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7月29日(火)

▲矢野誠一「昭和の演藝二十講」(岩波書店)
 著者が慶應義塾大学久保田万太郎記念講座での講義をもとにした著作だ。子供のころから寄席藝・芝居・映画に親しんできた著者の自分史と重ねて書かれた昭和の演藝史。とくに著者が寄席藝、落語にくわしいのは周知のことで、第十九講「志ん生と文楽」では、”私は志ん生と文楽から人生を教わってきたのだ”と書いている。さらに芝居と言っても歌舞伎、文楽はもとろん、新劇にも若いときから関わってきた、舞台藝術に関してのオールラウンドなのだ・・。著者は昭和10年生まれ、私は11年だからほんのわずかではあるが、重なる体験がある・・。昭和30年前後のストリップ小屋体験・・、むろん目当てはストリップなのだが、幕間のボードビリアンによる場つなぎのコント藝、客はむろんストリップ目当てだからちゃんと見ない、それをなんとか見せる技を競う、ここから渥美清、谷幹一、関敬六などなどだが、とくにいまの伊勢丹会館あたりにあった新宿フランス座のボードビリアン石田英二(この人俳優石田太郎の父だときく)、著者が”玄人受けする芝居で人気をさらっていた”と書いているが、この人はホントに面白かった・・。ストリップの踊り子がすっ飛んでしまうくらい垢抜けした見事な囈だった・・・。日本の笑いをダメのしたのはテレビだと著者は断言するが、それと小劇場のかかわる記述・・・。「唐十郎、寺山修司、つかこうへい、野田秀樹らの手によってはなばなしく展開された小劇場運動は、いささか形骸化をはらんできていた新劇俳優の囈に、強い刺激を与え、新時代にふさわしい新しい囈のかたちを模索しながら形象化してきた。そしてそれを支持し連帯するかの同世代の観客を生み出した。その小劇場運動、といっても誰ひとり「運動」を標榜した者はなかたっと思うが、とにかくその運動が爛熟の度を加えつつあったとき、それに追従するかのごとき幾多の若きグループが誕生し、これまたそれに同調する同世代の観客の支持を得た。この、第二期といおうか、新たな小劇場活動(あえて運動とは言わない)に参加している世代の、すべてだと断定しないがほぼ大半が、テレビによって完全に汚染された方法論を信奉した、浅薄なる舞台づくりに汲汲としている」・・、これに「大口をあけて狂喜する観客たち」・・。小の観察、断定になかば賛成するのだが・・・。ともわれ、昭和の演藝、文化仁ついての集大成として、とても有益で楽しい本だった。
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by engekibukuro | 2014-07-30 09:25 | Comments(0)  

