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11月29日(金)S 演劇「祝/言」(作・演出:長谷川孝治)

 新国立劇場。この作品は青森県立美術館が制作した、日・中・韓国際共同制作作品。長谷川は青森県立美術館 舞台芸術総監督である。日・中・韓の俳優、音楽家が結集した舞台で、すでに青森の初演から韓国諸都市、中国上海で上演されている。全体を律しているのは、3・11の大災害。青森の長谷川は、東北在住者の使命感からしけこの作品を創った・・・。3・11が中心を貫くメインイメージだが、いまの日・中・韓の複雑な軋轢を内包した関係をいやでも想起させる作品でもある。
 弘前劇場主宰でもある長谷川の作品は、青森、弘前で暮らす普通の人々の生活の中から、東京では消滅してしまった生き、暮らす生活の息吹をリリカルに描く幾多の秀作を創ってきた。こ作品も、そういう日・中・韓の民衆の話だ・・。メインは日本人の男性と、韓国人の女性の結婚の祝言がまさに結実せんとした時の東北のホテルに破壊的な大音響が舞台全体に響き渡り、無人の暗黒が舞台を覆う。さまざまなエピソードを重ね、、韓国の伝統音楽を現代化したアンサンブル・シナウイの叫びのような情念の結晶、恨の訴求に東北の津軽三味線の斉藤沙希が加わり、それに日・中・韓の俳優が話し、映像化された長谷川の詩的断章が、人間が日本、中国、韓国に生まれたのは自分の選択ではない、まず人間であって、だからこそ言葉や音楽、演劇などの藝術が人間の魂に国籍を問わず訴えるのだと切実に呼びかける。この舞台が、今の国家と偏狭なナショナリズムが民衆の生活を蹂躙しかねない兆しが充満している時に、誰かがしなければならないことを長谷川が断行したと思う・・・。
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by engekibukuro | 2013-11-30 06:45 | Comments(0)  

11月28日(木)








▲文藝春秋12月号掲載の特別寄稿・村上春樹「ドライブ・マイ・カー」を読む。主人公は中年の俳優だ。その俳優が目の障害で、マイ・カーが運転できなくなって、専属運転手を雇う。その運転手は腕が確かだと推薦された女性だ・・。その女性ドライバーとの車中での会話が中心・・・、その女性は北海道出身で、普通男が女性の運転に感ずる不安を全く感じさせない素晴らしい腕前で・・、ただ無愛想で美人ではない、スウエーデン製のオープンカーで、車を開けている時だけタバコ・マルボロを吸っていいとの決めでで、彼女は吸う・・。俳優は劇場への車中でカセットテープでセリフの稽古を車中でするのが習慣になっている・・、いまはチェーホフの「ワーニャ伯父さん」でワーニャを演じている。・・なにかの拍子で俳優が”君は自分で思っているほど不器量じゃないよ”というと、”いや、私は不器量を気にするソーニャです”と・・・、彼女は俳優が毎日けいこしているので、「ワーニャ伯父さん」を読んだのだ・・。俳優は女優だった妻を子宮がんで亡くしている・・、その妻が映画で共演した若い男優と寝たこと、4人とだ、俳優は知らぬふりをしていたが、妻がほとんど急死して、鬱屈だけが残り、その浮気相手の若い俳優と飲み友達になって・・・という話が綾どって、マイ・カーは今日もすべるよううに動き、車窓からの風景は・・・。不幸も重なったが、俳優としては成功した男のビター・ストーリー、なかなか読ませる・・・。
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by engekibukuro | 2013-11-29 09:18 | Comments(0)  

