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6月29日(土)M「ダンシングアットルナーサ」tpt

策:ブライアン・フリール、翻訳:常田景子、演出:亘理裕子、近泉ピット

 堤真一や千葉哲也などを輩出し、デヴィッド・ルボーの演出で、数々の名作を生み出し、一時代を画したtptの根拠地だったベニサン・ピットがなくなって、横浜や各所で公演を続けていたtptが、このたびベニサン・ピットの近くの事務所のある建物の1階の倉庫が空いたので、それを”tpt演劇工房”として改造して演劇空間を設立発足させた。その初公演だ。アイルランドの小さな町での物語、5人の姉妹の一人が母親の男が、成人して母や叔母たちを思い出す、その思い出の物語・・”1936年のあの夏のことを思うと、さまざまな思いでがよみがえってくる。あの夏、うちでは初めてラジオを買った。ルーナサのダンスが僕の叔母たちに魔法をかけた”、この作品は作者の生地アイルランドのみならず、ウエストエンドやブロードウエイでも上演される作者の代表作で、数々の賞を受賞し、作者ブライアン・フリールは「アイルランドのチェーホフ」と呼ばれているそうだ・・。
 この芝居のなによりの試みは、倉庫だった空間に一家の家具一切を置いて、庭の様子もうかがわせて、一家の生活をそこでさせて、芝居を広げてゆく・・、客席は壁際の狭い場所で、そこから一家の生活を眺めるのだ・・、すうと舞台を観るというより、一家の生活に自分も関与しているような、親近感が湧いてくるのだ・・。甥のナレーションは母や父、叔母たちの幸い薄い生涯を簡潔にスケッチし、思い出すのは事実の記憶より、ある日の母や叔母たちが集まる一家の午後の気分だと・・、若い俳優たちが演じる、この一家は、その気分がふつふつと蘇る詩情を舞台に醸しだす・・たいしたものだった・・、そしてなによりの強い印象は、困難を乗り越えて、こういう場所をつくり、自前の演劇空間を創った、tptの主宰、芸術監督の門井均の演劇への飽くことのない意欲だった・・。
▲おもろ。カップル欠席、中川君、老いについて一席・・、ナトリのつまみを手提げ紙袋一杯もらう・・。当分酒のつまみは大丈夫だ・・。
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by engekibukuro | 2013-06-30 09:03 | Comments(0)  

