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3月30日(土)M「生憎ーそれはtだひとつの合図ー」 

作:大森壽美男、演出:扇田拓也、プロヂューサー:綿貫凛、オフイスコットーネ、笹塚ファクトリー。
 作者はプロデユーサーから、カフカ「審判」をモチーフに舞台を書かないかと言われ、逡巡ののち書き上げたのが、この芝居だそうだ。冤罪で受刑して8年後に容疑が晴れた男と、その家族の物語、、、会話のなかにカフカの日記や手紙が引用されて、「審判」との関連を喚起する仕組みになっているテキストだが、映像畑の作者だからか、セリフ・会話や人物たちは興味深くて面白いのだが、舞台劇としては観ていて落ち着きが悪く、それに具象性と抽象性の混合が、それが惹きつける要素ではあるが、ついてゆきにくいところがあった。それを扇田が、苦心して舞台劇としての結構を創ってゆき、独特のテイストを醸成した舞台が出来上がった・。「審判」はMODEの松本修が劇化したが、解釈の仕方の違い方が色々あるのだた、興味深い舞台であった・・。おどろいたのは、家族の父親を演じたのが植吉・・、彼は昔、金杉忠男が主宰した「中村座」の役者で、そのころの名前は高橋広吉、退座して、大きな植木屋さんに婿入りして植木屋さんになった。喰えない役者に植木のバイトをさせたりしていたが、芝居を忘れられず、植吉劇場を立ち上げて、三田村周三らの昔の仲間と植木業のインサイドドラマを上演した・・。「生憎」は役者全員がオーデイシションを受けての舞台だそうだが、植吉さんもオーデイションを受けたんだ・・、しかもこの舞台の要のような役をしっかり演じていた、昔から強烈な個性の持ち主だったが、それが今でも健在だった。嬉しいことだ。植吉劇場第三回公演は、5月9日ー13日、下北沢「劇」、タイトルは「松ぽっくり」。
▲おもろ。中川君だけ、「ジャンゴ」:の話・・、タランテイーノが役者で出ていたんだ、気が塚うかなかった・・。
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by engekibukuro | 2013-03-31 09:24 | Comments(0)  

3月29日(金)★M「チョコレートケーキ」★★S「文学座」

★「熱狂」(作:古川健、演出:日澤雄介)サンモールスタジオ。
 ジトラーを主人公にした日本での芝居は三島由紀夫「わが友ヒトラー」、ナチスドイツを扱った芝居では、三谷幸喜「国民の映画」などがあった。しかし、この芝居のように、総統ヒトラーの下でドイツに国家社会主義革命を起こそうとするナチス党の幹部たちが、ドイツを支配下におくまでのプロセスを描いた芝居は観たことがなかった。そのプロセスのゲーリング、ヘス、レーム、シュトラッサー、ゲッペルス、ヒムラーなどの、様々な局面でのヒトラーを擁立する目的は同じでもでも総統にとりいるための、そしてお互い同士の反目、葛藤、裏切り、出し抜けが熱気をはらんでダイナミックに描かれ、”ハイル・ヒトラー”の声高の連呼が舞台をゆるがした。これはヒトラーを演じる西尾友樹以下の面々が、なんの怯みもてらいもなく堂々果敢に演じているのが、壮感なくらいで、狭い劇場だからもあるが客がたじろぐくらいの迫力だった。古山は「歴史に消せない爪痕と悪名を残した男達の物語を書いてみたい、さらに「もう二度と、人類がヒトラーと同じ臭いを持つ誰かに騙されて欲しくないという願い」からもとパンフに書いている。現在の政治とのアクチュアリテイとかのこととはじかに関係がない、ヒトラーとの時間の距離ができたことにもよる、そういう一見ナイーブなモチーフだからこその舞台成果だと思うが、この芝居を観て、ヒトラー・ナチスドイツが完全なオウム真理教を思わせる病理集団であることと民衆の脆弱さがはっきり示された。この病理集団によって20世紀が席捲され、その暴圧が昨日観た「あの記憶の記録」の主人公を苦難にさらしたのだ。二つは表裏一体の芝居であることが鮮明になったのだ。同じ暴君でも、社会主義国家の恩恵をこうむったと思っているリシア人には、スターリンを懐かしむ人たちがいるが、ヒトラーを懐かしむドイツ人はいないだろう。はじめて「チョコレーチケーキ」の芝居を観て、中津留章仁の「トラッシュマスターズ」と表向きは随分ちがうが、おなじような感触をえた、歴史や社会に目を向ける姿勢に共通性があるという・・。狭い小劇場の芝居が変わってゆく兆しだ、興味深いし、期待感が萌す・・、二つの劇団を率先して紹介、評価した村井健の先見の明に脱帽だ。そういえば中津留氏が見に来ていたな・・。
★★文学座有志による自主公演「久保田万太郎の世界」-「わかれ道」(樋口一葉原作)・「通り雨」(演出:黒木仁)文学座第1稽古場。万太郎の世界にたっぷり浸れたが、万太郎の描く下町で暮らす人間の人情の機微には、悪いしゃれのようだが、随分と厳しいものがあるねえ・・。その冷え冷えしている感じがが、魅力でもあるのだが・・。
▲新宿御苑前の劇場から、文学座へゆく四谷三丁目まで歩く、たった一駅だが芝居の興奮が歩かせた。ひさしぶりのことだ・・。
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by engekibukuro | 2013-03-30 10:09 | Comments(0)  