11月27日(水)★Mパルコ劇場 ★★Sあうるすぽっと

★「高校中パニック!小激突!!」(作・演出:宮藤官九郎)
 「バカを制したバカがバカと渋谷を制す」という、渋谷を掠奪しあう、二つの勢力、グレッチ工業高校(グレ校)と聖ファイヤーバード高校(ヤバ校)の、グレ・ヤバ両校の激突と交流の渋谷制覇のファイト合戦を、3時間にわたって展開する、ただいま絶好調のクドカンのロックの喧噪が劇場を圧するロックミュージッカル・・。佐藤隆太、勝地涼、永山絢斗、川島海荷、三宅弘城、皆川猿時、少路勇介、よーかいくん、宮藤官九郎、坂井真紀、綾小路翔の面々が活躍するのだが、わたしは、ほとんど初面識で、まわりの女性客のワーワーキャーキャーの渦にひとりぼっちに取り残されて・・・、だけど救いは三宅弘城、このナイロン100℃の役者は劇団「健康」の時代からしっていて、連続バクテンなど、運動神経抜群の役者で大ファン、この舞台でもほかの若い役者にひけをとらない、金髪セーラー服の女装姿で大活躍、なにより話に聞いていたドラムス演奏を観られたのが大収穫・・。クドカン自身もロボット被りで出ているが、こういう自称バカ芝居でも、一種の貧があり、グチャグチャ大バカ芝居にならないのが、いいのかわるいのか・・・。
★★現代イプセン演劇祭ー第2回東京ミドルシアターフェステイバルー名取事務所。ベルギー、ノルウエー、ルーマニア、日本、チリのカンパニーがイプセン「人形の家」を競作する・・・。今日はベルギーのカンパニー:テイージースタンの「Nora ノーラ」。ノーラ は「人形の家」の主人公・・・。このカンパニーは男・女二人ずつのカンパニーで、この4人は俳優も演出も兼ねる。この舞台でもノーラ役と夫ヘルメス役以外の役はほかの男女の俳優が演じる・・。舞台は四角の大きなプレート上で、とくに装置なしのきわめてシンプルで、服は現代服。テキストの絞りに絞ったテキストのエッセンスのみ抽出した舞台で、わたしが今まで観た「人形の家」中でも屈指の舞台で、雑多な演劇性の救いがないもので、イプセンの深淵を深々と感じさせた。”女性を男の人形から解放させた女ノーラ”という歴史的定説ではない、男と女の理解しあうことの不可能な決定的深淵を肌にも感じさせる冷徹な舞台で、これでは世界中の夫婦は成立しないだろうと思わせる・・。だから、自分の現状を顧みるのがせいぜいだと・・。ただ、リンデ夫人とクログスタという別種の成熟した男女を出すことで、ノーラを相対化するのもイプセンの深さで、イプセンが現在でも生きている証左であり、それをまざまざと示したこの舞台は、非常に刺激的な作品だった・・・。
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by engekibukuro | 2013-11-28 09:56 | Comments(0)  

11月26日(火)










▲渡辺京二「近代の呪い」(平凡社新書)を読んだ。渡辺京二は熊本在住の現在80歳。「逝きし日の面影」「黒船前夜」などの名著があり、同じ熊本に住む石牟礼道子の世話で毎晩訪れているそうだ・・。私のいまもっとも尊敬している思想家だ。その高齢を感じさせない思考、言語に・・。近代の発祥は自由・平等・友愛のフランス革命だが、このフランス革命がものすごく複雑怪奇だということが、この本を読んで知った・・。別に、近代の終末点である現在が、グローバル経済が世界を席巻し、それが個別国家のナショナリズムを昂進させていりという・・。これは今の日中の衝突、政権の右傾化をみればよくわかる・・。なにより、この本を読んで、自分が全く無知だとということを知る、これが最大の読後感、だからいい、少なくても知ろうとする気持ちがわいてくるから・・・。
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by engekibukuro | 2013-11-27 06:35 | Comments(0)  