6月28日(金)S「ドレッサー」シス・カンパニー

作:ロナルド・ハーウッド、翻訳:徐賀世子、演出:三谷幸喜。
 今回の「ドレッサー」は座長が橋爪功、ドレッサー(付き人)ノーマンが大泉洋、二人が並んでいるチラシを見て、現在、これ以上の組み合わせはないだろうと直感した・・。子の芝居は88年に座長三国錬太郎、ノーマンが加藤健一、89年に座長は三国だがノーマンが柄本明で観た。両方とも素晴らしい舞台で、独特の存在感がみなぎる三国の舞台はこれっきりだったし、加藤、柄本が三国と対峙する演技が緊張感に充ちていて、忘れがたい舞台だった・・。
 芝居は英国の旅回りのシェイクスピア専門劇団の老座長が、もうすっかり困憊してしまい、病院に担ぎこまれるてしまい、一座の舞台監督(銀粉蝶)を中心に今日の芝居を中止するかどうか紛糾している場面から始まる。中止を決める直前に、座長がフラフラ戻ってきて、なんとか「リア王」の舞台を開けることができた・・、それまでの準備のいきさつのごちゃごちゃしたデテイールの座長とノーマンの細かい芝居が、この芝居の骨頂で、さすが長年の蓄積で、いったん舞台に出て最初の台詞がでてくれば、あとはまったく大丈夫で、なんとかその日の舞台は終わった・・。ときは第二次大戦の最中で、英国はドイツからの空襲にさらされている毎日での旅回りの興行だ。シェイクスピアのレパートリー劇団だから、毎日日替わりで「リア王」、「オセロ」と演じ分け、「リア王」ではラストにコーデリアを抱き上げるのだから、もう老体には堪える限度がきた・・、その晩、座長は楽屋で息をひきとる・・。ノーマンは楽屋にあった座長の書きかけの自叙伝の巻頭の謝辞を読んで愕然とする。一座の照明係り、小道具まで謝辞に書かれているのに、座長の奥さんより前から、16年間、それこそパンツまで洗い、女のことや、いろいろ座長のわがままや汚いこともガマンして堪えて世話をしてきて、また一回も食事に誘われず、ビール一杯も飲ませてもらわず・・だから座長には激しい愛憎が渦巻いていたのだが、一番毎日身近にいた人間を完全に無視しているのだ・・。最下済みの悲哀がきわまった瞬間だ・・。座長の橋爪は期待したとおりの最適役だった・・。大泉も、いま流行りっこだから、ささいな芝居にも客が過剰反応して役よりも大泉自身へだったが、大泉はそれを跳ね返して、ノーマンそのものに客を引き入れてゆき、座長が死んで行きどころがないしがない付き人の絶望を体感させた、芝居の世界というものの魔力、その恍惚の悦楽と反比例する人生の破滅の悲哀、それをしっかり感じさせたのだ・・。いたずらに足を踏み入れるな・・。
▲副都心線要町の熊谷守一美術館へいってきた。コンクリート打ちっぱなしのこじんまりした3階建ての美術館、油絵、水墨画、書、彫刻すべで小ぶりのものだが、省略の美だ。気が鎮まる。守一や家族の写真も展示されいて、安井仲治の撮った守一のポートレートが素晴らしい、さすが安井だと感服した、階はカフェになっていて館長の守一の次女で画家の熊谷かや(木へんの漢字)さんとおぼしき女性がいらした、素敵な人だ・・。今日はカフェに寄れなかったが、近所だからまたこよう・・。
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by engekibukuro | 2013-06-29 10:02 | Comments(0)  

6月27日(木)M「無欲の人 熊谷守一物語」劇団民藝

作:相良敦子、演出:児玉庸策、紀伊国屋サザンシアター。

 孤高の画家熊谷守一が、あの「海行かば」の作曲家信時潔の親友で、守一の長男が信時の娘と結婚した・・そことをこの芝居で知った。岐阜の大金持ちの家に生まれ、父親の妾の家で育ち、九十畳の部屋を与えられお付の給仕が食事の世話をした・・・だが、やがて没落したそうだが・・。東京美術学校を主席で卒業、その画才は誰しも認めているのに、絵を売って暮らす絵かきを生業にするのを肯んじず、結局、守一の才能を惜しむ友達のカンパで生活する、守一は”絵は人生のカスだ、そのカスを売ることは出来ない・・”と・・。結婚して子供ができても、その暮らしっぷりは変わらず、恋女房の苦労は並大抵ではない・・。この芝居は、信時との友情物語でもあり、「海行かば」は戦後、若者を死地に赴かせた戦犯的な曲だと非難されたのだが、信時は、戦時中の日本人の気持ちに忠実に即した曲だと守一に語り、守一は”行かなくてもいいところに若者を行かせる”と言う、戦争中に時局に迎合した画家が大勢いるのに、熊谷はそんな絵は一枚も画かなかった。やがて水墨画の個展が評価され、戦後な闇市で水墨画を売って暮らし、やっと晩年近く油絵をどんどん描き出し、パリでの個展で評価が国際的に確定した・・。最晩年は、写生旅行の旅に行くたびに持ち帰った、植物の種が自宅の庭に繁茂して、その庭で木や花や虫を眺めて過ごす、享年94歳・・。守一を演じたのは千葉茂則、以上のような熊谷の生涯を知ったのだが、映像畑の作者の初めての舞台劇だからだろう、取材は十分なのだが起伏がやや乏しいのが残念・・、芝居の終わりに守一の絵のスライドが映される。「焼き場の帰り」という三人の人を描いた絵など(これはどこかで見たことがあるな)素晴らしい・・、熊谷守一美術館で今28年周年展という特別企画展をやっている、見に行こう・・。
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by engekibukuro | 2013-06-28 09:24 | Comments(0)  

