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10月18日(月)本の紹介

 山田勝仁著「寺山修司に愛された女優ー演劇実験室◎天井桟敷の名華・新高けい子伝」(河出書房新社)。
新高は寺山と同じ青森生まれの女優だ。高校卒業後上京して、美人喫茶、アルサロで働き、文化放送のミスQRに選ばれ、その後キャバレー歌手、CMタレントを経て、ピンク映画の女優になり、それを寺山に見出され天井桟敷の女優になった。天井桟敷では寺山の芝居の主役を寺山が亡くなるまで張り続けた。
 この本は新高の波乱万丈の伝記を山田が新高にインタビューして書き上げた。むろんそれが中心だが、新高をとおして寺山修司と天井桟敷の歴史を描いた本でもある。天井桟敷の国内、海外の公演の軌跡、天井桟敷に参加した俳優、スタッフの人物像を描き、日本の戦後演劇での寺山と天井桟敷の位置、世界での評価を綿密に跡付けた。その叙述を読むと、寺山演劇が、唐十郎の紅テントや佐藤信の黒テントとならぶアングラ演劇だというカテゴリーをはるかに超えた存在だったということを如実に理解させる。寺山の言語や想像力の多彩な広がりや、思想の深さはほかを圧して屹立しているのだ。
 しかし日本では寺山演劇は異物視されて、正当な理解をされず、その真価は海外で評価された。ロンドンの英国王立アカデミー・オブ・ドラマテイック・アートの校長・ニコラス・バーター(演出家)は「ロンドンで真に評価された日本の演劇人はテラヤマのみだ。ニナガワ?ノー」と言ったという。
 寺山が亡くなったとき、新高は「私が寺山さんに出会ってからの十六年間の人生は、すべて寺山さんの藝術に捧げてきました。この先、私はどうすれば・・・」と叫び、天井桟敷が解散した後、ほうぼうから仕事の依頼があったが、「私は寺山さんの作・演出でなければ舞台にたちたくないんです」と断り、女優生活に終止符を打つ。・・この本はさまざまなエピソードがちりばめられた楽しい本でもある。山田は後期の天井桟敷の芝居に通い詰め、”「天井桟敷」を通過した多くの人々がそうであるように、私の人生も寺山修司に統べられたのだった。・・・・・・・寺山修司は私の中で現在進行形で生き続けている”とあとがきに書いている。その現在生きている寺山を書く敬愛と愛着の深さは、類書にない切実感があり、それが現在の日本の演劇の欠損をも示唆している。山田はわたしの年来の友人だが、わたしのような寺山の舞台もあまり観ず、新高についてもピンク映画の女優のほうが印象に強いような人間の蒙を啓いてくれた。唯一の大きな寺山・天井桟敷体験は渋谷公会堂での「邪宗門」凱旋公演の大騒動だが、この公演についての記述も記憶を改めてくれた。

by engekibukuro | 2010-10-19 11:22  

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