「怪談牡丹灯篭」9月11日Sあるすすぽっと花組芝居

原作:三遊亭円朝、脚本・演出:加納幸和。花組芝居が出来不出来が極端だが、今回は残念ながら不出来だった。加納のたくさんの手数の狙いがほとんどはずれていた。しかし、加納自身の芝居は面白いし、下座にモダンジャズをまじえるセンスは十分楽しめた。
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# by engekibukuro | 2008-09-12 09:02 | Comments(0)  

「森の奥」9月10日Sこまばアゴラ劇場。

ベルギーの王立フランドル劇場&トランスカンアナルが平田オリザに委嘱した作品(演出も)を逆移入した公演。内容は平田の「北限の猿」とほぼ同じだ。ベルギー人の俳優が演じても平田口語演劇の、青年団の芝居となんら変わらない。それが不思議というか平田演劇の普遍性か。内容は霊長類と人間の差を近づける研究に従事する様々な分野の研究者の話だ。まあ、平田の霊長類に関するウンチクと一種のホラ話を楽しむ芝居で、翻訳された会話でベルギー人が演じても平田独特のユーモアが十分感じられるのだから、平田の腕の確かさを感じる。ただ、今回は「北限の猿」にはなかった、霊長類の研究が実は人間の先祖がえりのの願望からなのだという視点で、ラストシーンの猿のまねをして嬉しそうにしている学者のシーンからそれがわかってくる。それに霊長類の乱交の場面を楽しそうに、うらやましそうに語り合う学者のお喋りからも・・・。bエルギーの客の受け取り方に、この芝居がチェーホフ以前の古臭い芝居だというものがあったそうだが、日本固有の演劇の推移をしらない外国の客がみたらそう見えるのは当然かとも思う。
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# by engekibukuro | 2008-09-11 11:51 | Comments(0)  

「水の花」9月9日Sギャラリー ル・デコ

作・演出:井上弘久、Uフィールド。前作「孤独な老婦人には気をつけて」は40人もでたが、今回は3人しか出ない小品。いまや50台も半ばの中年男二人と同年齢の女。3人は中学の同級生で、女は演劇部のリーダーだった。3人の思い出は演劇部で上演した「銀河鉄道の夜」にまつわる話。リーダーは厳しくて、有栖川公園で猛稽古を重ねた。男たちはオシッコの出方に異変をきたし、糖尿病の心配できもそぞろだ。3人の有栖川公園での幻想の再会の場面で「銀河鉄道」のジョバンニやカンパネラへの幻想から男二人のリーダーへの幼い恋情などへ転調させて、現実と幻想の織り成すイメージの重なりの底から3人の老齢に向かう生の不安がにじみ出る。現実と幻想の転調が意表をついて複雑な味わいを醸成し、一つの確固とした演劇空間を創っていた。
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# by engekibukuro | 2008-09-11 11:09 | Comments(0)  

「人形の家」9月6日Mシアターコクーン

作:イプセン、訳:除賀世子、演出:デヴィッド・ルボウー。舞台は客が四方から囲んで観るボクシングのリングのような四角の台。私はリングサイドで観られた。宮沢りえのノラはノラについての定説どうりの、人形扱いから自覚した女性への成長をきちんと、チャーミングに見事に演じた。TPT時代のルヴォウーの舞台の常連堤真一は宮沢の相手として申しぶんないが、今の時代ではやりにくいのかもしれないが、ノラに対する頑迷な支配力が弱い。終幕の二人の対決ではノラの一人な勝ちで、これでは家庭を捨てたノラの前途の多難さを暗示できない。しかし、ryヴォウーが語るとおり、この芝居は「問題劇」に終始すばかりでなく、サスペンスドラマとしても楽しめるもので、ルヴォウーの多面的、複合的演出が現在でも生きる「人形の家」の舞台を創りあげた。一番印象に残ったのは山崎一の演じたクロスタがいままでの舞台では陰険な暗いばかりの男だったが、ここではネルメスにたいするちゃんとした対立者として明確な存在だったこと。それといまでの地味な苦労まみれのクリステーネも神野三鈴の好演で魅力的な女性になって、このクロスタとクリステイーナの愛の復活のほうが実質的、人間的な関係でノラとヘルメスの空虚な関係を照らしだす存在になっている。ほか色々あるが、ルヴォウーらしい刺激的で楽しい舞台だった。
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# by engekibukuro | 2008-09-07 16:56 | Comments(0)  

「東京原子核クラブ」9月3日M俳優座劇場

作:マキノノゾミ、演出:宮田慶子、俳優座劇場プロジュース。3回目の剣戟だが、全然飽きない。賭け値なしの名作だ。理化学研究所(理研)で研究していたノーベル賞j受賞者の原子物理学者朝永振一郎の若き頃がモデルで、その朝永が暮らしていた下宿屋が舞台。その下宿人はダンスホールのピアノ弾きとか新劇俳優がいて、そういう市井の人々の中での物理学者の生活が、物理学を生活の中へ引き寄せて、大戦前夜の戦前の社会を活写している。戦後、下宿屋が半焼した場でのラストシーンの下宿を仕切っている大家の娘と朝永の対決的会話が芝居を緊迫させ、戦後日本に大きな影を残す。理研は軍の要請で原子爆弾の製造を試みるが、原料不足その他の理由で完成は殆ど不可能だった。しかし娘は朝永に製造していたことを確認して「それなら私は広島、長崎の被爆者に顔向けできない」と朝永を問責する。朝永は爆弾投下を許すべからざることだと応えるが、科学の発達の不可逆性を語り、原子爆弾完成そのものには学者として興奮したと正直に付け加える。もlし爆弾が完成していたら、日本の軍部は中国に投下したかもしれない・・・。日本は無垢の被爆国とはいえないという慄然とした思いがよぎった。、
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# by engekibukuro | 2008-09-04 13:34 | Comments(0)