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9月19日(木)M「夏ノ方舟」(作・演出:東憲司)

演劇集団円、ステージ円

 美術の東で、ステージ円の舞台が劇団桟敷童子の舞台が移動してきた感じで、舞台は花の群れで囲まれ、絶対枯れない”恨み花”が不気味に咲き誇っていた・・。今、数々の演劇・戯曲を受賞し、本拠地桟敷童子以外のカンパニーへの戯曲を書き、演出もしている充実一途の東と、集団の演技力の質の高さでは随一の定評がある円とのコラボレーション・・。期待大・・。舞台は娼婦や男娼が住んでいる、掃き溜めのような木賃宿、ゴリキーの」どん底」のような、最下層のアウトローがうごめいている宿、主人公は気弱で親方の奴隷のような煙突掃除職人の若者と、宿の気丈な娘との淡くも濃い関係が主軸に進み、この宿と住民が町の悪党の餌食になってゆく話だが、こういうはみだしもの、アウトローは役者はいやがうえにもノレルて、舞台もどんどん盛り上がってゆく・・。東路線を貫いた舞台だが、期待し過ぎからかもしれないが、いまいち乗り難い舞台でもあった・・。個々の人物のキャラクターの展示が優先して、ドラマの芯が見えにくくなってしまった感じが否めなかったのだ・・。だが、ラストの円の舞台を駆使した東の舞台美学の華であるスペクタクルは見事だったし、追加公演を含めてチケット完売というのも、東の芝居が円の客層に知られるのは嬉しいことだ・・。
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by engekibukuro | 2013-09-20 09:43 | Comments(0)  

9月18日(水)

▲図書館へ。各種雑誌読む。
・「ソトコト」10。この雑誌は浅田彰と田中康夫の連載対談を読む。この対談、雑誌を変えながらもう10年近く続いている。最初の雑誌は、マガジンハウスの「クレア」だったかな・・。毎月この対談を読んで、その時々の政治、社会、文学、芸術の現在を、この浅田の教養・学識、田中の現役のナマ政治感覚の豊富な話題の対談で、今の世の中の様相のホントの姿を教えられ落ち着く・・。
・「文藝春秋」10.秦郁彦以下7人の有識者のシンポジウム「中韓との百年戦争にそなえよ」、行く末の見えない日本の中間との関係を論じているのだが、中韓の現在の過剰な敵意の酷さを論難するが、最後には”日本も反省を”という謙虚さにももどって、この日中韓の対立の客観的な構造がみえてこない。冷戦が隠蔽してきた現実が沸騰して、その露呈に応対しきれていない感じを免れないシンポジウムだった。
・コラムでは、檀一雄「火宅の人」の檀の恋人だった、民藝の女優入江杏子が、60年前に壇が捕鯨母船で南氷洋に行き、ペンギンと暮らした「ペンギン記」を懐かしんで、ピースボートで南氷洋へ行った話し・・。元気そうでなにより、とってもいい話だ・・。
・「群像」10の文芸時評で、藤田貴大の先月「新潮」に書いた「小説の処女作「N団地、落下。のちリフレッシュ。」を吉増剛造、中条省平、佐藤まゆみが絶賛していた。
・今月の目玉は「文学界」10、柄谷行人の長編評論「遊動論 山人と柳田国男」(前編)だ。柳田の本はろくろく読んでいない柄谷のミーハーファンでしかないが、文体に柔らかみが顕著で、元来の鋭利なとんがった文体も魅力的だったが、この円熟味が際立ってきた文体・文章も魅力的で、なにより読みやすい、長さを感じないで読み終わってしまった・・。
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by engekibukuro | 2013-09-19 09:06 | Comments(0)  

