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3月30日(日)第二十五回テアトロ新人戯曲賞


 新人戯曲集に劇団チョコレートケーキの座付き作者古川健の「あの記憶の記録」が、選考委員全員一致で選ばれた。これは、ポーランドのユダヤ人の兄弟がナチに捕まり、アウシュビッツに送られる。ここで、ナチに強要され、ナチが同胞のユダヤ人を焼く後始末を手伝って生き延びた・・。このの兄弟が大戦後、イスラエルで家庭を築く・・。自分たちの体験を家族には黙っていた・・。この作品は、イスラエルの弟の家の居間が舞台、アウシュビッツのナチの将校も幻影として出没する・・。一昨年にこの芝居を劇団チョコレートケーキの舞台で観た。そのときは、なぜ今の若い作者が、アウシュビッツのことを書くのか、物語としてはとてもよくできていて面白かったのだが、よくわからんかった・・。だが、いま読んでみると、現在の日本の状況にぴたっとくる、アクチュアルな戯曲なのだ。息子が、イスラエルとアラブが戦争をしたら、命をかけて国のために戦うというと、この弟・親は”命より大事な国などない、戦争にいかされたら、とにかく逃げろ”といって、息子と対立する。息子は父親のアウシュビッツ体験を知らされていない・・。やがて、その体験が明らかになってゆくのだが、この劇がシンプルなホームドラマの形をとって描かれtているのが、説得力をもつ劇を成立させている。戦争がありえない話ではない現在に訴える劇になっているのは、いやなことではあるが、”命より大事な国などない”というアウシュビッツの体験者の言葉は重い・・。

▲2月、3月の、ことに2月に芝居が例年になく多かった。そのせいもあうのか4月は少なくなりそうだ。
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by engekibukuro | 2014-03-31 07:24 | Comments(0)  

3月29日(土)M 珍しいキノコ舞踊団

「金色時間、フェステイバルの最中。」構成・演出:伊藤千枝、振付:伊藤千枝、世田谷パブリックシアター
▲今回のキャッチフレーズー珍しいキノコ舞踊団コンテンポラリーダンス卒業宣言!!ー
”私たち、コンテンポラリーダンスを卒業します!ただ普通にダンスをやりたいだけなんです!だって私たにとってダンスは日常なんですもの!!(珍しいキノコ舞踊団一同)
だそうだのが、今回の舞台、久しぶりだったキノコのダンス。劇場天井から三角の小旗を飾ったラインをめぐらせ、舞台にはテントや小さな小屋が点在する懐かしいようなステージで、まさに”私たちにとってダンスは日常なんですもの”というカジュアルな衣装での普通のダンスが、今回はリーダー伊藤千枝も7人のダンサーに混じってがんばって楽しそうに踊り、キノコテイストを満喫できたステージだった・・。なかにスターウオーズのスペクタクルを借りた”金色時間”のキラキラしたシーンもあって、最後は客席も立ちあがって客もキノコのダンサーと一緒におどりまくるのだった・・。
▲開幕前にダンサーが客席をめぐって客と交流するのだが、”あらっ〇さん久しぶり、あらおなかが”、”そうなのよ三人目よ、”7か月なの”、”わたしもよ3か月なの”とダンサー、〇さん連れの女性をさして”この人も5か月なの”と・・。妊婦三人、そばで聞いていて、少子化のl時代、まことに頼もしい光景でありました・・。
▲おもろ、初夏のような日だった、中川君、カップル、カップルは染井墓地での花見がえり、墓地に土方与志・土方家の豪華な墓を見たそうだ、そこで土方についての解説を開帳する・・・。今日で終わった連続テrビ小説「ご馳走さま」のおわりかた、あれじゃあ、でもああするのも、いろいろあるから、と言い合って・・。
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by engekibukuro | 2014-03-30 08:30 | Comments(0)  

