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1月19日(水)S「浮標」(作:三好十郎、演出:長塚圭史)

葛河思潮社第一回公演、神奈川芸術劇場大スタジオ。
 この舞台が神奈川芸術劇場の実質的な杮落とし公演。それにしても今時こんな贅沢な劇場ができるとは驚きだ。建物の中央のエスカレーターで登った5階が大スタジオ。舞台は木製の幅広い枠に囲まれている白砂。その枠の右側、左側に椅子があり、役者がその椅子出番まで待機する。休憩2階の4時間にわたる、きっちりした3幕芝居。その4時間がすこしも飽きない、まさに杮落としにふさわしい見応えのある舞台だった。舞台は房総の海辺にある家。そこに画家の久我五郎の妻美緒が、重い結核の療養をしている。久我は献身的に妻の介護に尽くす日々だ。これは作者三好の実体験にほぼ近いという。時は、第二次大戦の前夜の暗雲立ち込める時代。天才画家といわれた久我だが、いまは画業もいきずまっていて、画壇からも干され、生活のために子供向きの絵を書き借金を重ね、介護と重なった苦闘の毎日を送っている。妻の母親は妻名義の財産の書き換えを強要してきたり、悩みはかさなる一方だ。それでも家事の面倒をみてくれる小母さんや、つけをしてくれる近所の商人に助かられてなんとかすごせている。
 芝居の芯は、久我の言動の一瞬一瞬の熱量の高さ、長塚がこの戯曲にのめりこむほど惹かれた要因だという生と死にぎりぎりまでに向かい合っているその熱量だ。訪ねてくる友人や親切な医師との会話で、久我はエキセントリックにまで興奮して向かい合う。善悪の問答が度外れで、常軌を逸して関係を悪化させたり、平謝りにあやまったり・・。その久我を演じた田中哲司が素晴らしい。長大な台詞をこなし、感情の振幅が異状に激しい人物をみごとに演じきった。この芝居の成功は、この田中の演技で確証され、長塚の三好への敬愛はこの舞台で果たされた。しかし、田中以外の塚を座りっきりで演じた藤谷美紀も小母さんの佐藤直子も総じて出演者全員が戯曲の人物をきちんと演じて、田中を中心にしたアンサンブルが整えられ、三好の戯曲が現代に蘇った。新劇の伝統や風習からまったく切れた、現代劇としての更新だ。余分なのり代がなくなった今の時代がよびよせた舞台だともいえて、若者演劇(小劇場)の変貌の兆しを感じた。人間の生死、時代の趨勢にきちんと向かい合った三好の存在が若い演劇人が正対した舞台として感慨は深い。
▼メモ。京極夏彦「死ねばいいのに」を読んだ。主人公のフーテンまがいの度会ケンヤという若者がまわりからは不幸だと思われ、当人は幸せだとおもっているいわば聖女を殺す。その聖女にかかわった人間たちの偽善を暴いてゆくケンヤを描いて、その殺人を聖化した小説。ケンヤという現代の若者が忘れがたい傑作にちかい小説だ。

by engekibukuro | 2011-01-20 14:36 | Comments(0)  

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