9月17日(火)M「「Hedda」演劇集団砂地

原作:ヘンリック・イプセン、構成・台本・演出:船岩祐太、SPACE雑遊

 「ヘッダ・ガブラー」は少年の頃、菅原卓演出のピカデリー実験劇場での田村秋子のヘッダ、千田是也のブラック判事で観た公演が、私の演劇開眼(このことは何回も書いているのでウンザリかも知れませんが)なので、このあと何度も異なる座組みで「ヘッダ・ガブラー」を観たが、田村・ヘッダは不動の位置を揺るがなかった・・。
 さて、この若手の「Hedda」は・・・、これが面白かった。この芝居の上演にはどうしても新劇の舞台の遺風が残るのだが、この舞台にはそういう影は射ささない、まったくオリジョナルな舞台だ・・。客席対面式舞台で、下手に主舞台と切り離されているという仮定された素透しの喫煙室を設えて、これが人物間の緊張をたかめる・・・。何よりこの作品が、本来19世紀の牢固たる社会と有機的に繋がっていたということがわかり、この舞台がそういう社会の重圧感がない、というより今の社会そのもが見えない、その不透明さを反映した無機的なサスペンスドラマに変貌していたのが意外性に富んだ面白さだった。
俳優陣も頑張っていて、特にヘッダを演じた小山あずさは、自分をもてあまし、まわりがバカみたいにしか見えない傲岸なふてぶてしい女の存在韓が舞台を圧していて、ベテラン田中壮太郎が演じるエキセントリックな学者で昔の恋人エイトルト・レーヴボルトと渡りあうシーンなどなかなかの見所だった・・。近代古典をこんな風に現代に蘇らせる船岩の腕前に寒心した舞台だった・・。
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by engekibukuro | 2013-09-18 08:02 | Comments(0)  

9月16日(月)

▲フイリップ・K・デイック「市(まち)に虎声(こせい)あらん」(阿部重夫訳)平凡社を読んだ。映画「ブレードランナー」の原作者デイックの25歳のとき書いた長編処女作。特異なSF作家として沢山のファンを持つ作家だが、SF界への短編デビューと同時で、この小説はデイックが自らSFと区別した普通小説の処女作だ。この小説は、書かれてから55年たった2007年にやっと出版された。デイックは1982年に急逝している。
”妄想の繭から綺想の蝶を羽ばたかせる”作家デイックのこの小説は”異常なまでの外見偏重とその裏返しの内面のゆがみ、肥大化した自我のケダモノと化した青年の破滅と現実への帰還を描く「カフカ的パルプ・フイクション」”実はデイックを読むのは初めてなのだ・・。80年代の小劇場の時代では、たとえば「ブリキの自発団」の生田萬などデイック的発想の芝居を書いた熱狂的デイックファンがいて、一種の必読文献dったがなんとなく敬遠していた・・。たまたあこの本が手に入って読んだのだが、膨大綿密な訳注がついた500ページ強の小説はちょっと躊躇したが、書評家として信頼している山形浩生氏(コアのデイックファンだったんだ)が”激賞”しているので読んでみたら、この主人公25歳のスチュアート・ハドリーの行状、魂のさすらいにどんどん魅入られてゆき一体化してゆき終末まで漕ぎつけた・・、だが、訳注はすっ飛ばして読んだ全くのランボー読みで、理解の度合いは怪しいもの・・、そしてこの訳書の最大の特徴は凝りに凝った日本語の訳文、筒井康隆の「聖痕」を思い出したが、題名の”・・”虎声”という言葉など地所に出ていないし、”佼童”はワカモノと、”喪気る”をショゲルと読ませる。あとはパソコンでは変換不可能な難字、旧字、しらない古語満載で、それが意味が不明でもこの小説の特異な魅力の源泉になっているのも事実・・。それと50年代のマッカーシイー旋風下の吹き荒れるアメリカの荒廃の空気、舞台のサンフランシスコの綿密な情景、風景描写の素晴らしさ、これは映画ブレイドランナーを思い出した・・。さらにこの時代が、tレビなど家電製品の販売合戦の最盛期で、主人公も販売店の店長だし、今の日本とそっくり・・。巻末の訳者の解説も役だつ、デイックのこの小説を描いた時代のサンフランシスコのゲーリー・スナイダー、ケルアック、ギンズバーグなどビートジェネレーションとの交流などの紹介、デイックの思想の底にある東洋思想、老子や道元など、それにスピノザ、このへんになるちと私には輪たあ高級すぎてムリだが、訳者のなみなみならぬデイックへの傾倒ぶりに圧倒された・・。
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by engekibukuro | 2013-09-17 09:09 | Comments(0)  