6月26日(火)M★「わが闇」S★★「断色」

★作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ、ナイロン100℃、本多劇場。
 この上演でナイロン100℃結成20周年記念公演の掉尾を飾る。初演は2007年の再演だ。3時間強のこの舞台は、まことに20周年記念にふさわしい芝居だった。人里はなれた田舎の山荘に住む小説家の娘三人が物語の中心だ。長女立子(犬山イヌコ)、次女艶子(峯村リエ)、三女類子(坂井真紀)、長女は小説家、三女は女優、その間の挟まれた次女は、イラストなども手がける感性は豊なのだが性格が地味で、大学の先輩で今はこの土地の郵便配達夫をしている男(みのすけ)と結婚した。だが、この男、わがままでエキセントリックで、あとあと苦労する・・。母親が精神障害に陥り、父親と別居して、挙句に自殺するとか、この静かな山荘にも起伏の富む時間が流れ、父は寝たきりになり、その闘病を記録する映画スタッフが居ついたり、雑誌編集者が出入りしてと、この家に出入りする人物は多岐に渡り、凄いのはケラがどんな些少な人物にもきちんとゆるがせにしない魅力的な特性を与えて、小事件、大事件の折重なりがこの一家の歴史を織ってゆく、その時間の流れが大河ドラマのような様相と安定感があって、客は舞台に身をゆだねていれば舞台はとどまるとことなく終わりなく流れてゆくような気持ちになる・・。これもナイロンの役者たち、犬山、峯村、みのすけ、松永玲子、三宅弘城、廣川三憲、大倉孝二、このナイロン生え抜きの役者たちの20年の経過を経ての演技力の圧倒的な向上、成熟がケラの芝居のテイストの精髄を知り、感じ抜いたことをこの舞台で鮮やかに示したことによる。仲良しクラブ風の雰囲気をみじんも感じさせない、強固で柔軟なナイロンのアンサンブルが客演の坂井真紀、岡田義徳、長谷川朝晴を盛りたてて、なんともいえずいい気持ちで観た舞台だった。
★作:青木豪、演出:いのうえひでのり、青山円形劇場。
 劇団新感線の社長の細川展裕氏が、青木豪作、いのうえひえのり演出のおデブ三人の芝居「断食」を観て、この芝居の母と子の関係に着目し、自分の3年前に亡くなったご母堂に捧げるより普遍的な芝居へと改訂を依嘱し、それをいのうえが演出した舞台だ。細川氏のご母堂を偲ぶパンフに書かれた文章にはとても感銘を受けた・・。子の芝居も堤真一、麻生久美子、田中哲司の三人の芝居。今回はクローン人間が主題の、かなり特異な芝居で、わたしにはういてゆくのが大変だった。ただ、難役に挑んだ麻生久美子のファイテイングスピリッうは立派だったと思う。
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by engekibukuro | 2013-06-27 10:06 | Comments(0)  

