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11月21日(月)川村毅「4」初稿リーデイング

<劇作家の作業場>、シアタートラム。
 川村が死刑制度に関する刑務官、裁判員、法務大臣、死刑囚のモノローグ、対話でそれぞれの心象風景を描いた作品で、今回は前半部分のみ・・。全容は来年上演される。主演者は吉田鋼太郎、手塚とおる、扇田拓也、中村崇。わたしは扇田が吉田・手塚のベテラン俳優に並んで、どう演じるかというのが観にいった動機だが、扇田が吉田、手塚ご両親(昭彦氏夫婦)に賛辞を伝えた・・。
▼メモ。小腸の検査でカメラを装着して、1日すごす。病院の外へでて、映画を見てもいいというので池袋東急でさだまさし原作、瀬々敬久監督の「アントキノイノチ」を見た。親友をいきちがいで自殺に追いやった少年時代の記憶に呪われた繊細で感じやす過ぎる少年時代をすごした青年が、やっと重度の躁鬱症から抜け出して、遺品の整理会社で働き出す・・。そこで高校時代のレイプされた傷か残されている女性に会う・・。二人の痛ましい交流を描いたものだが、少々感傷的ではあるが、青年を演じた岡田将生と女性の榮倉奈々が実に瑞々しい演技で素晴らしい!それに瀬々の重く沈んだ映像がドアラマを見事に支えていて、久しぶりにみたこの日本映画に満足した・・・。

▼信さん、コメント有難うございました。ご指摘の誤り訂正しておきました。すみませんでした。

# by engekibukuro | 2011-11-22 10:32 | Comments(0)  

11月20日(日)M「The Spiris Play 霊戯」鴎座

作:郭宝崑、構成・演出・美術:佐藤優、D-倉庫。
 中国の昆劇の俊英、孫晶、唐沁、京劇の張春祥、日本の観世流能楽師清水寛二(WCで西村高夫)それに日本の現代劇の笛田宇一郎のコラボレーション・・。戦争の残虐性を根源的に洗い直した作品で、先の戦争の日本の、アジア(特に崑の暮らしていたシンガポール)・中国への残虐行為が背景に存在する。香港や中国各地でのワークショップや上演を重ねてきたものの日本での上演だ。詩的な台詞の中国語の翻訳のスーパーが読みにくくてよくわからなかったが、能の謡、昆曲の地から湧いてくるような音調、昆劇の俳優達の驚くほどの身体性、緊張感がみなぎっている昆劇や能の様式な演技が舞台を盛り上げて、さらにそれら伝統演劇の名手の演技と見合った笛田の音量豊で格調高い演技が伝統演劇の様式性に拮抗して舞台の中心に位置していたのが素晴らしかった。細部が多少不明でも。テキストの根幹の命は伝わって、終始舞台の緊張感に包まれて観た。これは佐藤信しかできない演劇だと思った。
▼メモ。上演前に表のロビーで佐藤信、流山児祥、内野儀さんと歓談。病気の話、信さんは大動脈乖離の大病から生還、流山児事務所の12月公演「オールド・バンチ」の老優たちは瓜生良介さんを除いて皆癌の持ち主だそうだ。流山児自体も新造に難があり、一発発作がおきるとアカンそうで・・。
・国書刊行会のドイツロマン派全集でハインリッヒ・フォン・クライストの短編小説を読む。3・11についての佐々木中のエッセイで佐々木がクライストの「チリの地震」を高く評価していたから・・。クライストが「こわれ甕」などの劇作家だとばかり思って思ういたが、小説も素晴らしく面白いことを知った。
・昨日木ブリジストン美術館で「野見山暁治展」を見た。生命力あふれる生涯の絵画群れ、あwたしは野見山の故郷を描いた「僕の生まれた川オンガ」が群中一番好きだ。永遠を思わせる川の水の白色の神秘・・。
・今井さんご指摘有難う。、直します。

