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12月30日(水)「虚人の星」島田雅彦(講談社)

 現在ただ今の小説だ・・、父親不明の母子家庭の男の子の波乱の成長と、今の安倍晋三総理大臣そっくりの三代目の総理大臣が交互に描かれる。男の子は、各種不利な条件を克服して、政権中枢に入り込むのだが、それまでの複雑な生い立ちの経過で、多重人格になり、頼りにした精神科の医師にスパイに仕立てられて、中国と日本の二重スパイに・・・。つまり、推理小説仕立ての政治小説で、驚きの結末が用意されているが・・・。とにかく、小説とはいえ、現在の日本、世界の現状分析と展望は、続出している各種論文の域を超えている、だから小説的興味より、政治論文風の記述の方の印象が強い・・。そして、この分析、展望がいくら的を射ていても、現状が変化する兆候の気配を感じられない、ただ、その向こうになにが待っているのだろうかと言うこと自体がミステリアスだという強い読後感は残す・・。ミッシェル・ウエルベックの「服従」とは異なる政治小説だが、つよい危機感が動機になっている独特の小説であることは確かだ。
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by engekibukuro | 2015-12-31 08:26 | Comments(0)  

12月29日(火)「八十路から眺めれば」

マルコム・カウリー著、小笠原豊樹訳、草思社

 この本を読むと、”姥捨て”は日本だけの話ではないようだ。アメリカの先住民のなかでは、老人は湖の小島に少量の食料をもたせて捨てられ、あるいは、年寄りの誕生日とかに盛大に祝って、そのお祝いの最後に斧で頭を・・・、この本、老人の現実を直視して、結構つらい本だ・・。カーテンの裾をあけて一日外をみて過ごすだけの老人とか・・・。
 だが、その現実は現実で幻想や妙な慰めは書かないが、最後に★老後の計画、★★老人よ大いに語れ、という項目があり、★では”どんな計画がいいのだろう。・・何か全く新しいことでも構わない。全く新しいことは、人格の中で従来無視されてきた部分を呼び起こし、そのことによって新種のエネルギーの蓄えを解き放つから、これがいちばん好ましい選択かもしれない”とあり、★★では「・・・われわれの儚い生、あるいは不滅であるかもしれぬ生は、ただ一つの方法によって、立派に、完全に、絶対的に正当化され得る。その方法とは生を一個の物語として扱うことなのである。」これを更に適切に言うなら、「私たちの一人一人が主役を演じる一つの劇として」ということだろう。と・・・。その第一歩は単に思いだすことである。
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by engekibukuro | 2015-12-30 10:01 | Comments(0)  

12月29日(火)「八十路から眺めれば」

マルコム・カウリー著、小笠原豊樹訳、草思社

 この本を読むと、”姥捨て”は日本だけの話ではないようだ。アメリカの先住民のなかでは、老人は湖の小島に少量の食料をもたせて捨てられ、あるいは、年寄りの誕生日とかに盛大に祝って、そのお祝いの最後に斧で頭を・・・、この本、老人の現実を直視して、結構つらい本だ・・。カーテンの裾をあけて一日外をみて過ごすだけの老人とか・・・。
 だが、その現実は現実で幻想や妙な慰めは書かないが、最後に★老後の計画、★★老人よ大いに語れ、という項目があり、★では”どんな計画がいいのだろう。・・何か全く新しいことでも構わない。全く新しいことは、人格の中で従来無視されてきた部分を呼び起こし、そのことによって新種のエネルギーの蓄えを解き放つから、これがいちばん好ましい選択かもしれない”とあり、★★では「・・・われわれの儚い生、あるいは不滅であるかもしれぬ生は、ただ一つの方法によって、立派に、完全に、絶対的に正当化され得る。その方法とは生を一個の物語として扱うことなのである。」これを更に適切に言うなら、「私たちの一人一人が主役を演じる一つの劇として」ということだろう。と・・・。その第一歩は単に思いだすことである。
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by engekibukuro | 2015-12-30 10:01 | Comments(0)  