11月25日(月)M★グローブ座 S★★豊島公会堂

★「フランケンシュタイン」(演出:鈴木裕美、上演台本:倉持裕、音楽:SUGIZO)
 1818年に出版されたメアリー・シェリーのSFゴシック小説「フランケンシュタイン」が元の原作。これまでさまざまな映画や舞台になってかなりポピュラーな人物なのだが、きとんとその人物をこの芝居で知ったのだった。フランケンシュタインが造った人造人間クリーチャーは、そのあまりの容貌の醜さに造った本院が、彼を見捨てて逃げ出してしまう・・。クリーチャーは苦難を重ねるが、容貌の見えない盲目の老人に助けられ、文字を覚え読書を重ねて教養を身に着けるが、排除虐待はますます増進、クリーチャーは逃げ回る製造主フランケンシュタインを追いつめてゆく・・・、念願の人造人間の妻の製造をフランケンシュタインに騙されて、最後は破滅の旅へ・・・。このフランケンシュタインとクリーチャーを東山紀之と坂昌行が交代で競演する・・私の観たのは、フランケンシュタインが坂本、クリーチャーが東山、脇に江守徹、石田圭祐、井之上隆志が回って真摯な熱演の東山、坂本を助力した・・。その結果、”愛”の古典的疑念の典雅さが舞台にみなぎる舞台が成立したのだ。
★★「無頼漢 ならずもの」(原作:寺山修司、脚本:中津留章仁、音楽:上妻宏光、演出:流山児祥)
 -豊島区テラヤマプロジェクト第2弾寺山修司没30年記念認定事業ー。大元は河竹黙阿弥の歌舞伎台本、それを映画化した寺山のシナリオを中津留が舞台台本にした。第一弾と同じく公会堂前の中池袋公園で始まる・・。水野忠邦の庶民の暮らしと文化を弾圧した天保の改革に抵抗する民衆を山本亨が演じる河内山宗俊、直次郎らの無頼漢を先頭にして戦い抜く・・。波乱万丈、勧善懲悪、外道の醜悪、てんこ盛りの物語を上妻の音楽にのって流山児が50人近い男女入り乱れる役者群を率いて、舞台、劇場全体を使って展開する・・。水野の悪政は、今の安倍の悪政を撃つインパクトを持った、優れて現在的な舞台だ・・。29日には豊島区高野之夫が客演する。
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by engekibukuro | 2013-11-26 08:28 | Comments(0)  

11月24日(日)喜寿















▲とうとう後期高齢者としてこの日喜寿(七十七歳)を迎えることに相成った・・・。老人だらけの今の世で、あまりめでたくもないが、毎晩のウイスキーの制限分量150mlの分量を解除、義妹がもってきたたボジョレブーボーと一緒lに、鴨鍋で老女二人を相手に飲みに呑んで無制限の自慢話・・・。γGTPの高騰必至・・。ジャパンカップはジェントルドンナが勝ったが・・・。
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by engekibukuro | 2013-11-25 09:29 | Comments(0)  

11月23日(土)S★「地を渡る舟」M★★「モモノパノラマ」

★作:長田育恵、演出:扇田拓也、てがみ座、東京芸術劇場ウエスト
ー1945/アチック・ミュージアムと記述者たちー。富豪渋沢栄一の息子日本銀行総裁まで上り詰めた銀行家渋沢敬三が開設した民俗学のミュージアム、渋沢の財力と庇護のもと、民俗学の学徒が、日本各地の民具や言葉を取集し、研究し、日本人の暮らしの根元を探る研究をする。その中で、際だった行動力と記述の才能を渋沢が認めた大阪の小学校教師だった宮本常一を主人公にした劇・・。さらにこのミュージアムの研究者、渋沢邸の一区画をしめるミュージアムの研究者の世話をする女中たち、それらの人々の群像劇でもある。長田の世間にはあまり知られていない特殊な活動、それに従事する人間たちへ光を当てる関心と眼差し・・・。よく調べ、取材して万全を期すのは師匠井上ひさし譲りだろ・・、渋沢、宮本から女中たちまで実に昭和の戦争に突き進んでいた時代の人間を生き生きと彷彿させた長田の戯曲、扇田の演出、演じた役者の力とアンサンブルは瞠目に値する・・・。そして国家が民衆の日々の暮らしを蹂躙して戦争に追い立ててゆく趨勢に苦悩する研究者たち、生まれ育ち暮らしてきた郷土から、国家のために戦地にゆかされ戦死して、東京の靖国神社に行ったこともない死者を英霊として祭り上げる軍人に拳銃を向けられながら抗議する宮本、この戦慄させるシーンは、、現在の国家が民衆を支配する度が昂進している現状を喚起させ、非常にアクチュアルな舞台になった。長田の底力の増幅をまざまざと示した秀作だ・・・・・。
★★作・演出:藤田貴大、マームとジプシ、神奈川芸術劇場KAAT
 どこか遠い地方の町、そこで暮らす若者男女、誰かの家でたくさん生まれた中で一匹だけ残された猫モモ、この猫をめぐってその町のごくありきたりの出来事、姉妹の猛烈な喧嘩など、それらのテンコ盛りが、組立自在の木の柵、自転車、梯子を縦横無尽に使いこなした遊戯のような、いや遊戯そのもの言葉の体のパフォーマンス・・、ことばの音、体の力感、それらの喧噪jが舞台を覆いつくす、若者たちの一時期の意味が追いつかない猛烈な日々の体験、ただ生きてしんゆくモモを置いて、若者は町をでてゆく・・。そのなかに演劇をやっている若者がいる、藤田の自伝劇でもあるらしいこの舞台は、藤田の才能の豊かさを十二分に感じさせた作品だった・・。
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by engekibukuro | 2013-11-24 07:32 | Comments(0)  