7月28日(月)M「帰還の虹」タカハ劇団

 脚本・演出:高羽彩 下北沢駅前劇場
 このところたとえば朝日歌壇の投稿歌など、集団的自衛権など今の安倍政権批判の短歌が多いが、演劇の世界でも、劇団チョレートケーキの古川健、ミナモザの瀬戸山美咲など、若い劇団の作者が、戦争に関わる作品がおおくなってきた。これは若い世代が戦争の気配を皮膚感覚で感じているからだろう。この芝居も戦時中の画家の生き方、軍部と協力しなければ生きてゆかない画家たちを描いた芝居だ・・。画家3人が田舎に疎開してなんとか絵を描いているのだが、その中の一人が抜きんでて画才があり、軍部が手厚く庇護して戦意高揚の戦争画を描かせている。この画家の妻は、なにかというと戦前のパリでの暮らしを鼻にかける奇矯な女で、なにかと物議をかもしている。この画家藤沢(西條義将)は、文化担当の中佐(有馬自由)と昵懇で、彼は画家のアトリエに頻繁に来ている。ただ、アトリエに厳重に覆いをかけてある続行中のキャンバスがある。これは秘密にされてるが、中佐の指揮したノモンハンの日本軍敗退の真実を中佐に極秘に取材して、中佐もこれだけは協力する。藤沢の画家としての魂が戦争の真実をリアルに描くことに熱中させているのがだ。・・。これは戦時中、名画「アッツ島玉砕」を描いた藤田嗣治を思わせるが、戦争画は戦後アメリカに押収され、のちに国立近代美術館に返還され、作者の説明ではこの絵は公開されていないということだが、藤田の絵は公開された・・。藤沢は戦後パリで暮らす、これも藤田を思わせる・・。さまざまなエピソードが描かれるが、戦時の日本の重苦しい空気がくみなぎっている舞台で、画家の家の、赤紙がきた弟を必死に逃れさせようとする弟思いの女中を演じたかんのひとみの好演が舞台を支えていた・・。
▲第九回「俳句をつくる演劇人の会」於・銀漢亭。堀切克洋君がパリからバカンスで帰国した。その堀切君をスペシャルゲストにした・・。さすが若手俳人として嘱望されている彼、次々高得点を採る・・。兼題は「夏芝居」「汗」、私も特選にした「どちらかといへば汗かく人が好き」など、堀切流のシンプルで的確な句・・。今回はダメだと覚悟していたが、大西酔馬さんが、「夏芝居お化け役者社は借金苦」を採ってくださり、会以外の来店していた俳人が「暑いわね高嶺の花も汗をかく」を採ってくださった・・。ひさしぶりにハイリンドの伊原農さんが参加、野球の話をして、スタルヒンをみたことがあるといったら、スタルヒンをしらなかった・・。それを帰宅して家人にいったら「あたりまえよ、あなたいくつだと思っているのよ」と・・。60年も前だった・・。
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by engekibukuro | 2014-07-29 09:48 | Comments(0)  

7月27日(日)

 国際演劇評論家協会(AICT)主催のシアター・クリテイックい・ナウが座・高円寺で開催された。

 AICT演劇評論賞は、七字英輔氏「ルーマシア演劇に魅せられてーシビウ演劇祭への旅」(せりか書房)に、シアターアーツ賞は宮川麻理子氏「せめて鋳型に鉄を流し込むようにその踊りの形の中に流し込むことについてー川口隆夫『大野一雄について』評」に受賞された。記念シンポジウムは野田学氏司会で、パネリスト:七字英輔氏、扇田昭彦氏、安田雅弘氏。会場に入りきれないような大盛会で、この種のシンポジウムでは例のない賑わいだった・・。これは七字氏がシビウ演劇祭への日本の劇だの招聘にいかに尽力されt化の証拠で劇団関係者、新井純さんら俳優たちが大勢来たのだ・・。ビデオで演劇祭の舞台をみながら、それぞれのシビウの体験を語る・・。扇田さんは毎年いっている、山の手事情社の安田さんは、演劇祭に参加して高い評価を受け、現地の劇団で近松の芝居を演出した。15年間に渡るシビウへ、ルーマニア、モルトバへの演劇行脚をつづけてきた七字さんの、舞台の隅々までの凄い記憶力、ルーマニア演劇のスタッフ、俳優につての膨大な知識はおどろくほど・・。中華料理屋での懇親会は店に入りきれないほどで、紙媒体としての「シアターアーツ」は終刊したが、この雑誌のほかに代えがたい日本の演劇にとっての役割をつくづく感じた。惜しい雑誌だった!こんごは、ウエブ媒体や、演劇批評家養成講座なので続行する・・。
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by engekibukuro | 2014-07-28 10:04 | Comments(0)  

