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6月22日M★「芍麗鳥(しゃっくり)」S★★「ふうふうの神様」

★作・演出:下西啓正、乞局、駅前劇場。下西の芝居は独特だ。人物も芝居の展開もどんどん意表をついて、ついにはそれが常態と化す。このホームレスとおぼしき群像が創建する偽の王国、偽の神様の話も良く飲み込めないが、アレヨアレヨという間に見てしまう。作為的な狙いは感じないし、あくまでナチュラルだ。この正体不明の独特さはなんだろう。それをムリして捕まえなくてもいいような塩梅になっているのもたしか。それと下西はパンフに自分の子供が生まれたことを報告しているが、そういう幸福感と彼の芝居のネガテイブな暗ささとどう結びついているのか、フシギな感じがして興味深い。役者では背格好が小さな、笹野鈴々音という女優がなにか妖精のようで面白かった。土下座にちかいカーテンコールが、感謝の気持ちがほんとにこもっていてちょっと感動的だ。
★★作・演出:東憲司、劇団桟敷童子、ザ・スズナリ。この劇団ならではの、舞台から客席の壁全面が真っ赤な紅葉で覆われている。まずは開幕とたんは小学校の運動会の紅白の球入れ競争。賑やかな場面がおわると・・・・。話は福岡のサラリーマン夫婦の一人息子が秋の運動会のときに、突然行方不明になる。実は母親の故郷が山奥の隠れ里で、この村には神隠しの風習にさらされていて、母親も子供のころに神隠しにあっている。戻ってきたときには全く記憶が消えている。子供は何年たっても行方がしれず、夫婦は絶望して、あげくは離婚。妻は故郷に戻る。村まで送ってきた夫も村にとどまる。神隠しの神様と、村にもどすふうふうの神様、その二つの神様に支配されている村。ここからは一種の東おなじみの伝奇ロマンがはじまる。東ワー^ルドの老若男女が出没、全体の、音楽、美術、芝居の総合的な舞台技術の一体化は東の演劇美学の完成を思わせるほどだ。また、この舞台はただの伝記的な物語ではなく、神隠しを妄信する村人たちは、現実の生活や戦争体験などの実際の不幸を、神隠し、戻しの神という別の形に転化して、少しでも不安を消す、村人が「神隠しは絶望の中の希望」だといいつのる、そういう村人たちの姿を捉える視点ももつ。よるべない民衆の絶望に寄り添う東の姿勢は貫かれている。ただ東の演劇がパターン化している危惧も感じた。

by engekibukuro | 2009-06-23 14:04 | Comments(0)  

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