5月25日S「鴨川ホルモー」吉祥寺シアター、Aダンカン

原作:万城目学、脚色・演出:鄭義信。原作はベストセラーだそうだ。若い映像系の出演者ばかりで、私は誰もしらなかった。ホルモーという競技はよくわからんが、そのホルモーと京都の闇に群棲している「鬼」をめぐっての青春グラフテイだ・・。舞台は皆ハツラツとして活気あふれるが、この男女が京大生とうのが、時代の移り代わりを感じたものだ。
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# by engekibukuro | 2009-05-26 08:46 | Comments(0)  

5月23日M「来年こそは」民芸、紀伊国屋サザンシアター

作:アン・チスレット、キース・ロウルストン、訳:吉原豊司、演出:高橋清祐。サブプライムローンのように、カナダの農村が、投資ファンドによって蚕食され、崩壊する姿と経緯を描いた作品。農業はいまやビジネスでしかなく、土地と動物、農業と酪農の牧歌的な共同体は壊滅する。いまのグローバル世界では日本もその脅威を免れるはずもなく、その意味ではアクチュアルな作品だ。しかし、芝居がもっと練れていれば、頭の理解ではなく、体感できるのにというキワミは残った。主役は樫山文枝。
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# by engekibukuro | 2009-05-24 07:23 | Comments(0)  

5月21日S「通過」(作・演出:松井周、サンプル

三鷹市星のホール。松井の出世作の再演だ。舞台を四方から見下ろす客席。客席の後ろ、隙間、舞台の四隅まで多種多様なゴミで埋めて、舞台はちゃぶ台が置いてあるだけ。異様なカリスマによってこの一家に関わる人間たちが暴力的に洗脳され、病理集団(逆ユートピア)と化するという話だ。初演では舞台の袖にゴミの堆積が崖になっている外の風景がみえて、芝居のパーステクテイブの広がりがあったが、今回は人物たちの動きがちゃぶ台の周りだけに限定されるので、この異様な芝居ががんがん煮詰まってしまい、上手に描かれているからなおさら観ていて息苦しいほどで、終わるとどっと疲れる。松井の芝居つくりの才能は目を見張るほどだが、この芝居の狙いが、ゴミと人間が等価などということをいいいたいわけではないだろうし(そうだとすればこの過剰なゴミは単なる説明にしかならない)、もう一つ不分明だ。迫力満点の松井にしかできないユニークきわまる芝居だけになにか隔靴早々だ。しかし、まだまだこれからの作家だから大いに楽しみでもあるのだ。サンプルの俳優、、カリスマを演じた古館寛治が素晴らしい。こういう役を演じると天下一品だ。おなじく辻美奈子も面白い。この二人がサンプルの舞台のトーンを支えている。
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# by engekibukuro | 2009-05-22 10:07 | Comments(0)  

5月20日M★「初夜と蓮根」S★★「病気」

★作:土田英生、演出:岩崎裕子、円、ステージ円。土田の作品を土田主宰のMONO以外の劇団、とくに新劇系の劇団で観ると恒常的に不満が残ってしまうのは致し方ない。舞台が開くと、すぐそっれぞれの役をMONOの役者で思い浮かべてしまう。この芝居も金田明夫扮する父親はMONOだったら土田だな、あの役は金替え、この役は奥村だなとかすぐ思い浮かべる。長い間一緒にやってきたのだから当然だが、MONOの役者は土田の芝居の空気とリズムに本能的にノッテしまう。どんな荒っぽいストーリーでも、ありえないような話でも、MONOの役者独特のクッションが効いて、話に絶妙な距離をおいて見せてしまう。円の役者も金田以下、皆上手に演じているし、話も面白いし、客も喜んでいるからまずは成功だと思うし、第一MONOの芝居を観ている客も少ないだろうから、比べるのも筋違いだとは思うが、結婚して中年になった夫婦がこれまで一度もセックスをしていないというマレな話話が、どうもベタで生々しくなってしまい、土田本来の舞台とは感触が違うと感じてしまうのは、どうにも致し方ない。
★★作:別役実、演出:K・KIYAMA,名取事務所、シアターX。舞台の電信柱に「応急救護所」という看板がかかている。受付に看護婦が一人坐っている。通りかかった男が看護婦に呼びとめられて、至極健康なのになんだかんだ話しかけられているうちに、突然現れた浮浪者に身ぐるみ剥がされ、最後には本当に病気になり、路上に捨てられてしまう。どこからか暮らしが保護されているというセキュリテイ神話を信じ、医者や医学をを盲信していた男の末路が描かれているのか・・。この舞台の断然の特徴は、別役芝居初体験の俳優座の森尾舞演じる底意地の悪い看護婦の演技。別役のどんな絶望的な芝居でも、そこにみなぎるペーソスとか隠れたユーモアで、なんとなく救われるのだが、それを発現するのは別役テイストを身につけた役者だ。だが、森尾がストレイトにがんがん演じるので、他の別役経験者の役者はそのペースに巻き込まれて、なんだかナマナマしい芝居になって、この男の自己責任が問われるような結末になった。自分で身を守ることが出来ない男は三谷昇の神様も匙を投げたようだ・・・。森尾を活用したK・KIYAMAの面目躍如の演出だった。
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# by engekibukuro | 2009-05-21 10:44 | Comments(0)  

5月16日M「タトウー」新国立劇場シリーズ海外編vol3

作:デーア・ローアー、演出:岡田利規。塩田千春の舞台美術の域を超えた、無数の窓枠を天井からつるしたインスタレーションが舞台を圧するようだ。崩壊した東ドイツの廃墟から集めたものだそうだ。これは窓枠が本来属していたはずの部屋、家庭の不在を示し、喪失感を浮き上がらせるものだ。芝居は、岡田らしい身振りの記号を伴った興味深い舞台だったが、全体としてインスタレーションにドラマが飲み込まれてしまった。様々な形で、このインスタレーションに芝居の細部は関わるが、インスタレーションの強度にドラマが対抗できていなかった。だから、近親相姦を扱ったドラマの内容がみえてこない。ナチュラリズムを排した、棒読みのような俳優のせりふも、身振りもドラマの強度を感じさせなくて、最後には息切れしてしまった。俳優をインスタレーションの材料として意識して演出したとも思えないが、この舞台は塩田の個展だという印象のほうが強い。しかしとても刺激的な冒険的な試みとして岡田の模索がひしひしと感じられ、忘れられない舞台であったことは明言できる。
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# by engekibukuro | 2009-05-17 08:25 | Comments(0)