7月26日(土)M「柄本明一人芝居 風のセールスマン」

作:別役実、演出・美術・出演:柄本明、音楽:朝比奈尚行、トム・プロジェクト、シアタートラム
 別役が初めて柄本に書いた一人芝居・・。今回はその再演だ・・。今回、初演とみちがえるような柄本畢生の名舞台だ・・。初演がけっしてつまらなかったわけではない・・、一陣の風が吹き抜けたような面白い舞台だった・・だが、今回はなんというか深さがちがうのだ・・。水虫の防御薬のセールスマンの柄本が、なにやたら懐かしい歌をうたいながらスーツ姿で登場、舞台はむろん電信柱、バス亭とベンチの別役定番セット、今日も彼は主任が指定する地図に赤いマ-クで囲んだ地域をまわってきた・・、ベンチに座りカバンをおき、セールスマンの暮らしのアレコレをしゃべりだす・・。彼はいま一人暮らし、だから電柱とバス亭に綱をはって、ペットボトルの水でズボンを脱いでトランクスを洗い、代わりのトランクス姿で、かばんから犬をつなぐヒモで自分をしばったりして、奇妙な格好で一人暮らしの顛末を語りだす・。もともと妻との二人暮らしで、子供がほしいときにできず、妻の妹の三人目の娘をもらって暮らしていたが、あるとき通事故でその子を亡くし、一緒にいた妻が、罪責感が昂じて自分で包丁を刺して自殺してしまう・・。それを見つけて彼は、自分の指紋を包丁につけて、自分が妻を殺したことにする・・。今は、しらべればすぐわかるから、自分をうかまえにくるパトカーを待っているわけだ・・。しかし、パトカーは彼の目の前を通り過ぎていってしまう・・。妻が妹に自殺を予告していたからだが・・・・、まあ、そういう顛末だが、自分のしがない半生をさyべる背景には、大きな眼球のセットがあって、彼のいうことの真否をチェックしている気配が舞台にみなぎり、ときたまの音楽が彼の苦渋の心境をかもして、風のセールスマンの孤独を浮きぼりにする・・。ブラックユーモアなどといってはおさまらない感じで、別役の根柢の世界観、いままでの別役芝居はその別役の哲学の上澄みだけを救って芝居にしてきたケースが多々あったが、柄本は照れず、ひるまず、真正面からその哲学がよびおこす人間の根源的な孤独を、味の濃い笑いを伴って表現したのだ・・。柄本の見事な円熟を感じさせた舞台だった・・。
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by engekibukuro | 2014-07-27 08:19 | Comments(0)  

7月25日(金)M「四人目の黒子」弘前劇場

作・演出:長谷川孝治、シアターグリーン

 ある地域劇団の本番前の楽屋風景・・。この劇団の関係者は、先日、中国・韓国で現地演劇人や音楽家と2か月にわたる演劇共同制作をおこない、公演を打ってきた・・。その余韻がいろいろ残っている楽屋で、劇団員それぞれ、生活のたいへんさを抱えていて、徘徊する母親とか、デルヘルのバイトで客に劇団員がきたとかさまざまで、自分向きの話題だと長広舌をふるい、薀蓄のかぎりを展開するシーンなど、本番の前のザワザワした雰囲気での臨場感は奇妙な魅力を放つ・・。そういう楽屋に無言の黒子が出たり、入ったりするが、この黒子のなぞの出没はなにを意味しているのか・・、劇団、芝居、生活を支えているものとしての黒子の謂いなのか、「私、今回は黒子に徹します」などという常套句の欺瞞を長谷川はチラシに書いているが、長谷川らしい設問がよくわからなくても尾をひく・。芝居のなかで、いま戦争の気配が濃くなってきている、東シナ海でなにかあったらそのままずるずるいってしまうかもしれない・・、これは中国、韓国での体験を踏まえていりから、説得力があって、そのときのなって、あの芝居でいっていたとおりになったな、という日がくるかもしれない、とんかく長谷川の芝居をの魅力は確保できていて満足したのだった・・。
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by engekibukuro | 2014-07-26 08:00 | Comments(0)  

7月24日S「河童」DUL-COLORED POP

作・演出:谷賢一、原案:芥川龍之介、音楽・演奏:岡田太郎(悪い芝居)、振付:伊藤今人(ゲキバカ/梅棒)・長谷川寧(富士山アネット)・堀川炎(世田谷シルク)・中林舞、吉祥寺シアター