9月14日(土)「hedge」(作・演出・宣伝美術:詩森ろば)

風琴工房、ザ・スズナリ。
 ヘッジ・ファンドとかM&Aとかロシア危機とかの言葉が飛び交う経済活動に特化した芝居・・。詩森は特別に現在の経済の状況を勉強をする必要があったらしく、その成果は縦横に芝居に仕立てるくらいのたいへんなもの・・。ただ、億とか兆とかの言葉がとびかう経済活動の修羅場は、出ている役者もスズナリの客にも縁遠いものだと思うものだが、それにこの経済活動を杉山至+鴉屋の人の神出鬼没の出入りをマジックのように仕立てた美術とテンポの早い展開で面白く見せはするが、出てくる人間たちは、ことごとく単なるエコノミックアニマルで、この経済活動が今の内憂外患の日本での位置づけが見えないので、後半は退屈せざるを得なかった・・。だが、終わっての拍手もかなり盛大で、年金生活の経済の心細さとは無縁の芝居だと思ってしまうのだった。

▲おもろ。中川君、カップルの相棒(女)が欠・・。京都の紅葉の名所の話・・・、二人ともよく京都に行く・・、オレは今年の冬に「地点」の芝居を観にいったなあ・・・。
メジャヤーの話、イチローは日本の野球解説者は皆、イチローは一番なら一番に常時固定しなければ力が発揮できないと毎回言い立てるのだが、NYヤンキースのジュラルデイ監督は毎回7番とか、8番とか打順を買え、さらに休ませるので、最近成績が悪くなるばかり・・。それでもチーム全体はワイルドカード争いで善戦しているのだから、仕方がないか・・。今のヤンキースの試合の見所は、クローザーのリヴェラ、今年43歳で引退するが、このリヴェラの紙一重の絶妙なコントロールは神業で、見ていて陶然とする、まるで芸術品(?)と口走しってしまうっぐらい・・・。
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by engekibukuro | 2013-09-15 10:53 | Comments(0)  

9月13日(金)★M 文学座★★S千賀ゆう子企画

★「熱帯のアンナ」(作:ニロ・クルス、訳:鴇澤麻由子、演出:西川信廣)文学座アトリエ
 19世紀のキューバの葉巻工場では、葉巻を手巻する労働者に、仕事中に新聞や小説を読み聞かせるレクター(朗読者)という仕事があった。その葉巻工場が20世紀の初頭にアメリカはフロリダのタンバ市に移転してきた。そのアメリカの工場にも多くのレクターが雇われてアメリカへ渡ってきた。この芝居は、そのアメリカの葉巻工場に雇われたとびきりハンサムなレクターが、この工場の男女の労働者に波紋を巻き起こす話・・、なにしろ彼が選んだ本がトルストイの「アンナ・カレーニナ」でそれを労働者が毎日の楽しみにして興味津々で聴いているのだから中々の文化度だ・・、ただ、20世紀に入った葉巻工場が手巻から機械に変わってゆく、その時代のすう勢に逆らってあくまで社長は手巻あんおだが、一族には機械を導入しろと主張する男もいて、その対立が深刻になって、それに機械を導入すると機会音でレクターの仕事は成立しなくなる・・。最後に逆恨みでレクターは射殺される・・、これは19世紀、手巻きの文化の豊かさの終焉の象徴的な出来事だった・・。ピュリッツアー賞を受賞した戯曲の舞台化だ・・。
★★「平家物語第弐章」(構成・演出:千賀ゆう子)、座・高円寺。、千賀が30年来手がけてきた千賀のライフワークだ。千賀、笛田宇一郎、龍昇以下13人の男女の出演者が、様々な形での原文の群読とシンプルな身体行動、所作で語りつくし平家興亡の物語を綴りあげた・・。そして入間川正美(チェロ)、竹田賢一(エレクトリック大正琴)、平島聡(カホン・パーカッション)の現代音楽が物語りに鋭いアクセントを付与する・・。特に竹田のエレクトリック大正琴の音色の効果は忘れがたい余韻をのこした・・・。
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by engekibukuro | 2013-09-14 10:53 | Comments(0)  

