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1月30日(金)M「ハムレット」演出:蜷川幸雄

作:W/シェイクスピア、翻訳:河合祥一郎、演出補:井上尊晶、彩の国さいたま芸術劇場

 21歳の時ハムレットを蜷川に抜擢されて演じて、その清新なハムレットの演技で数々の演技賞を獲った藤原竜也が32歳の現在、再びハムレットに挑戦した・・。〝蜷川さんと決着をつける”という気合に無事退院して80歳を迎えた蜷川が厳しく対峙して稽古を重ねた舞台は・・。美術は先般亡くなった朝倉摂の日本の長屋、近代日本の底辺の民衆の住居を背景に、近代日本が受け入れた西欧の芸術のシンボルとしての「ハムレット」を上演する・・。ハムレットが満島ひかりのオフイーリアに”尼寺に行け”と叫ぶシーンは、上、下、奥の障子を開けて追い出すし、平幹二朗のクローデイアスの罪の後悔の念は、長屋の古井戸のポンプの水を裸姿にぶっかけ一心に祈るのだが・・。いずれも全く違和感なし・・。完全にマッチしていた・・。藤原のハムレットは、意欲の限りの演技で、全般とおして間然する所がなく、ハムレットであり、さらにハムレットを演じる藤原自体であった・・。これも平のクローデイアス、鳳蘭のガートルード、ボローニアスのたかお鷹、ホレイショの横田栄司らの支えがあってこそでもあったが、その上,iひさしぶりに蜷川の舞台にでた墓堀の山谷初男、旅回りの座長と墓堀の相棒を演じた大門伍朗の芝居の健在ぶりが嬉しかった・・。カーテンコールの藤原の達成感を感じさせる笑顔がいいものだった・・。

・30日朝日新聞夕刊の蜷川幸雄の連載エッセイのこの「ハムレット」についての「演出家の独り言」におどろく・・・。
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by engekibukuro | 2015-01-31 08:28 | Comments(0)  

1月29日(木)S「悲しみよ、消えないでくれ」

作・演出:蓬竜太、モダンスイマーズ、東京芸術劇場シアターイ-スト
 舞台は山小屋、この日はこの小屋の長女が下山して土砂災害で死んだ日で、なじみの登山客、恋人だった小屋で同居していた小説家志望の男、手伝いの夫婦、次女がしのぶ会をしようと準備している・・。
 しかし、この小説家志望の男・忠男は実は・・・・・、この芝居では人物たちが狭間でd”下で”とか”下に”という言葉を頻発する・・。下とはむろん山の下の普通の生活をさすが、登山客にとっては山は下のさまざまな苦難や悩みを浄化する別世界だという臆断があり、山小屋に住む人間にとっては下で暮らすことが本来の人の暮らしあdという思いが強い、この区別をそれぞれが自分流に抱えながら、この小屋に住み、来る・・・。蓬莱は、この山の神聖視が現実逃避であり、下山願望が危ういものだということを実にスリリングに描いてゆく。長女のしのぶ会は、忠男が実は長女にひどいことをしていた、さらに人物たちのほとんどの惑乱の作動者だということを暴いててゆく・・、そのプロセス、人物描写の劇作術の冴えは蓬莱の劇作家とての才腕を如実に感じさせるものだった・・・・・。男ばかりのモダンスイマーズに次女梢を演じた生越千晴が参加しての舞台で、スイマーズの古山憲太郎以下の役者陣もこの蓬莱の快作に存分に力を発揮し、しかし、この芝居の最大の貢献者は山小屋の主の杉浦寛治を演じたでんでんだ・・・。自分の二人の娘、登山客らに慕われているにも拘わらず、山と下の狭間で生きるそれらの人間たちへの自分の思いが届かない初老の男の寂寥感が、羽目を外す藝質が返って効果的な演技で舞台を根のところで支えた・・。人物たちが下に降り、ひとり朴念と山を見ている姿はもうサマになっているとしかいいようがない。蓬莱・モダンスイマーズのかぎりなく上位に位置する芝居だろう・・・。
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by engekibukuro | 2015-01-30 08:10 | Comments(0)  

1月28日(水)


