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6月29日(日)






▲「悲劇喜劇」9月号の「上半期の収穫」の原稿を書く。
・新国立の「マニラ瑞穂記」、Tファクトリーの「荒野のリア」、マームとジプシーの2本「△△△かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっとー」と青柳いづみの一人芝居「まえのひ」、劇団チョコレートケーキ「サラエヴォの黒い手」、ミナモザの「WILCO」、中屋敷法仁演出「赤鬼」だが・・。


・田中マ-君、対レッドソックス戦、9回にナポリにホームランを打たれて負けた。しかし、相手のピッチャー・レスターも良かったし、勝敗二の次のいいゲームだった・・。
・宝塚記念、ゴールドシップが横山で勝った。ウインバリシオンは7着、惜敗続きは最後には大敗するのか・・・
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by engekibukuro | 2014-06-30 07:08 | Comments(0)  

6月28日(土)東京芸術劇場シアターイースト

 珍しいキノコ舞踊団+モモンガ・コンプレックス  
構成は
 Scene1「FREE草原に立つ」(約30分)―振付:白神ももこ 出演:キノコ
 Scene2「健康的ピープル」(約30分)ー振付・音楽:伊藤千枝 出演:モモコン
           <休憩10分>
 Scene3「モモコンWorks」(約15分)-振付:白神ももこ 出演:モモコン
 Scene4「キノコWORKS(約15分)-振付:伊藤千枝 出演:キノコ
 ダンサーはモモコンは主宰白神を含めて4人、キノコは主宰伊藤を含めて6人

 モモコンは初めてだが、両方とも、微妙な差異はわからないが、ダンスも雰囲気も似ていると思った。よくあるコンテンポラリーダンスの求道的、哲学的難解さは微塵もない・・。どこにでもいる女の子が真から楽しんで踊っているような舞台の愉悦感は共通している・・。”どこにでもいる”ということそのものの値打ちの向上、それの祝祭的高揚感が舞台にみなぎっていた・・。

▲おもろ、中川君はデイトらしい・・カップル・・上野の博物館の台湾の故宮博物館展は3時間待ちだそうだ、3時間か・・、福田和也は、この博物館の青磁は必見だと書いていたが・・・。



 
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by engekibukuro | 2014-06-29 09:08 | Comments(0)  

6月27日(金)

そのほか▲都築響一「独居老人スタイル」を読んだ。「独居老人」というと、孤独死とかバッドイメージが一般だが、統計によれば高齢者の自殺率で、一番多いのが三世代同居、いちばん低いのがひとりぐらしだという。”ひとりで生きることの寂しさやつらさよりも、家族関係のもつれのような、ひととひととのひごちゃごちゃんのほうが、はるかにひとのこころを壊すのだ”ということで、ここで取り上げられている15人の独居老人のような人は、それでもそんなに大勢いるのじゃないだろうが、”仕事のストレスもなく、煩わしい人間関係もなく、もちろん将来への不安もなくーようするに毎日をものすごく楽しそうに暮らしてる、年齢だけちょと多めの元気な若者なのだった”という人々の聞きがき、ほとんどがたいしてうれないけれど確実にファンがいる芸人やアマチュア画家や写真家だ・・・。このなかで知っているのは秋山祐徳太子さんと、首くくり??象さん。祐徳さんは昔、大野和子さんがやっていたころのゴールデン街の銀河系の客での顔見知り・・、店に祐徳さんのブリキ彫刻が飾ってあって、あるとき「噂の真相」の岡留編集長が誰かとけんかになって、その彫刻をとって殴りかかろうとして、大野さんが必死になって奪い返したことがあって・・。首くくりさんは、その首吊りの舞踏を観て、それを「シアターアーツ」に書いたし、ALICAの安藤朋子さんtの共演のパフォーマンスも観た。そのほか多士済々で、皆さんとても素敵で、独居でない老人にもなかなか”参考”にもなったのだ・・。
 著者の結論・・”人生の「勝ち組」と「負け組」というのはけっきょく、財産でも名声でもなんでもない、死ぬ5秒前に「あゝ、おもしろかった」といえるかどうかという、単純な真実”・・さあ、どうしよう!
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by engekibukuro | 2014-06-28 07:05 | Comments(0)  

