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5月30日(月)戌井昭人「すっぽん心中」(新潮社)



 漬けも物lのルート配送の運転手をしていた田野は、ある日テレビタレントの外車に追突されて怪我して
仕事を休み、毎日ブラブラしている・・。ある日、ぼんやり不忍池をベンチに座って眺めていたrら、隣に座ってきたモモという若い女のとしりあう。モモは一緒に住んでいた男に女ができて追い出されたのだ。所持金もほとんどないモモにとんかつをおごり、なりゆきでラブホにゆき、そのラブホのテレビですっぽん料理の番組をみて、モモは土浦にいた伯母さんからきいた、土浦の霞ヶ浦にすっぽんがたくさんいるという話を思いだし、土浦に行ってすっぽんを捕まえて、それをすっぽん料理屋に売ろうとや田野にもちかける。翌日二人は土浦に行きいろいろあって、やっと一匹捕まえたのだが、浅草のすっぽん料理屋にもっていったら、料理には養殖ものを使う、天然ものは扱わないとむげに断られて、結局捨てるハメに・・・。モモは八王子の従妹にキャバクラを紹介されて、そこにゆくことに・・。
 ”「八王子までゆく金ある?」「あっ、三〇円しかない」
田野は五〇〇〇円札を渡した。モモは両手で丁寧にお札を受け取ると、「きちんと返す」と言った。
「いいよ返さないで」「返す。必ず」「いいいって」
「したら、お金稼いだらすっぽん料理おごるけん」”
戌井テイストが全編濃密に漂う、しっかり軽い名編だった。
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by engekibukuro | 2016-05-31 09:59 | Comments(0)  

5月29日(日)S「秘密の花園」唐組 雑司ヶ谷・鬼子母神

 作:唐十郎、演出:久保井研・唐十郎
 この「秘密の花園」は、下北沢本多劇場の杮落し公演で、出演は柄本明と緑魔子、この芝居、本水をたくさん使って、劇場下のパン屋を水びたしにして大騒ぎになった・・・。

 ”日暮里のあるひしゃげたアパート。そこに暮らす夫婦の元に、アキヨシは通っている。カヤバレーホステスの一葉(いちよ)とポン引きの夫、大貫。アキヨシは毎月の給料を二人のとこlろへ届けているのだ。託児所で火事を出し、その夫妻から水商売に身を落とした夫婦ははばかることなくアキヨシの給料を期待している。
 アキヨシは一葉にプラトニックな思いをいだいていた。夫の大貫も金のためか、そんなアキヨシの割込みを容認、奇妙な三角関係は二年続いている。・・・”
 物語の大枠はそうなのだ・・・、この舞台はアキヨシを演じる気田睦のモノローグがこの芝居の世界を作ってゆくサマが素晴らしい、徐々に世界が、日暮里の街の気配が、何本もの鉄道が交差するその音響が、アパートのひどく複雑で、しかも、なにやらわからない一本の軸、それは銭湯の菖蒲湯からかすめとてきた菖蒲でイメージされ、その菖蒲と日暮里の坂を上り降りる自転車の銀輪・・・。その顛末、街の人々の消息は詳らかにするのは困難だが、アパートの部屋の出来事の密度は、魅力的に濃厚になってゆく・・。一本の漆の木があり、それでかぶれる日暮里という地名、それと日暮里の坂、そこを上り下りする自転車、そして菖蒲の束、それらのイメージだけで、秘密の花園の入口が充分示唆されるのだ・・。
初演の感動を充分に蘇らせてくれた舞台だった、役者も全員魅力的だったが、とくに主役の恩田睦の役を創る持久力が際立っていた。
・この日は流山児祥さん、渡辺弘さん、佐伯隆幸さんに会う。山崎哲さんも来ていた。終わっての呑み会では松井周さんい会った。
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by engekibukuro | 2016-05-30 10:25 | Comments(0)  