・「佐藤優の実践ゼミ」(文藝春2月臨時増刊号)
 佐藤の文章はデビュー作「国家の罠ー外務省のラスプーチンと呼ばれて」を読んで以来読んできたが、こんなに論壇の寵児になるとは・・・。いままでのインテリと呼ばれた人種と違って、週刊誌の身の上相談から、難しい神学の本までその範囲の広大さと緻密さ、かって外務省のノンキャリアの役人で、旧ソ連が瓦解する時のモスクワ勤務、さらに鈴木宗男事件に連座させられ、東京拘置所に513日間拘禁されるという特異な体験、その体験についての著書から職業作家に見事に転身、著書はことごとく売れて、いまは新宿曙橋に四階建の建物に住み、膨大な書庫はここでも足りず、箱根に別宅がある・・。なにしろ月に300冊の本を読み、世界の情報を集める。15歳の一人でソ連圏だった東欧旅行したというの凄いし、その時の記憶、いやこの人の記憶力はメモなどとらずに実に細かいことを覚えていて、5年前ぐらいに一緒に呑んだ相手の落としたグラスの中の氷の個数まで覚えている・・。この10年の佐藤の論考、対談を再編したこのムックを読むと、その官僚体験を踏まえた膨大な知識の詰まった、下世話な上司との付き合い方の指南から、ロシア正教についての論文までの著述は、なにより今を生きる現実感覚に支えられているからのこそのもの・・。ただ、かなり長いロシア勤務にかかわらず、音楽、バレエ、演劇など世界有数の舞台芸術の国なのに、そういう芸術を観たという記述はない。文学にも詳しく、映画も見るが、芝居などとは無縁らしい、ロシア文学もドストエフスキーは論じるが、チエホフはない・・。まあ、芝居まで詳しかったらかなわないから・・助かるが。
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by engekibukuro | 2015-01-29 10:36 | Comments(0)  

1月27日(火)ウエブ版「シアターアーツ」


・ウエブ版「シアターアーツ」に流山児★事務所公演「青ひげ公の城」の劇評を寄稿したが、どうもウエブマガジンというのは、わたしのようなアナグロ人間とは縁が遠いと閲読を敬遠していたのだが、藤原編集長の指示どうりに操作して読んでみたら読みやすくて驚いた・・。紙の雑誌のもつ一種のうっとうしさがなくて、雑誌全体の形はみえないが、読みたい記事だけ抽出してクリックして読む、雑誌の活字への偏重がくずれた、画面の方が読みやすい、むしろ既刊の活字版「シアターアーツ」よりリーダブルでいい・・。
・堀切克洋「出口なき家族ージョエル・ポムラ『うちの子は』」は全員マイクを使った新しいシタイルの演劇の紹介で、アントナン・アルトー研究のために現在パリにいる堀切君の久しぶりの読み応えのある論考だった。
・高橋宏幸「ドキュメントなるもの」は、中国でのドキュメント・シアターの紹介で興味深い論考だった。佐藤信が中国で「中国の一日」というドキュメント演劇を演出したというのも初めて知った・・・。
・高橋豊「菁芸から民藝、海流座と戦後の演劇史を歩いた米倉斉加年を追悼する」、米倉の足をきちんと検証している。
・立木燁子「ダンスの領域ー拡張と多様化ー第16回リヨン・ダンス・ビエンナーレ」はリヨンでの意欲的な取材と考察。ヤン・ファーブルの「あらかじめ予見されて待ち望まれる演劇」は男女9人で、”視覚的に美しく、しかも”前衛的”という言葉にふさわしい衝撃度をもつ領域横断的な鮮烈な作品”だという、立木さん、タフだしいいもの観ていて、実にうらやましい。
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by engekibukuro | 2015-01-28 08:00 | Comments(0)  

1月26日(月)「KANO-1931海の向こうの甲子園」

 1931年日本の植民地下の台湾の嘉義農林校(KANO)の野球部が日本人監督近藤のもとに猛練習を重ねてついに甲子園まで進出する、決勝戦で惜しくも敗れるのだが・・・。「KANO」は日本人、台湾人、韓国人生徒のの混成チーム・・。その甲子園までの道筋と天候不順で水不足がたたり農業が難渋していた台湾に水利施設をつくり、今でも台湾の人々の敬愛され、感謝されている日本の土木技術八田興一の業績も描かれるマー・ジーミアン監督の3時間にわたる大作だ。
 KANOの野球は台湾でもレベルが低く低迷していたが、嘉義の会計事務所で働いていた当時の中等野球の名門校松山商業野球部出身の長瀬正敏が演じる近藤が見かねて監督になり、独特の猛練習でついにKANOを台湾のトップのチームに育てあげる・・。KANOの野球は泥くさいとほかのチームの監督に揶揄されていたが、この映画も思いついたことは何でも盛り込もうというテンコ盛りの泥くささと、日本人、台湾人の役者も概して素朴だが稚拙で、ひと昔前の日本映画の趣があり、また近藤監督も終始ぶっちょずらの一言居士で、指導の仕方がどろくさい・・。にも拘わらず、そんなうるさい話を歯牙にもかけない、この映画はいいたいこと、伝えたい気持ちが溢れ返っている・・。それはその頃の台湾、日本の時代の空気を映しだす臨場感に満ちているのだ・・.嘉農校は甲子園進出以来台湾こっての野球名門校になってその後も何回も甲子園に進出する・・。戦後、阪神(その頃は猛虎)タイガースのセンター呉選手は嘉農出身で殿堂入りした名選手で、子供のころわたしはファンで、当時から東京育ちなのにアンチ・ジャイアンツのタイガースファンだったから、2番センター(チームの打順をいまでもいえそう・・)の攻・守・走の三拍子そろった呉は素晴らしかった・・。そんな大昔を想いださせてくれた映画だった・・。
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by engekibukuro | 2015-01-27 10:32 | Comments(1)  