6月26日(木)MIWILCO」(作・演出:瀬戸山美咲)

ミナモザ、座・高円寺
 WILCOとはWill complyの略。軍事無線用語。「了解、命令を実行します」の意味。日本で生まれた人間でも本人が望めば戦争に参加する方法があることを知って、瀬戸山はその体験者に話をきいてこの芝居を書いた・・。この芝居の主人公の青年は、直接には父親への憎悪が動機で、自分がなるべく早く無意味な死を遂げることを決意し、まずは自衛隊に入隊する、そこで経験を積むが戦争での戦死はもとより望めず、自衛隊を中退してフランスの外人部隊に入隊するが、そこも自分の思いとは違う場所だった・・。そして次にイラクの警備会社に入り、要人の警護に従事する・・。いつ殺されるかもしれない危険な任務に・・・。まあ、ここまではこの青年の特殊な青年の体験だが、そこまでのプロセスでジャヤーナリストやボランテイア、兵隊仲間との接触や会話が、現在の日本の戦争にまつわる状況にフイットするのだ・・。劇団「チョコレートケーキ」の「サラエヴォの黒い手」もそうだったが、いまの若手劇団では自分の芝居について、メッセージの開陳や問題提起の表明などはしない・・、問題を提起しても答えがすでに用意されて、そこへ回収されてしまう虚しさを避けることもあるのだろう・・、だから、問題意識群から落ちこぼれた細部のリアリテイが要になる・・・。そこから浮かび上がってくるのは戦争しないことが不自然のような戦争への郷愁のよなものや、建前と現実の乖離がざらざら浮かんでくる・・。この青年は、平和国家も戦争放棄もひたすら冷笑するのだが、イラクでの警備で、テロリストの車かどうか不審な車かきたとき、運転手を殺害するのに躊躇する、が、外国人の同僚は躊躇なく発砲し、運転手を殺す・・・。このニヒルな日本人青年のこの躊躇こそ平和憲法下で育ってしまた青年のの体質と化した殺せない日本人が現れたのだ・・と思うと同時に、躊躇なく即座に殺す人間も普通の人間もいることとの対比
、必ずしも芝居の運びがうまくいっているとは思えないが、モチーフの衝迫感がきちんと伝わる舞台だった。
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by engekibukuro | 2014-06-27 08:55 | Comments(0)  

6月26日(水)M こまつ座ーあうるすぽっと

「てんぷくトリオのコントー井上ひさしの笑いの原点ー」(コント:井上ひさし、脚本・監修:ラサール・石井、演出:青木豪)
 かってのてんぷくトリオ三波伸介、戸塚睦夫、伊藤四朗の3人が演じたコントを、「我が家」の3人、坪倉由幸、杉山裕之、矢田部俊が演じて、かたや山西惇が井上ひさしに扮し、井上麻矢を佐藤真弓、ひょっこりひょうたん島のコンビ山元護久を市川しんぺー、伊藤四朗他をみのすけ、それに伽世故子の役者連が、井上ひさしにまつわる芝居を演じて、そのコントと芝居の交互の舞台から、井上の笑いの原点と、井上のコントの斬新さで人気トリオに浮上した、その頃の雰囲気をたっぷり楽しめた・・。それにしても、パンフの伊藤の談話で、それまでは「宮本武蔵」を「宮本むさくるし」などという泥臭いコントしかなかったのが、”井上さんの洗練された、かといって簡単には出来ないコントに出会い、それこそ目からウロコ状態だったことを覚えている”といっているが、いま観ても「死刑台の男」など、このコントな前衛コントかとみまがうような斬新さだった・・。アサールはこの総数156本のコントが実を結んで、驚異的な傑作処女戯曲「日本人のへそ」ができたといっているのは全くうなずける舞台だった・・・。山西が井上にそっくりだったのもとっても懐かしいような・・なんともいえない気持ちになった・・。