3月28日(木)★M:チョコレートケーキ★★S:桃園会

★「あの記憶の記録」(作:古川健、演出:日澤雄介)、サンモールスタジオ。
 評価急上昇の劇団の芝居の初見参。なるほど評判どおりのユニークで心を打つ芝居だった。舞台はイスラエルの夫婦と息子と娘がいる4人家族の一家の居間。そこの主人はナチスドイツにアウツビッシュに送られた体験をもつ・・。主人はポーランドの貧しいユダヤ人が兄と一緒に収監されたのだ。主人イツハクは自分のアウッシュビッツの体験を妻にも子供たちに決して話さない。あが、あるとき息子ヤコブの女性の歴史の先生が、ナチスのショア(大量虐殺=ホロコ-スト)の研究者で、ヤコブの父が1920年代にポーランドに生まれた人間だということを知り、アウッシュビッツに収監された人に違いないと想定し、是非その体験を聞きたいと・・。無論、それがとても困難だということは十分承知していた・・。それが、やっと実現して・。イツハクは自分が収容所で同胞をガス室に誘導する特殊任務についていたことを告白する・・。いままで、ナチドイツ、ショア、アウッシュビッツなどを取り上げた芝居や映画は数多くあったなかで、だから既知のことがらが常識化している中で、この芝居の特徴は芝居のフォルムがとてもシンプルだということ。イツハクの家族の日常生活を背景に、家族と兄夫婦、歴史の先生の前でのイルツクの告白だけが特化する。忘れる事が困難な、心の奥底を傷めぬいていた様々な悲惨と苦難を心を必死に鎮めながら語る古川の書いたテクストは事実と、その場の感情を過剰生を抑えることが真実感をもたらす筆致で書かれ、それをイルツクを演じる岡本篤がその体験を体ににじませながら語る、ナチスのSSが想起の要所々に一人だけ出てくる・・。人物達のデハケの切れ目のリズム、この芝居の狙いの集中化のみに専念した演出が、日本では初めてだろう日本人がアウシュビッツのユダヤ人を書いた戯曲の、古川のこの芝居を書いた動機である「歴史の狭間で翻弄された名も無き一人の男を書いてみたい」を舞台上で実現させたのだ。それは、ショア体験の新しい1ページだけではなく、何処の国にもいる”無名の一人の男”の話としても共感をもたらす広がりをもつ・・。イルツクは兵役につく息子に「お前の命のほうがイスラエルより大事だ」という、息子は国のためにアラブと戦うと反発する、国家や差別のために苦しんできた男の体験が次世代にどう伝わるか、イスラエルとパレスチナ、これらはもうこの芝居の範囲を超える、演劇の力は厳然たる限定がある。だから、一人の男の記憶の記録がしっかり舞台から伝わったことを慶賀すべきだろう。
★★「よぶには、とおい」(作・演出:深津篤史)。病院の屋上が舞台、遠くにこの屋上から海が見えるらしい、様々な患者やその家族が、この屋上に出没し、それぞれの物語の断片を紡ぎだす、これは関西弁の柔らかい会話が、ときに深刻な死や崩壊した家族の切れ目を現出させるが、人生への長年醸された酒のような、深津独特のペーソスが漂う、深津の深くて暗いリリシズムの極地のような芝居だった。でてくる大勢の役者がそれぞれユニークで、それがとても見応えがあるのだった。
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by engekibukuro | 2013-03-29 10:13 | Comments(0)  