3月28日(金)第一回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞授賞式

授賞式は明記念館で開かれた。
 第一回j受賞作品はNODA・MAPー野田秀樹作・演出「MIWA」。選考委員は今村忠純・鹿島茂・小藤田千栄子、高橋豊。この賞は早川書房の初代社長が、大の芝居好きで、一般には早川ポケットミステリーなどで知られたミステリーの出版で知られているが、「悲劇喜劇」を出したいばっかりに鉄工所を廃業して出版社を起こしたそうだ。そういう経緯を含めて現社長早川浩氏が意表外の英語であいさつ、それを副社長の息子さんが通訳した・・、各選考委員が選考経過など挨拶、フランス文学者鹿島さんは、観劇は習慣だと決めて、一週間に一回芝居を観てきたそうだ・・。受賞セレモニーの後、野田秀樹のj受賞挨拶、”選考委員の方々の深読みに感謝します”と・・。この芝でこの芝居のモデルの美輪明宏を二人で演じた、宮沢りえと古田新太は仕事で来られなかったが、出演者の浦井健治が挨拶、うっかり”まだ生きている美輪さんが”といってしまい・・・、
それを受けたのが、今晩の大目玉のMIWA本人の美輪明宏さんの挨拶、”さっきどなかたが、まだ生きているとおっしゃっていましたが、まだ生きています、やっと27歳になりかました、みんんが笑うと”なんで笑うの、50ぐらいサバをよんでもいいじゃない”と、”このお芝居、野田さんからお話があって、どうぞかってにおやりになってといって、つまらなkったら客席からどなってやろうとおもっていたんですが、とにかくとても素晴らしいバランスで書き、おつくりになっていて感心しました・・いまの日本の政治も、世の中もひどいことになっているけど、元気で健在なのは文化だけね・・。初代社長の念願が見事に叶った演劇関係、早川関係者が集まった盛大な授賞式だった。初代との交流があった矢野誠一さんの乾杯のあいさつで、歓談の場へ移る。野田秀樹が美輪明宏をとおして自分なりの昭和を総括した、この「MIWA」が第一回に受賞しのは、その華麗な舞台と共にこの賞の出発点にふさわしいものだったとおもう・・。
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by engekibukuro | 2014-03-29 09:22 | Comments(0)  

3月27日(木)M★燐光群S★★山の手事情社

★現代能楽集「初めてなのに知っていた」(作・演出:坂手洋二)ザ・スズナリ
 時代を切開する野心作、意欲作を重ねてきた坂手の、複式夢幻能の形をとった既視感・デジyブにつての新しい試みの劇だ・・・、既視感が連続するとパニック状態のなって既視症ともいうべき精神失調状態になるという話を、ある架空の島を舞台に展開されるのだが、正直よくわからなかった、お手上げ状態に・・・、ただ、久しぶりに美香が出ていたのがうれしかった・・。
★★「ヘッダ・ガブラー」(原作:ヘンリック・イプセン、構成・演出:安田雅弘)文化学院 講堂。
 狭い四角のプレイト上に雪のような白い粉末を敷き詰めた舞台・・。この粉末が汎用小道具になって使われ、山の手独特の身体様式の四畳半スタイルで演じられる・・。ヘッダは、エキセントリックな浅薄な魅力のない女性だが、女優が演じたがる演劇性があって、その二重性に着目して描いたのが、イプセンの演劇理の凄さだと安田が書いているが、なるほどと思う・・。まさに山口笑美が演じたヘッダは、そのことをまざまざと感じさせた・・。ただ、この身体スタイルとセリフ術は、シェイクピアや日本の古典などには新鮮だが、イプセンなどの近代劇だと身体動作とセリフが乖離している印象をうけた・・。またテキストを大幅に圧縮すると、芝居が鋭角的になりすぎ、とうぜんだが余白がくなる・・。ヘッダ・ガブラーは、舞台上では解釈をのりこえるような謎を含んだ忘れがたい女性なのだ、大昔、16か17歳の時観た田村秋子が演じたヘッダが忘れられないのは舞台に余白があった、そのときブラック判事を演じたのが千田田是也の”ヘッダ・ガブラー”と呼びかけた声をいまでも覚えているのも・・・。だがこの舞台、とても刺激的で面白い上演だったこと、さすが安田と思ったことは事実である・・。
  
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by engekibukuro | 2014-03-28 09:21 | Comments(0)  