・昔、児童劇団にいたころ、その劇団に三波伸介(そのころの名は三津田譲二)がいて、かわいがってもらった・・、劇団仲間の木村君のおネイサンが当時の大映のニューフェイスで後でスターになった木村三津子さんで、その木村さんの家が戸山が原の都営住宅で、その家を訪ねるのに、譲二さんがそのたびに私を連れていった、なんだったんだろう・・・、この舞台を観て、そんな大昔のことを思い出したのだった・・・。
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by engekibukuro | 2014-06-26 09:20 | Comments(0)  

6月23日(月)M★紀伊国屋サザンT・S★★パルコ劇場

★「白い夜の宴」(作:木下順二、演出:丹野郁弓)劇団民藝
  木下順二が1967年に書いた作品だ。ー1968年の半ばに近いある夏の夜。庄内家の応接間では年に一度の宴が催されようとしている。軍需産業の花形であった飛行機工場を戦後、自動車産業に転換させることに成功した父。かって左翼青年だった父と辛酸をともにした母。「陛下とともに、常に陛下とともに、和平のいと口を探しておった」と力説する元内務官僚の祖父・・。そして宴に遅れてきた長男は・・この長男は安保闘争に挫折し、対立していた父の会社で働き成績をあげてきた・・。戦前の軍国主義日本の圧制とそれに抗って挫折した、そして、戦後まで尾を引いている一家の物語、人物のミステリアスな出入りは、ちょっとミステリアスででプリーストーリーの芝居を思わせるが、上演意図もパンフの識者の解説も現在の急激な戦前回帰を思わせる日本の政情への警告を内包している芝居だと言っている・・。たしかに、そういう風にとって考えることができるが、現在の左翼のほぼ絶滅、反権力勢力の目に余る弱体ぶりを考えると、木下を含めて戦後進歩的文化人の功罪を考えざるをない・・。今は知識・知識人も文化・文化人もなんら価値の優先権も特権ももたない裸の現実が横たわっているだけだ・・。そういうことを考えさせられた、刺激的で有意義な舞台だった。
★★「恋と音楽Ⅱー僕と彼女はマネージャー」(作・演出:鈴木聡、音楽:佐山雅弘)
 出演:稲墻吾郎 真飛聖 相島一之 小林隆 北村岳子
 鈴木の手練れの稲墻と組んだミューカル・・・。むろん稲墻目当ての女性客が大勢いで、もう開幕から活況を呈しもりあがって、昼間の大マジの雰囲気と違ってリラックス・・。小林と北村がミュージカルのスターコンビで、その二人にミュージカル学校の落第生、稲墻、真飛、相島がマネージャー、演出助手として振り回されるミュージカルで、一息つける舞台だった・・。それにしても、相島も小林も三谷幸喜が率いる東京サンサシャインヤインボーイズにいた役者・・・、かっての舞台を思い出して感慨深い・・・。
▲AM3:00プレイボールのオリオールズ戦、田中マー君、負けた。それでも7回まで3:0、3点くらいは打線でと思うが、彼は”打線の援護を頼りにすると、自分自身の成長の妨げになる。僕がちゃんと抑えればいい」と言っている・・すごいな・・。
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by engekibukuro | 2014-06-24 09:35 | Comments(1)  

6月22日(日)

▲伊集院静「ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石」(講談社)

 子規と漱石の若い日の交流を描いた小説だが、重点はのノボさん、正岡子規の生涯・・ノボさんとは、子規の幼名升(ノボル)からの通称だ・・・。”子規は夢の中を走り続けた人である。これほど人々に愛され、これほど人々を愛した人は他に類をみない。彼のこころはまことに気高く澄んでいた。子規は、今も私たち日本人の青空を疾走している。” 巻頭のことば・・。伊集院という作家がこういう子規の生涯を漱石との交流を交えた小説を書くく人だとは・・ちょっと意外だった・・。だが、小説のでだしーノボさんどちらへ?べーすぼーる、をするぞもしーの章を読むと、そかと・・、この子規が夢中になった明治初期にアメリカから輸入され、べーすぼーるの用語も翻訳した野球は、伊集院が六大学の立教のピッチャーだったのだから、この出だしの明るさが、重いカリエスで最後は寝たっきりでっ生涯を36歳で終えた最後まで陰らない・・。さまざまなエピソードもかなり知っていることも多いが、そっらがまた別の角度から魅力的に描かれ、不意に落涙する羽目になる個所が襲ってきて・・・、晩年の大晦日に漱石と高浜虚子が訪ねてきた・・これを詠んだ
   ・漱石は来て虚子が来て大三十日(おおみそか) という句、それと、子規が病苦の激痛にたまりかねて母八重や、妹律を怒鳴り散らしてさんざん困らせていたが、ついに絶命したとき、病床でーその時、八重は息子の両肩を抱くようにして言った。「さあ、もういっぺん痛いと言うておみ」
その言葉は九月の明る過ぎるほどあざやかな月明かりが差す部屋の中に透きとおるような声で響き渡った。これも・・・、読どころ満載の小説で、これもわづかだが俳句をかじっていることがあるのかな・・。
▲夜は、路地裏の名店谷中の五十蔵(イスクラ)に行く、久しぶりだが、ますます若いカップルだとか、客筋がさらによくなって、おかみのシーちゃんのとびきりの客あしらいのセンス、妹ユーコちゃんの料理の腕もますます上がっている・・。
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by engekibukuro | 2014-06-23 08:15 | Comments(0)  