12月28日(月)M「ガーデン」(作・演出:渡辺えり)

 渡辺えり還暦特別公演
 20年前の作品の再演だ。
”誰かが庭に水を撒いた。水は形を成し、原始の人を生み、ある物語を語り始めたー

井森家では、一人の少女の葬儀が始まろうとしていた。少女が落ちたという庭の古い井戸は、実は異空間への通り道だったのだ。

決して誰も見ることのできない”イモリ”の国で、少女が出会った本当の家族とは・・・・”

 渡辺は自分の母親を描いた作品だと語る。その母親を中嶋朋子が演じて、セーラ-服姿が初々しい、それに同じセーラー服の渡辺の娘がからんで、一家の歴史を・・・・、というような落ち着いた物語ではない。これは渡辺の本来の資質であり趣向でもある八方破れの夢の中の話で、渡辺がセーラー服から、豪華絢爛の着物姿、ほかさまざまな衣装で役代わりのサマ変わりの天衣無縫の千変万化の舞台が出現、渡辺、中嶋を助けて大沢健、谷川昭一朗、山崎清介、土屋良太がそれぞれパートを演じ、アンサンブルは渡辺流演劇塾 塾生が固めた。夢が凝集して盛り上がってくると、舞台はどんどん膨らんで、そのノリについてゆくのがタイヘンになる・・。少々、夢の飽食で、肝心の話の芯が見えにくくなってしまう心配もあるにはあるにしても、とにかく終わっての華やかな残影とエネルギーの余燼は確かだった・・・。





★この芝居で、今年の観劇は終了、全本数は265本だった。今年読んでくださった方々には心から感
謝します。来年も面白く魅惑的な舞台に巡り会えますように!
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by engekibukuro | 2015-12-29 09:35 | Comments(0)  

12月27日(日)



 10月に亡くなった”おもろのクマさん”こと二上宏明さんのご焼香に、生前のクマさん学校友達、舞台芸術学院時代の友達、おもろのバイトだった人、それにおもろの常連、参議院議員有田芳生さん、岸本さん、私など総勢8人で自宅に伺った。立教の学生でおもろでバイトをしていた瀬川さんは、いまは日野自動車の部長になっている。東上線の鶴瀬の駅のま近のお宅は、とても大きい、調度も立派なお宅で驚いた。こんな広壮な家でクマさん、暮らしていたとは・・・。ご焼香の後、泡盛をいただき、上福岡のお墓に行き、皆で参る、お墓に泡盛を振り掛ける・・・。成増へ移り、山内農場で呑み、クマさんの思い出話・・・。
 亡くなったのは有田さんと同い年63歳、早すぎたよ、クマさん!
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by engekibukuro | 2015-12-28 09:40 | Comments(0)  

12月26日(土)M「優子の夢はいつ開く」SPACE雑遊

脚本:内田春菊、演出:ペーター・ゲスナー


 漫画のノリと、生の人間の芝居のノリとはちがうんだ・・・、漫画ではすんなり楽しめるんだろう”性の営み”のシーンも、舞台ではヘンテコで、役者ががんばれば、がんばるほど役者という者の業の深さを感じてしまうのだった。



・おもろ、今年の最終日、今年もよく呑んだ・・、泡盛の呑み納め・・・!
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by engekibukuro | 2015-12-27 07:44 | Comments(0)  

12月26日(土)M「優子の夢はいつ開く」SPACE雑遊

脚本:内田春菊、演出:ペーター・ゲスナー


 漫画のノリと、生の人間の芝居のノリとはちがうんだ・・・、漫画ではすんなり楽しめるんだろう”性の営み”のシーンも、舞台ではヘンテコで、役者ががんばれば、がんばるほど役者という者の業の深さを感じてしまうのだった。