3月27日(水)★M「私の中の悪魔」★★S「趣味の部屋」

★ーストリンドベリ「債鬼」よりー翻案:笹部博司、翻案・演出:青山眞治、あうるすぽっと。
 とよた真帆、佐戸井けん太、高橋洋の3人芝居。「債鬼」はストリンドベリの傑作ということは知っていたが、初めて観た。パンフの笹部博司「ストリンドベリにつての様々証言」によれば”ストリンドベリは自作『債鬼』を最高の傑作と評し、このように語っている。「『債鬼』は真に近代的な作品である。三人の共感できる人物だけが登場する愛すべき芝居であって、初めから終わりまで興味深い。それはリアリズムの究極的な到達点である」と、笹部、青山によって現代にも通ずる愛の物語として紹介された。
★★脚本:古沢良太、演出:行定勲、パルコ劇場。これは中井貴一、戸次重幸、原幹恵、川平慈英、白井晃の5人芝居。中井、戸次、川平、白井が共同して借りた趣味の部屋。中井は珍しい食材で和風の料理を作りみんなに振舞うのが趣味、今日はカンガルーの牛丼風とクロコダイルのスープ、戸次はジグソーパズル、川平は古書の読書、今日は江戸川乱歩の初版を入手した、白井はガンダムのプラモデルの蒐集、部屋に来るとガンダム衣裳に着替える・・・、そこへ、原の婦人警官が突然現われて、しばらく部屋に来ていない仲間の一人の失踪事件の件でと尋問をはじめた、ちなみにこの部屋には女性を入れない決まりがある・・。そこから、どんでん返し連続のミステリードラマが展開、ミステリーだから省くが、実はほんとうの皆の趣味は?・・・、古沢のストーリーテリングの上手さが凄くて、あっという間の2時間だった・・。
 昼夜とも演出家は本業は映画監督だった。、
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by engekibukuro | 2013-03-28 09:24 | Comments(0)  

3月26日(火)


 船橋洋一著「カウントダウン・メルトダウン」上下(文藝春秋)抜粋メモ
▲現地対策本部に原子力安全委員が派遣されたのは、自己から一ヶ月以上経った4月17日だった。
 下村内閣官房審議官は、その頃、菅が斑目らの原子力専門家からブリーフを受けたときの印象を次のようにノートに書き記した。
 「批判されてもうつむいて固まって黙っているだけ」
 「解決策や再発防止策をまったく示さない技術者、科学者、経営者」
             ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「技術そのものではなく、人間力として、原子力を持っちゃいけない社会だと確信した」
▲3月18日、劇作家の平田オリザは、鈴木寛文文部科学副大臣に呼び出された。
平田は、こまばアゴラ劇場を主宰している。その日は「バルカン動物園」の初日。ようやく体が空いた。平田は内閣官房参与である。・・鈴木は「最悪の場合を想定して、総理大臣談話のバックアップ原稿を書いてほしい」と依頼した。・・「パニック、それも東京のパニックを抑えるにはどうしたらよいのか、そういう観点から文章を書いてほしい」簡単な資料を渡された。・・平田は「最悪の事態」とは、「放射能の拡散が、ある程度東京近郊にまでおよぶこと」と受けとめた。平田はただちに大阪大学の八木絵香潤教授に連絡し、彼女の支援を求めた。八木はリスク・コミュニケイションを専門とする。その際平田は言った。「政治にために何かやろうということではありません。政府の下請けはしません。これは個人としての仕事です。「一人の市民として何かでいないか、手伝えないかというスタンスです」平田は内閣参与だが。これは」個人」として取り組みたい、と言うことである。八木はそれで「腑に落ちた」。
 八木が下書きし、平田が手を加え、何回ものやりとりを経て、20日、「総理大臣談話」(バックアップ原稿)の草案ができた。
・談話末尾・・、「まさに、いま、日本国民の叡智、理性、自制心が問われています。なにとぞ、よろしく、ご協力ください」
▲平田は劇団員の見の処し方、それから「バルカン動物園」の上演継続の是非を決めなければならなかった。21日、平田は劇団員むけのメールを送った。いわき市に戻って子どもを産んだ劇団がいる。ただちに、彼女と家族を東京に避難させた。「まず、放射能、放射能物質の考え方は、個々人の人生観、世界観に関るものなので、最終判断は皆さんにお任せします」・・ただ「チェリノブイリクラスの事故が、高い確率で予想される場合には、劇団員の子どもだけでもデリカにのせて、できるだけ遠くに避難させる措置が必要かもしれません」「現時点で、原発事故の深刻化を理由に上演を中止したり、アゴラ劇場を休業したりするのは、合理的ではないと考えます」
▲菅は「言葉が粗暴の上、人を試す言い方をする。堪え性があんく、怒りっぽく人を怒鳴りつけるだから、情報が下から吸いあがってこないし、周りが円滑に流れない。そして、国家的危機に際して、国民の旨に響く言葉を発することがついぞなかった」、が、細野は、「菅直人という政治家の生存本能というか生命力ってすさまにいものはある」と思ったとう。「この局面で我が国の生き残るためには何をしなければならないのかとぃう判断は、これはもうこれはもう本当にすさまじい臭覚がある人だと思っているんです・・撤退はありえないし、東電に乗り込んで、そこまでやるしかないんだとう判断は日本を救ったといまでも思っています」。官邸政務の官に対する評価は身びいきもあるに違いない。しかし、官には批判的な官僚たちも、直接、危機に取り組んだ人々は、この点に限っては、似あちょうな評価を下す。
 ★この地震列島では冒頭の下村審議官のノートの「技術園そのものではなく、人間として、原子力を持っちゃいけない社会だと確信した」、その確信の正しさを、この本はあますことなく描き、書き上げたのだ。
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by engekibukuro | 2013-03-27 10:01 | Comments(0)  