11月22日(金)S「ザ・ファクトリー」

さいたまネクスト・シアター★ヴォルフガング・ボルヒェルトの作品からの九章ー詩・評論・小説・戯曲より★
作:ヴォルフガング・ボルヒェルト、構成・演出:蜷川幸雄、彩の国さいたま芸術劇場{大稽古場}
 この作品は蜷川の劇団青俳を、蟹江敬三、石橋蓮司、真山知子と一緒に脱退するきっかけになったゲリラ公演だったもの・・、そlして彼らは現代人劇場をつくった、1968年のこと・・。その頃か、このボルヒェルトの「戸口の外へ」の舞台があり、主演の佐藤英夫が演技が評判になった・・。ボルヒェルトはナチス・ドイツの戦争で徴兵され過酷な戦争体験を経て、その体験を描いたラジオ・ドラマ「戸口の外へ」が評判になったが、戦争で受けた数々の病気で26歳で障害を終えた。佐藤のような戦争体験がない時代にこの作品をネクストの若い俳優が演じる・・九章の第1部はさまざまなジャンルの作品、第2部が「戸口の外へ」。若いネクストの俳優たちの演技は、いまの時代には、反時代的とも思われるほど真摯で胸に突き刺さるものだった。一人一人の演技のの質が、かなり多難ソロのパートを演じ切る出来栄えは、蜷川の夢を叶えるものに近ずいていると思wさせるものだ・・。26歳で死んだ作家の生涯を凝縮させた作品群は、決してわかりやすいものではなく、抽象度の高いのもので、その詩魂の叫びそのものだが、それを演劇表現に転移させた演出は、「戸口の外で」第三場で半裸の敗残の兵隊のに囲まれた連隊長一家の豪華な食卓の場で頂点を極めた・・。また、今年夏に上演された「マームとジプシー」の藤田貴大の「c0coon」を蜷川が観て、それについての老若演劇人の素晴らしい対談が、蜷川演出の「唐版 滝の白糸」のパンフに掲載されたtが、藤田の舞台に呼応したネクストの舞台だったとわたしは、勝手に思ったのだった・・・。

▲昨年亡くなった妹尾崎榮里子の追悼集「語り合う日々ー尾崎榮里子を思う」ができた。妹は中学教師、雑誌編集者に従事し、生協活動やさまざまな婦人解放の民主団体で活動した。その仲間からの心のこもった追悼文の数々、夫尾崎俊二の切々たる亡妻への手紙、娘有紀子の母の実家の記述など良い本ができた。平均より若い66歳2か月で死去した妹へ、私たちの母方の祖母は与謝野晶子の妹だが、夫の尾崎は、”栄里子の大伯母の晶子は63歳で死んだのlだから”と、せめてもの思いをつづっていた・・。
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by engekibukuro | 2013-11-23 08:24 | Comments(0)  