 芥川マニアだと自認する谷が”芥川先生。僕は、あなたの作品を、「河童の国に行く}というベースアイデイアだけ拝借して、メッタメタに書き換えました”という音楽劇だ。ある精神病患者が河童の国へふと紛れ込んでの報告が原形だ・・。河童の国では、男と女の役割、機能が違い、出産も生殖器に口をあてて、腹の名の子に生まれてきたいのか、どうか問い、その意思表示に従う。また、工場の職工は、仕事についてゆけないと、どんど殺して喰ってしまうとか人間の国と真逆のことが多い・・。谷の作詞の歌「Ways to Die」では、
 ▲満員電車のサンドイッチで、ピクルスみたいに死ね・年々上がる区民税に 絞り上げられて死ね/全然上がらん自給月給にで 干からびて死ね/・・・ウワサ話とあらぬ誤解に 心臓刺されて死ね/愛だの恋だの幼稚な芝居で 出トチリして死ね・・とうような現代日本のブラックワールドを河童の国にダブらせ、芥川の世界を舞台上に蘇らせる試みだと言えるが、そういう一義的な世界でおさまらない一糸乱れぬエネルギッシュな音楽劇だ・・。河童と人間の差異がよくは判然としないところや、舞台の方で勝手に盛り上がっているようなところもあるが、若い世代の舞台表現のアッピールが瑞々しくて、世代交代の兆しをはっきり感じた・・。
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by engekibukuro | 2014-07-25 12:43 | Comments(0)  

7月23日(水)S「五反田の夜」五反田団

作・演出:前田司郎、アトリエヘリコプター
 ”今回の公演は震災後に作った作品です。震災を受け、何かしないと、という思いのかられた五反田に住む主婦たちが、ボランテイア団体絆の会を作るが、何をして良いかわからないという話です。テーマもへったくれもない、ただ馬鹿らしいだけの演劇なので、好尚なものがお好みの方はつまらないと思います。いつもはとても芸術っぽいものをやっている五反田団ですが、芸術っぽくありません。どうか怒らずに観ていただければ幸いです。”とは前田のチラシの文言・・・。ちょとみには震災をネタにしたお笑いの芝居だと、前田の心配があたっちゃうこともあるかもしれない・・。なにしろアフタートークでもそのことを前田はことわっている・・。だが、そのことは、そのことで、そんなことを全ぜん凌駕する全編笑いっぱなしの舞台だった、例によっての年寄りのくりごとで、前田の芝居はアゴラでの初期から観ていて、当時の「噂の真相」誌にの連載劇評欄で何回か取り上げた・・。いまや小説では三島由紀夫賞受賞、戯曲では岸田賞、映画でもテレビでも監督もしているオオモノになった・・、が、オオモノオーラなどどこ吹く風で、当初からの飄々たる脱力芝居のクオリテイはきちんと維持されていて、今回の役者としての前田の演技は、いままでの一番!品川の映画館へ苦心惨憺して3D映画を観に誘い、帰りの駅までの道中どうやって体にさわるかでの苦闘ぶりの芝居など絶品だった・・。さらに五反田団の団員7人の芝居が全員、それぞれの持ち味で、前田テイストの体現者で、とくにボランテイア団体絆のりーダー争いで最後に勝利する西田さんを演じる西田麻耶は抱腹絶倒の怪演技で満場をさあrっていた・・。被災地に送る千羽鶴や絆のタグをつけたぬいぐるみなどの話をめぐって、舞台はぐるぐる回るのだが、それのめぐりの笑劇タッチが、一挙手一投足が徹底していて、面白いのと切ないとの交錯が見事に統一されて、
リーダーのことでもめて、”ボランテイアのボの字もない、ボぬきのランテイアじゃないか、ランテイアだランテイアだと大山君が激高する場面、オレもランテイアだとおもってちゃう向きもあるかもしれない・・。以前から前田の芝居や小説のことを書くたびに、わたしが前田の作品が好きなのは、五反田や品川のローカリテイだと書くのだが、今回もそれは満たされたのだが、この五反田、大崎の街の変貌の激変ぶりにびっくりする。昭和の東京育ちにとっては、大崎駅なんか山の手線で一番みすぼらしい駅だったのに、こんなあたりを睥睨するような駅になるなんて!ローカリテイも微妙になってきたな・・。
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by engekibukuro | 2014-07-24 08:55 | Comments(0)  