3月25日(月)


▲クエンテイン・タランテイーノ脚本・監督「ジャンゴ 繋れざる者」をを見た。3時間の大傑作だ・・。奴隷解放の前夜の時代の南部のはなしだ。アウトローの賞金稼ぎが、頭の切れる奴隷ジャンゴを吊り上げて、二人で生死に係わらずおたずね者をし止めて荒稼ぎし、津にはジャンゴの妻だった女奴隷をとりもどす・・。その頃の凄まじい社会の差別が、肌にアワを生じさせるぐらいの画面で、西部劇さながらの果し合い、銃撃戦のスリルとサスペンスの転調の素晴らしさは、タランテイーノが映画というものを熟知しているからこそであろう・・。それに俳優が凄い、ジェイシー・フォックス、クリストフ・ヴァルツ、レオナルド・デイカプリオ、ケリー・ワシントン。特にミッシピーの大農園の持ち主を演じるデイカプリオは、奴隷同士を死ぬまで戦わせるゲームを楽しみ、いうことを聞かない奴隷を猛犬に食わせてしまうに悪鬼のような男を演じて見ててもタジタジになるが、タランテーノは、あくまで映画的人物の範囲を逸脱させない・・。ただ、客席マバラ、最近のタランテーノの映画は気軽に見られない映画ものが多い、堂々としすぎるのかな・・、そして、死屍累々の果ての大苦難を乗り越えたラストシーンのジャンゴ夫妻の画面にみなぎる幸福感、ただただ感服した映画だった。
▲湯島句会。今回は1句も選ばれなかったが、谷岡健彦さんが凄かった。乱獲状態で選ばれた。かりに乱暴に★人生・体験派と★★頭脳・想像派に分けると、谷岡さんは★★だが、”麦を踏む村を離れぬ足が踏む”なんて句は、句調のリズムでそんな境界を越える秀句だね・・。今回は兼題の”大試験”で”お嬢さんをくださいという大試験”という句で会場の爆笑を誘った堀切克洋君は、週刊金曜日の櫂未知子選の俳句欄では”海苔粗朶に鳥の重みのありにけり”で特選を獲った。
▲早稲田大学の卒業式にゆく。昨年亡くなった妹の娘、姪の尾崎有紀子がイタリア文化研究で博士号をとった、その授与があったので・・。記念講堂は巨大スタジアムのようで、マンモス大学というものを体感した・・。大隈講堂などはもう記念建築なんだ・・。
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by engekibukuro | 2013-03-26 13:20 | Comments(0)  