1月24日(土)M:ストアハウスコレクションー2015

 ★マレーシア週間-演劇とダンスの間でー 上野ストアハウス

 「箱ーBoxes-since1998」(演出:木村真悟、ストアハウスカンパニー)
 1998年の初登場以来、”箱”とさまざまなパフォーマーのかかわりの舞台を多彩な変容をとげながら立ち上げてきた・・。舞台に積みたてられた幅90cm、高さ30cm、奥行き30cmの20個の箱を舞台上を変形しながらウオークしていたパフォーマーが崩し、持ち運び、また積たて、さらに小さな建物にして出入りする、さてこの”箱”の含意はなにか、1998年以来その時、その時の上演で考えてきたが、これは多分このパフォーマンスを創始した木村にとっての演劇あるいは舞台表現の核についてのエンドレスの模索の旅だろうとおもう、ある物語が浮上しつつ、消えてゆく、模索の果の高揚感が舞台に立ち上り、それがたちまち消滅してゆく、形をつくり、またそれ消えてゆく、舞台表現というものの探求のエンドレスなさまが、ミニマムミュージックのときどきのアクセントをパフォーマンスに投げかけながら、2015年の江古田から上野に移ったストアハウスの舞台上に新しい面目をほどこしながら登場したのだった・・・。
「WEexplode」OPAC Dance Company- Director:Wong Jyh Shyong
 このマレーシアの男性1、女性3の若いダンススパンパニーのダンスは動物の擬態からスタートして、ちょっと稚拙だが、そのナイーブな新鮮さが躍如する実に気持ちのよい多彩なダンスシーンを繰り広げて楽しい舞台だった・・。
・おもろ、中川君,今までは厳冬でも冷凍した泡盛をのんでいたが、さすがもうダメ翌日残る、で、普通の常温の泡盛に替えた・・。
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by engekibukuro | 2015-01-25 07:59 | Comments(0)  

1月23日(金)

・「テアトロ」2月号は、テアトロ創刊80年、この号で通算900号を迎えたのだ。創刊は1934年、その年は新劇大合同を村山知義村が提唱し、その気運にのって、「テアトロ」が創刊された。いわば日本の新劇の歴史につきそって歩んできた雑誌なのだ。それに「悲劇喜劇」が隔月刊になるので、月間の演劇誌は「テアトロ」だけになる。ぜひ、頑張り続けてほしい・・。私は野村喬編集長の時代に、劇作家大橋喜一さんを講師にいた劇作家講習会に参加させてもらっていたことがあつたし、何回か劇評も書かせていただいた・・。この号には最年長の福田善之から、若いチョコレートケーキの日澤雄介までの47人の演劇人が、創刊80年への言葉を贈っている。それが、それぞれの今の活動報告になっていて面白い・・。あとえば中津留章仁は、自作「排水の孤島」が韓国で上演され、それを観に行って韓国の俳優陣の技術水準の高さに驚く、つまり韓国の俳優教育の高さなどだが、中津留はその教育の必要も痛感するのだが,とはいえ”そう悲観的なことばかりではない。日本では俳優のメソッドなどとは無関係に進化している演劇が多く存在する。むしろ、日本の演劇界を支えているのはそういった小劇場であるいっても過言ではないだろう。加えて、しっかりした教育がんされてていない小劇場の俳優人には、その代わりとして自由な発想と感性がある。予測不可能な演技で、私もよく悩まされる。美よりも猥雑、上手いか下手かというと明らかに後者であるが、味わい深い俳優が育つ土壌でもある。そういった演技は、通常は演出家から駄目だしされ、修正される。しかし、演出家もあまり教育されていないため、それをよしとする場合がある。これは面白くない演劇を生む要因でもあるが、逆に言うならば、小劇場の演出家は猥雑で不可解な演技の中から、新たな美の解釈を探そうと模索しているようにも感じられる。”
 この文章は、中津留の芝居の解説として大いに適切だと思った次第である・・。
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by engekibukuro | 2015-01-24 09:20 | Comments(0)  