3月26日(水)M 芝居砦 満天星

作:澤藤桂、美術・衣装:宇野亜喜良、監修:金守珍、演出:水嶋カンナ、Project Nyx

 あれ!どこかで観たおばちゃんだぞ、真っ赤なドレスを着た大阪弁のこのおばちゃん、なんだ南河内万歳一座の鴨鈴女じないか、万歳一座の芝居の目当ては昔から、この鴨鈴女で昔からの大ファン、この舞台ではキャバレーのオーナー役、この街で競いあう対抗キャアバレーのオーナーが三浦伸子、芝居の大枠はこの二人の”戦い”だ・・。Project Nyxは今まで寺山修司の作品を宇野のアート、金のスペタクルなヨーアップで独特なテイストの舞台をつくってきたが、今回はオリジナル作品、今井和美扮するセムシの謎を秘めた美女を中心に、キャバレーで働く、踊り子、手品師、鎖りやぶりら雑多な芸人の色恋沙汰や、両キャバレの芸人の奪い合い、ついにはセムシの美女を犠牲にした二人の男の果たし合いに・・・。そういう世界を歌とダンスでおおがかりにショーアップし、場末のキャバレーでうごめき暮らす男女の哀歓を醸しだした愉しい舞台だ・・。むろん真っ赤なドレスの鴨鈴女も期待どうりの大はしゃぎの活躍であぢ満足だった・・・。、
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by engekibukuro | 2014-03-27 07:58 | Comments(0)  

3月25日(火)S「ヒネミの商人」遊園地再生事業団

作・演出・美術:宮沢章夫、座・高円寺

 この作品は1993年初演で、その再演だ。その前年に書いて上演された「ヒネミ」が岸田戯曲賞を受賞して、それが青天の霹靂で特別のの意味をもってしまって、その勢いで書きあげて上演した、数ある宮沢の作品でもことさら愛着のある作品だそうだ・・。ヒネミ=日根水は宮沢の生まれた静岡県の掛川がモデルだそうだが、その町を回顧して、町の風情や人情を描くタイプの芝居では全くない・・。柱になっているのはシェイクスピアの「ヴェニスの商人」とカール・マルクス「資本論」の貨幣論、「ヴェニスの商人」は、ポーシャが求婚者に金、銀、鉛のひとつの箱を選ばせるが、この芝居では舞台の印刷屋の印刷物が入った三つの箱を銀行員が選ぶ、その結果で印刷屋の社長の義姉夫婦の借金の保証人になるという、選んだ箱からはこの工場で印刷した偽札が出てきた・・・、これが貨幣論・・、ということになっているらしいが、よくはわからない、わからなというより、宮沢独特の脱力系の一種のナンセンス芝居のテイストにごく自然に内包されているからで、偽札などという大事件も、”梨をむくけど”とか”ちょっと薬局へyくわ”あんどといいう日常の会話、ことばにのみこまれ無化してしまう、日常の些事の魔力がふつうなら大問題になるようなことを極度に相対化して、日常の闇に埋没させtっしまう・・・、と思うような芝居だと考えたが、どうだろう・・作者のこの作品への解説、思い入れと実際の舞台とのギャップがどしてもぬぐいきれないが、このヒネミの町の生活感をかもし、町の人々の独特の個性を演じた役者陣はおおいに魅力的だった・・・。
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by engekibukuro | 2014-03-26 08:29 | Comments(0)  