・おもろ、今年の最終日、今年もよく呑んだ・・、泡盛の呑み納め・・・!
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by engekibukuro | 2015-12-27 07:44 | Comments(0)  

12月25日(金)M:岸田今日子記念 円 こどもステージ

「<不思議の国のアリス>の帽子屋さんのお茶の会」(作:別役実、演出:小森美巳)シアターΧ

 舞台は森の中、長いテーブルが設えられ、もうすっかり、お茶の支度ができている。帽子屋さん主催のお茶の会は、お客さんの集まってくるのを待つばかりだ。だけど、吉見一豊扮する”使者”がやってきて、カバンから地図を出して、”ここは帽子屋さんのお茶の会ですね”と帽子屋さんに確かめると、帽子屋さんは”いや、ここは帽子yさんのお茶の会じゃないです”と答える・・・、この別役ナンセンス問答の繰り返しを、舞台の前の桟敷席の子供たちが面白そうに観ている・・・・、毎年暮れの円こどもステージの毎年の光景だ・・・、そして、終わりにはかならずみたいに、泣き出す子がいて、お母さんが連れ出す・・・、今年も終わったと感じるのが、このステージ・・・、高林由紀子の”魔法使い”のお婆さんが絶品だ!
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by engekibukuro | 2015-12-26 07:52 | Comments(0)  

12月24日(木)藤谷治「船に乗れ 1:合奏と協奏」



 随分前の本だが、鬱屈しているとには、藤谷の小説は格好の解消剤になるので・・・。
この小説は、全くの音楽小説・・。藤谷の驚くべき音楽全般についての知識にただただオドロクばかり・・。
主人公は音楽専門高校でチェロを専門にしている高校1年生、なかなかの弾き手で、前途洋々に見えたのだが、オーケストラの一員としてチェロのパートを弾くことになると、指揮棒と楽譜の見比べでバタバタしてしまう。ほんのわずかのパートでも、オーケトラで弾くとは、こんな難しいことなのか、そのことを、ヴェイオリン専門の女子との淡い恋心と合奏させて、面白く描く藤谷の腕前に感心した・・。合奏と協奏の差、それもそうかと納得、音楽に全く不案内の人間をこれだけ楽しませるのだから、大したものだ・・・。
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by engekibukuro | 2015-12-25 10:55 | Comments(0)  

12月23日(水)★M芸劇イースト★★S吉祥寺シアタ-

「書を捨てよ街へでよう」(作:寺山修司が、上演台本・演出:藤田貴大)
 村上虹郎以下男性パフォーマー6人、青柳いじみ以下女性パフォーマー5人、パフォーミングドラマー山本達久、映像出演:穂村弘(歌人)、又吉直樹(芸人)
 同名の寺山のエッセー、舞台、映画から藤田が再構成した舞台だ・・。まず人がパフォーマーが現れると同時に舞台装置のイントレの組み立てが始まる、この舞台、人間のパフォーミングの展開に付随して、インテレの組み立て替えが必ず行われて、インスタレーションの趣が隠れたバックの動態として機能して、パフォーマーの動きを彩ってゆく・・。寺山の作品は純然たるコラージュ作品だが、藤田はさらにコラージュのエレメントを多彩にして、又吉の映像での寺山論、山本のドラム演奏だけでないパフォーミングなどなどだが、根本は青柳がパンフで引用した寺山の文章、「もはや演じるのではなく、人間存在に関わる行為をすることなのであり、その行為をするものが俳優なのだ。演劇こそ現実における創造の起源なのだ」という言葉の体現の表示を綴るコラージュの連鎖が、ひとかけらの瑕疵もなく十全に展開されたという印象が深い。だが、時代の差も歴然とする、寺山のこの作品の発表当時の、ヤボなくらいの作品への動機の深さだけは追随できない、これはその時代の鑑賞者のヤボな感想だ。
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by engekibukuro | 2015-12-24 10:02 | Comments(0)