11月21日(木)S「光のない。(プロローグ?」

作:エルフリーデ・イエリネク、演出・美術:小沢剛、F/T13,東京芸術劇場シアターイースト

 小沢は現代美術家である・・、その小沢がイエリネクのテキストをモチーフにして、絵画、インスタレーション、映像による「展覧会」が劇場内で挙行されたのだ・・。
”なぜならあなたは沈黙の前に語りを送りたかった、だが語りは喜ぶ、ついにあなたのもとを離れた、盲しいたように狂って駆け出した・・・”というようなイエリネクのテキストの断章を黒板に、積み上がったアdンボールのに、大小さまざまなガラスのビンに、手書きの文字で書かれている。文字の書かれたオブジェは天井に吊り上がる・・・、そして突如、ゴリラ、いや類人猿が現れ、会場を立ち見の客を威喝しながら徘徊する・・・。彷徨の果に、壁いっぱいの巨大な映像に海が、小沢がいったアフリカの海が延々と流れ、さっきの類人猿が女装してけだるい音楽にのって踊っている・・・、会場には精密機械の打刻音が低く鳴り響き、最後には放射能のゴミが詰め込まれた容器が無数に並び、3・11をモチーフにした、イエリネクの作品によるインスタレーションは終わる・・、正味1時間、これは忘れがたい作品、アートの力をまざまざと感じた展覧会だった。


▲末井昭「自殺」(朝日新聞社)を読んだ。昔から白夜書房の名物編集者として名前は知っていたが、こんな数奇な運命をたどった人とは、末井は岡山県の山村に生まれ、7歳の時、30歳の母親が、隣の家の青年とダイナマイトで心中したという・・・・。もうわたしなんか、なんと他愛のない人生だったとつくづく感じさせた本だった・・。だから他愛なさそのものネウチも確認させてもらった本でもあったのだ。何しろ3億円の借金をして、なんとか処理した人、だから借金で自殺するのは絶対やめなさいと・・・、これは説得力があった・・。
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by engekibukuro | 2013-11-22 09:30 | Comments(0)  

11月20日(水)M「紅小僧ー夕暮レ村騒動記」

作:サジキドウジ、演出:東憲司、美術:塵芥、劇団桟敷童子、ザ・スズナリ

 昭和初期・・・満州事変、多くの人々が戦争が隠される・・・・その前年、神隠しに呪われた深き山奥の村で・・
まったく外部から遮断された山の奥の奥の山村、夜這いが男女の結びつきの慣行で、祭りの祭儀には大きな男根の木彫りが使われる・・。神隠しにあった人がもどってきたら、山に追い返すのも村の掟だ・・。
東の独擅場の土俗世界のおどろおどろしい猥雑な空気が、そこに生きる村人のあけつけぴろげな息吹が、直かに感じられる芝居だ。この芝居の大目玉は近藤正臣の客演!近藤は東と桟敷童子のファン、後援者で、やっと東の念願がかなっての出演だ・・。祭りの男根の木彫りをつくり、老いても女を連れ込んで楽しむ”村外れに住む老人・簗瀬長吉に扮し、スズナリの狭い舞台を近藤の存在感が圧するほどだ・・。ラストの18年前神隠しにあった妻にそっくりの少女が、ある日忽然と現れるが、村の掟にしたがって山に戻す日の、山の木の葉がまっ黄色に染まって、その葉が舞台いっぱいに舞い散る、塵芥の、桟敷童子の定番の見せ場で、近藤の少女に対する芝居が圧倒的、劇団員は池下重大をはじめ、全員近藤を立てるが、近藤もそれに応じて、スズナリのような近藤にとっては多分場違いの舞台で、若い役者に混じって実にうれしそうだった。それがおそろしく感動を与えるものだった・・・・。
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by engekibukuro | 2013-11-21 07:27 | Comments(0)