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1月20日(木)S「国民傘」(作・演出:岩松了)

 ザ・スズナリ。副題はー避けえぬ戦争をめぐる3つの物語ー。俳優は一般公募のオーデイションで選ばれた若手俳優が中心だが、老舗劇団円のベテラン石住昭彦も混じっている。
 テーマは戦争。しかし、岩松流の戦争観はなかなか複雑で捕捉が難しい。朝日新聞の紹介記事(山口宏子
)によれば岩松は、なぜ戦争という現象が起きるのか。「例えば遊園地で、大勢の親が遊具の中にいる我が子を食いいるように見守る姿に戦争に等しい何かを感じた。親が子をかわいいと思うのは当たり前だが、何かを守ろうと思った瞬間、人は戦闘態勢に入っている。そういう戦争の『始まりを考えてみたい」と語っている。芝居のつくりかたも「最初は短編を3本書こうと思ったのですが、それらがバラバラではつまらない。そこで、三つが互いに批評し合う作品を考えた」と。開幕、母と娘が登場、そこへ戦闘服の兵士と遭遇、場面がかわると小さな印刷工場があらわれる。この工場のねじれた人間関係、それと国家が設置した「傘置き場」を勝手に移動させた罪で牢につながれてしまうさっきの母と娘(これが「国民傘」というタイトルの由来か)、つまり、母と娘、古びた工場の人間たち、さまよう兵士たち、この三つの話が複雑に混入されている芝居だ。しかし、その三つの話が「戦争」という現象が起きる要因だと判じられるツボにはまったとは感じにくいのだ。
 岩松という劇作家はフツウの意味ではなかなか解りにくい作家で、むしろその解かりにくさが魅力になるような作家なのだ。けっして高踏的だとか客を無視した一人よがりなのではない。岩松を肯定的な意味で狂気の作家だといったのは蜷川幸雄だが、その芝居でこれだとひっかかったポイントでまとめてみて隔靴掻痒でおちつきが悪いのだ。いまだに確定的な岩松論にだからお目にかかったことがない。この謎にひっぱられて追っかける作家なのだ。この舞台でもチェロの生演奏があったり、突如骸骨の女がでてきたり、親切で面白いのあだが雲を掴むような印象を消しがたい。ただ、岩松がかって書いていたこと、唐十郎が岩松に”岩松君、芝居は最後に一本のリリシズムの線が走ればいいんだよ”といわれ、自分もそれを支えにしていると。これは岩松の芝居を観るときのこちらも支えに出来て、この舞台でもラストに窓から濃厚な緑の植物の密集が現れた瞬間、その一本の線が走ったと感じられた。これでいい。

by engekibukuro | 2011-01-21 11:10 | Comments(0)  

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