6月25日(月)S「The Homecomingー帰郷」 

作:ハロルド・ピンター、翻訳・演出:小川絵梨子、シアター風姿花伝。
 この芝居が1965年、ロンドンのオールドウイッチ劇場で、ロイアル・シェイクスピア劇団によって上演されたとき、登場人物たちの行動があまりに不道徳に見えるので、「人間はこんなことはしないものだ」と感じた観客が大勢いた。(喜志哲雄「ハロルド・ピンターの劇世界」研究社)。そう、この芝居はピンターの不条理劇とかいうまえのごく正直な反応だろう・・。この芝居は2010年に演劇集団円で大橋也寸演出で上演され、とても面白くできたピンター劇だった。さて、いま実績が重なり、評価も上昇一途の小川が翻訳・演出で挑んだこの舞台は・・。舞台から客席中央へ三段の階段があり、最上段にブランコがある。・・。ロンドンに住むある一家、元肉屋の70過ぎのマックス(中嶋しゅう)、弟の60過ぎの独身で運転手のサム(中原和宏)、仕事不明の次男レニイ(浅野雅博)、ボクサーを目指す三男ジョーイの男ばかりの4人で住んでいる。その家に、イタリア旅行の帰りの、哲学博士でアメリカの大学で教えている長男テデイ(斉藤直樹)と妻ルース(那須佐代子)が夜中に帰ってくる・・。芝居の起伏の動因は、この元モデルだという今は大学教授の妻で、子供を三人産んだルースのこの家での振舞いだが元モデルのルース(喜志本に拠るとモデルというのは、その時代のロンドンでは売春婦のことを指すこともあるそうだ)、この芝居がごく些細な台詞、会話も異様な気配、出来事を呼び起こすもので、再現が困難だが、出演者の浅野が小川に「この本は本当の意味で戯曲だと思う)と言ったそうだが、ピンターの芝居の不条理性とか人間存在そのものの不条理などとう理に落ちたハナシとは無縁だと感じるほど、この芝居は高純度の演劇のエキスだ。それを小川の明晰な戯曲の純度をきっちり舞台に移し演出が、ピンタ-の芝居の特異な構造を明らかにして、ピンターの芝居の真価、面白さを客に手渡したのだ。それを支えたのは、マックスを演じた中嶋の演技。70過ぎのわけのわからないことを喚き散らす老人の猛迫力、しかも単なるバカジジイではない、複雑な思いのときを過ごしたことを実感させる、これぞ”人間のホントの姿”かと思わせる説得力がむんむんする演技、今年上半期での最上の演技を観た思いがした。中嶋は小川のデビュー作、サム・シェパードの「今は亡きヘンリー・モス」で小川を助けた名演技が評価されたが、もともと上手い役者だが、小川とよほど相性がいいのだろう、もう一味ちがう舞台を圧する演技が出現するのだ。アンサンブルもきっちり保持しての、この中嶋の演技だけでも一見の価値がある・・。30日まで。
▲”ご挨拶を”ということで終演後小川さんにお会いして、そのときこの劇場(この芝居にもでている那須佐代子さんがオーナー)の前の目白道りが、わたしの戦前、戦後にかけての小学校への通学路だった、そもころは車はほとんどと通らず、荷馬車が歩いていたといったら、小川さんが、それじゃ「帰郷」ですえねと、そうこの劇場の近辺は無性に懐かしいのだ。この芝居のことをきっちり知りたい方は、前記の喜志先生の本を読むと、細部の分析から、この芝居の面白さが、さらに倍加すると思う・・。
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by engekibukuro | 2013-06-26 11:00 | Comments(0)  

6月24日(月)

   


▲第六十六回湯島句会。今回でしばらく休会する・・。超結社の句会で、それがとても俳人たちにとって魅力的な句会になって、回をかさねるごとに参加者が上昇して、回を運営する事務スタッフが捌ききれなくなってしまい、休会を余儀なくされた・・。元々、友人の東京工業大学教授で、サラ・ケインの翻訳などがある英国演劇研究者の谷岡健彦さん、東大の大学院でアントナン・アルトーを研究し、かたわら演劇批評を書き、各所で賞を取っている堀切克洋君(彼は9月にフランスに留学する)が、俳句結社銀漢の同人なので、その銀漢を主宰する伊藤伊那男さんが主の居酒屋銀漢が句会の会場なので、最初は句会の選句見学だったが、主宰の伊那男先生に、出句するともっと楽しいよ、と言われて、毎回5句だしの参加者になった。皆それぞれ結社所属の俳人・・、3年ちかく参加して、ごくたまに間違いのような僥倖で自分の句が選ばれると、天にも昇る幸福感に満たされた・・それに毎回の終了後の酒と肴が絶品で、谷岡、堀切両君の知り合いだというだけで、みなさん親切にしてくださって、3年ちかく毎月ほんとうに楽しい会だった。最後に平成俳壇の有力俳人として嘱望されているお二人の今回選句された句を紹介してお別れに・・。
 ・谷岡:どこ泳ごうと愛さるる男かな
 ・堀切:短夜の身八つ口より乳飲ます
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by engekibukuro | 2013-06-25 09:06 | Comments(0)  

