3月6日M★「火の顔」S★★「春琴」

★作:マリウス・フォン・マイエンブルグ、訳:新野守宏、演出:松井周、F/参加作品、東京芸術劇場小ホール。舞台前面の左右一杯に幅の狭い台が差し渡されている。この台がこの芝居の一家の食事をするテーブルになったり、寝室になったりする。見事な装置(杉山至)で、この台が不安定で腐食した一家を象徴していた。松井はこれをたくみに使って、生活に疲れきった恥知らずな両親と近親愛に溺れる姉と弟の生活を描いた。両親役の猪俣俊明、大崎由利子、姉の野津あおい、弟の岩井秀人、姉の恋人の菅原直樹もそれぞれ好演で、松井が自作以外の演出でも力を示した舞台だった。ただ、05年に来日したドイツのオスターマイヤーの演出では弟の放火を含む過激な行動が、彼個人の超越性への妄想からの行為というより、少年期を乗り越えるための過激なメタファーとして描かれていた。だから少年の火への執着、放火のイメージが強烈だった。だからやけどの白塗りの火の顔が鮮烈だったのだ。この舞台では火への執着、放火のイメージの強度が不足していた感じが拭えなかった。
★★原作:谷崎潤一郎、演出:サイモン・マクバーニー、世田谷PT。初演ではヨシ笈田が出たが、今回の笈田の役は元天井桟敷の下馬二五七。この下馬が笈田とは違った味でなかなかよかった。サイモンの舞台の一角一点にも目の届いた演出、人物の配置、畳や棒の千変万化のシンボリックな使い方、バックの映像の多彩、立石涼子のアナウンサーの不倫など俗事も含めて、完璧な演出だ。ここまで完璧だと、この舞台は演劇というより、演劇を素材にしたサイモンのアート作品だと思えてしまう。春琴や佐助も、棒や畳と同等な表現素材なのだ。演劇的な物語からの感銘というより、日本的でもなく西欧的でもないコスモポリタンなサイモン独自のユニークなアート作品に感服したというのが、正直な観劇感。それは見事なものだった。
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# by engekibukuro | 2009-03-07 11:03 | Comments(0)  

3月5日S「無機的INORGANIC」解体社、CANVAS

構成・演出:清水信臣。昨年12月、1月、今回が最終のトリオロジー。今回のタイトルは”自発的隷属の諸様態から”の命名からか「ワタシヲ監禁シタイナラスルガイイ」。正直3回観てもよくわからなかった。昔本郷で観たときのように舞台の強度で圧倒されていた記憶を云々するわけではないが、時代が悪化して表現も難解の一途をたどるのだろう。理解の手助けと思ってパンフの清水と鴻英良の対談を読むが、どうもコジューヴを読んでいないとこの舞台には近づけないらしい。こちらの知的怠惰は咎められようが、コジューヴをきちんと読んでいるような層の客との懸隔を感じてしまう。しかし、そういう層の客にとって、今回のシリーズが有意義で面白い舞台であることを心から願う。いつかはついていけるだろうし、清水の時代に素手で立ち向かう姿勢には共感するのだから・・・。
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# by engekibukuro | 2009-03-06 09:04 | Comments(0)  

3月4日S「Ceremony」ストアハウスカンパニー

構成・演出:木村真悟。江古田ストアハウスは、消防法の問題で、劇場の営業を終了する。ストアハウスカンパニーの江古田ストアハウスでの公演は、7月22日ー26日の「箱」の上演が最後の公演になる。木村はこの劇場を拠点にして25年活動してきた。5階まで歩いて上るのは老人にはつらくはなってきたが、いろいろ思いで深い芝居があったし、なんとも残念なことである。今回の舞台は木村が劇団創立以来25年貯めてきた衣装を舞台に積み上げた。それをパフォーマーが踏み潰し、散乱させて、カラフルな衣装・古着の大群と過激に戯れる。最後には彼らが着られるだけ衣装を着て、古着だるまになって舞台を去ってゆく・・。舞台上の山ほどの衣装を全部着てしまい、舞台がまっさらになったら面白いのにと木村さんに言ったら、それだと着るだけで大変な時間だと・・・。この木村が創りあげたパフォーマンスは、テーマは違っても基本の動きのパターンは同一で、作品ごとにバリエーションが付加される。基本のステップの力強さ、歩行の順路の繰り返しの面白さは何回みてもよいものだが、バリエーションの付加の発想をもっと違った角度から考えたら・・と今日の舞台を観て思った。
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# by engekibukuro | 2009-03-05 10:36 | Comments(0)  

3月3日M「グレンギャリー・グレロンス」紀伊国屋サザンシアタ

作:デヴィド・マメット、訳・演出:江守徹、文学座。この戯曲を映画化した、アル・パチーノやジャック・レモンが出た「摩天楼を夢みて」を見たとき、アメリカのセールスマンの仕事の過酷さ、しのぎあいし、生存競争のすさまじさを肌に感じて、おぞましい気分にうちのめされた記憶があるが、この舞台はその印象を蘇らせてくれた。なにより江守の翻訳が巧い。翻訳劇臭を吹っ飛ばしている。それを文学座の地味目の役者たちが、それぞれほぼ完璧に消化している。主役の清水幹生の演技など目を見張らせるような迫力だ。毎日彼らはののしりあい、足を引っ張り合いながら一緒に仕事をしている風景は、日本ではいくらなんでもないだろう・・・。しかもその生存競争のさなかでも、同じ仕事をしているもの同士のわかりあいがほのかにみえ隠れするのが、せめともの救いか。会話やストーリーのお芝居の面白さがなによりで、それ以上の解釈を演出家は興味を示していないが、これこそ資本主義社会のもっとも品質的な暗部の露呈だろう。この芝を観ると「セールスマンの死」が牧歌的な芝居に思えてしまう。セールスマンはアメリカ人の人に誇れる正業なのだが・・・・。
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# by engekibukuro | 2009-03-04 08:20 | Comments(0)  

3月2日M「珊瑚しょう」新国立劇場

作:深津篤史、演出:栗山民也。新国立劇場二期生の終了公演。二期性全員が均等に出演できるための台本だろうと思う。演劇的成果よりも、これからの演劇修行のためのそれぞれの決意がこめられた気持ちの横溢がより多く感じられた舞台だった。
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# by engekibukuro | 2009-03-03 07:18 | Comments(0)