9月11日(水)★M新国立劇場★★S上野ストアハウス

★「OPUS/作品」(作:マイケル・ホリンガー、翻訳:平川大作、演出:小川絵梨子。
 新国立の2013/2014シーズンの新企画として、宮田慶子芸術監督は「Try・Angle」を立ち挙げた。これは新鋭演出家3人、小川絵梨子、森新太郎、上村聡史に自分で作品んを選び演出するというもの。これがその第一弾だ。森はクリヅトファー・マーロウ「エドワード二世」、上村はサルトル「アルトナの幽閉者」だ。
 この作品は弦楽四重奏団の話。第一ヴァイオリンのエリオットが段田安則、第二ヴァイオリンのアランが相島一之、ヴィオラのドリアンを加藤虎ノ助、チェロのカールが近藤芳正、さらにドリアンに代ったヴィオラがのグレイスがイキウメの伊勢佳世。同じ30年続いた弦楽四重奏団を題材にした丸谷才一の小説「持ち重りすうる薔薇の花」を読むと、カルテットのそれぞれの生活と関係が、学校仲間からだから、関係を維持しカルテットを存続することの大変さが描かれていたが、この芝居も仲間同士の確執や行き違いがシニカルなウイットに富んだ台詞の応酬で活写されて、男女、同性の愛の軋轢、癌の進行とか、楽器の扱いとか色々難題が振りかかってきて、そんな中でドリアンは”一線を越えた”と他メンバーから外され、グレイスが代わったのだ、テキストの芯を舞台にきちんと据える力に秀でた小川の演出が、この芝居でもカルテットのメンバーの悲喜こもごもを曳きだした舞台だったが、最後にリーダーのエリオットが他メンバー僧院の一致でカルテットから外される、その理由が度重なる演奏ミスだというのが、こちらの聴覚能力の不足だけではないと思うが、よく分かなかったことが残念だった・・。
★★日韓演劇週間<生きる>ことの考察・コルモッキル(韓国)「鼠」×温泉ドラゴン(日本)「birth]・
・「鼠」(作・演出:パク・グニョン)。これは劇評の構えはとれない。字幕が全然読めないかあrで、読めた高橋豊さんに”それでは全然分からなかったでしょう”といわれた・、そのとうりで、舞台ではある一家、妊婦とその夫らしき男、どっちかの母親、夫の兄弟夫婦らしき男女、それらの家族の話ぐらいしかわからない・・、そんな大それた事件が起こるわけでもなく、一見、日常茶飯の描写に見たのが、あらすじとかあとで読むと、洪水で廃墟になった都市で生き延びるために人間狩りカルマをしてその肉を喰って、辛うじて生きている一家だそうだ。この一家の人間は、近親相姦は普通のことで、そういえばヘンなシーンはあった、そういうすさまじい設定だったと、演出家によると、自分が生きてゆくためには子供まで喰ってしまい、そのことで彼らは罪悪感などみじんもないそうで、そういえば人物たちは皆平然としていたな・・。作・演出のパグ・グニョンは”物質が世の中のすべての基準になってしまった今日において、人間が生きていくということは、結局誰かを犠牲にし、喰ってしまうことと変わらないのではと思ったのがこの芝居をつくることのきっかけでした。”と書いている。それが人肉食へ一直線・・・。チョン・ウイシンの「焼肉ドラゴン」で店のおかみを演じた女優も出ている俳優陣は、やっていることの凄さを感じさせないどっしりした一種の平穏さをを保っていたなとひるがえって思った・・。
・・「birth](作・演出:シライ・ケイタ)親に捨てられ施設で育った4人のアウトローが「オレオレ詐欺」にのりだし、たまたまの標的が実母だった・・、その女からしぼるだけしぼるという仲間と、さすがとんでもなく冷たくされてきたといっても、母は母、そのことで仲間割れして・・。この芝居はガタイのデカイ役者の壮絶な、一触触発のバイオレンスの気配がたぎっている口論の猛迫力、いいことじゃないことは分かりきっているのに、いまさらなんだ、一種の掟やぶりの情の訴え、その早口の応酬がすさまじい・・。だが、母、血の力に屈服してゆく・・、この芝居はこのド迫力の舞台が取り上げた対象を演劇的に昇華していりかどうか・・。一過性のストリートファイトに遭遇したときの恐怖に似ているのか・・、私はその結末の急激な感傷への転位を含め、一瞬の拒否反応が兆したのは事実だが、このフィジカルの魅力を湛えた猛スピードの舞台は、自分の芝居に対する尺度をゆるがせたのも事実で、良質で刺激的な、次の芝居を観たくなる舞台だったと結論する。
・初日、補助席がでる大盛況、上野ストアハウスも色々な劇団が使用し、知名度も上がり、親しみやすく観やすい劇場として定着してきたようだ、初日のカーテンコールを司会した代表木村眞悟さんも嬉しそうで・・。初日乾杯のビールも舞台、客席に出て、稽古でも酒が入るというパク・グニョンさんがタバコもというので、酒とタバコの初日乾杯、いまや衛生、清潔一辺倒で皆病院みたいになっている劇場に、昔の楽しい劇場がもどってきた夜だった・・。16日まで・・。
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by engekibukuro | 2013-09-12 16:00 | Comments(0)  