6月22日(土)M「不条理・四谷怪談」兵庫県立ピッコロ劇団

作:別役実、演出:佐野剛、座・高円寺。
 ”鶴屋南北は70歳で四谷怪談を書いた。私は数で勝負するので、鶴屋南北の137本を抜くまでは頑張りたい”とはいま75歳の別役さんの談・・、「四谷怪談」の裏側には、同時進行で「忠臣蔵」の話があります。「四谷怪談」は伊右衛門の「悪行」の話で、「忠臣蔵」は現在にも残る「良い行いの話。それらに対する社会おの受け止め方に疑問をもってみました。赤穂浪士は、本当に全員討ち入りに参加したかったのだろうか?そうしなければいけない空気があって、やむをえず参加した人間がいたのではないか?そう考えたほうが人間的です。「討ち入り」イコール「イベント主義の理想」というのが本当は場当たり的で「狂気」なのではないか?個人の「正気」が社会的に「狂気」と見えた時に、そのズレが喜劇性を産むのではないか”との続いた談・・。
・あらかたの人物、ストーリーは通常の「四谷怪談」と変わらないが、その展開のスピードと孫高宏の演じた伊右衛門の徹底的などんな事態、状態に対しても無感動でドライに処するパーソナリテイの独特のありよう・・、これまでの悪、悪人、非道、とか殺人、さらにお岩のお化けとかの妖気・恐怖、そういう一切の異常事態に対する登場人物たちの対応の平然さ、”怪談”の怖さとかとは違うものの不気味さが伝わってくろのだ・・、別役実は犯罪研究家としても著名だが、その別役が、近頃の犯罪は人間的興味がもてない、なにか違ったものになってしまったと書いていたのを思い出したが、その現在の目と気分で「四谷怪談」を見直した作品として興味深い舞台だった。江戸の大衆の討ち入りイベントへの期待感の圧力に屈したかのような「忠臣蔵」の討ち入りを伝える太鼓の音が、たしかに”場当たり的な「狂気」として響いて聞こえてきた気がした・・。
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by engekibukuro | 2013-06-23 10:25 | Comments(0)  

6月21日(金)

 





▲「おどろきの中国」(橋爪大三郎×大澤真幸×宮台真司)講談社現代新書を読んだ・・。この三人の大秀才が中国を一緒に旅し、中国の歴史から現在まであらゆることを論じた鼎談。読み応えどころではない凄い読後感、何回も読まなければ理解にとどかない本だな・・。特に日本の中国に対する日本人の向いかたの紆余曲折のわかりにくさ、特に近代日本の向い方、中国との戦争、侵略も日本人がそのことに対して明確な考を持っていなかったから、「歴史問題」は蒸し返されるだけだということ・・ ・これはそうなのかと目を開かれたのは次の文化大革命についての大澤の発言”文化大革命によって、伝統の拘束力が低下し、中国人の行動に非常に大きな自由度が生み出された。だから、速やかに改革解放が進捗したとように思います。とすれば、これは、究極的の歴史のアイロニー、「理性の狡知」です。なぜなら、文革は、資本主義の文化を廃して、社会主義の文化を創るということが、公式の目的だったわけですが、実際には、文革のおかげで、今日の中国の、短期間の「資本主義化」がうまくいったと考えられるからです。いずれにせよ、これほど徹底した伝統の完全否定が、短期間において可能だったというのは、やはりふしぎだと思わざるをえないですね”。
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by engekibukuro | 2013-06-22 12:19 | Comments(0)  

