまで延びている。ぶちゃけていえば、この店の商品はリサイクルといっても水の原料は、息子が出す大便であり、化粧品はアフリカから密輸入している胎盤だ。秘密の儀式は店長とのセックスによる結束で、この集団は病理集団なのだ・・。この芝居の発想自体がすごいが、松井のネガテイブなパーソナリテイの群像の造形、破局に向かう病理現象の細部の不気味な充実と緊張感は、人間性のの病理をえぐって余すところがない。だが、たまりかねて脱退してゆく人間もいて・・、正常にもどるのだろうが、この正常は多分凡庸なものだろう。病理が突き抜けた普遍的なものまでには至っていない・。岸田戯曲賞を受賞した傑作「自慢の息子」にいたる里程標としての作品だと思うとより納得できるのだ。
▲光文社古典新訳文庫ブレヒト「ガリレオの生涯」を訳者の谷川道子さんにいただいた。改めて読むと、やはり名作だとおもう。暗黒の時代とはいえ、近代の黎明期の未来への、理性の勝利への確信に胸打たれるし、ガリレオの食事の世話をするサルテイのおかみさんと、科学者ガリレオとの交流は、科学者・知識人と民衆の関係のあるべき姿だろう。
・ウッデイ・アレンの「恋のロンドン狂想曲」を見た。これはいかにもアレンらしい軽喜劇で、アレンノの真骨頂子の映画だった・・。
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by engekibukuro | 2013-01-25 12:14 | Comments(0)  

1月23日(水)S「ヤバレー、虫の息だぜ」毛皮族

作・演出:江本純子、座・高円寺。
 昨年毛皮族がパリ公演を行って、そのときパリで観た「クレージー・ホース」というショーをパクッタ出し物だそうだ、江本はこの舞台で”「演劇の本当と嘘」を私達なりに追求してみました。不条理な嘘世界に迷い込んでください。でも難しく考えずに・・”と書いている・・、ごてごての乱雑な楽屋の上の段が舞台に設えられていて、毛皮族らしく(?)、女優5人、脱ぐわ脱ぐわのバーレスク仕立ての、ダンス主体で、楽屋ばなしがからむのだが、「演劇」はどこにあるの?といぶかり加減で、終始半裸姿のパフォーマンスをみていると、こちらのトシのせいで感度が鈍くなっているのかもしれないが、セクシーとかエロとかの危うい色っぽい刺激とは遠い、単なる脱衣状態の連続でしかなくて憮然としてくる・・。どうも”不条理な嘘世界に迷い込んで”出口がわからなくなったのかな・・、まあ初日だったし、せっかくの舞台、こちらの誤読であることを切に願う・・。

▲「群像」3月号で岡田利規の戯曲「ZERO COST HOUSU」を読んだ。これは昨年9月にアメリカのカンパニーPig Iron Theatre Companyによってフィラデルフィアで上演された作品。登場するの人物として岡田利規自身、それと過去の岡田、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー、熊本の建築家坂口恭平、岡田のマネージャー、ウサギ夫、ウサギ妻。大元の話は福島原発事故で岡田が放射能汚染を恐れて熊本に避難したこと、それに関連ずけてソローの名著「森の生活ウオールデン」と坂口の著書「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」のプリミテイブな人間の原初的な生活への考察と、ソロー自身と坂口のそれへの言及、これらを通して、岡田が自分の現在と過去の生活を自問自答してゆく私戯曲だ。原発事故での自分のとった行為の検討から、人間の本来の生活とはなにかが、坂口の発見したゼロ円で小さなハウスで快適に暮らす路上生活者のことなどを参照しながら考察してゆく・・。随分と変わった独特の戯曲で、岡田の今までの作品とは全くことなるし、どういう風にアメリカで上演されたのか想像もうかない。岡田はあとがきで”尚、この日本語テキストを用いた上演を、私は想定していませんし、望んでもおりません”と書いている。そうだろうね、あらぬ誤解を生みかねない要素がある・・。だが、この自己探求の戯曲は読み応えがあり、演劇の世界を深化させる試みとして意義があると思った・・。
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by engekibukuro | 2013-01-24 11:00 | Comments(0)  