3月24日(月)M「幽霊」)シアターコクーン

作:ヘンリック・イプセン、演出:森新太郎、翻訳:毛利三彌、主催・企画制作:ホリプロ
 キャストは安蘭けい、忍成修吾、吉見一豊、松岡茉優、阿藤快という異色メンバー、私は吉見以外初めて観る人たちだ。いままでイプセンは新劇の主要レパートリーで、上演もひとつの新劇パターンがあった。今回の上演は、そういう今までのイプセンの舞台の感触とずいぶん違う・・。これはイプセンの現代化という世界的イプセンりバイブルと同じ路線につながっているのだと思う。それどを感じさせる、休憩なしの2時間40分の緊張感がゆるまない舞台だった。雨が降りやまないノルウエーの辺境の地のアルヴィング家の屋敷、パリで絵の仕事をしているアルヴィング夫人(安蘭)の息子オスヴァル(忍成)が帰ってくる・・、この屋敷では、そのとき夫人とは昔からきわめて昵懇の牧師マンデルス(吉見)が来ていて、おりから夫人が建てた孤児院が竣工して大工エングストラン(阿藤)と、この男の義理の娘で、アルヴイング家の女中をしているレギーネ(松岡)がからむ、この5人が、近親愛、梅毒の遺伝、不倫とか、過去のいまわしい出来事が、アスヴァルの極度の絶望の叫びをとうして幽霊のように蘇みがえってくる・・。この舞台では、俳優が演出家のプランに即した役ずくりをするのではなく、役者の演技本能と演出家の解釈が舞台上でせめぎあう迫力で、森が強調する、この芝居でのイプセンの暗い話も、果ては笑うしかないというようなドタバタ調の笑いのひびの効果とあいまって、どくとくのイプセンの舞台ができあがったのだ・・。そして、この芝居を観て、人間がどんな危うい土台の上で生きているのかを痛感するのだ・・。おそらくイペセンの芝居を初めて観ると思われるコクーンの若い観客も感銘させたとおもう・・。
わたしが初めて「幽霊」を観たのは1956年の俳優座公演、この舞台でのオスヴァルは仲代達矢、彼のデビュー作だった。演技というより、舞台姿が素晴らしかった印・・・。
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by engekibukuro | 2014-03-25 07:21 | Comments(0)  

3月23日(日)読書メモ

▲マルセル・プルースト「失われた時を求めて(吉川一義訳)」(岩波文庫)の6巻ーゲルマントのほうⅡ、この大長編、なんかいも挫折しそになるので、毎日5ページづつ機械的に読むことにしたら、いつのまのか終わっていて、読み方としては邪道だが、いままででは一番面白く、この20世紀文学のっ金字塔といわれる名作の香りが感受で来たと思えた・・。最後の祖母の臨終のページ・・・。
 ・・ところが今や、逆にその髪だけが、若返った顔が戴くただひとつの老いの印であり、その顔からは、積年の苦痛の酔って加えられたしわも、ひきつけも、むくみも、こわばりも、たるみも、跡形もなく消えている。遠い昔、両親が夫を選んでくれたときのように、祖母の目鼻立ちには、純潔と従順によって優雅に描かれた線がよみがえり、つややかな両の頬には、長い歳月がすこしづつ破壊したはずの、汚れなき希望や、幸福の夢や、無邪気な陽気さがただよっている。生命は、立ち去るにあたり、人生の幻滅をことごとく持ち去ったのだ。ほのかな笑みが祖母の唇に浮かんでいるように見える。この弔いのベッドのうえに、死は、中世の彫刻家のように、祖母をうら若い乙女のすがたで横たえたのである。
▲川上徹「戦後左翼の誕生と衰亡」(同時代社)。著者は元共産党員で、62-64年の全学連(民青系)委員長。新日和見主義の問題で、党の査問を受け、その後離党した。この査問の体験を書いた「査問はちくま文庫にに入っている。そのご出版社同時代社を起こす。著者とはこの頃は会わないが、おもろの飲み友達だった。わたしも左翼のただなかで育ったから、左翼の衰退は他人事ではないが、この本で取り上げられている10人の人たちはほとんど新左翼系の人で、なじみが薄い・・。川上さんが左翼の衰亡は、社会そのもの衰亡の現れの一つのだという意見はく共感できる。中でも中学の教師の木本康博弘と人のエピソード、苦学しているとき、東京駅のレストランの厨房でバイトをしていた時、食事をたったまま食べさせるようなひどい待遇に敢然と抗議して改めさせた・・、そのあとバイトをやめるとき、コック長が、おれたちはこんな場所にへばりつい生きるしかないんだ、エラクなってもおれたちのことを忘れないでくれといわれたことが、左翼になった原点だという・・、これは感動的だ・・・、そのほか10人それぞれだが、著者の愛惜ががほとばしる文章で、一つの時代が終焉したことがをはっき感じさせる名著といっていい・・。そして左翼などという名辞から遠い今の若い世代の社会的活動家にエールを贈るという結語は、まさに納得だ・・・。
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by engekibukuro | 2014-03-24 07:48 | Comments(0)  