6月21日(土)M「泣かないで」音楽座

原作:遠藤周作、脚本・演出:ワームホールプロジェクト、音楽・音楽監督:高田浩、音楽:井上ヨシマサ、振付:杏奈、東京芸術劇場プレイハウス

 遠藤周作の「わたしが・棄てた・女」を元にした音楽座ミュージカル、たびたび上演される音楽座の主力レパートリーの一つ・・。終戦直後の混乱期に川越生まれの一人の少女が、クリーニング工場で働いていたが、金にも女にも飢えていた貧乏学生に騙されて一夜をともにしてしまう・・。以後学生には連絡を絶たれてしまうのだが、さらに彼女に災いが襲う、皮膚に変調がおき、それがハンセン病の疑いがあるというjことで、富士のふもとの復活病院に行かされる・・・。だが、いったんは病気とされたが、更に精密検査を重ねて、最初の大学病院の誤診だということが判明したのだ・・大喜びで病院を出たが、入院中の献身的に患者の世話をするシスターたちの活動、病気と戦って毎日暮らしている患者たちを思い出し、病院に戻り、看護に携わることに自分の一生を決めた・・。このミュージカルは終戦直後からの日本の底辺に生きる人々の苦闘を歌とダンスのよってダイナミックに描くこと、その群衆のlエネルギーが背景にあって、その中での一人の純真な少女の多難な生きる姿を描いた、一種のカソリックの作者遠藤の祈願がこもった聖女物語だ・・。群衆描写と一人一人の個の描写のバランスが優れている音楽座のミュージカルの代表作だろう、終戦後の日本の現実をいやでも思い、聖女に擬してもいい彼女森田ミツが不幸にも交通事故で亡くなるのlだが、最後の言葉が、昔一夜をともにした学生の名をいって”サヨウナラ”と・・・、その哀切さと、それを告げられたかっての学生が、”そんなこと男ならだれだってやっている”と言い捨てても罪責感をぬぐえない姿の結末が苦い・・・。
▲おもろ。中川君とふたりっきり・・・。
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by engekibukuro | 2014-06-22 08:02 | Comments(0)  