3月24日(日)M「一方向」(構成/演出:真壁茂夫) 

OM-2、日暮里SUNNY HALL。

 ホールの中央に円形のアクテイング・エーリアを設け、客はそれを円形に囲んで観る。最初に演出の真壁の、この作品を観る上での、役者を使ってのレクチャーがあった。それで、真壁のいうように先入観なしに頭を空にして、虚心に観たつもりだが、スペクタクルの見事さには感心したが、作品自体はよくわからなかった・・。むりやり解釈してもしょうがないし、仕方がない・・。
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by engekibukuro | 2013-03-25 07:17 | Comments(0)  

3月23日(土)M「ひかりごけ」山の手事情社

 構成・演出:安田雅弘、原作:武田泰淳、文化学院講堂
 講堂の2階席から観る。眼前に下の舞台から立ち上げられたパイプ構造物上の狭い舞台がある。登場する4人の漁夫の衣裳は、白ずくめで、発泡スチロールスの箱を随所においてある。難破した漁夫と船長が孤島に流されて、食物がなくなり、死んだ仲間の肉を食べるものと、食べないものの言い争いが、この一寸足を滑らせれば落下するうような危うい舞台で展開する。この舞台の危うさが、極限状況を客の肌に感じさせる作用をする。生き延びるためには人肉を食べることは仕方ないと主張する船長、すでに仲間の八蔵と五助は餓死した、船長は食べ、残った西川も戸惑いながらも食べたが罪悪感で固まっている・・。ついに船長は、衰弱した西川を殺して食べた・・。この舞台での演技は、現在、山の手事情社が到達した演劇表現術の<四畳半>という技法で演じる。<四畳半>とは、古来より日本には生活に必要な空間はその程度で十分とする美学があり、それに依拠した演技術・・。基礎的なルールは、「重心をずらして立つ」「身体を重くイメージして動く」「せりふを語る、または聞く際には身体を止める」だ。この技法が「たましい」を呼び込む器になること。この<四畳半>は船長を演じた滝弘毅の典型的な演技で如実に体感する・・。この幕は全員、下のダンボールの安全装置に落下して終わる。第二幕は下の別会場へ移動して観る。会場全体が白色、船長の裁判の場、船長は自分の罪は認めるが、この裁判はわからないと・・、つまり人肉を食べらかかったり、食べた人間にしか裁かれたくないと、裁判とか国家とか、そういう人為的なことと、まったく別次元の話だと主張したいらしい、さらに人肉をたべた人間には”ひかりごけ”が、その人間の後背に光るものがみえるという話の真偽をめぐる迷走も・・、船長の殺人は法律上の罪だが、せっぱつまった状況での人肉食は、アンデス山脈で不時着した飛行機での事件の<アンデスの聖餐>という出来事もあった。人肉食の倫理を問う芝居ではあるが、これは滝の忘れがたい<四畳半>の忘れがたい演技での船長のイメージの記憶とすえばいい・・。山の手・安田の演劇はごく初期から観ているが、近年ではルーマシアのシビウ演劇祭で高く評価されていて、その演劇の求道的なあくなき探求が国際的に認知されたことは嬉しいことだ。
▲船橋洋一「カウントダウン・メルトダウン」は上下で1000ページの本だったが、戦後最大の危機だった福島原発事故の全容を書いた本としての立派な定本だ。この本で、日本という国家の危うさが如実に解かる。この本についてはまた・・・。
▲おもろ。中川君、カップル、今日は岸本さんもきた。中川君はタランテイーノの「ジャンゴ」をみたそうだ。面白いが3時間、客がマバラだそうで、早くみないと終わっていまう・・。
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by engekibukuro | 2013-03-24 09:15 | Comments(0)  