1月22日(木)S「死刑執行人」座・高円寺

ー山田浅右衛門とサムソンー

脚本・演出:丸尾聡

 山田浅右衛門家は江戸時代の、サムソンはフランスの死刑執行人の一族。そして第三の死刑執行人は現代の死刑執行を担う刑務官だ。日本の刑務官には死刑執行のボタンを押した任務の日には、特別手当として2万円でる。この芝居でのある刑務官一家の娘は、買ってほしいとねだっていた靴を、母親が”もうすこし待ってね”と待たせていたが、やっと買ってくれた日が、手当の出た翌日だった。娘は大喜びだったが、学校の友達が、アンタのお父さんは死刑囚を死刑にした後、おカネをもらうのね、と言われていじめられる・・。娘はその靴を泣きながらほうり捨てるが、そのなんともいえないやるせない悲しさが胸を刺す・・・。
 死刑という人類にとっての最大な難問を演劇という形で取り上げたのは挙だが、なかなか難しいとも思った。
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by engekibukuro | 2015-01-23 10:04 | Comments(0)  

1月21日(水)又吉直樹「火花」



・純文学雑誌「文学界」を創刊いらい初の大増刷にしたという漫才師ピ-スの又吉直樹の「火花」を読んだ。漫才師の先輩と後輩の話・・。コンビではないが神谷という漫才の先輩との交流を描いたものだが、漫才師だから、お笑い調がベースになっている小説なのかなとおもっていたら、全然ちがう、お笑いの要素など全然ない、生硬なくらいのまさしく”純文学”だった・・。むしろその真摯なマジメさがおきな魅力になっている小説なのだ・・。5歳違いの先輩神谷は、語り手の後輩徳永に語る・・・。
「漫才師である以上、面白い漫才をすることは絶対的な使命であることは当然であって、あらゆる日常の行動は全て漫才のためにあんねん。だから、お前の行動の全ては既に漫才の一部やねん。漫才は面白いことを想像出来る人のものではなく、偽りのない純正の人間の姿を晒すもんやねん。つまりは、賢い、には出来ひんくて、本物の阿呆と自分は真っ当であると信じている阿呆によってのみ実現できるもんやねん」
 こういう話を酒席で重ねてゆくその神谷はあまり売れない、そのうえ漫才の世界はどんな売れない先輩でも、売れてる後でも奢らなければならない決まりがあって、だから借金を重ねて破滅してゆく・・、徳永はどうにか売れてくるのだが相方とコンビを解消せざるを得なくなって・・。とにかく、このお笑いの世界での純なカタサそのものの魅力あふれた小説の読後感はとても清々しいものであった・・。
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by engekibukuro | 2015-01-22 10:37 | Comments(0)  

1月20日(火)佐藤優vs池上彰「新・戦争論」文春新書

ー僕らのインテリジェンスの磨き方ー

 この本はベストセラーだが、これほど中身が充実しきっている新書lはいままで読んだことがない。今の世界を震動させているイスラム国、ウクライナをはじめ衰退の兆しのアメリカ、台頭する中国、およそ今の国際情勢の完膚なき分析と、それによる危機的な展望によって通読するとがっくりするほど圧倒される。冷戦が終わり明るい時代になるとおもっていた21世紀が、インターネットなどの超高度の技術となん世紀も逆戻りした野蛮がむすびついた時代になってしまった・。そしてこの本の序章のタイトルは「日本は世界とズレている」なのだ。そして佐藤の結論はこう書かれる。
 ”要するに「嫌な時代」になってきたのですよ。これからの世界を生き抜くため、個人としては、嫌な時代を嫌だと認識してできる耐性を身につける必要がある。そのために、通時性においては、歴史を知り、共時性においては、国際情勢を知ること。知識において代理経験をして、嫌な時代に嫌なことがたくさんある、ということをよく知っていることです。”と・・、そして読後すぐにイスラム国の日本人人質事件と言う最悪の嫌なことが起きてしまった。シスラム国の所業はむろん言語道断だが、不用意に刺激して招いた事件とも思えてしかたがないのだが・・。
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by engekibukuro | 2015-01-21 10:44 | Comments(0)