3月22日(土)M「荒野のリア」Tファクトリー

原作:W・シェイクスピア<輪村リア王>(松岡和子訳)、構成/演出:川村毅、吉祥寺シアター
 リアを演じるのは麿赤兒、いきなり荒野の大音響の大嵐の場、傾斜舞台と背後のカーテンだけの舞台、麿がでてきただけで、即座にリアの窮地のおおあがきの世界へ入魂できるような麿の存在感、そして相手の道化が角をはやした帽子をかぶって有薗芳記が演じる・・。このコンビが絶品だ・・。なんだか麿は生まれながらのリア役者のような気がしてくるくらいの、舞踏できたえた体と動き、状況劇場以来の見事な感情の高ぶり、
リアそのものだ・・、リアが寵愛する道化の有薗はひたすらかわいい、有薗はコーデイリアも最後に演じるのだが、咆哮するリアと絶妙なコントラストをなす・・。この二人の演技に呼応して手塚とおるのグロスター、笠木誠のケント、玉置玲央のエドアガー以下の役者陣も精彩鮮やかで、舞台は、川村のテキストを削ぎの削いだ簡潔な構成とメリハリ見事な演出が生きて1時間45分の短時間にリア王の世界が、そのエッセンスが現出したのだ・・。さらに川村らしい抜群のアイデイア、この舞台には女優がでない、有薗がコーデイリアを演じるが、リーガンとゴネリル、この二人のリアの極悪娘は映像でのグラマーのハリウッド女優(名前はわからない)が代替して、中村崇と川村がセリフを吹き込む、淫乱で挑発的な映像、さらにこの映像に続いて、西部劇のジョン・ウエイン、そして小津安二郎の「東京物語」の笠智衆の映像、これはなんだ?ジョン・ウエインがマッチョな笠が一歩退いた謙遜な家父長像を示してリアを相対化しする批評的な映像か・・・。悲劇の緊張がだらしなくゆるむこの映像の場面が実に効果的で、リアが精神失調して踊りだす麿の可愛らしい踊りと場と双璧だ・・。そういう一切を含めて、麿のリアは惨状をのりこえて最後まで立派だった、到達不可能な老人の鑑だ・・。そしてなによりうれしかったのは、川村の第三エロチカ時代の盟友である有薗がこの舞台で本来の能力を十二分に
発揮できたこと・・・。
▲おもろ、カップル、中川君、50年ちかくこの店で働いてきたKさんが、このごろ姿を見せない、どうしたのだろう・・。
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by engekibukuro | 2014-03-23 08:11 | Comments(0)  

3月21日(金)M「あとにさきだつうたかたの」本多劇場

作:山谷典子、演出:小笠原響、加藤健一事務所

 加藤健一が7歳から75歳まで、同じ衣装で瞬時に入れ替わる役を演じるのが見どころの芝居・・、加藤は巧みに演じ分けるが、この男は原子物理学者・・。加藤の演じ分けを楽しむ芝居ではあるが、山谷の戯曲は骨っぽいもので、きわめて今日的な芝居、戦争を真正面から見据える芝居なのだ。山谷は自分は、戦争の実体験を家族から聞くギリギリの世代だと語っている。この男の幼少期は戦争から戦後へかけてだが、母が死んで、忙しい報道関係の仕事をしている父’(山崎清介)が飲み屋をやっている姉(伊東由美子)に預ける。その伯母の息子、男の従弟(加藤義宗)は兵隊がえりで、戦時中日本国家に騙され戦争に狩り出され、今は戦勝国アメリカのいいなりになっている状況に絶望して、目がつぶれる危険があるバクダンという合成酒を浴びるように飲み、ついには隣のオンリー(米軍相手の娼婦)の家に入り浸ったいるアメリカ兵を殺してしまう・・。そういう記憶をかかえている男には、市議会議員が原発の安全性への協力をしつこくせまられている・・。そういうことをベタに狙ったのではない、多彩な趣向が盛り込まれtている芝居だが、この芝居の、従弟の青年のねじれたありようは、今でも日本は引きずっていてアクチュアルなのだ、カトケン事務所がこういう芝居を今上演したtことは、とっても意義があることだと思う・・・、芝居を盛り上げていた伊東由美子が良かった・・。
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by engekibukuro | 2014-03-22 06:34 | Comments(0)