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3月26日(火)


 船橋洋一著「カウントダウン・メルトダウン」上下(文藝春秋)抜粋メモ
▲現地対策本部に原子力安全委員が派遣されたのは、自己から一ヶ月以上経った4月17日だった。
 下村内閣官房審議官は、その頃、菅が斑目らの原子力専門家からブリーフを受けたときの印象を次のようにノートに書き記した。
 「批判されてもうつむいて固まって黙っているだけ」
 「解決策や再発防止策をまったく示さない技術者、科学者、経営者」
             ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「技術そのものではなく、人間力として、原子力を持っちゃいけない社会だと確信した」
▲3月18日、劇作家の平田オリザは、鈴木寛文文部科学副大臣に呼び出された。
平田は、こまばアゴラ劇場を主宰している。その日は「バルカン動物園」の初日。ようやく体が空いた。平田は内閣官房参与である。・・鈴木は「最悪の場合を想定して、総理大臣談話のバックアップ原稿を書いてほしい」と依頼した。・・「パニック、それも東京のパニックを抑えるにはどうしたらよいのか、そういう観点から文章を書いてほしい」簡単な資料を渡された。・・平田は「最悪の事態」とは、「放射能の拡散が、ある程度東京近郊にまでおよぶこと」と受けとめた。平田はただちに大阪大学の八木絵香潤教授に連絡し、彼女の支援を求めた。八木はリスク・コミュニケイションを専門とする。その際平田は言った。「政治にために何かやろうということではありません。政府の下請けはしません。これは個人としての仕事です。「一人の市民として何かでいないか、手伝えないかというスタンスです」平田は内閣参与だが。これは」個人」として取り組みたい、と言うことである。八木はそれで「腑に落ちた」。
 八木が下書きし、平田が手を加え、何回ものやりとりを経て、20日、「総理大臣談話」(バックアップ原稿)の草案ができた。
・談話末尾・・、「まさに、いま、日本国民の叡智、理性、自制心が問われています。なにとぞ、よろしく、ご協力ください」
▲平田は劇団員の見の処し方、それから「バルカン動物園」の上演継続の是非を決めなければならなかった。21日、平田は劇団員むけのメールを送った。いわき市に戻って子どもを産んだ劇団がいる。ただちに、彼女と家族を東京に避難させた。「まず、放射能、放射能物質の考え方は、個々人の人生観、世界観に関るものなので、最終判断は皆さんにお任せします」・・ただ「チェリノブイリクラスの事故が、高い確率で予想される場合には、劇団員の子どもだけでもデリカにのせて、できるだけ遠くに避難させる措置が必要かもしれません」「現時点で、原発事故の深刻化を理由に上演を中止したり、アゴラ劇場を休業したりするのは、合理的ではないと考えます」
▲菅は「言葉が粗暴の上、人を試す言い方をする。堪え性があんく、怒りっぽく人を怒鳴りつけるだから、情報が下から吸いあがってこないし、周りが円滑に流れない。そして、国家的危機に際して、国民の旨に響く言葉を発することがついぞなかった」、が、細野は、「菅直人という政治家の生存本能というか生命力ってすさまにいものはある」と思ったとう。「この局面で我が国の生き残るためには何をしなければならないのかとぃう判断は、これはもうこれはもう本当にすさまじい臭覚がある人だと思っているんです・・撤退はありえないし、東電に乗り込んで、そこまでやるしかないんだとう判断は日本を救ったといまでも思っています」。官邸政務の官に対する評価は身びいきもあるに違いない。しかし、官には批判的な官僚たちも、直接、危機に取り組んだ人々は、この点に限っては、似あちょうな評価を下す。
 ★この地震列島では冒頭の下村審議官のノートの「技術園そのものではなく、人間として、原子力を持っちゃいけない社会だと確信した」、その確信の正しさを、この本はあますことなく描き、書き上げたのだ。

by engekibukuro | 2013-03-27 10:01 | Comments(0)  

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