ダンス企画おやつテーブル「秘密の応接間」7月

7月26日(金)主宰まえだまなみ、ルーサイト・ギャラリー。このギャラリーは柳橋のビクターの歌手だった芸者市丸の旧居を改装したギャラリー、妾宅の面持ちの構えで2階の部屋から隅田川が目の前。応接間のソファーともともとのこしらえを使う。この女性4人のグループは「世代間ギャップ」が売りだそうで、だから小田幸子さんも有力な一角を占める。小田さんの少女時代の夢が叶った初デヴュー。世代の違いは、それぞれの身体の違い。そのギャップの交流、違和をおもしろくダンス、あるいは多少演劇的なパフォーマンスに仕立てたあんばいで、時に激しいがおおまかな全体にはゆるい女たちの時間が流れた。応接間の奥の棚の上の狭い空間で二人で船を漕ぐような激しい「青春時代」のダンスの燃焼とかソファーでおやつをたべながらの足だけの交錯とか・・・。小田さんのハイライトは若いダンサーとお皿にのった一つのショートケーキをカットしてお互いにスプーンでクチに入れあうパフォーマンス。まあ、女どうしの官能のパフォーマンスか・・・。秘密の応接間でdの女たちの秘密の時間を覗かせてもらった、男にはなんとも不思議でうらやましいような女たちの親密、結束をみせてもらいました。^
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# by engekibukuro | 2008-07-26 08:40 | Comments(0)  

青年団国際交流「ハナノミチ」7月21日S

作・演出:ヤン・アレグレ、こまばアゴラ劇場。10章の詩的断章をめぐるパフォーマンス。舞台の床、壁、天井に紙を敷き、張り、その紙に墨で文字を画き、その墨はさらに役者たちの肌へのボデイペインテイングに使われる。しかし、この舞台の難点は役者の断章のモノローグに詩的喚起力が感じられないこと。ことばの美しさ、ポエジーが感jられない。現代口語演劇での日常的リアリズムに長けていても、こういう会話ではないことばそのものの力とイメージを客に届ける技量は教育されていないのか。なにも新劇流の朗唱術の習得をいっているのではない、もっとみずみずしい感受性に接したいと思っただけだ。日本語に不慣れの外国人演出家だからしかたがない面もあるのだろうが、2時間弱のこの舞台は観るのにかなり辛抱がいった。
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# by engekibukuro | 2008-07-22 09:41 | Comments(0)  

演劇集団円「死の舞踏」7月20日(日)M

作:A・ストリンドベリ、台本・演出:安西徹雄、ステージ円。上演を待たずに安西氏が亡くなった。しかし、見事な遺作を残された。中心人物の夫婦を演じた橋爪功、高林由起子の演技には氏の魂が乗り移ったような迫真的な演技だった。ストリンドベリは結婚生活を徹底的に解剖し、それを詳細に分析した。この芝居の夫婦、アリスとエドガーはその実験のサンプルといっていいのだろう。北欧の陰鬱な小島の軍施設に勤務する、定年間際の夫と元女優だった妻。結婚して25年、もうすぐ銀婚式だ。子供たちは島の外の学校にいる。幕開きからただならぬ不和の空気がもうもうと立ちこもる。のっけからけんか腰の会話だ。言い合いの重なりからもう結婚生活が破綻して家の中は女中は出てゆくし、めちゃくちゃだ。久しぶりに訪ねてきた従兄弟はこの夫婦の生活の荒廃ぶりに驚き、その上目の前で夫は心臓発作を起こして倒れ、面倒をみざるをえなくなる。妻は夫が1日も早く死ねばいいと広言し従兄弟を誘惑するし、夫はなにやら悪巧みに専心している。つまり両者は全身全霊を挙げて憎みあって、しかもそれを続行している。あまりの両者の虚偽の横行にたまりかねて従兄弟は夫婦を見捨てるが、その憎しみ合いがある極点に達するとわざとマイナス札を累積したようなマイナスがある微妙な次元に転化する。憎悪の貫徹が恩寵のような世界に導くのだ。その経過を一点一画も揺るがさないで、異常とも例外とも思わせないで肉付けして男女間、夫婦間、結婚生活の真実の一端をリアルに現前化した橋爪、高林の演技が見事で、とくに橋爪は今の演劇界に名優が存在していることを示した。
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# by engekibukuro | 2008-07-21 13:03 | Comments(0)  

子供のためのシェイクスピアカンパニー「シンベリン」

7月19日(土)M、あうるすぽっと。脚本・演出:山崎清介。このところ長塚圭史「SISTERS」、井上・蜷川「道元の冒険」、蓬莱・栗山「まほらば」と見応えのある力作が続いているが、この上演も見応え十分の秀作だった。このカンパニーのベスト1だといってもいい。この日本でも世界でもシェイクスピア作品の中で上演頻度が少ないロマンス劇を子供のため、どころか大人にもシェイクスピアの魅力を十二分に感じさせる作品として創りあげた見事な舞台だった。黒い帽子と黒いマントのユニフォームで、クラップ(手拍子)で場を進行させるスタイルを基調にして、山崎がテクストを枝葉を剪定して物語とキャラクターを明確にして、ブリテン王シンベリンの横暴から始まる波乱万丈の物語を丁寧にシーンそれぞれの面白さを積み重ねて、ついには大団円にいたる展開は間然とするところがない。こまかいギャグや見所は枚挙にいとまなくて、俳優の早代わり、山崎の相棒の腹話術の人形の出没とかが、物語の有機性をいやがうえに充実させて、ロマンス劇の、さらにシェイクスピアの面白さの真髄を、とういうか演劇の面白さを子供のためどころか大人まで十分に堪能させた舞台だった。子供たちの反応も的確だったし、この芝居の中心が人妻を寝取るようなあぶないはなしで、子供にはみたいな懸念がありうるが、それも大人の生活を背伸びしてみようとするチャンとした好奇心にフイットしているのだ。すれからっしの劇評家には最適のメンテナンスだったと感謝したい。
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# by engekibukuro | 2008-07-20 20:41 | Comments(0)  

PENGUINPULLPALERPILES「審判員は来なかった」

7月17日S(ソワレ)倉持裕作・演出、シアタートラム。場が四つに分かれる。大統領官邸・パリアン農家・体育館・大聖堂、この四つの場をぐるぐる廻って芝居が進行する。世界のどこかの民族紛争が絶えない地域の新興独立国パリエロの話で、目下のこの国の事業の目玉はスポーツにおける新国技の開発らしい。話題や人物がめまぐるしくフォルマルステックに変化して、トリビアルなアクセントが舞台をはじけさせる。シーンの中身よりも一種独特の空白感が漂う舞台でこれは倉持のテイストが充満している舞台といっていいだろう。このテイストのファンが大勢いて、立ち見客がたくさんいた。みな心から楽しんでいるようだった。ただ、個性の強い作家には猛烈な賛美者もいるが、ちょっとつていけない者もいる。私は後者で、どうも波長が合わない感じを拭いきれない。しかし、この芝居をしんから楽しんでいる客を尊重しなけらばならない。劇評の対象が限られてかいることを自覚すべきだろう。ただ、この劇団を見に行くのは小林高鹿とぼくもとさきこの魅力なのだが、ふたりともいまや劇団の看板俳優で重責を担っているからだろうが、小林はナイロン100℃のころの切れ味、ぼくもとは宮沢章夫や岩松了の舞台での面白さが薄まっているようなのが残念な気がした・・・。    
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# by engekibukuro | 2008-07-18 11:13 | Comments(0)