★ 「地獄のオルフェス」(作:テネシー・ウイリアムズ、訳:広田敦郎、演出:岡本健一、東京芸術劇場ウエスト)。
この作品は前に文学座で江守徹主演のものを観たし、マーロン・ブランド主演の映画(邦題は「蛇皮の服を着た男」も観たが、この舞台がいちばん面白かった。岡本健一の演出が、20世紀最高クラスの劇作家だということで、テネシーの作品を演出するときに、テネシーについての研究などをいままで過剰に参照しがちな傾向があったが、そういうものにあまり頓着せずに、この戯曲の登場人物たちの人間性の面白さ、芝居自体の運びの面白さに専心留意したもので、その結果、一種のサスペンスドラマとして終始目が離せない緊張感に満ちた舞台ができあがった・・。主演の保坂知壽、中河内雅貴、占部房子の座談会を呼んでも、かっての新劇俳優達あっちの”お勉強風”でなく、役に自分なりにじかに没入してゆく気持ちが新鮮だった・・。テネシーが生まれたアメリカ・セイープサウスの町での話し、ここへ流れ者のミュージシャンがやってきて、ギターの弾き語りで町のバーに居つくのだが、このバーでの重症の夫をもつ店の女主人と怪しい関係に・・。芝居はこの二人の動向の進み具合と、この店に来る南部の男女のあふれんばかりの生の実体をさまざまに見せてゆく・・。黒人差別と暴力と狂信が充満した土地、この店の女主人公のイタリア家の白人の父は、ワインバーを経営していたが、クロンボに酒を売ったというだけで、リンチにあい焼き殺されてしまう・・、そういう野蛮な土地で流れ者の運命は・・・父の二の舞だった・・・。そういうこのテキストの奥に潜む、テネシー・ウイりアムズの「ガラスの動物園」や「欲望という名の電車」などの不朽の名作を遠望する要素がいっぱいつまった作品の深さも実感できた・・。ピンタ-の作品の演出を観たことはあるが、岡本がこの大作をこんなに立派に演出できる人だとは・・。この岡本の起用、独自のキャストを組んだ、
tptの門井均プロデューサーの慧眼に改めて感心した・・・。
★★「アメリカン・ラプソデイ」(作:斉藤憐、演出:佐藤信、出演:高橋長英、関谷春子/佐藤充彦(ピアノ)。毎年12月の定番レパートリー、アメリカの国民的音楽家、ジョージ・ガーシュインの数々の名曲を佐藤のピアノで聴くという、暮れの嬉しい楽しみだ。ロシア系ユダヤ人の靴職人の息子としてガ-シュインの一代記を、同じロシア系ユダヤ人のバイオリニスト・ヤッシャ・ハイフェッツ(高橋)とガ-シュインを公私に渡って支援した女性作曲家ケイ・スウイフト(関谷)との往復書簡で、佐藤の演奏を挟んで語ってゆく・・。ガーシュインがとんでもない女たらしだったそうだ、が、どんなにアメリカの大衆に愛されも、ガ-シィインのいまでは名曲とされている音楽を、音楽批評家は全然認めず、終始悪口を言われ続けてきた事実に毎回驚く、ガーシュインの黒人が主演するオペラ「ポギーとベス」は黒人が出るからという差別で酷評されたということと同じで、ガーシュインはユダヤ人差別の犠牲者なのだろう・・。