3月21日(木)M「ピローマン」名取事務所

作:マーテイン・マクドナー、翻訳・演出:小川絵梨子、下北沢「劇」小劇場。

 マクドナーが25歳で書いた戯曲、彼の実力が初めてロンドンの劇場でもニューヨークのブロードウエイでも認められ、評価された作品だ。東欧らしい架空の全体主義国家を舞台にした一種の寓話劇だ・・・、病的な両親に育てられた兄弟の話で、知的障害ある兄は虐待され、弟はお話を書くのが好きで、両親はそれを異様に応援するのだが、弟カトウリアンが書く童話は子供が虐待され、殺される不気味な話ばかりで・・・、そして現実に彼が書いた童話そっくりの幼児殺人事件が起こる、カトウリアンアは逮捕される、舞台は主に全体主義国家のすさまじい横暴独断の警察官と刑事に無茶苦茶なな尋問と拷問によるカトウリアンの受難を描く、舞台はホラー劇にもみまがう戦慄感がみなぎる・・。そして、マクドナーのその後の達成を予見させる、若々しい、そして異様な想像力を思いっきり駆使した作品で3時間の芝居にみじろぎもできない・・。この芝居、カトウリアンを演じた劇団tsumazuki no ishiの寺十吾(ツジナシサトル)が素晴らしい・。寺十は同じ小川が演出した「12人の怒れる男」の孤立をおぞれず自分の意見を貫き通す男や、ザ・ガジラの鐘下辰男演出の「PW」のフイリッピンの元捕虜の恐ろしく負荷を負った役など、難役を見事に演じきる俳優だ。このカトウリアンも必死に生きている証としての”お話”を書き、作品を燃やすという警察にそっちの判断を全面的に認めるから、4百話ぐらいの作品を絶対残してくれと懇願するカトウリアンを切々と演じで感動的だった・・。刑事の斉藤直樹、警察官の田中茂弘も思いっきり演じて、カトウリアン恐怖を実感させた・・。
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by engekibukuro | 2013-03-22 08:50 | Comments(0)  

3月20日(水)M「城」(原作:F・カフカ、構成・演出:松本修)

 MODE、あうるすぽっと。
初演は8年前、2005年。初演の印象とかなり異なった。それは、今回の上演が、斉藤ネコが作曲した東欧風、ジプシー音楽のような暗鬱な高揚感にみちた音楽、この舞台の基調になっている井出茂太が振付けたダンシングアクション、伊藤雅子のこの芝居のテーマにかかわる多用される”扉”の美術、そして役者の身体の当人が制御できない他者性を含めて、視覚的、聴覚的セノグラフイーが松本の手によって渾然一体に舞台化されて、ちょっと観たこともないようなパフォーミングアーツが見事に出来上がっていることによる。ヨーゼフ・Kは夜おそく村に着いた。あたりは深い雪に覆われ、霧と闇につつまれていた。この村は”城”の支配下にあり、ヨ-ゼフ・Kは”城”から雇われた測量士だというのに、Kはいつまでたっても”城”に呼ばれず、この村にとどまされている、そして村の酒場や、いろんな家族や、女たちに係わってゆくが、村人たちはKにはとってもよそよそしく振る舞い、Kは結局村で右往左往しているだけだ・・。そしてKはその一挙手一投足まで、黒マントの男たちに物陰から監視されている。城から呼ばれているのに城から無視され監視されている。Kはもう途方にくれるだけだ・・。さまざまなエピソードでKの絶望が、Kの強がりを覆してゆく・・、このKの途方にくれる様子が、客に感染して我々もKとともに心細く途方くれてゆく。。、Kを演じるのは笠木誠、適役だった、総員23名の役者陣、霧に包まれているような、皆影のような人物群だが、山田美佳の演じる、Kと一時同棲していたフリーダだけが、はっきりした自己主張する女として演出されているのがとても効果的だった・・。我々は現下日本で生きている途方にくれたヨーゼフ・Kだという思い込みまでにいたる舞台だったが、その孤絶感をセノグラフイーの一体感がからくも救ってくれる。カフカが生きていたら、あるいは泉下でこの舞台を観られたら、さぞ楽しんだだろうという妄想まで湧く舞台だった・・。松本はカフカの長編小説「失踪者(アメリカ)」「審判」「城」、中篇「変身」、それに短編まで劇化している。それがことごとく成功している、世界で誰もやっていないことを敢行した・・、凄いことだと思う。
▲いま船橋洋一著「カウントダウン・メルトダウン」を読んでいるが、3・11の原発事故の処理をめぐる菅直人首相いか大臣、官僚、東電の要人たちが右往左往と途方にくれいる様子が活写されていて、「城」からの解決策の到来をただただ待っているような、まったくカフカ的なそれは不条理な状況だと、この芝居をみて感じたのだった・・。。
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by engekibukuro | 2013-03-21 08:03 | Comments(0)