1月22日(火)木山潔さん逝去

 
 ●木山事務所の木山潔さんが、肺がんで亡くなった。木山さんは、岸田國士の戯曲に新しい光をあて、別役実の戯曲を末木利文演出で、木山事務所テイストというべき舞台を立ち上げ、中村伸郎、三木のり平などの大物俳優を呼んで、独特の成果を挙げた。また、初期の松田正隆の芝居の上演も特筆すべき成果だった。新劇がアングラ、小劇場に席捲されて影がうすれてきた時代に、新劇の蘇生をはかり、事務所所属の俳優のほか、昴などの新劇俳優を出演させて、日本の芝居の空洞を埋めた功績は高く評価れる。海外での公演も現地で高く評価された。晩年には、自ら別役作品を演出されて、ユニークな木山テイストの別役劇だった。今後、木山さんの業績は、木山事務所育ちだった林次樹君らのPカンパニーに受け継がれてゆくだろう。一時代を画した素晴らしいインデペンデントな演劇プロデューサーだった。個人的にもパンフレットに書かせていただいたり、お世話になった。合掌!
▲雑誌2月号閲読。「新潮」の新連載、加藤典洋「有限性の方へ」の第一回”モンスターお穴ぼこ”を読む。東日本大震災・原発事故で世界の行方の見えない穴ぼこ、ものすごい変容に迫る評論を意図しているようだ。保険会社が、もう東電の保険を引き受けない。保険が準備できないと原発にかかわる業務はできないと法律で決まっている。「新潮45」で福田和也が清水幾太郎を取り上げている。福田は清水が大好き、特に自叙伝が好きだというのは、わたしもそうだから同好の士として嬉しい。清水は深川の竹屋の息子で、福田は田端のロウアーゾーンの町工場の息子で、親近感があるのだろう。この雑誌で矢野誠一さんの小沢昭一追悼文で、小沢が散歩して四谷のお岩稲荷に立ち寄ったとき、神殿で落語の林家正蔵(彦六)が一人誰もいない所で落語を奉納している声をきき、ショックを受ける。それで、自分の一人芝居をスタッフなど万全の準備をして、客席に客をひとりも入れない劇場で上演したという・・・。
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by engekibukuro | 2013-01-23 07:58 | Comments(0)  

1月21日(月)S「リバーサル」SPACE早稲田

・文化庁委託事業「平成24年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」新進演劇人育成公演{劇作家部門}
作:大塩哲史、演出:小林七緒、プロデューサー:流山児祥。
大塩は流山児が飽きているように、”大塩君は現代社会を徹底して弱者の視点で描く社会派”で、早大劇団のユニット劇団「北京蝶々」時代のSFスタイルの作品は、非常にユニークで見応えがあった。演出の小林は流山児★事務所の気鋭の女流演出家で着々と実績を挙げている。この二人の組み合わせだから期待して行ったが、どうもこれはピンとこない芝居で、なんだろうね・・。大企業の社長の娘を誘拐して、身代金を奪うと目論んだ誘拐団が、この娘に篭絡されて壊滅するという話だが、まったくリアルさを感じないし、ソレがなにかのパロデイにみたててか、ラストが歌って踊る狂騒シーンで終わらせる演出もなんだかねえ・・。喜んで観ていたお客さんもいたから、こちらの了見が狭いのかな・・。そんなにしょちゅう出来のいい舞台が創れるわけではないのだから、長い目で期待してゆこぅ・・。
▲エウリピデス作「トロイアの女たち」の山形さんの新訳で読んだ(論創社)。この訳は、文学坐アトリエ公演、今度の日本語・アラブ語・ヘブライ語で上演された、蜷川幸雄演出の舞台で使われた翻訳だ。舞台も面白かったが、この訳はとても新鮮で素晴らしかった。山形さんの解説で、”「トロイアの女たち」は駄作か”という項目がある。古代から沢山の議論があって、この劇にはストーリー性がないとかの批判らしいが、この劇の極限状況をこんなに簡潔に鋭く浮かび上がらせる手法はすごいと思うし、王妃ヘカデのパーソナリテイの偉大さと、トロイア滅亡の元凶絶世の美女ヘレナの魔性による”女性”とうものの永遠のミステリアスを男にとってもかもしれないが、度し難く感じさせる劇は稀だ。これも現現在読んでもなんの隔たりもなく、ギリシャ劇に親しめる山形さんの新訳のおかげだ・・。、
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by engekibukuro | 2013-01-22 11:09 | Comments(0)