7月22日(火)

 ▲渡辺京二「幻影の明治ー名もなき人々の肖像」(平凡社)
 この著者の「逝きし世の面影」、「北一輝」、「黒船前夜」やほかの数々の評論集などによって、今の日本でほんとうに敬愛し、学ぶべき、ジャンルを確定できない著述家だ・・。この本では、明治の時代および人々を描いた文学者、思想家とその著述を取り上げた本だ。第一章 山田風太郎の明治ものの数々の小説の評価が、ほとんど絶賛にちかい評価で、第三章 旅順の城は落ちずともー『坂の上の雲』と日露戦争では、司馬遼太郎の小説は歴史につての与太話が多いと断ずる・・。風太郎好き、司馬敬遠の口だから、そんなにちゃんと読んではないけど、やはりとか思う・・。いちばん力がこもっていると思われたのは 第六章 鑑三に試問されtて だ。内村鑑三へのアンビバレントな気持ちを縷々と叙述して・・。「人生の問題は九割までお金で片づくと信じている私も、それで片付づかぬ一割か一番大切で一番難しい問題であるくらいは承知している。(中略)人としてこの世に在らしめられている以上、生きている上での問題は九割九分まで俗世の領域に属することは認めても、なお一分の残余が生じ、しの残余こそあとの九割九分の存在意義を左右するのではなかろうか。その残余とは、それが神であろうと何であろうと、われわれの上に在ってわれわれの生を照らす大いなるものの光ではなかろうか。」 著者の明治の時代そのもの、人物につての該博な知識と洞察に改めて驚く・・。
・石牟礼道子「苦界浄土」は最初、著者の若いときの同人詩誌に掲載された・・。今でも、熊本市在住の著者は一日に一回、同じ熊本在住の石牟礼家へでかけ、石牟礼さんの事務処理や食事の世話をしているそうだ・・。
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by engekibukuro | 2014-07-23 09:32 | Comments(0)  

7月21日(月)M「UTOU」ARICA 森下スタジオ

演出:藤田康城、コンセプト・テクスト:倉石信乃、ボイス・音楽:福岡ユタカ

 出演:安藤朋子、ジョデイ・ドグラ、茂木夏子
 ”旅の僧がみちのくへ向かう途中、地獄があるという越中立山に立ち寄ったところ、老人があらわれ、「みちのくの外の浜の猟師が昨年死んだ、蓑笠を持ってその妻子に渡して供養して欲しい」と頼む。その老人自身が猟師の亡霊であり、証拠に自らの着物の片袖を僧に託す”・・・・・・。猟師は親鳥が「うとう」と子によびかけて、その声をきいて巣からでてくる子を捕える・・・、そういう親子のあつい情愛につけこんで鳥をとらえる、生きるためとはいえ、そのむごさの罪科で今は地獄にいる・・。この話は能の演目「善知鳥(うとう)」であり、これから今回の舞台のコンセプト・テクストができている。今回の出演者のジョデイ・ドグラはインド・ムンバイを活動の拠点にする舞台俳優で、グロトフスキーの強い影響をうけ人で、オリジナルな作品の構成、演出、パフォーマンスもしているという。この大柄な女優が日本の蓑笠をまとってのパフォーマンスは、その特異な存在感で舞台を圧する・。安藤は物語の告知ヴォイスとシチエーションづくりの役割で舞台を支え、茂木が物語のアクセントを刻む点描のパフォーマンスをおこなう・・。なにが飛びだすかわからないARICAの新演目は、充分見応えがあった・・。
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by engekibukuro | 2014-07-22 08:02 | Comments(0)  