5月28日(土)M「尺には尺を」彩の国さいたま芸術劇場

演出/芸術監督:蜷川幸雄、演出補:井上尊晶、作:W・シェイクスピア、翻訳:松岡和子

 蜷川幸雄の彩の国さいたま芸術劇場で演出した最後の舞台だ。
・舞台はウイーン。”この街を治める公爵のヴィンセンショー(辻萬長)は、領地での全権を貴族アンジェロ(藤木直人)に委任し、国外に出立した。「法律を厳しく施行するなり、手心を加えるなり、気味が良いとようにすればいい」っと言い残して。実はヴィンセンショーは修道士の姿に変装して国内に留まり、権力が人をどう変えるのか、観察したいという目論見があったのだ。・・”折悪しく、クローデイオという若い貴族が、結婚の約束をした恋人ジュエリエットを妊娠させてしまう・。厳格な法の運用を決めたアンジェロは、「結婚前に関係を持つことは法に反する」として、彼に死刑を宣告する。修道女になろうちしているクローデイオの妹イザベラ(多部未華子)は、アンジェロに慈悲を求めるが、あろうことかアンジェロはイザベラに恋してしまい、兄の助命の代償に自分のものになるようイザベラに迫る・・。芝居は、この難局を、修道士姿のヴィンセンショーが陰でどう処理してゆくかが見どころで、ウイーンの街のさまざまな人々は、まさか公爵の隠れた姿と知らないで公爵に接する様子は、まあ、”水戸黄門”のようなそれを思い出すわけだが、そして万事は解決するのも・・。この舞台、イザベラを演じた多部未華子が圧倒的に素晴らしい。兄を思うまっすぐな気持ち、困難を鮮やかに乗り越える機知、それらが聴いていて気持ちが弾む口跡で演じに抜いた多部の演技は、亡くなった蜷川になによりのはなむけになっていた。多部の初舞台だった野田秀樹作、松尾スズキ演出の「農業少女」での新鮮さを思いだし、その成長ぶりに感嘆した。
・彩の国シェイクスピア・シリーズはあと5作品「ジョン王」「ヘンリー五世」「ヘンリー八世」「アテネのタイモン」「終わりよければすべてよし」を残して蜷川は逝った。埼玉県芸術文化振興財団とKKホリプロの連名で、”蜷川さんの遺志を引き継ぎ、全37作品の完全上演に向けて本シリーズを続けてゆく所存です”と書いたチラシを全観客に配った。
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by engekibukuro | 2016-05-29 09:31 | Comments(0)  

5月27日(金)M「*ASTERISK」

「Goodbye Snow White」 新釈・白雪姫 東京国際フォーラム ホールC 企画・製作:KK制作;パルコ

 原作:中村うさぎ、演出・脚色・振付・音楽・主演:牧 宗孝(MIKEY from 東京ゲゲゲイ)

 出演は”今年の日本ダンススフォーラム賞を受賞した牧宗孝率いる東京ゲゲゲイ、きゃりーばみゅばみゅんの振付も手がけるMAIKO、数々の世界タイトルに輝く<KITE、ポールダンサーのReikoとKumiなど今最前線で活躍するダンサーから、個性派俳優として話題の加藤諒、マイッキーキッズのバニグロ、関西で圧倒的な人気を誇るTSUKIとKUMAなどの若手まで注目を集めるダンサーが一堂に会します。この時代に最も輝くダンサーたちによるダンスの醍醐味をご堪能ください”
 というふれこみの舞台だが、全然未知の世界、とても遊戯性豊かなダンス・パフォーマンスが繰り広げられていた・・。舞台が終わって映像字幕がでて、映画のラストのようにし末端のキャスト・スタッフまで流れる。それを客もごく自然に受けいれている。時代が変われば、舞台構成も変わる・・・、自分のトシをつくずく感じた舞台だった・・。
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by engekibukuro | 2016-05-28 09:34 | Comments(0)  

5月26日(木)映画「マクベス」

 監督:ジャステイン・カーゼル

 シェークスピアの「マクベス」をスコットランドの荒涼たる荒れ地に放り出した・・。この映画は、いままで舞台で観てきた「マクベス」からの類推を一切断つ。むろん大筋は崩していないのだが、魔女はむろん予言するが、この魔女は、妖怪じみたところは一切なくて、ふつうの女だし、一人は少女だし、予言も仰々しい予告ではない。いっさいが、スコットランドの靄に包まれていて、ストーリーは靄の中で進み、その靄が急に晴れて荘厳な城内のシーンが現れ、われわれが知っているストーリーのシーンに回帰する。マクベス夫人も夫の柔弱を難じてダンカン王殺しを率先してやりとげる強い女というより、自分たち夫婦の宿命を本能的に知っての所業を果たしているだけのように見える。もの靄のような暗い画面では、マクベスもバンクオーもマクダフも歴然とした判別があやうくなって、マクダフ夫人や子供の殺戮の残酷さも、それだけ画面で突出して、全体の有機的なつながりと連動しない・・。さらにマクベス夫人の死も、劇的な現れ方ではなく、マクベスのそれによる動揺も余計な悲嘆を省く、ダンシネーの森も火に包まれ、母の腹を割ってこの世に出てきたマクダフとマクベスの死闘も、宿命の嵐の収まりでしかない・・・。まことに、まことに不思議な映画だ、この「マクベス」は。最後に残るのは、スコットランドの荒涼たる靄に包まれた荒れ地、その荒れ地での人間のどんなに激しい所業もいずれ消滅するという世界像だ。
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by engekibukuro | 2016-05-27 09:58 | Comments(0)  