9月10日(火)





▲「悲劇喜劇」10月号の特集は”海外から学ぶ”。土田英生、長塚圭史、高橋正徳、上村聡史、広田敦郎が、それぞれ外国での研鑽について書いている。一番心に残ったのは、「笈田ヨシ 傘寿『俳優漂流』を語る」だ。
”先輩に習ったこと、新劇で習ったこと、古典で習ったこと、それらが身になっていますが、それに囚われることは一つの枠の中に自分を嵌めることであって、そこからはなにも創作は生まれてこない。それを捨てて、道をうろうろして、運が良ければ何かを発見することができる。なるべく先入観をとって、生まれた時と同じような自由さを再発見することが、人生の最後への道だと思う。人間は生まれてから道徳や宗教、教育によって洗脳されて、人間本来の自由さを失っているのです”・・・。
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by engekibukuro | 2013-09-11 08:16 | Comments(0)  

9月9日(月)★M「冒した者」★★S「町でいちばんの美女」

★作:三好十郎、演出:長塚圭史、葛河思潮社、神奈川芸術劇場。
「浮標」に続いて長塚は三好の「冒した者」を取り上げた。この3時間の初演当時から理解がたいへんな難物戯曲をけれんみなく正攻法で上演した、この舞台は、出演者、スタッフ全員で、彼らの世代には近くて遠い1952年に書かれた戯曲をデイスカッションしながら稽古して作り挙げた舞台は三好の魂を今の時代に蘇らせたといえる。三好の近代古典といえる戯曲に長塚の世代が真摯に関心を寄せるのは、三好の戯曲を通して三好の鋭利に観察し、そこで生きた日本および日本人への関心なのだと思う。そういう歴史を振り返るモチベーションは、この芝居のテーマである原子爆弾を、福島の原発事故によって改めて高まったからだろう・・。舞台はかろうじて焼け残った東京郊外の大屋敷、この屋敷に9人のまちまちの家族の人間が住んでいる。この屋敷に、「浮標」の主人公だっ”私(田中哲司)”が、「浮標」で”私”の死んだ妻を診てくれていた意志舟木(長塚圭史)の紹介ですんでいる。この9人の共同生活はそれなりに穏やかで仲のよい生活をしていたが、ある日”私”を訪ねてきた旧知の青年須永(松田龍平)の出現で、ここの住民の日常が放火してゆく・・、須永は恋人が視察、その両親も須永がひょんな成行きで殺し、さらに無関係の巻き添え一人を殺してしまった、そのことの新聞記事を住民が読んで、大屋敷の住民は恐慌の渦になる・・・。この松田が演じる須永は、三好が影響を受けたというドストエフスキーの作品「白痴」のムイシキン公爵を想起させる、そして純真無垢のムイシキンが現実の中でもがくように、そしてこの芝居の人類は犯してはならない禁忌、原子核を開発開して爆弾を開発、爆弾をつくった・・。それが”冒した者”・・、その主題を三好が須永がしょわわせてているのだ・・。戦後7年たったこの時期でも再軍備の気配が出てきて、原爆の被害・惨禍の全く消えていない時期なのに、、須永は人間というものに絶望する、みな生きているつもりだが、実は死んでいるのだと・・、だから生死感覚が昏迷していて、自分の殺人事件も現実感が希薄なのだ・・。ムイシキンと同じく、精神失調の疑いをもたれるのも当然で・・。