子供のためのシェイクスピアカンパニー「シンベリン」

7月19日(土)M、あうるすぽっと。脚本・演出:山崎清介。このところ長塚圭史「SISTERS」、井上・蜷川「道元の冒険」、蓬莱・栗山「まほらば」と見応えのある力作が続いているが、この上演も見応え十分の秀作だった。このカンパニーのベスト1だといってもいい。この日本でも世界でもシェイクスピア作品の中で上演頻度が少ないロマンス劇を子供のため、どころか大人にもシェイクスピアの魅力を十二分に感じさせる作品として創りあげた見事な舞台だった。黒い帽子と黒いマントのユニフォームで、クラップ(手拍子)で場を進行させるスタイルを基調にして、山崎がテクストを枝葉を剪定して物語とキャラクターを明確にして、ブリテン王シンベリンの横暴から始まる波乱万丈の物語を丁寧にシーンそれぞれの面白さを積み重ねて、ついには大団円にいたる展開は間然とするところがない。こまかいギャグや見所は枚挙にいとまなくて、俳優の早代わり、山崎の相棒の腹話術の人形の出没とかが、物語の有機性をいやがうえに充実させて、ロマンス劇の、さらにシェイクスピアの面白さの真髄を、とういうか演劇の面白さを子供のためどころか大人まで十分に堪能させた舞台だった。子供たちの反応も的確だったし、この芝居の中心が人妻を寝取るようなあぶないはなしで、子供にはみたいな懸念がありうるが、それも大人の生活を背伸びしてみようとするチャンとした好奇心にフイットしているのだ。すれからっしの劇評家には最適のメンテナンスだったと感謝したい。
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# by engekibukuro | 2008-07-20 20:41 | Comments(0)  

PENGUINPULLPALERPILES「審判員は来なかった」

7月17日S(ソワレ)倉持裕作・演出、シアタートラム。場が四つに分かれる。大統領官邸・パリアン農家・体育館・大聖堂、この四つの場をぐるぐる廻って芝居が進行する。世界のどこかの民族紛争が絶えない地域の新興独立国パリエロの話で、目下のこの国の事業の目玉はスポーツにおける新国技の開発らしい。話題や人物がめまぐるしくフォルマルステックに変化して、トリビアルなアクセントが舞台をはじけさせる。シーンの中身よりも一種独特の空白感が漂う舞台でこれは倉持のテイストが充満している舞台といっていいだろう。このテイストのファンが大勢いて、立ち見客がたくさんいた。みな心から楽しんでいるようだった。ただ、個性の強い作家には猛烈な賛美者もいるが、ちょっとつていけない者もいる。私は後者で、どうも波長が合わない感じを拭いきれない。しかし、この芝居をしんから楽しんでいる客を尊重しなけらばならない。劇評の対象が限られてかいることを自覚すべきだろう。ただ、この劇団を見に行くのは小林高鹿とぼくもとさきこの魅力なのだが、ふたりともいまや劇団の看板俳優で重責を担っているからだろうが、小林はナイロン100℃のころの切れ味、ぼくもとは宮沢章夫や岩松了の舞台での面白さが薄まっているようなのが残念な気がした・・・。    
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# by engekibukuro | 2008-07-18 11:13 | Comments(0)  

劇団NLT「殺人同盟」7月17日M(マチネー)

作:ロベール・トマ、訳:和田誠一、演出:竹邑類、俳優座劇場。ブール・ヴァールの古典ともいうべきサスペンスコメデイ。この公演はブール・ヴァール劇の翻訳に多大の貢献をした和田誠一の翻訳戯曲集「現代フランス戯曲名作選ー和田誠一翻訳集」(カモミール社)の出版を記念した「出版記念公演」と謳われている。ただ、このお芝居は川端槙二、木村有里と劇団の看板俳優が出て、戯曲も名作で古くからのNLTのお客さんにはたまらなく面白いのだろうが、私には一時代前のお芝居と感じられて、舞台に距離を置かざるを得なかった。阿知波悟美が好きで、彼女の芝居が観られたのはよかったが、一人の人間の芝居を観る範囲は限られているとつくづく感じた次第だった。
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# by engekibukuro | 2008-07-18 10:09 | Comments(0)  

新国立劇場「まほろば」シリーズ同世代

蓬莱竜太作、栗山民也演出。蓬莱の劇作家としての力をまざまざと感じさせた素晴らしい舞台だった。三田和代、秋山菜津子、中村たつらの当代有数の女優たちが演じて戯曲の力と面白さを最大限にひきだして、またその力は女優たちの創造意欲を刺激して、総員、三田を筆頭に生気に満ちた舞台を創りあげた。無論、両者の橋渡しを的確に導いた栗山の貢献は特筆すべきものだ。おどろくのは32歳の男である蓬莱が女のカラダの仕組みや心を熟知していて、生理や妊娠にまつわる機微を平然と描きつくしていること。場所は長崎で祭りの日に東京から三田の娘と孫が帰ってきた。そして二人とも妊娠しているのだ。男たちは祭りで神輿を担いでいて留守で女だけの家族と闖入者のませた少女だけの女たちの時間だ。ひ祖母から少女までの女たちのそれぞれの世界をみる、感じる時間の差異が濃密に浮上してくる。その全方位てな蓬莱の描き方、伏線と露呈のあんばいの妙、小さなエピソーヅの意想外の効き方、それらが客の固唾をのませる。ラスト少女が初潮を迎える場で、話の結構が決まる。妊娠している女は結局産むのだが、産む産まないの問題が、さんざんの経過を経て、なにか当事者たちを越えた本能の、人類の存続の大義に包摂されてゆくような崇高さを垣間見せる舞台だった。また、男たちの祭りのzわめきも女たちの時間へのあるべき関与として効果的に舞台を震わせていた。
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# by engekibukuro | 2008-07-17 11:41 | Comments(0)  

椿組公演「新宿番外地」花園神社境内特設ステージ

・作・演出:水谷龍二(劇中劇ー作・構成・演出:江本純子)。まずこの番外地という場所がどんな所か、どうしてできたかがわからない。いまから30年後の話らしいが、ストーリーが劇中劇・フラシュダンスのシーンに分断されて、この劇中劇との関連を含めて、有機的につながってこない。水谷の魅力である物語の面白さがまるで感じられない。この土地のボスを有薗芳記がそろばん片手のトニー谷スタイルとゼスチャーで演じる面白さと、東京を絶滅させるウイルスの蔓延の話でいちおうメリハリをつけるが、全体がそれでもバラバラで、ラストの外波山文明のかっての劇団「はみだし劇場」のだしもの場は逆効果で盛り上がらなかった。江本のダンスシーンも切れが悪くて、有薗と高級役人役の千葉哲也が何とか持たせた感じの中途半端な興行に終わった。7月14日観劇。
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# by engekibukuro | 2008-07-15 11:31 | Comments(0)