5月25日(水)M「ボクの穴、彼の穴。」パルコ劇場

 原作:デビッド・カリ、イラスト:セルジュ・ブロック、訳:松尾スズキ
翻案・脚本・演出:ノゾエ征爾、美術:乗峯雅寛

 原作は絵本、それをノゾエが舞台化した作品だ。二人の兵士の、それぞれの戦場の塹壕でのモノローグを交互に語る芝居だ。それを塚田俊一と渡辺秀が演じる。
 客席はこの二人のファンの女性客でいっぱいだった。
・”戦争へ行きなさいって言われても、抵抗もlなく、「はい」って、自分の意見がないってわけじゃないんだけど、流されてくことが多いのかな、肝心なところで踏み込めなくて、戦場の最前線にいるんだけど、一人でいる。”
・”兵士ってきっと、孤独なんだと思います。戦場でその孤独とどう戦うか、あるいは戦えるか。だから、自分自身とも戦っているのかな、兵士が・・。”
 こういうモノローグを二人は、非常に生真面目に語り、演じる・・、必ずしも舞台化はうまくいっていないとも思ったが、二人の純な演技に、ファンはスタンデイングオベレーションで応えていた。

★嵐山光三郎「漂流怪人・きだみのる」を読んで、あまりの懐かしさに、きだみのるの「道徳を否む者」をホントに久しぶりに再読する。「漂流怪人」で晩年の孤独を知ったから、この本の前半生の充実期の記述を読むと、おもわず涙がでてくるぐらいで・・、人生とはと、改めて感懐がこみ上げてきた・・。
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by engekibukuro | 2016-05-26 10:05 | Comments(0)  

5月24日(火)津島佑子「電気馬」新潮社

 
 この短編集、現代の民話だが、津島の文章の迫力に感動した。
 例えば「オオカミ石」
”六匹のオオカミの形に見える石が、岩手と秋田の国境辺りの峠にある。とはいっても、その石が実際にあるのか、それとも、あったのか、このオオカミ石は話としてちたわっているだけなので、付近に住む人たちも確かめようがない。いずれにせよ、明治時代に絶滅されたとされるニホンオオカミがまだ、数多く日本列島のあちこちを駆けまわっていたころに語られはじめた話にちがいなく、今の時代、オオカミ石を探し出そうにも、あまりに時間が経ちすぎている。”。・・・そして、現代の薄幸の女レンは・・自分の不幸を漁る狼たちに叫ぶ・・。
”おまえら、どんなにわたしはおまえらを憎んできたことか。もう、わたしは我慢できない。お前らが憎い。憎い。そんなにこのわたしを食いたいなら食え。憤怒といものを食えるもななら食ってみろ。祟りだって?呪いだって?。ああ、わたしは人間がが憎い。わたしの悲しみ、苦しみはあまえらのためにあるのではない。おまえらはもう、なにも言うな。同情する振りはもうやめろ。おまえらの自己満足が我慢できない。愚かなおまえら。残酷なお前ら。
 レンの眼からは、涙が火の粉のように飛び散った。その体は今まで長い時間をかけて蓄えつづけてきた憤怒がかがやきはじめた。
 眼の前のオオカミたちは唸り声をあげつつ、次第に首をうなだれ、耳を倒しはじめた。そして、レンの足に鼻面を押し付けてくる。いったい全部で何匹いるのか、レンには勘定する気もない。”
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by engekibukuro | 2016-05-25 10:47 | Comments(0)  

5月23日(月)M「悪魔を汚せ」作:高木登、演出:寺十吾

鵺的 駅前劇場

 恐ろしい芝居だ。ある家族の物語だが、この家族複雑に入り組んでいて、秘かな殺人が起こり、近親相姦
が暴かれ、最後には放火まで・・・。、ここまで徹底した救いのない芝居は初めて観た。この容赦ない暗い芝居を書く高木の蠱惑力に惹かれてだろう、客席は満員・・。しかもラストに家族の中で、一番若い悪の権化のような女が、”私はこの家に生まれてほんとうによかった。”という台詞が、カタルシスを産むのが、一種の不思議な救いになっている、独特の舞台だ・・。

