8月16日(木)

おもろの常連でシンガーソングライターの沢すすむさんから6枚目のアルバムが送られてきた。CDのプレイヤーが壊れているので聴けないと思っていたが、なんと自然に(?)修復されていて聴けた。澤さんはギターとボーカルだが、おもろで酒を吞んでいる感じとまるで違う、なかなかのボーカルだ。CDのカバーには「パリ同時テロ 東京からパリへ」とあって、同時代の世界を歌っているのだ。・今月の句会の句ー兼題:”稲光・ねぶた”の句を5句ななんとか作る。図書館に行って文藝春秋掲載の芥川賞受賞作品「影裏(えいり)」を読む。比べるのもナンだが、「フロスト始末」などと比べると、エンターテイメントとはもちろん違うが、なんともかったるい。これが純文学というものか・・。
岩手の盛岡の会社で働いている男の、釣り仲間の友達との淡いような濃いような付き合いを描いたもの。

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# by engekibukuro | 2017-08-17 07:57 | Comments(0)  

8月14(日)M「タイタス・アンドロニカス」シアターカンパニー カクシンハン

演出:木村龍之介 作:シェイクスピア 翻訳:松岡和子 吉祥寺シアター
 木村は書く”僕らに太陽がある。/その事実にそそられるように、/生まれる情感にこそ真実があるように、/僕はシェイクスピアの真実を鷲掴みにして、舞台にのせたい。/ただそれだけだ。・それはきっと、この世界と人間の真実をめぐる一大叙事詩。/演劇創作とは壮大な旅のしおり。”タイタス・アンドロカスを演じるのは、日本有数のシェイクスピア俳優、河内大和。舞台は河内を芯にして回る。木村はドラマの骨格を時々見失しなわせるような独特のショーアップを挿入、粉飾をするが、河内の存在感が、それを舞台の華にする。シェイクスピアへの心酔が直に感じられる舞台だった。

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# by engekibukuro | 2017-08-16 10:20 | Comments(0)  

8月14日(月)Mーピアノソナタ「月光」による朗読劇「月光の夏」

原作・脚本:毛利恒之、演出:鈴木完一郎/原田一樹、劇団東演、世田谷区、成城ホール
”佐賀県鳥栖市ー。戦後45年のこの年、鳥栖小学校の古いグランドピアノが廃棄されようとしていた。かって教師をしていた吉岡公子は、そのピアノに忘れらられない思い出を秘めていた。そしてピアノを平和の願いの証しとして保存しよういう思いから全校集会で生徒たちにその思い出を語る・・。
 太平洋戦争末期の昭和20年初夏ー。音楽を愛する学徒出身の特攻隊員ふたりが学校に駆けつけ、今生の別れにベートーヴェンのピアノ・ソナタ「月光」を弾き、沖縄の空に出撃していった・・。”故鈴木完一郎の演出を原田一樹が受け継いで演出した舞台だ。ピアノは仲道裕子、戦争の記憶が風化しつつある今、その記憶を毎年きっちり記憶を確認する有益かつ必須の舞台だ。

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# by engekibukuro | 2017-08-15 09:45 | Comments(0)  

8月13日(日)R・D・ウイングフィールド「フロスト始末」(上下)創元推理文庫

80歳のいままで長いことミステリーを読んできたが、これほど面白いミステリーはなかった。本格とかハードボイルドとか、そういうジャンルに関係なく、この小説の主人公、フロストほど強烈なキャラクターの主人公はいなかった。英国のデントンという地方都市の警察の警部だが、愛していた妻と不仲になり、取り返すいとまもなく病死され、よれよれのレインコートを着て、常にタバコを口から離さず、署長のマレットに疎んじられて、今回は主任警部として赴任してきたスキナーという性悪男にいびられ、次から次と起こる事件に追われて寝る暇もない。今回の事件で最悪なのが、13歳の女の子が殴られ裸にされ強姦されて殺されるという最悪の事件で、解明が遅々と進まない。ミステリーだから詳しくは書けないが、そして、この小説がウイングフイールドの遺作であって、フロストものシリーズの最後の作品が、フロストのキャラクター、事件の特異さ、デントン署のほかのメンバーのフロストへの信頼、スキナーがフロストを意地悪して、フロストをもっと田舎の警察に飛ばすことになった顛末、どれをとっても興味深く面白い、文学としても十分通用する、ミステリーの金字塔だと言える。フロストはデントン署に残れるのか、最後はページをめくるのが惜しくて・・・。
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# by engekibukuro | 2017-08-14 09:57 | Comments(0)  

8月12日(土)M「フランドン農学校の豚ー注文の多いオマケ付きー

原作:宮沢賢治、上演台本:佃典彦、演出:西沢栄治、座・高円寺ー夏の劇場
このお芝居は宮沢賢治の「フランドン農学校の豚」と「注文の多い料理店」の二つの作品からできています。”日本ではないどこか雪深い国、フランドン王国、この国の農業学校では、晩さん会が開かれているところです。おいしそうな料理に、みんなわくわく。でも、「待って!」晩さん会をながめていた1年生が声をあげます。だって、その料理に使われている「豚」は・・・。”自分たちで育てた豚が晩さん会のテーブルに料理され出てくる・・・。人間が食べるということの、一種の残酷さ、しかし、それを覚悟しなければ生きていけない・・・。賢治の二つの話を佃、西沢のコンビが人間が生きてゆくことのムジュンとして、それを子供たちにも自然に認知させる良くできたお芝居だった。

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# by engekibukuro | 2017-08-13 09:59 | Comments(0)