6月20日(木)★M「文学座」★★S「結城座」

★「ガリレイの生涯」(作:ベルトルト・ブレヒト、訳:岩淵達治、演出:高瀬久男、あうるすぽっと)。
 ガリレイを演じた石田圭祐がとても良い。今までこの役は柄本明(松本修演出)、吉見一豊(森新太郎演出)など印象に強く残ったガリレイを演じた俳優に伍すガリレイだ。複雑なガリレという人間一貫させ、終幕近くの自分を断罪する長台詞が生涯を集約させる語りが感動的だった。この石田の存在でこの舞台は成功して、演出の高瀬がイタリアのフイレンツエの郊外のガリレオ・ガリレイの家まで行って「必勝祈願」したかいがあったのだ・・・。高瀬は昨年演出した読売演劇賞も獲ったスオウポジャネク作の「ナシャ・クラサ」での文学座の俳優の演技力の再発見に触発されて、文学座初のブレヒト劇に挑戦したという・・。まさしくあの舞台での俳優たちの演技は、もともと巧い俳優の多い文学座の俳優が役に同化する術に長けた演技の枠を突き抜けた硬質の力の輝きがあった。ただ、今回の舞台は前回の達成をリピートするというか役を概念化するというか、同化と異化が混然としている印象も受けて石田はそういう隘路を抜けていたが、そのことからとは思わないが、ガリレイを圧伏させる中世の暗闇の力をあまり感じさせないきわみがあった。これも高瀬のビレヒト劇の初演出に期待しすぎたからかなとも思う。いずれにしても刺激的で面白い舞台だったことは揺るがない。
★★「三島由紀夫 近代能楽集<邯鄲>・<葵上>」(演出:松本修、人形美術・写し絵:林静一、音楽:斉藤ネコ、東京芸術劇場、シアターイースト)。初演は2011年3月で東日本大震災にぶつかり、諸事混乱して不満足な上演だったものの再演。この上演では、結城孫三郎の六条康子、結城千恵の若林光の<葵上>が断然面白かった。孫三郎の女役の人形遣いと台詞が堂にいっていた・・。それに要所に流される斉藤ネコの音楽、松本の劇の長年の音楽スタッフである斉藤に、松本は舞台にヨットの模型がでてくるので、”昔の日活映画の音楽のようなもの”と注文したそうだ、その音楽が、おもしろい趣向の通俗性をもたらして、魅惑的な舞台になったのだ・・。それと孫三郎が突然演技を中断して、千恵からタバコを貰って人形を下に投げてタバコを吸って一服しする、人を喰った場面がなんともいえず面白かったのが不思議で・・。
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by engekibukuro | 2013-06-21 11:06 | Comments(0)  

6月19日(水)









▲三浦基著「おもしろければOKか?ー現代演劇考」(五柳書院)を読んだ。「悲劇喜劇」9月号の”上半期の収穫”に、3月にKAATで上演された。「地点」の太宰治原作、三浦基演出の「賭込ミ訴ヘ」のことを書くので、2010年に出たのにまったくおくればせで読んだのだった・・・。すごく有益でイイ本だ・・、この人の文章はどくとくで、とても素敵な文体で、演劇の演出家、実務者の本としては最高だと思えた・・、こっちの理解度はおぼつかなくて、面白いフレーズに赤い傍線をひきだしたら、たちまち本が真っ赤になった・・。”おもしろければOKか?まずはOkで、京都へ拠点を移したから、三浦の芝居はあまり観ていないが(「地点」・三浦演出スタイルの最初の上演、チェーホフ「三人姉妹」をシアターアーツ誌でとりあげ、評価したのが密かな自慢だが?)、この本を読んで「ユリイカ」の”小劇場特集で、内野儀さんが”三浦が、日本で数少ない”真正な演出家”だと書いたことが、納得できた本だった。、
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by engekibukuro | 2013-06-20 07:48 | Comments(0)