7月20日(日)M「にごりえ」山の手事情社

構成・演出:安田雅弘、原作:樋口一葉、日暮里Dー倉庫
 驚いたのは客席が若い人で埋まっていたこと、一葉の芝居なんだから、年寄りもいるのが普通だと思うのだが、山の手事情社・安田の斬新な演劇手法に若い人が惹かれているのだう。小劇団としてはおそらく一番長く続いている劇団で、演劇の革新を常に続けてきた安田の姿勢に若い人たち支持しているのだ安田は「にごりえ」をどこかの現代の大学の同窓会の呑み会のシ-ンと絡めて、舞台に2台の盤台をおいて、この劇団の基本身体パフォーマンス”四畳半”スタイルのパフォーミングで展開する・・。安は酌婦お力を、親への犠牲や貧困が理由の悲惨な酌婦としてではなく酌婦を天職として意識した女だとしている、また落ちぶれた昔の男源七に殺されるのも天職の範囲「想定内」だと覚悟している女だとも、これは稽古を重ねて原作に長くつきあってきた結論だと・・。これは樋口一葉こそが、日本の近代小説の真のパイオニアだと書いた蓮実重彦の一葉論を思い出させる。斬新で興味深い舞台だったが、同窓会のメンバーに女性ホーレスや性転換者が出てくるのがよくわからなかった・・・。
▲ロベルト・アンブエロ「ネルーダ事件」(早川ポケットミステリー)は感動的なミステリーだった。ミステリーに感動するななど初めてだ・・。ネルーダはいうまでもなく南米チリの偉大なノーベル文学賞を受賞した革命詩人、ネルーダは詩人でゃあるが、チリの外交官でもあって、チリの先進的な大統領アジェンデの盟友でもあった。だが、ネルーダの詩の源泉は多彩で非常な女性関係だった・・。また左翼的な思想家だが、生活はブルジョワ的でチリ国内、国外に邸宅をもっていた・・。このネルーダが晩年癌に蝕まれ余命わずかだと知った時、昔子供ができた有夫の女性を捨てたことを思い出し、その子を自分の本当の子かときになりだし、その捜索にハ
バナからの亡命者を探偵にやとう。この素人探偵に教科書として、ジョルジュ・シムノンのミステリー「メグレシ
リーズ」を与える。まず私の愛読し大好きなメグレがでてきて痺れる、この探偵カジェタノ・ブレルは、この女胃の捜索にメキシコ、キューバを訪ね、その女性がドイツ系ラテンアメリカ人だということを知り、東ドイツまで追
いかける。女性の行き先は依然として不明だが、娘がブレヒトのベルリーナアンサンブルの女優だということはつきとめられた。ブレヒトの「ガレリオの生涯」でガリレオの娘ヴィルジーナを演じていたのだ(ここでまた痺れた)。しかし、娘はネルーダの娘とは明言しない・・。ネルーダを巡る闇は深まるばかりで、この捜索が、20
世のラテンアメリカの20世紀の激動する政情の記録になっていること、ネルーダとアジェンデの感動的な会合に探偵が居合わせるシーンなどこの小説の白眉だ・・。そしてピノチェット将軍のクーデターでチリ革命は崩壊する・・。ネルーダはこのクーデターで病が進行して死ぬ・・。母親と娘の捜索は一応の結論はでたが、ネルーダは知らずに死んだ・・。ブレルが訪れる国々の食べ物、女などラテンアメリカ的快楽の描写をはじめ、中身がつまる過ぎるほど詰まったミステリーの枠を超えた素晴らしい小説だった。チリでベストセラーになったというのも肯ける・・。
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by engekibukuro | 2014-07-21 09:05 | Comments(0)