# by engekibukuro | 2011-11-21 06:41 | Comments(1)  

11月19日(土)M「あなたに会ったことがある」

原作:カフカ短編小説より 構成・演出:松本修、MODE、笹塚ファクトリー。
 カフカの代表作「アメリカ(失踪者}」「城」「変身」「審判」を舞台化して、成功させた松本がカフカの短編小説の「田舎医者」「流刑地にて」「狩人グラクス」などから構成された舞台で、これは松本の真骨頂、松本の演出のエッセンスが詰まっている。松本がパンフで語る。”今、世にある多くの演劇の行為が、「あらかじめ概念化され、要約されたもの」=戯曲をいかに上手にやるかということに重きをおいてなされている。あるいは「すでにあるに日常の身体・言語」を作者が面白がれる状況へ並べ替えたり、それにメッセージを言わせたりする演劇。それらの傾向とは違うものを作り出したいと思う。しかし、それに興味を示してくれら観客がはたしてどれくらいいるだろうか”
 また、”カフカの解釈ではなく我々はまず「テキストに書かれたまま」をやってみる。つまり俳優の身体でカフカを読むということ・・。その身体感覚がカフカの純粋な解釈とかでなく享受すりということで、それは人間の再現だけでなく、街の風景、時間や空間の推移などさえ俳優の身体で表現するというもので、それをマイムなどの身体行動、とくに松本演出が特に冴える”行列”のアクションで表現するもので、それに私が今の日本の演劇界で松本が一番の使い手と思っている劇中音楽がかぶさっ、て、それを福士恵二以下の俳優たちが松本の意を呈して演じて、とても類をみない面白い宇舞台が実現したのだ・・。つまりはカフカの楽しみ方を学んだということ・・。はたして他のお客さがわたしと同じかどうか・・。あとで松本にきくと”ワケガワカラナイ”という客もいたそうだ。

▼メモ。劇場で伊藤弘子さんに会った。「シアターアーツ」の私のコラム「舞台人クローズアップ」で伊藤さんをとりあげたことを喜んでくれたらしい。わたしは”ユーリータウンはよかた、立派な女優になって・・」と・・。
・おもろ。カップルと中川君、それに久しぶりの嶋田君。昔の映画の話で盛り上がる。おれは昔の東映や松竹の映画の脇役を並べ立てて自慢する・・・。

# by engekibukuro | 2011-11-20 08:40 | Comments(0)  

11月18日(金)S「太陽」(作・演出:前川知大)イキウメ

青山円形劇場。
 40年ほど前、世界的なバイオテロでウイルスが拡散して、人口は激減し、政治、経済は混乱、社会基盤が破壊された。しかし数年後、感染者のなかで奇跡的に回復された人々がでてきた。彼らは免疫や代謝においていままでの人間よりはるかに上回る体質に変化していた。若く健康な肉体を長く維持できる反面紫外線に弱く、太陽の下では活動できない・・。彼らは自分たちをホモ・ノクセンス(夜を生きる人)と位置ずけ、略称はノクスで、普通の人間をキュリオ(骨董)とよび差別するようになった。そしてノクスが社会を掌握して、キュリオの人口は減ってゆき、ノクスに依存するようになる・・。舞台は長野の荒廃した村落のわずかに残った男女とノクスの役人、医者らのとの交流、相克を描く・・・。太陽の下では生きられない不自然人間ととにかく太陽を浴びてごく自然に生きられるリュクスとの対立・・。前川はいろいろなエピソードを重ねて面白く芝居を進めてゆき、このSF劇を興味巨深いものにしてゆくが、この対立はただの面白い話にとどまらない、普遍的な意味を考えさせるが、それがよく掴まえ切れない・・。それが残念・・。

▼メモ。雑誌ー「新潮45」の佐藤優の橋本徹批判、ファシストにさえなれない凡庸な人間だと・・。同じ佐藤の「中央公論」の論文は、ロアシのイズベスチュア紙掲載に載ったのプーチン首相の論文の分析、ソ連、ロシアの指導者はレーニン、スターリンも大部の論文を書いた。プーチンもその伝統に並んでいるのだ・・。「新潮」の柄谷行人の「哲学の誕生の連載は今回で終わり、一寸がっかりが、オレの知識ではよくわからなかったが、ギリシャのイオニア文化について学んだ・・。「テアトロ」村井健と坂手洋二の斉藤憐への追悼文。

# by engekibukuro | 2011-11-19 09:44 | Comments(1)  

11月16日(水)S「ハズバンズ&ワイブズ」ラッパ屋

作・演出:鈴木聡、紀伊国屋ホール。
 ラッパ屋フルメンバーで、ひねりの利いた芝居が真骨頂の鈴木が、おおまともに3.11の震災、続く原発事故に普通の庶民がどう反応したかを、下町の青戸のマンションを舞台に、そこの住人をとおして描いた作品。福本伸一がごくまっとうな人物を演じるなど、今までのラッパ屋の芝居と様子が違った芝居だったが、鈴木にとっていちどは書かなければならなかった芝居だったのだろう・・。その気持ちがひしひし伝わってくる舞台だった。


▼メモ。神保町萱へ。常連の建築家と、そば・うどん・ラーメメンの薀蓄合戦・・。

# by engekibukuro | 2011-11-17 09:57 | Comments(0)