6月20日(金)S 白石加代子百物語FINAL

 第三十二夜 第九九話ファイナル公演 第九十八話・三島由紀夫「橋づくし」、第九十九優話・泉鏡花「天守物語」、構成・演出:鴨下信一  出演:白石加代子、世田谷パブリックシアター
 1992年の第一話夢枕獏「ちょうちんが割れた話」が岩波ホールで行われてから二二年、めでたくファイナルを迎えた!百物語は百までやってしまうとホンモノのお化けがでるという言い伝えがあり、九十九で終わるのが・、キマリだそうだ・・。今回は、常うちの岩波ホールより舞台が広いので、いろいろ仕掛けがあってファイナルらしい豪奢な舞台になった・・。今回はそれほど期待していなかった「橋づくし」がとても面白かった。新橋の芸者二人と料亭の娘その娘のおつきの女中四人が、銀座から築地までの七つの橋を夜中に渡り願かけする話だが、白石が軽妙に洒脱に演じて、三島のこういう一面があるんだととても面白く知らせてくれた・・。こういう軽さの白石の魅力を示したのが、この百物語だったのだ・・。ザ・ファイナルの「天守物語」はまさに白石の真骨頂の立派な語りだった・・。この百物語は全部観ているが、もうさまざまな思い出があって・・。その中でも特筆するのは、白石がとびきりの喜劇女優だということの発見だ・。演出の鴨下が、”白石さんのような喜劇俳優はいない。何をやっても素晴らしく面白い。おそらく日本の女優で一番喜劇的要素を持ち合わせているんです”と語り、だからNY公演での新聞評で「日本から卓抜した喜劇女優がきた」と書かれたときいて、「ザマアミロ・・日本の評論家にはわかるまい」と快哉を上げげたんだ、と・・・。実際、筒井康隆の「五郎八航空」はやたらに大笑いしものだが、この作品をアメリカに持って行き、同時通訳で観客が笑いすぎて席からぶっ倒れて怪我をしたというんだから、まさしく抱腹絶倒を絵にかいたような光景が起こったのだ・・。稀代の読書家鴨下が選んだ物語はさまざま多岐にわたるが、なかでも異色で忘れがたいのが、「阿部定事件予審調書」、この予審の定の陳述は定がまれに見る愛の結晶を営んでいたことが感動的に伝わったのだ・・。とにかく、めでたく終了したことを寿ぎたい!
・「女性セブン」で吉田鋼太郎と安蘭けいとのスキャンダル記事を立ち読みする・・。なんてことないじゃないか・・とんだミーハーじじいだなオレは・・・。
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by engekibukuro | 2014-06-21 07:11 | Comments(0)  

6月19日(木)M ★吉祥寺シアター ・S ★★楽園

★「耳のトンネル」(プロデュース:深井順子、作・演出・音楽・美術;糸井幸之助)Fukaiproduce羽衣
 この劇団からはじけて招待していただいて、どんな劇団なのか、「演劇最強論」の徳永京子さんの紹介を読む・・。-糸井の作品は人間賛歌だから。正確に言うと、”手低的に下半身を通した”人間賛歌なのだけれど、どんなに露骨な描写や直接的固有名詞も下品にならず、様々な命への平等な愛しさに結びついていくのは、ちくりてにブレがないからに他ならないーとあり、この歌と踊りの舞台は、”妙ージカル”というそうだ。さらに「悲劇喜劇」7月号の”若手劇作家特集”で佐々木敦は、”ほぼすべてが通俗的といえば相当に通俗的な、だが同時にこの上なく切実な、男と女の愛と情と性のテーマを扱っている。たが糸井自身が手掛ける陽気で優しく麗しいメロデイに乗って、そっらが歌い/語られると、観客はベタであることを百も承知の上で、むしろベタであるがゆえに怒涛の感動を味あうことができる”とある。なるほどと舞台を観て思い、見聞を広めた感があった。ただ、3時間は年寄りには長すぎた・・。
★★毒婦二景・Aプログラム「定や、定」(作・演出;高木登)鵺的
 むろん、この芝居、阿部定の話、定を岡田あがさ、定の遠縁の宇野正直を寺十吾が演じた。宇野は高村光雲の弟子の優秀な木彫家であったtが、喧嘩がもとで腕に怪我して彫れなくなり、女衒で世渡りしている男。この男が慶応の学生に手籠めにされてやけになって遊び歩いていた18歳の定を、”女”に仕込んで、曖昧屋に売って、それから転々と店を変えた、男も変えて流浪して、最後にやっとホントに好きになった男を快楽の果に絞め殺しチンポをきってしまた定の一代記を、この男が語るのだ・・。この芝居、この男を演じた寺十の演技の凄さににつきる・・。この男に語られる定の素晴らしさ、極上の女とはこんな女なのだと思させ語り口、振る舞いは絶品だ・・・。もともと力のある役者として定評のある人だが、この芝居d真骨頂を観た思いがした。定を演じた岡田は、そえrはもうこんな後世に語り継がれる女を演じるのはタイヘンだと思うが、寺十の芝居にきちっと付き合う、善戦していた・・・。
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by engekibukuro | 2014-06-20 05:45 | Comments(0)