・今村麻子さんから「SPAICE」という媒体に書かれた、蜷川幸雄さんへの追悼文が、送られてきた。
雑誌の仕事で、蜷川さんに三回「馬鹿野郎!」と言われたそうだが、それは親密感を表す独特の言葉のようだ。そして、”ちょうど一カ月前、シェイクスピア・フェステイバルに招聘された「リチャード二世」を観にルーマニアのクライオーヴァに行ってきた。蜷川さんが作った、さいたまネクスト・シアターとさいたま・ゴールドシアターは最高の舞台を届けた。スタンデイングオベレーションが16分続いた。蜷川さんに伝えたかった。”
 「リチャード2世」は、今年早川書房の「悲劇喜劇」大賞も受賞した。自分の作った、さいたまのネクストとゴールドのシアターの舞台が、素晴らしい栄誉に輝いたこと、亡くなったことはほんとうに残念だが、せめてもの慰めとしてこの「リチャード2世」の成果をを記憶しよう。!
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by engekibukuro | 2016-05-24 10:06 | Comments(0)  

5月22日(日)嵐山光三郎「漂流怪人・きだみのる」

 今の人にはよく知られていないだろうが、きだみのるは私は大好きな作家だった。主著は「気違い部落周遊紀行」という作品で、これは渋谷実監督が映画化した。私が愛読したのは「道徳を否む者」とい自伝的作品。家庭的不幸で、北海道のトラピストで自殺しようしたとき、フランス人のジョセフ・コットという人に救われた。このジョセフ・コットと言う人は、アテネフランセの創立者だ。それいらいアテネで育てられ、フランス語、ギリシャ語を学び、フランスへ留学し、アテネの教師になる。この小説で、留学から帰ってきたときジョセフ・コットが”ボンニュイ・モンプチ”といって迎えた場面が忘れられbない。きだは、フランスでマルセル・モースに社会学を学んだ社会学者でもあり、本名の山田吉彦の名で、岩波文庫のファーブルの「昆虫記」を林達夫と共訳している。それに「モロッコ紀行」と言う名作もある。この本は、「気違い部落」のモデルになった八王子の集落に住んでいる時代のきだが、70代にさる女性に産ませたミミ君と暮らしていた。嵐山は自分が当時勤めていた平凡社の「太陽」と言う雑誌の仕事で、きだ親子と一緒に旅した思い出がを書いた本だ。名作だ。この本で、きだが衰えてミミ君を手放して、直木賞作家の三好恭三の養女にしたいきさつが、ちゃんと書かれていて、長年の疑問が氷解した。さらにこの本の魅力は、旅の途中で、その地の特産物で作る料理の描写が素晴らしい。その豪快なこと!長野の伊那で馬肉を3キロ買って、1・5キロはニンニクでで刺身で喰い、残りの半分はひき肉にしてパリ式タータル・ステーキを作る。ブリキの洗面器で塩、こしょう、しょうが、レモン、さらに卵の黄身7個に味噌とブランデーを混ぜて、そのうえにミョウガを加える。その他、いろいろあって、日本中をどぶねずみ号というオンボロ車を運転して漂流し、じょじょに老化してゆくありさまが描かれて、ページをめくるのがホントに惜しい本だった。出版は小学館。
・オークスはシンハライトとチェッキーノで堅く収まった。人気というものは案外確かだなと思った次第だった。
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by engekibukuro | 2016-05-23 10:47 | Comments(0)  

5月21日(土)とりふね舞踏舎「Uーsai-」座・高円寺

・「U-sai-」のUの字の中央にーの線が入る。

 三上賀代『増補改訂 器としての身体』 日英出版記念
演出・振付:三上宥起夫
 ”「とりふね舞踏舎」は、‘91年、三上賀代のお茶の水大学修士論文によって解明された土方巽暗黒舞踏論を基に天井桟敷の三上宥起夫によって創立、‘92年旗揚げ公演「献花」”

 初めて観た集団。土方の暗黒舞踏を踏襲していることが明瞭な舞台。男女17人の舞踏で、頭を剃って半裸の男性舞踏手が、ゆるゆる踊っていると、突然舞台脇からドラムセットの乱打が沸き起こり、舞踏が一挙に崩れてゆくというパプニングシーンがあったりして、懐かしいような興味深い舞台だった。、
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by engekibukuro | 2016-05-22 10:05 | Comments(0)