このあたりのこの芝居の成行きは掴み難い、三好自身、この芝居の理解の困難は承知していて、理解するより悟って欲しいといっている。たぶん、今に引きつけて悟るとうのは、世界で唯一原子爆弾を投下された日本人が、その原子で原発をつくり事故を起こす、それは日本人が原爆に拠る惨禍を日本人の倫理的アイデンテイテイとして保持できなかった酬いなのだということ、原発で景気がよくなり豊になっても本当に幸せだったのかという問いとして悟るのが、三好のいう悟りの含意だと考えたい。
この芝居の複雑さは考え出したら切がないぐらいだが、決して退屈するような芝居ではない。あざといぐらい演劇的な変化があり、それをうまく長塚は演出している。不透明でザワザワしている舞台の感触は今そのものだし、役者陣も踏ん張っていて、なにより須永を演じた松田が、難役をこんなにきちんと理解して淀みなく丁々場を演じ抜く演技力の持ち主とは、「あまちゃん」も渋くて素敵だが、驚いた。これは長塚のキャステイングの眼力凄さなのだろう。
★★井上弘久ソロ・ライブ、チャールズ・ブコウスキー作『町でいちばんの美女』から「15センチ」、南青山MANDARA。
町の超別嬪の魔女に籠絡され、一緒に住み、食事制限で飼育されついに15センチまでちじんでしまって、魔女のセックスの道具になり、まるごと魔女の魔界に押し込められて・・・、ブコースキーのエロテイックストーリーを井上が快演、この夏、井上はブコースキーの小説のソロ・ライブという試みにのりだし、新境地を開発し青山のMANDARAというライブプスペースにピッタリの出し物だった・・。
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by engekibukuro | 2013-09-10 12:15 | Comments(0)  

9月8日(日)M 勅使川原三郎新作ダンス「第2の秋」

ーこの秋は終わらないー・・・、
出演:勅使川原三郎、佐東利穂子、演出・振付・美術・照明:勅使川原三郎、音楽構成:勅使川原三郎、オリジナル・ノイズ:大石明、写真・映像:佐東利穂子、東京芸術劇場プレイハウス。
 この「第2の秋は今年勅使川原が取り組込んでいる、ポーランドの作家ブルーノ・シュルツの作品への独自のアプローチを行っているシリーズの第三弾・・。優れたスダンサーの域を超えた脱ジャンルアーテイスト勅使川原の舞台は、変幻するセノグラフイーの変容が音楽、ノイズの急所を抉る随伴によって、劇場全体を勅使川原アートのシャトーにしてしまう・・。その空間の突出部である舞台での、勅使川原と佐東両者の接近、非接近のはざ間のダンスの目覚しさは、思わず二人はダンスの精(わあ陳腐!)かと呟くほどだが、勅使川原の隙きのない観念の装備と天使の無心のダンス、流露を累乗してゆく身体との懸隔、コントラストがダンス芸術のミステリアスな世界をまざまざと感じさせ、独特の幸福感をもたす舞台だった・・。


▲オリンピック東京に決定、慶賀の至りだが、政府の公言を記憶して、これkら7年、汚染水や原発について日本が世界中の注視の的になるのはいいことだ・・。
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by engekibukuro | 2013-09-09 08:03 | Comments(0)